〜0083年2月2日 ロンドン
薄暗い曇天と、湿っぽくも寒々としたその年を多くの人々は歩き、今日も一日が過ぎて行く。
ロンドン橋の欄干に、セイラは一人ポツンと厚手のコートを身に纏い、手を胸の前に組みながら誰かを待っていた。
コツ コツ コツ コツ
革靴の乾いた音が耳へと入る。セイラはその方向へと目を向けると、筆髭を蓄えた一人の壮年の男がそこいた。
「申し訳ございません、少し遅れてしまいました。」
「大丈夫、それ程待っていないわ。それよりも…」
そう切り出すと、男は首を縦に振りセイラを後ろに歩き始める。
付近にあるバス乗り場へと移動し、2人はそのバスへと乗ると幾つかの乗車場で、また何人かが乗る。
そこには親子の姿も幾つか見える。
バスを乗り継ぎ2人の到着した場所は、古めかしい宮殿のような半球状の建物。
そこには老若男女様々な人々が集まり、その建物が開くのを今か今かと待っていた。そんな待機列に、2人も紛れる様に並び指定席のチケットを手に中へと入って行く…。
ロイヤル・アルバート・ホール
本日のイベントは、オーケストラの演奏である。
観客が席についていく中、セイラもその一人となって椅子へと座るが、彼女のすぐ横に見知らぬ老年の男が座った。
「お嬢さんごめんね失礼するよ。」
「ええ、どうぞ。」
しかし、不思議なことだ。指定席であるのだから、ホールの席というものは自由に選択できた筈である。
そんな中で、わざわざセイラにそんな言葉を残して一人の老人が座るだろうか?
セイラはその言葉に対して、周囲の空気がガラリと変わった事を認識した。
悪意と評すれば簡単な事だろうが、その感覚はもっと複雑に絡みまるで蜘蛛の糸のように、セイラの周囲を取り囲んでいる。
その感覚の出処は隣の男だけではない、セイラを連れてきた男のものだけではない。
セイラの周囲に座る、老若男女問わない者達から発せられるそれである。
演奏者が位置へと付き、指揮者が壇上へと登り会釈をした後、指揮者が指揮を奮うと、まず木管楽器達の歌が始まる。
曲調は緩やかに、しかしながら徐々にその音楽は早さと力強さ、そして靭やかなメロディーへと変わっていく
ベートーヴェン交響曲 第1楽章 ハ長調 作品21
19世紀を代表する作曲家ベートーヴェンが遺した、最初期の作品の一つ。それが流れている。
観客たちはその音楽に酔いしれるのか、それとも子守唄のように聞こえるのだろう。
三者三様の反応を示している。
そんな演奏の中、セイラの隣に座っている男が声を発した。
「どうだね?地球での暮らしは、コロニーとは随分と違うだろう?」
「……、今は演奏中ですよ?でも、確かにコロニーとは違います。けれど、地球に住むのは初めての事ではありませんので。」
男はその返答に対して少し、意外なものを聞いたのだろう。少し左上を向く。その方向には何もない、ただ何かを思案しているのか?それとも単にクセなのだろうか?
セイラは、横目でその男の顔を見る。よくよく見れば、見覚えのある髪質とその色朧気な記憶の中でも、決して忘れまいとしていたあの時のそれに良く似ている。
髪だけではない、その顔の骨格そして肉の着き方。何処となくそれを見るに、やはり見覚えのあるパーツがある。
男は何を話すべきかと悩んでいるのだろう、オーケストラの音楽など眼中に無い。まるで馬の耳に念仏である。
「そうか…そうか…、あ〜兄がいるそうだね?彼は元気だろうか?」
「知りません…、何処かで野垂れ死んでいるかもしれません。ですが、最低でも地球にはいないでしょうね。」
不器用に一言一言、何か話すごとに考えているのかゆっくりとした会話が続く。
如何にセイラのニュータイプとしての力が弱くとも、男がこの会話を快感に感じている事を何となく理解し、同時に彼女もまた何処かでこういう事を望んでいたのかもしれない。決して不快感は感じていなかった。
「私はね…連邦の議会議員をしているんだが…こう。見るからに老いさらばえているだろう?息子もいたが、奴は私を置いて宇宙へと上がっていた。」
「それで私に何か関係があるとでも?まさか、後継者を指名しようとしていますの?
