白き流星の羽搏き   作:丸亀導師

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ムラサメ 終

〜0085年 秋

 

カイとC・Lによるニュータイプ研究所・ムラサメ研究所の強襲から数日の時間が流れた。

爆煙に呑まれた研究所は見事に鎮火し、研究員達の身柄も宇宙から降りてきた部隊の陸戦隊に捕らえられ、見事に手錠をはめられていた。

 

そして同時に、この事件を大きくした張本人達たる強化人間の被験体達はと言えば……、猿轡に拘束服を着させられベッドに縛り付けられるという、到底人間への行いとは違う状態であった。

 

「ンンンーッ!!ンガァァァッ!!」

 

分厚い防音壁に囲まれた臨時医療ブロックの独房に、獣のような、それでいてひどく掠れた叫び声が反響していた。

真っ白な拘束衣で上半身を完全に封じられ、さらに太い革製のベルトでベッドの四隅に手足を厳重に固定されているのは、緑色の髪をした青年――ゼロ・ムラサメだった。

 

口には堅い樹脂製の猿轡(さるぐつわ)が深く噛まされ、言葉を発することすら許されていない。彼の血走った両目は極限まで見開かれ、眼球の毛細血管が破裂しそうなほどに赤く染まっていた。

 

「真のニュータイプ」を自称し、自らを神に等しい存在だと狂信していた彼にとって、見下していたはずのオールドタイプ(連邦兵)の手によって獣のように縛り上げられることは、死以上の屈辱であった。

 

ギリギリ、ギリィッ!とベッドの金属フレームが嫌な音を立てて軋む。

 

ゼロは全身の筋肉を限界まで硬直させ、力任せに拘束を引きちぎろうと狂ったように暴れ回っていた。手首や足首は既に摩擦で擦り切れ、滲み出した血が真っ白なシーツを赤く汚している。それでも彼は、痛覚すら麻痺しているかのように身を捩り続けた。猿轡の奥から漏れるくぐもった唸り声は、純粋な憎悪と殺意、そして何より、自らの絶対的な自我が崩壊していくことへの底知れぬ恐慌に満ちていた。

 

そして、隣の独房から聞こえてくるのもまた、地獄を煮詰めたような惨状だった。

 

ドゥー・ムラサメは、ゼロ以上に深刻な薬物依存と肉体強化の反動(禁断症状)に苛まれていた。彼女の細く折れそうな体は、拘束具の下で痙攣するように激しく跳ね上がり、背中を弓なりに反らせてはベッドに幾度も打ち付けられるという異常な挙動を繰り返している。

 

「アハッ……アハハハハッ! 痛い、痛いよぉ! おくすり、ちょうだい! ちょうだぁぁいッ!!」

 

猿轡の隙間から泡立った唾液を垂らしながら、彼女は泣いているのか笑っているのか分からない奇声を上げ、涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしていた。

 

本来であれば彼女の筋肉の暴走を抑えるための鎮静剤や筋弛緩剤が完全に切れたことで、強化された人工的な筋力が彼女自身の骨格を内側から軋ませているのだ。このまま物理的に拘束していなければ、彼女は暴れる自らの異常な力で自身の骨を砕き、肉体を引き裂いていただろう。

 

強化人間とは、かくも残酷な兵器であった。

 

モビルスーツという「器」を与えられている間だけは無敵の超越者として振る舞えるが、それを剥ぎ取られ、薬物の供給を断たれれば、ただの無力で壊れた子供でしかない。

防弾ガラスの向こう側でその凄惨な光景を見つめるC・Lの軍医や陸戦隊員たちは、誰もが口を閉ざし、重苦しい沈黙に包まれていた。

 

兵器として暴走した彼らを止めるためには、人間としての尊厳を奪うこの方法しか残されていなかった。軍人たちの目に浮かんでいたのは、かつての敵への怒りではなく、同仕様もない憐憫と、同胞の子供をこのような怪物に作り変えた地球連邦の底知れぬ闇に対する、冷たい絶望であった。

 

 

