案内された豪奢な円卓の席に腰を下ろすと、コジマ准将は静かに、しかし鋭い眼光で周囲の面々を観察した。
月面都市フォン・ブラウンの最高級ホテル、その最上階に位置するVIP専用のバンケットルーム。重力を地球の六分の一から標準の1Gへと疑似的に調整されたこの空間は、外の荒涼としたクレーターの景色とは無縁の、むせ返るような金と権力の匂いに満ちていた。
主催者側の筆頭として上座に陣取っているのは、先ほどコジマを出迎えたブレックス・フォーラ准将と、連邦政財界の黒幕とも言えるアナハイム・エレクトロニクス社の高級幹部たちである。仕立ての良いスーツを着こなし、グラスに注がれた年代物のワインを傾ける彼らの顔には、獲物を前にした狩人のような、あるいは盤上の駒を動かすプレイヤー特有の傲慢な余裕が張り付いていた。
だが、コジマの視線がより長く注がれたのは、彼ら「以外」の招待客たちであった。
各サイドに駐留する地方艦隊の司令官や幕僚たち。コロニー公社の重役。さらには、各サイドの自治政府から派遣された行政官まで、多種多様な顔ぶれがこの円卓を囲んでいる。連邦軍の軍服と、高級な背広が入り乱れるその異様な光景は、単なる親睦会や軍の慰労会などではないことを雄弁に物語っていた。
(……見事なものだな。ティターンズの監視網を掻い潜り、これだけの人間を月面に集めるとは)
コジマは、出された食前酒には口をつけず、内心で冷たく毒づいた。
ここに集められた者たちが、果たしてこの会合の「真の目的」をどこまで理解しているのか。
ある者は、ただアナハイムという巨大スポンサーからの接待だと信じ込み、出された高級な料理に舌鼓を打っているだけの愚物かもしれない。だが、ある者は――ブレックスの言葉に静かに頷いている数名の艦隊司令たちのように――この場が、地球連邦政府に対する「反乱の狼煙」を上げるための密談の場であることを、明確に理解して席に着いている。
コジマ自身は、当然ながら後者であった。
彼のような泥臭い現場の指揮官にとって、腹の探り合いが続く政治パーティーというものは、戦場の硝煙の匂いよりも遥かに吐き気を催す代物だった。だが、軍という巨大な組織の中でC・Lという特異な部隊を存続させ、アムロ・レイやブライト・ノアといった優秀な若者たちを守るためには、この吐き気を飲み込んででも権力者たちのテーブルにつかなければならない。それが、年長者であるコジマの戦いであった。
やがて、場の空気が十分に温まったと判断したのか、ブレックス准将がゆっくりと立ち上がり、グラスを片手にスピーチを始めた。
「本日は遠路はるばる、このフォン・ブラウンまでご足労いただき、感謝の念に堪えない。……我々が今日、こうして一堂に会したのは他でもない。我々の母たる地球連邦の、あまりにも嘆かわしい現状について、忌憚のない意見を交わすためだ」
ブレックスのよく通る、理知的な声がバンケットルームに響き渡る。
彼は、巧みな弁舌で一つ、また一つと、現在の地球連邦政府が抱える致命的な「病巣」を指摘していった。
ティターンズという特務部隊の法を無視した専横。
軍の指揮系統の機能不全と、それに伴う地方艦隊の弱体化。
腐敗しきった地球の特権階級による、予算の私物化と利権漁り。
そして――ブレックスの口調が、一段と熱を帯びる。
「何よりも許しがたいのは、宇宙世紀の始まりから続く、あの忌まわしい歴史の反復だ。地球の重力に魂を縛られた特権階級たちは、増えすぎた人口を宇宙へと追いやっておきながら、未だに我々スペースノイドを『棄民』として扱っている。
コロニーの自治権は名ばかりであり、我々は地球を養うための安価な労働力、あるいは搾取の対象としてしか見られていない。……ジャミトフ・ハイマン率いるティターンズの台頭は、その地球至上主義の最も醜悪な権化である!」
ブレックスの言葉に、席のあちこちから同意のうめき声や、静かな拍手が巻き起こる。
彼の語る内容は、決して絵空事でも、扇動のための嘘でもなかった。一年戦争を経験し、デラーズ・フリートの決起を見届け、そして今、ティターンズの横暴を目の当たりにしている者であれば、誰もが心の底で抱いている正当な不満と危機感の代弁であった。
