〜ムラサメ研究所 モビルスーツ格納庫周辺
「逃げ回るだけのネズミがッ!」
ゼロ・ムラサメの絶叫と共に、ビームの閃光がカイの操るジムの頭上をかすめた。
カイは強化人間達の操るモビルスーツに苦戦を強いられ、完全に防戦一方となっていた。
相手は3機。しかも、常人離れした反射速度と殺気を放つ強化人間たちだ。一対一ですら絶望的な状況下で、カイは地形や施設内の障害物を盾に、文字通り泥臭く立ち回っていた。
装甲は削られ、メインカメラにはノイズが走り、機体の各部からは黒煙が噴き出している。だが、かつてア・バオア・クーの地獄を生き抜いたホワイトベースの元クルーとしての「経験」が、彼をギリギリのところで生かしていた。
敵の射線を予測し、あえて足元の岩盤を撃ち崩して視界を奪い、予測不可能なタイミングでバルカンを放つ。そのトリッキーでしぶとい戦い方は、圧倒的な力でねじ伏せようとする強化人間たちの苛立ちを、確実に積もらせていた。
「アハハッ! ちょこまかとうるさいんだよ、オールドタイプ!」
ドゥーの乗る機体が、瓦礫を蹴散らしながら距離を詰めてくる。
「チィッ、そろそろ限界か……!」
カイが操縦桿を握る手に嫌な汗が滲んだ、その時だった。
上空から、大気を切り裂く異様な轟音が響き渡った。
『……なんだ!?』
ゼロの機体が反射的に空を仰ぐ。
雲の切れ間から、炎を纏った巨大な影が一直線に降下してくる。それは、低軌道上からウェイブ・ライダーを使用し、大気圏の壁をまるで波に乗るかのように突破してきたアムロたちの部隊であった。
「着地と同時に投棄する! 衝撃に備えろ!」
アムロの冷静な声が響く。
ズゥゥゥンッ!!
という大地を揺るがす轟音と共に、カイと強化人間たちの間に、減速と投棄を兼ねて切り離されたウェイブ・ライダーの巨大なユニットが滑り込んだ。
すさまじい土煙と突風が巻き起こり、施設周辺を一瞬にして視界ゼロの空間へと変える。
「増援か!? だが、どんな手を使おうと……!」
ゼロは即座に機体のセンサーを切り替え、煙幕の中に潜むはずの敵の「殺気」を探ろうと全神経を集中させた。ニュータイプ特有の感応力であれば、煙など無意味なはずだった。
だが。
ゼロの脳裏には、何のプレッシャーも、殺意すらも感知されなかった。
「……何もない……?」
ゼロが困惑した、まさにその瞬間。
土煙の中から、推進力を伴った分銅の様な物体が、蛇のように音もなく飛び出してきた。
それは、一切の殺気も予備動作も持たない、ただの物理的な質量による攻撃。ゼロが反応する間もなく、ライフルを構えていた彼の機体の右腕に、牽引ワイヤーがぐるぐると巻き付いた。
「な、なんだこれはッ!?」
ゼロが強引に腕を振り解こうとした直後、ワイヤーを通じて数万ボルトの強烈な電撃が機体に流れ込んだ。
バチバチィッ!!