そんな状況である強化人間達の一方で、カイは同様に手錠をはめられて、独房の中にいた。

 

「お硬いことするのね、アムロくんはさ…。」

 

独房の前に立っているアムロに対して、彼は毒づく様に言うとアムロはそれを柳と流し、カイに答えた。

 

「カイさん……、一応貴方は民間人ですから直接の戦闘を、それもモビルスーツを使った戦闘行動は禁止されています。

非常事態だという事を抜きにしても、褒められたものじゃないですよ。」

 

「お前が言うのかよ…ったく、連邦の良い軍人になっちまったってか?」

 

そう言うカイであるが、内心気が気でならなかった。

アムロからは、ジルの事はよく聴いた。現在、体内に使用されている薬剤を抜く為に、強引にでも拘束する必要があること。そんな彼は、まるで断末魔のように叫んでいる事などを…

 

「僕だってこんな事はしたくはありません。けどね、形だけでも示しておかないと、こっちも色々と有るんですよ。」

 

C・Lとティターンズの軋轢は、未だに本格的に大きな諍いには至っていない。

しかし、どちらか一方が弱みを見せればどちらかがどちらかを飲みの込みかねない。そんな微妙な状況が、この1年間の連邦軍の内情であった。

 

「正直に言って、カイさんのやっていた事も政治的な意味合いもあります。実際…ティターンズから予算が振り分けられていたようなので…、彼等への行いも半数は向こうの責任でしょう。

ただ、隙かと言われれば上手く逃げるでしょうがね。」

 

「嫌な世の中だこと……、お前まで政治の世界に頭を突っ込むとはね…。2人で何考えてんだ?」

 

カイのその言葉に、アムロは眉を顰めた。

カイは分かっている。アムロだけが政治を語る筈はない、もしアムロの背後に誰かいるのなら、それはきっとセイラなのだろうと。

 

「平和な世の中ですよ…、少しでも火種は減らしたいので。」

 

と、アムロはそのひと言を言うとカイの傍を離れていく…、カイは小さくなっていく気配を感じつつ深く深く溜息を吐いた。

 

アムロの足音が冷たいコンクリートの廊下に吸い込まれ、完全に消えていくのを聴きながら、カイは独房の硬いベッドに寝転がり、染みの浮いた天井を仰ぎ見た。

 

「……平和な世の中、ね。よく言うぜ、あのニュータイプ様は」

 

自嘲気味に吐き出した息は、狭い空間に虚しく響く。アムロの言う通り、彼ら『クレール・ルクス』が今歩いているのは、一本の細い糸の上だ。

右に落ちればティターンズという名の狂信的な暴力に喰われ、左に落ちればジオン残党やスペースノイドの過激派に足元を掬われる。そんな薄氷の均衡の上で、連邦軍内部の腐敗を内部から摘み取ろうというのだから、政治的な身の振り方に神経質になるのも無理はない。

 

だが、カイの脳裏には、どうしてもあの薬物でボロボロになり、泣き叫んでいたジルの姿が焼き付いて離れなかった。軍の論理、政治の論理。それがどれほど正しかろうと、犠牲になるのはいつだって名もなき弱者だ。

 

「……ミハル。俺はまだ、お前の弟を本当に救い出せたわけじゃねえみたいだ」

 

カイは自らの両腕にはめられた手錠の冷たさを感じながら、深く、ひどく重い溜息を吐き出した。

 

―――――     

 

カイが独房で鬱屈とした時間を過ごしているのと同時刻。

同じくC・Lの管理下にある、旧シャイアン基地地下の特設尋問室では、極めて重苦しく、そして泥沼のような尋問が続けられていた。

 

「……もう一度聞く。第五種被験体――君たちが『フィフス』と呼んでいた少年の本来の身元証明、および彼に施された記憶操作の全プロセスを提出しろ。また、現在行方不明となっている彼の妹、ミリー・ラトキエの所在を吐け」

 

冷徹な声で尋問を行っているのは、C・Lの司令部から派遣された法務官と、立ち会いを強く志願したブライト・ノア大佐であった。

 