コジマもまた、腕を組んだまま黙ってそのスピーチに耳を傾けていた。
古い軍人であるコジマから見ても、ブレックスの主張は一つ一つが理にかなっており、決して筋が通っていない話ではない。むしろ、腐敗にまみれた連邦議会に正面から異を唱え、スペースノイドの権利のために立ち上がろうとするその姿勢には、一人の人間として感心する部分すらある。ジオンの掲げた選民思想とも違う、真っ当な民主主義の防衛論がそこにはあった。
だが、しかし。
コジマの視線は、ブレックスの背後で満足げに頷いている、アナハイム・エレクトロニクス社の幹部たちへと向けられた。
(……美しい言葉だ、ブレックス准将。だが、貴官の背後にいるスポンサーの顔ぶれが、その言葉の価値をひどく安っぽいものにしている)
コジマの胸の内に渦巻くのは、深い疑念と、拭い去ることのできない嫌悪感であった。
アナハイムという組織の本質を、コジマは誰よりも冷徹に見抜いていた。彼らは、自由や平等のために戦う十字軍などではない。ただの、そして地球圏で最も巨大な「死の商人」である。
彼らは「全方位外交」と称して、先の星の屑作戦(デラーズ紛争)の際には、裏ルートを通じてジオンの残党軍にモビルスーツのパーツや物資を大量に横流ししていた。一年戦争の傷跡に塩を塗り込み、コロニー落としという悪夢を再び引き起こそうとしたテロリストたちに、金のために武器を売ったのだ。
さらには現在、彼らは憎むべき敵として糾弾しているはずのティターンズに対しても、主力量産機である『ハイザック』をはじめとする兵器群を納入している。
もっとも、ティターンズという組織は軍の予算を握っているのをいいことに、極めて強引な価格交渉を行い、アナハイムに格安で機体を卸させているという裏事情がある。
アナハイムにとって、ティターンズは確かに大口の客ではあるが、利益率の低い「上客ではない」のだ。さらに、ティターンズは『ガンダムMk-II』に見られるように、兵器開発の主導権を軍の工廠(純血の連邦技術)へと回帰させようとする動きを見せている。
これはティターンズに限ったものではなく、C・Lに関してもジムⅡの件でアナハイムとの関係は決して良好ではない。
これが、アナハイムがブレックスの「反乱」に莫大な資金を投じている最大の理由であった。
(連邦軍とティターンズの兵器独占を阻止し、自分たちにとって都合の良い、高く兵器を買ってくれる新たな『顧客(反乱軍)』を創り出す。……スペースノイドの解放など、彼らにとっては兵器のカタログに載せるためのキャッチコピーに過ぎん)
平和を叫びながら、両手に血塗られた武器を握りしめている。それがアナハイムという企業の正体だ。
そんな連中が後ろ盾となっている組織(エゥーゴ)に、我が『クレール・ルクス』を合流させるわけにはいかない。
そして何より、コジマの脳裏に、強烈な警鐘を鳴らし続けている「最悪の懸念」があった。
(もし、我々が彼らの甘言に乗り、この反乱軍の枠組みに組み込まれたら……奴らは必ず、あの『子供たち』に手を伸ばしてくる)
コジマの額に、じわりと冷たい汗が滲んだ。
極東のムラサメ研究所を強襲し、アムロ・レイたちが命懸けで保護した強化人間の少年少女たち。現在、彼らはオーガスタ研究所の
彼らは、地球連邦軍という組織が抱える狂気の証明であり、同時に、絶対に再び軍事利用させてはならない「痛ましい犠牲者」であった。
だが、アナハイムの技術者たちや、勝利のためには手段を選ばない過激な一派が、あの子供たちや、ムラサメから回収した莫大な「人工ニュータイプ研究資料」の存在を知れば、どうなるか。
ティターンズという強大な軍閥に真っ向から戦いを挑む以上、反乱軍には決定的な「戦力」が必要となる。アムロ・レイという一人の英雄の力だけでは足りない。彼らは必ず、「打倒ティターンズ」という美しい大義名分の下、オーガスタの資料を要求してくるだろう。
(『正義の戦いのために、彼らの力が必要だ』と。そう嘯きながら、彼らは平然と、新たな強化人間プロジェクトを立ち上げるに違いない。ティターンズの悪魔を倒すために、自らもまた悪魔を造り出す。……アナハイムの倫理観ならば、それぐらいのことは平気でやりかねん)
