白き流星の羽搏き   作:丸亀導師

90 / 91
ムラサメ

コジマは大きく息を吐き出すと、デスクの端に置かれた暗号通信機を手に取った。

 

「すまんが、少し『汚れ仕事』の相談をしたくてな。いや、汚れ仕事というよりは……軍の『大掃除』の第一歩とでも言うべきか」

 

暫くの会話を続けると、コジマは静かに通信を切る。そして、再び山積みになった極秘資料へと重い目を落とした。そこに記された子供たちの虚ろな顔が、連邦という巨大な組織の底に溜まった泥の深さを物語っていた。

 

「……待っていろ。これ以上の狂気は、私の権限に懸けても食い止めてみせる」

 

地下の冷たい空調音が、彼の独白を静かに飲み込んでいった。

それから、およそ二ヶ月の時間が流れた。

宇宙世紀0085年、秋。

 

地球の極東エリア、日本列島の山間部に位置する巨大なコンクリートの要塞。木々に偽装され、地図上には「連邦軍気象観測所」としか記されていないその施設こそ、地球連邦軍ムラサメ研究所であった。

 

秋の冷ややかな風が山肌を撫でる中、施設の内側では、外界の季節の変化など微塵も感じさせない、無機質で狂気じみた日常が繰り返されていた。

真っ白な壁に囲まれた訓練室の片隅で、一人の少年が膝を抱えて震えていた。

 

彼の認識番号は『fifth・ムラサメ』。かつてジル・ラトキエと呼ばれた少年である。

彼の細い腕には無数の注射痕が青黒く残り、瞳孔は薬物の影響で散大し、焦点が定まっていなかった。彼の脳内では、絶えず激しい頭痛と共に、人工的に植え付けられた記憶のフラッシュバックが明滅している。

 

『姉ちゃん……!』

 

炎に包まれるベルファストの街。ジオン軍の水陸両用モビルスーツが街を破壊し、瓦礫の下敷きになって絶命する姉、ミハルの姿。

そして、逃げ惑う群衆の中で、ジオンの残党兵に無理やり腕を引かれ、泣き叫びながら連れ去られていく妹、ミリーの幻影。

 

「僕が……僕が助けなきゃ。ミリーを……ジオンから……!」

 

ジルは、自身の頭を掻きむしりながらうわ言のように繰り返す。

彼の中の記憶は、完全に改竄されていた。

姉はジオンの攻撃で死んだ。妹はジオン残党に拉致された。無力な自分は、妹を奪還する力を手に入れるため、自らの意志でこの軍の施設に『志願』したのだと。

 

それは、彼から過去のアイデンティティを奪い、軍への絶対的な忠誠と敵への憎悪を植え付けるための、研究者たちによる残酷な記憶操作の賜物であった。実際のミリーが単に行方不明であり、ましてや姉の死の真実など知る由もない。彼にとっては、頭の中に焼き付けられたその鮮明な「偽の映像」こそが、今を生きる、そして痛みに耐えるための唯一の原動力(アイデンティティ)となっていた。

 

「おい、フィフス。いつまでそこで蹲っているんだ? 出来損ないが」

 

冷ややかな声が頭上から降ってきた。

見上げると、整った顔立ちに酷薄な笑みを浮かべた緑髪の青年が立っていた。この研究所の「最高傑作」と自称する、ゼロ・ムラサメである。彼の背後には、常にマスクを手放せず、不気味な視線を彷徨わせている少女、ドゥー・ムラサメが寄り添っていた。

 

「力に喰われるような奴は、オールドタイプと変わらない。俺たちのような『選ばれた真のニュータイプ』の足手まといになるだけだ」

 

ゼロは自らの掌を見つめ、陶酔したようにつぶやいた。

彼らにもまた、施設に入る以前の記憶はない。だが彼らは、ジルとは違い、過去を奪われたことに執着していなかった。研究所によって「お前たちは旧人類を進化に導く特別な存在だ」と徹底的に吹き込まれ、その選民意識こそが彼らの自我を形成していた。

 