白々と光る無機質なLED照明の下、パイプ椅子に座らされているのは、ムラサメ研究所で主任クラスを務めていた初老の研究員である。彼は白衣を剥ぎ取られ、無地の拘束服を着せられていたが、その表情には恐怖や罪悪感よりも、自身の研究を不当に中断されたことへの「不満」が色濃く張り付いていた。

 

「ですから、何度同じことを聞かれましても、答えは同じです。……我々は、彼らの出自など『知らない』のです」

 

研究員は、面倒くさそうに首を横に振った。

そのあまりにも淡々とした態度に、ブライトの眉間には深い皺が刻まれ、机の下で握りしめた拳が微かに震えた。

 

もしここが戦場の最前線であり、彼がかつてのホワイトベースの艦長であったなら、胸倉を掴み上げて壁に叩きつけていたかもしれない。あるいは、ティターンズのような無法な組織であれば、自白剤の投与や物理的な拷問を用いてでも口を割らせていただろう。

 

しかし、現在のC・Lにはそれが許されない。彼らは「連邦軍の正当な自浄作用」を示すためのモデルケースとして、コジマ准将や穏健派の議員たちの後ろ盾を得て動いているのだ。ここで人権を無視した強硬手段に打って出れば、それこそジャミトフやバスクといったティターンズ首脳陣に、「C・Lは法を無視する危険な私兵集団である」という格好の攻撃材料を与えることになってしまう。

 

合法的な手段による徹底的な追及。それが、今の彼らに課せられた縛りであった。

 

「知らない、だと? 貴様らは、どこの誰とも分からない子供の脳を弄り回し、あのような劇薬を投与していたというのか!」

 

「ええ、その通りですが? 何か問題でも?」

 

研究員は、まるで部品の型番でも語るかのように平然と言い放った。

 

「我々研究開発部門の仕事は、提供された『素体』のニュータイプ素養を検査し、投薬と暗示による強化プロセスを確立することです。素体の調達ルートは外部の専門業者や、軍の特務機関が担っている。我々の手元に届く段階で、彼らはすでに名前を持たない『ナンバー』なのです。フィフスも、ゼロも、ドゥーも……彼らが以前どこで暮らしていようと、そんな個人的な情報は実験のノイズにしかなりませんからね」

 

あまりにも悪びれない、純粋な「悪意の欠如」

彼らは、子供たちを人間としてすら見ていない。ただの「モルモット」、あるいはモビルスーツの火器管制システムを向上させるための「生体部品」としか認識していないのだ。

 

ブライトは、人間の倫理観がこれほどまでに麻痺し得るのかという事実に、戦慄すら覚えた。ジオン公国軍が掲げた選民思想も恐ろしかったが、連邦内部で静かに培養されているこの「官僚主義的な狂気」は、それ以上に底知れぬ悍ましさを孕んでいる。

 

「……素体を調達した外部機関とはどこだ。ティターンズか?」

 

法務官が冷徹に問い詰めるが、研究員は薄ら笑いを浮かべた。

 

「さあ? 我々には莫大な予算と最新の機材、そして新鮮な素体が定期的に届けられていただけで、その出所を詮索するような野暮な真似はしていませんよ。ただ……」

 

研究員は言葉を区切り、値踏みするようにブライトの顔を見た。  

 

「ティターンズの予算だけで、あれほど大規模な施設の維持や、民間人を極秘裏に輸送するネットワークが構築できるとお思いですか? 彼らはあくまで『軍閥』です。裏社会や経済界を動かす『金脈』は、また別のところにある」

 

「……誰が、スポンサーとして動いていた」

 

ブライトの声が低く沈む。研究員は肩をすくめ、どうでもいいことを思い出したかのように一つの名詞を口にした。

 

「……『ビスト』ですよ。正確には、彼らが抱えている無数のダミー会社の一つですがね」

 