青白いスパークが右腕の関節部から弾け飛び、ムーバブルフレームの駆動回路が即座に焼き切れる。
「ぐああぁぁッ!!」
コックピット内に逆流した電磁パルスのアラートが鳴り響き、ゼロの機体はライフルを落とし、右腕をだらりと垂れ下げたまま膝をついた。
土煙がゆっくりと晴れていく。
そこには、空から舞い降りたばかりの、トリコロールカラーの機体――ガンダムℵが、静かに、だが圧倒的な存在感を放って立っていた。
もうもうと舞い上がる土煙が、まるで巨大なカーテンのように施設一帯を覆い隠していた。先程までの耳を劈くようなビームの炸裂音は嘘のように鳴りを潜め、代わりに聞こえてくるのは、降下ユニットが発する余熱の唸りと、モビルスーツの重厚な駆動音だけだった。
その茶褐色の煙幕の向こう側から、トリコロールカラーの装甲がゆっくりと姿を現す。
ガンダムℵ
地球連邦軍の規格から外れたその特異なフォルムは、この絶望的な状況下において、カイ・シデンの目にはまるで天上から舞い降りた救神のように映った。
「……相変わらず、無茶苦茶なタイミングで来やがるぜ……」
カイは、汗と脂でまみれた操縦桿から片手を離し、ヘルメットのバイザーを乱暴に拭った。全身の筋肉が疲労で悲鳴を上げており、機体も限界をとうに超えている。だが、彼の胸の奥には、先程までの死の恐怖とは無縁の、確かな「安心感」が広がっていた。
一年戦争の地獄を共に生き抜いた戦友。彼が戦場に現れたということは、この理不尽な状況が必ず「終わる」ことを意味している。言葉を交わす必要などなかった。アムロ・レイが何を目的として、大気圏を突破してまでこの極東の地に降り立ったのか、カイには痛いほどに分かりきっていた。
だが、カイはそれでも、己の魂の底から湧き上がる衝動を抑えきれずに叫んだ。
外部スピーカーの電源はとうに落ち、通信回線もノイズの海に沈んでいる。アムロの耳に届くはずのない、完全な虚空への叫び。
「頼むアムロ! ジルを救ってくれ!!」
その声は、分厚い装甲と真空の如き静寂に阻まれ、コックピットの中だけで虚しく反響したはずだった。
しかし。
ガンダムℵの頭部が、まるでその声を確かに拾い上げたかのように、ゆっくりとカイのジムの方へ向けられた。メインカメラの緑色の光が一度だけ瞬き、それは「任せろ」という無言の了解のようでもあった。
次の瞬間、ガンダムℵは信じられない速度で行動を開始した。
機体の左腕、シールドの先端から伸びていたワイヤー――ゼロの機体の右腕を焼き切った電磁アンカー――の基部を、一切の躊躇なくパージする。
ガシャン!
という重い金属音と共に接続部が切り離されると、アムロは機体の姿勢を極限まで低く落とし、爆発的なスラスターの噴射と共に前傾姿勢で駆け出した。
アムロが標的として選んだのは、ゼロでも、ジルでもなかった。
遠距離兵装を持たず、先程カイが放った弾幕の被害を最も受けていない、つまり最も身軽で機体損傷の少ないドゥー・ムラサメの機体であった。
「アハハハッ! おじさんの次は、お兄ちゃんが遊んでくれるのォ!?」
ドゥーの狂気に満ちた歓喜の声が、特殊なサイコ・ウェーブに乗って戦場に響き渡る。彼女の乗る機体は、まるで重力を無視したかのような異常な跳躍を見せ、ガンダムℵの頭上から襲い掛かった。両腕のマニピュレーターを鋭く展開し、装甲を引き裂かんとする獣のような一撃。
常人であれば、その異常な反応速度と予測不能な三次元機動を前に、為す術もなく切り刻まれていただろう。
だが、相手はアムロ・レイである。
彼にとって、ドゥーの動きはスローモーションのようにさえ見えていた。殺意と狂気に染まりきった彼女の感応波は、アムロからすればあまりにも「直線的」で、その軌道は完全に読まれていた。
ガンダムℵは、空を裂いて迫るマニピュレーターの爪を、わずかなスウェイバックで紙一重で躱す。
そして、ドゥーの機体が着地し、体勢を立て直そうとするその刹那の隙を、アムロは見逃さなかった。ガンダムℵはビーム・サーベルを抜かない。アムロたちがこの作戦に持ち込んだのは、敵を「破壊」するためではなく、「鎮圧」するための非殺傷兵装であった。