投薬による肉体的な激痛も、精神的な不安定さも、すべては「神の領域に至るための試練」であり、この境遇すら自らが望んだことだと狂信していた。

 

「そうだよぉ……お兄ちゃんの言う通り。弱虫は、いらない……」

 

ドゥーがマスク越しに、くぐもった声で笑う。

ジルは彼らを睨み返そうとしたが、再び走った頭痛に顔を歪め、床に突っ伏した。

ここにあるのは、偽りの記憶と、歪んだ優越感に支配された、哀れな子供たちの地獄であった。

しかし、その地獄の蓋が、突如として外部からの力によってこじ開けられることとなる。

 

「何事だ!? 許可のない車両の進入は禁じられているはずだぞ!」

 

研究所の正門ゲートに、数台の黒塗りの軍用車両と、完全武装した連邦軍の憲兵隊が土足で踏み込んできたのは、その日の午後だった。

監視カメラの映像を見て血相を変えた所長が、慌ててエントランスへと駆けつける。

 

「地球連邦軍の許可なく、この施設に立ち入る権限など……!」

 

「連邦軍監察局、および軍事法廷の正式な令状です」

 

所長の言葉を遮り、先頭に立った初老の監査官が、冷徹な手つきで分厚い書類を突きつけた。その背後には、コジマ准将や穏健派議員たちの息のかかった、連邦軍地方軍閥の権力が及ばない特務憲兵たちがズラリと並んでいる。

 

カイ・シデンが命懸けで集めた証拠と、コジマ准将の粘り強い政治的根回しが、二ヶ月の時を経て、ついに連邦議会を動かし、この「悪魔の館」に正規の監査団を送り込むことに成功したのだ。

 

「当施設における、非合法な戦災孤児の拉致、記憶操作、未承認の薬物投与、および非人道的な人体実験の疑いで、これより全施設の強制査察を行います。職員は全員、その場から動かず、データバンクへのアクセスを禁ずる」

 

「ば、莫迦な……我々の研究は、連邦の未来のために……!」

 

「言い訳は軍事法廷で聞きましょう。第1班はデータルームを制圧。第2班は地下の被検体ブロックへ向かい、子供たちを直ちに『保護』しろ!」

 

監査官の号令と共に、憲兵たちが雪崩を打って研究所の奥深くへと侵入していく。

研究員たちの怒号と悲鳴、破壊される電子ロックの音が施設内に響き渡る。隠蔽しようとした書類や、おぞましい人体実験のカルテが次々と白日の下に晒されていった。

そして、第2班の監査官と医療チームが、強化人間たちが収容されている第4ブロックの重い扉をこじ開けた。

 

「……君たち、もう大丈夫だ。恐れることはない」

 

医療スタッフの一人が、防弾ガラスで区切られた訓練室の中にいるジルたちを見つけ、優しく語りかけた。

 

「我々は連邦軍の査察団だ。君たちは、この研究所に騙され、モルモットとして利用されていたんだ。もう、痛い思いをする必要はない。我々が保護する」

 

その言葉は、大人の世界における純粋な「善意」であり、「救済」であった。

だが、記憶と自我を徹底的に書き換えられ、歪められた強化人間たちにとって、その言葉は、何よりも残酷な「呪い」として響いたのである。

 

「……騙されていた……?」

 

床にうずくまっていたジルが、ゆっくりと顔を上げた。

彼の虚ろな瞳に、困惑の色が浮かぶ。

 

「違う……僕は、騙されてなんかない。僕は、志願したんだ。ジオンに攫われたミリーを……妹を助けるために、力が必要だったんだ! ここを出たら、力がなくなってしまう! ミリーを見捨てることになるんだ!」

 

「落ち着きなさい、少年。君の妹さんは拉致などされていない。それは、君をこの施設に縛り付けるために研究者が植え付けた偽の記憶だ!」

 

監査官が真実を告げた瞬間、ジルの脳内で何かが音を立てて崩れ去った。

姉の死。妹の涙。復讐への誓い。痛みに耐える理由。彼を構成していたすべてのアイデンティティが「嘘」であると全否定されたのだ。精神の防波堤を失った彼の脳内で、サイコミュ用のドラッグが暴走を始める。