その名前が出た瞬間、ブライトと法務官の間に、目に見えない強烈な緊張が走った。

――ビスト。

ここ一年間、C・Lが地球圏の各地で鎮圧してきた数々の事件の裏側で、不気味なほど頻繁にその影がチラついていた名前である。

旧カリフォルニア・ベース近郊でのジオン残党軍の蜂起の際、彼らが使用していた火器の一部は、どう考えても正規の横流しルートでは説明のつかない最新型の規格品であった。

 

30バンチコロニーの暴動の際、市民たちを扇動するためにばら撒かれた膨大な活動資金。

 

そして今回、ティターンズの監視下にあるはずのムラサメ研究所に、連邦議会の目すら欺いて流れ込んでいた莫大な研究開発費。

それらを辿っていくと、常に幾重にも張り巡らされたペーパーカンパニーや休眠組合に行き当たり、その複雑な迷宮の最奥には、必ずと言っていいほど「ビスト財団」あるいはその関連企業の名が鎮座していたのである。

 

ビスト財団

 

表向きは、地球圏有数の美術品管理財団であり、コロニー開発公社やアナハイム・エレクトロニクス社とも太いパイプを持つ、宇宙世紀の巨大な特権階級(エスタブリッシュメント)である。彼らは慈善事業や文化保護を名目として、連邦軍の高官や議会の重鎮たちに多額の献金を行っており、その政治的影響力は計り知れない。

 

「……ビスト財団が、この人体実験のパトロンだという証拠があるのか」

 

「直接の証拠など残すわけがないでしょう。彼らは『芸術の保護』や『次世代の才能への投資』といった美しい名目で、我々の研究所のフロント企業に資金を寄付していただけです。我々がそれを『たまたま』強化人間の研究に流用した。……書類上は、そういうことになっています」

 

研究員の言葉に、ブライトはギリッと奥歯を噛み締めた。

 

これが、ビスト財団の常套手段であった。彼らは常に「出資者」という安全な場所に留まり、決して自らの手を汚すことはない。万が一、今回のように計画が露見し、フロント企業が軍の査察を受けたとしても、彼らは涼しい顔でこう言うのだ。

 

『我々も騙されていた。純粋な学術研究への投資だと信じていたのに、子会社が勝手に非人道的な行為を行っていたとは遺憾である』と。

 

圧倒的な資金力を持つ優秀な弁護団が動き、政治家たちが圧力をかければ、彼ら本体に司直のメスが入ることは絶対にない。のらりくらりと責任を回避し、蜥蜴の尻尾切りで末端の研究員や工作員を切り捨てるだけで、彼らは再び何事もなかったかのように次の「投資」へと向かう。

 

「……貴様らは、自分たちが使い捨ての駒に過ぎないということが分かっていないのか」

 

「ええ。ですが、科学の進歩にはスポンサーが必要です。彼らが我々に『(ニュータイプ)』を創り出すための環境を与えてくれた。それ以上の何を望むというのです?」

 

狂っている。

 

ブライトは、尋問調書が置かれた机を両手で強く叩き、立ち上がった。これ以上、この狂気に当てられていれば、自分の中の理性が焼き切れそうだった。

 

「本日の尋問はここまでだ。……こいつらを独房に戻せ」

 

憲兵に命じて研究員を連れ出させると、ブライトは深々と椅子に座り直し、両手で顔を覆った。

 

アムロやシーマ、クライドたちが現場で命を懸けて流血を食い止め、カイのような民間人が人生を賭して暴き出した真実。その根本にあるはずの「巨悪」は、法という名の完璧な装甲を纏い、嘲笑うかのように彼らの追求を躱し続けている。

 

ティターンズという目に見える暴力機構。そして、ビスト財団という目に見えない経済的・政治的怪物。

 

地球連邦という腐敗した巨樹の根は、彼らが想像していたよりも遥かに深く、そして広大に地球圏全体へと張り巡らされていた。

この絶望的な暗闘の果てに、果たして『クレール・ルクス』は、あの病室で繋がれている子供たちに、本当の「平和」を提示することができるのだろうか。

 

冷え切った尋問室の中で、ブライト・ノアは底知れぬ疲労感と共に、これから先の長く険しい戦いの道のりを幻視していた。

 

 




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