ガンダムℵの腰部ウェポンラックから瞬時に引き抜かれたのは、高出力の電磁パルスを放つ巨大なスタン・バトンだった。
「なっ……!?」
ドゥーの機体が反応するよりも早く、ガンダムℵの右腕が閃刃のように振り抜かれる。バトンの先端が、ドゥー機の左膝の関節部――ムーバブルフレームの駆動系が最も密集する急所――に正確無比に叩き込まれた。
バチィッ!!という強烈な閃光と共に、数万ボルトのパルス電流が機体の神経網を駆け巡る。
「あぁッ!? 足が……動かなぁいッ!」
ドゥーがパニックに陥った声を上げる。関節のサーボモーターが焼き切れ、機体は片膝を突く形で体勢を崩した。
だが、アムロの攻撃は止まらない。流れるような体術の如き機動で、ガンダムℵはそのままドゥー機の懐に潜り込むと、相手の右腕を自らの脇に抱え込むようにして関節を極めた。巨大な金属の塊同士が組み合う、凄まじい金属の軋み音が格納庫に響き渡る。
「放せェッ! 壊す! 壊してやるぅぅッ!」
「……君たちの戦いは、ここで終わりだ」
アムロの冷静な声が、機体同士の接触回線を通じてドゥーの脳裏に直接流れ込む。それは、殺意でも怒りでもなく、深淵のような静けさと、圧倒的な「強者の包容力」を伴っていた。狂気で塗り固められていたドゥーの精神が、その絶対的な波長に触れた瞬間、恐怖で凍りついた。
ガンダムℵは、極めた右腕の関節部にスタン・バトンを押し当て、二度目のパルスを叩き込む。ドゥーの機体は痙攣するように震えた後、メインカメラの光を失い、完全にシステムダウンして崩れ落ちた。
わずか数十秒。
遠距離兵装を持たない格闘戦特化の相手に対し、一切の殺傷兵器を使わず、文字通り「物理的な制圧」だけで無力化せしめたのだ。
一方、アムロの電光石火の制圧劇と並行して、彼と共に降下してきたの僚機6機もまた、完璧な統制の下で行動を開始していた。
彼らの機体は、対モビルスーツ用の重装甲盾『ガードナー・システム』を装備したジムIIの改修型である。彼らはアムロから離れ、大きく円陣を組むように展開すると、右腕を失い怒り狂うゼロ・ムラサメの機体と、混乱の極みにあるジル・ラトキエの機体を完全に包囲した。
「貴様らァッ! 俺を、真のニュータイプを愚弄するかッ!!」
ゼロは残された左腕でビーム・サーベルを起動し、包囲網を突破しようと吶喊した。
彼のプライドは完全に崩壊しかけていた。自らを神に等しい存在だと信じて疑わなかった彼が、名前も知らない連邦の一般兵たちの前に、手も足も出ない状態に追い込まれようとしているのだ。
「各機、ペイント弾発射! センサーを潰せ!」
隊長機からの号令と共に、円陣を組んだジムIIたちから一斉に特殊な弾頭が放たれる。
それは装甲を貫く実弾ではなく、着弾と同時に強力な粘着性の塗料と電波妨害粉末(チャフ)を撒き散らす非致死性の鎮圧弾であった。
ボフッ! ボフッ!というくぐもった破裂音が連続して鳴り響き、ゼロの機体の頭部や胸部センサーが次々と真っ赤な塗料に覆い尽くされていく。
「目ッ……目がッ! 視界がッ!」
視覚センサーを完全に塞がれ、ゼロの機体は盲目の獣と化した。でたらめにサーベルを振り回すが、僚機たちはガードナー・システムの分厚い装甲でそれを危なげなく受け流す。
「ネットランチャー、展開! 拘束する!」
僚機のうち2機が、巨大な特殊ワイヤーネットを射出した。高張力カーボンで作られたその網は、ゼロの機体に絡みつき、スラスターの噴射口や関節の駆動部を物理的に縛り上げていく。もがけばもがくほどワイヤーは食い込み、ムーバブルフレームの可動域を奪っていく。
「ふざけるな……! 俺は、俺はこんなところで終わる存在じゃない! 世界を導くのは俺なんだァァァッ!!」
ゼロの絶叫が虚しく響く。最後に残された左腕のサーベルも、別の機体から放たれたワイヤーアンカーによって拘束され、彼の機体は四肢を完全に縛り上げられたまま、無様に大地に引き倒された。
彼の中の「選民意識」という名の脆いガラスの城は、殺意の欠片すら向けられないという屈辱的な鎮圧劇の前に、粉々に砕け散っていた。
そして、戦場の片隅。
一人残されたジル・ラトキエの機体は、未だに混乱の淵を彷徨っていた。