馬鹿馬鹿しい、私はそんな事をする為にここにいるわけではありません。」
セイラとしては、そもそもここに来ている事自体不本意な事であった。
そもそも自由意志の介在のない、そういった事は連邦内での動きをやらされている。それが今、セイラがこんな所にいる理由だ。
ゴップのような軍政家同士の連邦軍内部の抗争と、純粋な政治屋の動きというものは密接に結び付き、それに呼応するようにセイラの動きもそれが反映されたのだ。
それが、この老練な男とのこの摩訶不思議な、古臭い密談である。
ただ、目の前の男は既に政治屋としては燃え尽きているとも言えるだろう。そもそも、ニュースなどで取り上げられるようなそんな著名人でもなく、有るのは強力な政治基盤だけ。
そもそも、この男がセイラに会おうとしたのは気紛れ以外の何物でもない。
セイラはそれを見透かしていた。
実の子も他界し、今や一人でただ死を待つ身であるその男が、今更になって彼女の事を知ってそれを託そうとしているだけである等と。
全ての演奏が終わる頃まで、ポツポツと会話を続ける。どの様な環境で生まれ育ち、そしてどんな恋をして相手はいるのかと。
セイラは、特段不快感等というものは感じなかった。
寧ろ、本来であればそう言う環境はあって然るべきものであり、それが単に目の前にあるだけなのだからと。
パチパチパチパチ
と拍手に呑まれる世界の中で、男は席を立つ。
彼を先導するよう従者が道を開け、帰りをくだす。
「今日は良い1日だったよ、また会えると良いのだが…。」
「でしたらご身分を隠さずに、真っ当に来て下さる?その方が周囲への配慮も、最低限で済むでしょう?」
その言葉に男は顔を綻ばせ、一言紡ぐ。
「本当に、性格はアイツに良く似て皮肉屋だ。顔の造りは母親似なのだろうな…まったくアイツに似なくて良かった。強く生きてくれよ。」
男は歩き出す、セイラには、その背中は僅かに煤けているように見えた。
セイラがそのようなことになっているこの日、サイド7において、一つの画期的な思考を基にガンダムℵにとある装備が取り付けられる。
その装備の開発者の名は、ニナ・パープルトン。彼女の考案したそれは、ガンダムの機体性能をある種飛躍的に向上させようという、そんな試みの中行われた。
「機体各部良好、機動も正常に機能しています。」
サイド7宙域内に於いて、その機動テストが行われていた。
ℵの背部、本来であればサーベルラックとなっている部分には、何やら強固な棒状の物体が取り付けられ、そこから伸びるアームフレームの先には、所謂紡錘状とも言われる形状のスラスターユニットが取り付けられていた。
本来であればそれは、単なるドロップ式の燃料タンクや増設した簡易アポジモーターの様な物にも思えるのだろうが、この装備はまったくそれを意図していないものであった。
「アムロ中尉、そのまま戦闘機動に移行してください。」
『了解!コレより、戦闘機動耐久試験を開始します。』
指令室からニナがアムロに対してそのように命令をくだす。
立場としては同僚であるが、開発者とテストパイロットと言う立場でもあるので、こういうことも有るだろう。
急加減速を繰り返す機体、スラスターユニットから発せられるマズルフラッシュが明滅し、其れ等がまるで生きているかのように駆動する事によって、作用反作用を打ち消し機体はより高度な動きを行っている。
開発者であるニナは、それを固唾を呑んで見守っている。握り拳に鬱血が出来るほどに、彼女は当に緊張しているのだ。
そして、周囲に出来た人だかりの中模擬戦が始まろうとしていた。
ℵが機動をする中にあって、シーマは自らに割り当てられた機体…パワード・ジムを駆りその挙動を目の前にしていた。
より有機的な機動を可能にした機体と、それをたったの2分でものにするという、パイロット=アムロ・レイのその順応性の高さは、他の追随を許さない。
「まったく…ニュータイプってのは化け物かい?それとも……、アンタだけが特別だっていうのかい…。」
この2週間の間、シーマはそれなりにアムロと会話をする事も増えていた。
話してみれば年相応な感性を持っていて、時より見せるあどけなさの残る表情を見ていると、歳の離れた弟のようなそんな感覚すら合った。
それとは裏腹に、モビルスーツを駆る時のそのセンスは並外れたものであり、もはや人間の限界を超えた動きを完璧にこなしている。
