宇宙世紀0087年、9月中旬。
「データの解析結果ですが……、いささか厄介で、思わぬものが出てきましたよ」
ニューホンコンのルオ商会掃討作戦において押収された膨大な機密データは、北米のシャイアン基地へと厳重に空輸された後、直ちにスーパーコンピューターによる解析へと回されていた。極東管区司令部も情報部のCPUリソースを大々的に貸し出し、地球の裏と表を結んだ大規模な並列処理によって暗号の解読が急ピッチで進められた。
しかし、その結果として浮かび上がってきたのは、カラバの資金ルートだけではない。ティターンズ、そして自分たちC・Lの内部情報に関する、極めて深刻な痕跡であった。極東の空を飛ぶガルーダの作戦司令室。
コジマ准将は、モニターに表示されたデータ・ツリーを前に、思案げに顎に手を置いた。
「エゥーゴやカラバが、我々に対して執拗な諜報戦を仕掛けてきていることは分かっていたが……まさかな。次世代モビルスーツの開発データや、戦術ドクトリンの基礎フレーム。アレが向こうにまで渡っているとは」
コジマが怪訝そうな、そして底知れぬ組織の闇を覗き込んだような顔をする一方で。同席していたクリスチーナ・マッケンジー中尉は、まるで不思議なものを見るような目で司令官を見つめ返した。
「別に、驚きはありませんよ? 寧ろ当然の結果です」
クリスは、技術士官としての冷静な、しかし少しだけ呆れたような口調で言い切った。
「相手は完全な外部のテロリストではなく、元を辿れば同じ『地球連邦軍』の派閥です。アナハイムに出向している技術者もいれば、軍需産業と癒着している官僚もいる。地球連邦軍の機密事項というものが、いかに杜撰に共有され、システムが横に繋がってしまっているか……。組織として未だに『一枚岩の連邦軍』という気兼ねと甘えが抜けていない証拠です。本当に、呆れますけれど」
現場で新型機のテストを担う技術屋からすれば、連邦のガバナンスの欠如など今に始まったことではない。身も蓋もない正論であったが、それはC・Lが今後、自分たちの手の内を知る敵と戦わねばならないという冷酷な現実でもあった。
「……兎も角として。技術的な優位が揺らぐというのなら、これからの状況を鑑みて、出来るだけ早くこの内乱に決着をつけなければならなくなったというのは……あるな」
コジマは表情を引き締め、広域の戦略マップをモニターに展開した。
現在の地球圏における最大の政治的焦点。それは、地球連邦議会が置かれているアフリカ大陸のダカールであった。当然ながら、そこはティターンズの絶対的な勢力圏であり、主力部隊の膝下である。彼らの政治的権力を完全に粉砕するためには、いずれその心臓部まで攻め入り、直接戦わなければならないことを意味している。
だが、極東および北米(太平洋側)からアフリカへ直接攻撃を行う場合、切っても切れない絶望的な障害物が立ち塞がる。
「キリマンジャロ要塞、ですか……。中々、恐ろしい相手になりそうだ」
幕僚の一人が、アフリカ大陸にそびえ立つ巨大な防空・対空要塞のシンボルを見て呻いた。
「そうなるだろうなぁ。……いっそのこと制宙権を完全に確保して、軌道上からマスドライバーか何かで大質量の隕石を撃ち下ろし、岩盤ごと要塞を破砕する方が楽ではないか?」
別の参謀が、半ば冗談交じりに、しかし本気で頭を捻る。
「大西洋側からの海路による攻略も視野には入れていますが、如何せん、制海権を取るのは難しいでしょうね」
腕を組んで黙り込んでいたアムロ・レイが、冷徹な戦術的見地から口を開いた。
「アフリカへ海から接近すれば、ティターンズの欧州艦隊とアフリカ方面艦隊が必ず出張ってくる。我が方の北アメリカ艦隊だけでは、数的な優位には絶対に立てない。これに極東の旧式水上艦隊を合流させて当てれば……という話にはなりますが、オーストラリア大陸のカラバを完全に落とさない限り、背後から横槍を入れられる。艦隊は動かせません」