コジマは、グラスを強く握りしめた。
ニュータイプという人類の革新を、薬物と洗脳によって人工的に創り出し、使い捨ての兵器として消費する。そのような狂気の連鎖を断ち切るために、自分たちはムラサメ研究所を潰したのだ。それを、名前とスポンサーを変えただけの別の組織で繰り返させるわけにはいかない。
「……コジマ准将。貴官はいかがお考えかな?」
不意に、ブレックスの視線が円卓の端に座るコジマへと向けられた。
バンケットルームの静寂の中、すべての大物たちの視線が、極東から来たこの実直な軍人に集中する。彼らがクレール・ルクスの、そしてアムロ・レイの合流を喉から手が出るほど欲しているのは明らかだった。
コジマはゆっくりと立ち上がり、乱れの無い姿勢でブレックスたちを見据えた。
その表情には、一切の隙も、怯えもない。泥に塗れた最前線を生き抜いてきた指揮官としての、鋼のような意志だけがあった。
「ブレックス准将のお言葉、そして地球連邦の現状に対する憂慮は、一人の軍人として深く共感するものであります。軍の腐敗と、スペースノイドへの不当な扱いは、早急に是正されねばならない問題でしょう」
コジマは、一拍置いてから、静かに、だが決して後退しない声で続けた。
「……しかしながら、我が『クレール・ルクス』は、連邦の秩序を内側から正すために設立された特務部隊です。我々の剣は、法を犯す者を裁くためのものであり、正規軍としての枠組みを外れて振るうものではありません。
……現状において、我々が特定の政治的、あるいは『企業的』な派閥に与することは、部隊の設立理念に反すると考えます」
明確な「拒絶」。
その言葉が落ちた瞬間、アナハイムの幹部たちの顔からスッと笑みが消え、冷ややかな空気が場を支配した。ブレックスもまた、一瞬だけ鋭い目を向けたが、すぐに深く息を吐き出して頷いた。
「……そうか。貴官の部隊の立ち位置は理解している。無理にとは言わんよ、コジマ准将」
「ご理解いただき、感謝いたします」
コジマは短く頭を下げ、再び席に着いた。
この発言が、彼らにとってどれほどの「不興」を買ったか、コジマは痛いほど理解していた。場合によっては、アナハイムの息のかかった政治家たちを通じて、C・Lの解体を画策してくるかもしれない。
ティターンズからの圧力に加え、新たな強大な敵を裏側に作ってしまった可能性すらある。
だが、後悔はなかった。
アムロたちが命を懸けて救い出した子供たちの未来を、そして彼らが信じようとしている「人の革新」の可能性を、血にまみれた資本家のテーブルに売り渡すことだけは、絶対にできない。
(……この地球圏は、間もなく真っ二つに割れ、凄惨な内戦の炎に包まれるだろう。だが、我々は我々の道を行く。……どちらの闇にも呑まれず、光を灯し続けるためにな)
コジマは、月面の豪華なバンケットルームの空騒ぎの中で、一人静かに、そして確固たる覚悟を胸に刻み込んでいた。
窓の外には、すべてを飲み込もうとするような、深く冷たい宇宙の闇が果てしなく広がっていた。
〜同時刻 サイド7 グリーン・ノア1 ティターンズ兵器開発局
「ええい、また要求仕様の変更だと!? ふざけるな! モビルスーツのムーバブルフレーム設計を、ブロック玩具の組み換えか何かと勘違いしているんじゃないのか、あの制服組どもは!」
無機質な開発室の中に、フランクリン・ビダン大尉の苛立ちに満ちた怒声が響き渡った。
彼は手元のデータパッドをデスクに乱暴に放り投げると、自身のボサボサになった髪を両手でガシガシと掻きむしった。
「あなた、あまり大声を出さないで。外の警備兵に聞かれたら、また面倒な嫌味を言われるわよ。……はい、コーヒー」
「……すまん、ヒルダ」
妻であり、同じくこの開発局の主任研究員を務めるヒルダ・ビダンが、淹れたてのコーヒーが入ったマグカップを差し出すと、フランクリンは毒気を抜かれたように肩を落とし、それを受け取った。
「しかし、聞いてくれヒルダ。昨日は『対モビルスーツ戦における格闘性能の向上』を要求してきたかと思えば、今日は『一撃離脱戦法を可能にするための大推力化』だぞ? そのために、背部のスラスターバインダーを急遽大型のものに換装しろと言ってきた」