シミュレーションデータ上ですら、シーマが振り回されたその機体を、いとも容易く操縦する姿には、嫉妬よりも尊敬が上回ってしまう。
それと同時に、この青年が一年戦争当時は15,6歳の本当の餓鬼であったという事実にもまた考えさせられるものがあった。
アムロが操縦する度に、彼女は夜な夜な思い出すのだ。
自らが行った非道と、それによって吐き気を催すそんな日々を繰り返し、彼女の精神的疲労は度を越していた。
何時壊れてもおかしくはない、そんな状況の最中アムロに言われた言葉に目を剥いた。
〘どんなに悔いても過去はしがみついてくる。でも、貴方はまだ生きているんですから、生きている人間のすべき事をするべきです。〙
自分が苦悩していることを分かっての言葉だろう…。安易に自らの正体を半分知られていることに、彼女は気が付いた。そんな最中でも、彼は彼女を売ろうなどとはせずただ静観しているのだから、甘い人間だった。
だが、一回りも歳が離れた彼に言われてやっと気が付いてしまったことがあった。
連邦は自分達の事を、決して許してはくれないだろう。
だが、目の前の青年だけは違うのではないか?夢のように淡い期待が止め処なく溢れてくる。
「あたしだって、わかってるんだよ。」
『コレより模擬戦を開始します。各機、指定ポイントに飛行した後戦闘を開始してください。』
緩やかに機体を加速させ、僚機となっている嘗ての忌わしい敵が、彼女と共に陣形を組んでいく。
その行動の最中にあってもなお、シーマの思考は止まるところではない。
もう、機体の強奪は諦めていた。いや、諦めざる負えなかった。寧ろ、こんな所に何のために自分が来たのかと、そう思う反面やらなければならないという、そんな悲鳴にも似た感情がせめぎ合っていた。
もし、もしだ。ここで行動を起こした場合どうなるだろうか?果たして、上手くいくだろうか…?
行き当たりばったりで、まるで計画性のないそんな行動が果たして成功するだろうか…。
彼我の戦力差は絶望的で、当に自暴自棄に陥っていなければ考えられないような、そんな行動を志向する。
『エフェメラ大尉…エフェメラ大尉!!』
「あ…?済まないね、少し考え事をしていた。」
いつの間にか宙域に到達していたのだ、ハッとなって額の汗を拭おうとして、パイロットスーツを着ていることを失念している。確実に彼女は、追い込まれていた。
『大丈夫ですか?しっかりと休養を取らないからそうなるですよ?』
「そうだね、コレが終わったらゆっくりとさせてもらうよ。」
クリスからの通信が入ると、シーマはそれに軽く返した。アムロが知っているのならば、この女も知っているのか?と、シーマは勘繰っている。実際、クリスからシーマに対する風当たりはかなり強い。いや、年長者の同僚だからこそ強く当たられているだけかもしれないが…。
それでも、無茶をすればクリスとの戦闘すら発生する。
腕前としては概ね互角か、シーマの方が実戦経験が多い分経験で勝るが、それでも操縦データでは殆ど差は無かった。
シーマのパワードジムと、クリスのGキャスト。そしてその他ジムキャノンや、ジム・カスタム。
其れ等が一同に介し、8機のフォーメーションで1機のガンダムℵを相手に戦闘が始まる。
宇宙空間という開けた地形、遮蔽物も少ないそんな空間の中を尾を引くように飛ぶその姿は清々しいほどに神々しい。
互いにカバーしあい、取り囲むような戦闘を発生させないようアムロは機動力を持って他機を翻弄する。
シーマの役割はそれを追撃し、網へと誘う為の陽動であるが…今回それはシーマの迷いを見透かすように、アムロの動きが変則的であった。
「アンタが…アンタが私に未来を見せてくる…、だから…だから!!アンタみたいのが苦手なんだよ!!」
コックピットの中で一人叫ぶ…。捨てた理想を、夢に見た自由をそして…あの日の幻想を今目の前にして彼女は叫んだ!!
大衆が呼応し、人々が旗を振りかざし警官隊に囲まれながらも抗議を続ける。
その中心にいて、決して暴力に訴えかけることもなく、ただ理性的に人々に投げかける。
そんな一人の男……、ジオン・ズム・ダイクンその男のその姿を…。
その理想を具現化した青年をそれが駆るモビルスーツを前ににして。
ダイクンが元連邦議員ならば、その支持基盤を支えていた人間はどうして原作では出てこないのか…。
コレが分からない
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