『アァァァァッ……! 姉ちゃん! ミリー!! どこだ、どこにいるんだ!!』
ジルの脳内では、ムラサメ研究所によって植え付けられた「ジオンの残党」という幻影と、カイの声によって呼び起こされた「ベルファストの真実」が激しく衝突し、彼自身の精神を焼き尽くそうとしていた。
彼の機体は、敵を攻撃するでもなく、ただその場で頭を抱え、苦悶に身を捩っている。しかし、その身体から放たれる制御不能なサイコ・ウェーブは、周囲の空気を歪め、電子機器に深刻な干渉を引き起こすほどに膨れ上がっていた。
「……ジル君。もう、いいんだ」
不意に、その狂乱の波を優しく包み込むような、暖かく、そして果てしなく巨大な精神の光が、ジルの意識の奥底へと触れてきた。
アムロ・レイである。
ドゥーを制圧したガンダムℵが、ゆっくりとした足取りでジルの機体へと近づいていた。アムロは機体の武器をすべて収め、両手を広げるようにして、丸腰のまま歩みを進める。
『来るなッ! お前も、僕からミリーを奪う気か!!』
ジルは恐慌状態のまま、バルカン砲のトリガーを引こうとした。
だが、指が動かない。アムロから放たれるプレッシャーは、敵対する者にとっては死の恐怖をもたらす底なしの深淵だが、今、彼がジルに向けているのは、深い悲しみと共鳴、そして絶対的な「庇護」の意志だった。
「君は、騙されていたんだ。君の記憶は、大人の都合で作られた作り物だ。……でも、君が妹さんを想うその優しさだけは、本物だ」
アムロの声は、機体のスピーカーを通しているはずなのに、ジルの魂の最も柔らかい部分に直接語りかけているようだった。
「カイさんが……君の姉さんの戦友が、君を迎えに来てくれた。もう、一人で戦わなくていい。痛い思いをして、誰かを憎まなくてもいいんだ」
『カイ……さん……?』
ジルの脳裏に、偽りの記憶のノイズの隙間から、一つの情景が浮かび上がった。
ベルファストの小さな家。姉のミハルが連れてきた、ひねくれた笑顔の青年。彼が買ってきてくれたパンの匂い。妹のミリーと笑い合った、あの日々。
それは、研究所の薬物でも消し去ることができなかった、彼の魂に刻まれた「本当の温もり」だった。
『あぁ……カイさん………お兄ちゃん…、…僕、僕……』
ジルを縛り付けていた憎悪の呪縛が、音を立てて解けていく。
彼を突き動かしていた異常な感応波が、波が引くようにスゥッと消え去り、機体のメインカメラから鋭い光が失われた。
緊張の糸が切れたジルの機体は、まるで糸の切れた操り人形のように、ガンダムℵの胸元に寄りかかるようにして崩れ落ちた。アムロはそれを、自らの機体の両腕で優しく、そして力強く受け止める。
「……よく頑張ったね、ジル君。もう、休んでいい」
アムロのその言葉と共に、ジルの意識は深い、安らかな暗闇へと沈んでいった。
戦場に、完全な静寂が訪れた。
舞い上がっていた土煙は、山の冷たい風に流されて消え去り、そこには、完全に無力化され地に伏した3機の試作機と、彼らを傷つけることなく制圧を完了した『クレール・ルクス』のモビルスーツ部隊の姿があった。
「……やりやがった。あいつら、本当に……一人のガキも殺さずに……」
ボロボロになったジムのコックピットで、カイ・シデンは深く背もたれに体を預け、長く、震える息を吐き出した。
モニター越しに見えるガンダムℵの姿は、一年戦争のあの頃よりもずっと頼もしく、そして、彼が背負っているものの重さを物語っていた。
地球連邦という巨大な闇の中で、子供たちを犠牲にして作られた狂気の研究所。
その悪意の象徴とも言える強化人間たちを、アムロ・レイは「暴力」ではなく、圧倒的な「実力」と「慈愛」をもって鎮圧したのだ。
「……借りができたな、アムロ」
カイはポツリと呟き、拳銃を握りしめていた手からゆっくりと力を抜いた。
暫くすると、バリュートによって大気圏を突破した後続部隊が続々と到着し、破壊され無惨にも拉げた建物の鎮火作業を開始し始めた。
そして、ブライト達の艦が到着すると…陸戦隊が地上に雪崩込んだ。
彼らの長く、そして苦しい戦いの一つの幕が、今、ここに下りようとしていた。