アムロのその一言は、現在の地球連邦軍の内戦が、巨大な大陸と大洋を挟んだ完全に手詰まりの膠着状態に陥っていることを如実に示していた。
宇宙はゼダンの門とルナツーとコンペイトウが睨み合い、地上はキリマンジャロと太平洋が隔てている。司令室に重い沈黙が降りた。その静寂の中で、コジマは低く、しかし確かな意志を込めて呟いた。
「ならば……『戦わずして勝つ』か。だな。人々の良心に問うてみようじゃないか」
コジマはその一言を発すると、ニューホンコンから引き上げたデータと、宇宙でヤザン隊が捕縛したアナベル・ガトーからの尋問記録のファイルに鋭い目を向けた。
「エゥーゴによる、宇宙での非武装難民の囲い込み。並びにカラバによる、地球上での人質教唆と非人道的なテロ行為。これらを総合し、再編集して、現在オセアニア地域や月面に駐留している『中立派』および『エゥーゴ・カラバ陣営』の地球連邦軍部隊に対して、大々的な
力で要塞を落とせないのなら、敵の内部から崩壊させる。それは、凄まじい威力を秘めた政治的爆弾の投下宣言であった。
『……しかし、それは大博打です。下手を打てば、ティターンズがそれに便乗し、「それ見たことか」と一気に世論を掻き攫って横取りされますよ?』
宇宙からレーザー通信で会議に参加していたブライト・ノアが、渋い顔で当然の懸念を口にした。
だが、コジマは首を横に振った。
「虎穴に入らずんば虎子を得ず、だよ。何事も、リスクを恐れてやらずに諦めれば、直ぐに事は終わってしまう。……宇宙の艦隊、
『ええ。彼らは我々C・Lの行動を支持しています。シーマ艦長のリリー・マルレーンを中心とした部隊も、いつでも動ける態勢にあります。……しかし、准将。本当に行うおつもりで?』
ブライトの念を押すような問いかけに対し。コジマは、まるで孫の顔でも見るような好々爺の笑みを、その皺深い顔に浮かべた。しかし、その瞳の奥には、世界を盤上に見立てた勝負師の、冷たく鋭い光が確かに宿っていた。
―――
フロリダの総合病院。
無事にエレーネを出産したセイラであったが、彼女は数日が経過した今もなお、白いシーツの敷かれたベッドの上にその身を横たえていた。
一つの新しい生命を体内から外界へと送り出すという行為は、母体から凄まじいエネルギーを奪い去る。ましてや、予定日を早めての出産であり、道中での過度なストレスもあった。体調がすぐには戻らないのも、生物の理として致し方のないことであった。
当のセイラ本人からすれば、痛みや疲労は確かにあるものの、想定以上に悲観するようなことはなく、母体の回復は順調そのものであった。ベビーベッドですやすやと眠る我が子の寝顔を見ているだけで、身体の重さなど忘れてしまえそうだった。
しかし、付き添いとして病室を訪れていたフラウ・コバヤシからすれば、その景色はまた違う重みを持っていた。フラウ自身もまた、新しい命を宿す妊婦である。自分の身にも、遠からず『出産』という壮絶な大仕事が必ず訪れる。
ベッドから身を起こすのにも苦労するかつての気丈な戦友の姿を見て、彼女は出産という現実の重みを痛感し、来たるべき日に向けて黙々と準備を進めるようになっていた。それこそ、カツ、レツ、キッカの三人の子供たちを小間使いのように手伝わせながら。
「……なんだか、私。あなたにとって、すごく良い『反面教師』になっているみたいね」
ベッドの背もたれに寄りかかりながら、セイラがふふっと笑う。
「ええ。十二分に有意義な教材になってるわよ、先生さん」