フランクリンは、メインモニターに映し出されている開発中の機体のホログラムを指差した。
ティターンズが次期主力量産機のフラッグシップとして開発を進めている機体、コードネーム『ガンダムMk-II』。
しかし、度重なる設計変更と要求仕様の肥大化により、現在のその姿は、当初のコンセプトから大きく逸脱しつつあった。特に背部に増設された、フレキシブルに可動する巨大なスラスターバインダー群は、後の世代の機体(Mk-III)を先取りしたような特異なシルエットを形成しており、一部の開発スタッフからは皮肉を込めて『ガンダムMk-II/III』などと呼ばれている代物であった。
「連邦の正規軍が運用している『ジムII』のでさえ、すでにムーバブルフレームを実装しているというのに。我々ティターンズの威信を懸けた最新鋭機が、出力と強度のバランス調整で難航しているなんて……技術者としてのプライドが許さん」
「仕方ないわ。現場の技術を知らない上層部が、カタログスペックだけを求めて口を出してくるのは、軍の常態だもの」
ヒルダは優しく夫の肩を揉みながら、モニターの中の機体を見つめた。
彼ら夫婦は、ティターンズという特権的な組織に属してはいるものの、その思想に染まっているわけではない。純粋にモビルスーツという機械の進化に魅せられた、生粋の技術者であった。
だからこそ、今のこの「ツギハギだらけ」の開発環境が歯痒くてならなかった。
(……あの時とは、大違いね)
ヒルダは内心で、数年前のある極秘プロジェクトを思い出し、密かにため息をついた。
かつて一年戦争時の『V作戦』に関わった散逸した技術者たちが極秘裏に集められ、一人の英雄のために、あらゆる戦局に対応可能な「究極の汎用性と換装システム」を持たせた規格外の機体を建造した、あの熱狂的な日々。
その『ガンダムℵ』の基礎フレーム設計の中枢を担っていたのが、他ならぬこのフランクリンとヒルダの夫婦である。
当時、仕事にのめり込むあまり家庭を顧みず、夫婦関係は最悪の危機に陥っていた。しかし、テストパイロットとして赴任してきたあのアムロ・レイ大尉との交流が、彼ら家族の絆を修復してくれたのだ。
アムロは、機械の性能だけでなく、それを作る「人間」の心にまで気を配る、不思議な暖かさを持った青年だった。彼のさりげない言葉と配慮のおかげで、フランクリンとヒルダは互いの技術者としての情熱を再確認し、今ではこうして共に笑い合える、良好な夫婦関係を築いている。
「……あのアムロ大尉が乗っている機体に比べれば、ティターンズの要求など、ただの我が儘の寄せ集めに過ぎんな」
フランクリンが、ヒルダの心を見透かしたようにボソリと呟いた。
「彼のために機体を組んでいた時は、どんな無茶な要求でも、不思議と『やってやろう』というやり甲斐があったものだが」
「フフッ、あなたったら。またアムロ大尉の信者みたいなことを言って。……でも、同感よ。あの時のデータと経験があるからこそ、私たちはこの無茶な『Mk-II/III』のバインダー接続を、なんとかムーバブルフレームで成立させようと頑張れているんだから」
ヒルダがふんわりと微笑むと、フランクリンも照れくさそうに頭を掻いた。
「違いない。……さて、泣き言を言っていてもバインダーの推力軸は合わん。カミーユが学校から帰ってくる前に、今日の分のシミュレーションを終わらせてしまうか。あいつ、最近またモビルスーツの設計図を勝手に覗き見しているようだからな」
「本当に、誰に似たんだか。モビルスーツオタクのところだけは、あなたにそっくりね」
「おいおい、才能と言ってくれよ」
ティターンズという軍閥のきな臭い思惑が渦巻く開発局の只中にありながら、ビダン夫婦の周囲だけは、穏やかな家族の温もりに包まれていた。
彼らが心血を注いで開発しているこの『ガンダムMk-II/III』が、やがて息子であるカミーユ・ビダンの運命を大きく狂わせ、地球圏全体を巻き込む戦火の中心に躍り出ることになるなど、今の二人は知る由もなかった。
ただ純粋に、良い機体を作りたい。
その技術者の誇りだけが、グリーン・ノアの冷たいラボの中で、静かに燃え続けていた。