 

「嘘だァァァァッ!! 姉ちゃんは死んだ! ミリーは待ってるんだ! 僕が助けなきゃいけないのに、お前たちが邪魔をする気か!!」

 

ジルが絶叫と共に立ち上がった。その瞬間、彼の身体から放たれた強力な感応波(サイコ・ウェーブ)が、周囲の空気を物理的に震わせ、室内の蛍光灯が次々と破裂して火花を散らした。

 

「ひぃっ!?」

 

医療スタッフが後ずさる。

その混乱に油を注ぐように、ゼロ・ムラサメが狂気をはらんだ笑声を上げた。

 

「ハハハハハッ! 騙された? モルモット? ふざけるなよ、オールドタイプ共が!!」

 

ゼロは、監査官たちを睥睨し、その緑の瞳を怒りに燃え上がらせた。

 

「俺たちは被害者じゃない! 哀れな子供なんかじゃない! 俺たちは、旧人類が到達できなかった高みへと至った『真のニュータイプ』だ! この俺の存在意義を、凡人(ゴミ)どもが否定するな!!」

 

彼にとって「保護」とは、自らが選ばれた神に等しい存在から、ただの「哀れな実験動物」へと引きずり下ろされることを意味していた。それは、彼の傲慢な自我にとって、死よりも耐え難い屈辱であった。

 

「ドゥー! 邪魔な羽虫どもを排除しろ!」

 

「アハハハハッ! 壊れちゃえ、壊れちゃえぇぇッ!」

 

ゼロの叫びに呼応し、ドゥーが奇声を上げながら跳躍した。彼女の細い体からは想像もつかない、強化された人工的な筋力が解放される。彼女は瞬時に憲兵の一人に飛びかかると、その顔面に拳を叩き込み、奪い取ったアサルトライフルを乱射し始めた。

 

「うわぁぁッ! 撃つな!」

 

「被検体が暴走した! 鎮圧しろ!」

 

狭いブロック内に、銃声と怒号、そして血しぶきが飛び交う。

善意で足を踏み入れた監査団は、圧倒的な身体能力と異常な感応波を持つ「強化人間」たちの暴力を前に、為す術もなく崩れ去っていく。

 

「ミリー……ミリーはどこだ! 退けェェェッ!」

 

ジルもまた、作られた妹の幻影を追い求めるあまり、狂乱の渦に呑まれていた。彼は、自分を保護しようと手を伸ばした医療スタッフを壁に突き飛ばし、血走った目で出口へと駆け出す。

 

「見つけたぞ……俺の力で、この腐った施設ごと、お前ら旧人類を粛清してやる!」

 

ゼロは、混乱に乗じて施設の最奥部――試作兵器の格納庫へと向かって歩き出した。彼の手には、息絶えた憲兵から奪った認証キーが握りしめられている。

 

数分前まで「保護」の対象であったはずの子供たちは、今や完全な「暴徒」にして「殺戮兵器」と化していた。

連邦軍が自らの手で生み出した狂気の産物が、自らの喉首に牙を剥いたのである。

 

炎と黒煙が、ムラサメ研究所の無機質な廊下を満たしていく。

鳴り響く非常サイレンの音は、かつて人間の尊厳を持っていた者たちが、化け物へと変貌していく産声のようであった。

 

施設の外界の山林で、望遠レンズ越しにこの突入劇を見守っていたカイ・シデンは、突如として研究所の内部から上がった火柱と、憲兵たちの悲鳴が混じる無線のノイズを聞き、顔を蒼白にさせた。

 

「……なんだってんだ。中で、一体何が起きてやがる……!」

 

カイはカメラを放り出し、ポケットの拳銃を握りしめたまま、燃え上がる研究所へ向かって走り出した。

善意が最悪の悲劇を引き起こすという、底なしの暗黒。

アムロたちが向かっている極東の地で、彼らを待ち受けるのは、かつてのジオンよりも遥かに深く、救いようのない絶望の淵であった。

 

奇しくも、強化人間達の向かう先とカイの向かう先は、全くの同一地点、モビルスーツ格納庫であった。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。