フラウもリンゴの皮を剥きながら、からかうように笑い返した。女同士、母親同士の気兼ねない軽口を叩き合う日々。しかし、その穏やかな日差しの差し込む病室には、一つだけ、微かな寂しさの影が落ちていた。
「……アムロ、来ないみたいね」
フラウが、剥き終えたウサギの形のリンゴを皿に並べながら、ぽつりと呟いた。極東での大規模な軍事作戦が始まり、C・Lの強襲部隊の要として動いている彼の動向は、軍の末端の情報網を通じてフラウの耳にも僅かに入ってきていた。
「そうね。彼、今はかなり忙しいみたいだから、しばらくは会えないわね」
セイラは、窓の外の青空に目を向けながら、事もなげに言った。
「……まあ、それも仕方ない事よ。彼には彼の、護るべき最前線があるのだから」
理路整然と、大人の女として完璧に割り切ってみせる。しかし、その凛とした横顔の奥底に、生まれたばかりの我が子を一番に見せてあげられない『少しだけの寂しさ』が隠されていることを、長年の付き合いであるフラウは見逃さなかった。
「……今じゃ、立派な軍人だものね。変わったわね、アムロも」
一年戦争の時、機械いじりばかりして部屋に引きこもっていた、あの気弱で不器用だった少年。彼が今や、連邦の将官たちと肩を並べ、世界の行く末を背負って戦場を駆けている。フラウの言葉には、感嘆と、そして僅かな遠い目をするような響きが混じっていた。だが、セイラはゆっくりと首を横に振った。
「変わってないわ」
「え……?」
「あの頃から、本質は何も変わっていない。ただ、自分が『今、出来ること』を自分で見つけて、彼なりに考えてやっているだけなのよ。……昔はそれに戸惑っていたけれど、今はもう、自分の足で立てるようになった。それだけよ」
誰かにやらされるのではなく、自らの意志で引き金を引き、業を背負う。それがアムロ・レイという男の行き着いた不器用な生き方であることを、セイラは誰よりも深く理解し、そして愛していた。
フラウは、そのセイラの揺るぎない言葉を聞いて、少しだけ声のトーンを落とした。
ピーリングナイフを置き、膝の上で両手を小さく組む。
「……昔はね。アムロのこと、私が一番分かってるって、ずっとそう思ってたけど」
フラウの脳裏に浮かぶのは、サイド7の平和なコロニーで、食事も摂らずに機械に向かっていた幼馴染の背中。あのアムロは、もうどこにもいない。自分の手の届かない、遠い空の向こうへ行ってしまったのだと、改めて痛感する。
「今は、セイラさんの方が……彼のこと、深く知っているのね」
それは、嫉妬や恨み言ではない。
かつて自分が愛し、そして手放した青年の魂を、セイラがしっかりと繋ぎ止めてくれていることへの安堵と、ほんの少しのほろ苦い郷愁であった。
セイラは、伏し目がちになったフラウの顔を見つめ、ひどく優しく、慈しむような微笑みを浮かべた。
「それでも」
セイラは、自分の布団の上に置かれたフラウの手に、そっと自身の手を重ねた。
「サイド7で、バックを背負って学校に通っていた時の『ただの少年だったアムロ』を……私は、永遠に知らないわ」
戦火に巻き込まれる前の、無邪気で、だらしなくて、平和だったアムロ・レイ。
その姿を知り、その時代のアムロを支えていたのは、この宇宙でフラウ・ボゥという一人の少女だけなのだ。
セイラのその静かな言葉に、フラウの目が微かに見開かれ、やがてふわりと、憑き物が落ちたような柔らかな笑みが溢れた。
「……そうね。あの子、朝は全然起きないし、ご飯だって私が言わなきゃ食べなかったんだから」
「ふふっ。目に浮かぶようだわ」
新しい命の寝息が響くフロリダの病室で、二人の女性は、一人の不器用な男の過去と現在を優しく分かち合うように、静かに笑い合った。地球圏の泥沼の戦乱を遠く離れたその場所には、確かな平和の時間が流れていた。