隠れる様に様々な場所を渡り歩き、移り住んでいたヴィアとセナはいつもの様に少しの間住む場所を探して街の中を彷徨い歩いていた。
そんな中、ヴィアの腕の中に居たセナが何かを見つけた様に顔を上げる。
「……?」
「どうしたの? セナ」
「……声が、聞こえます」
「声?」
ヴィアは訝し気な顔をしながら周囲を見渡すが、自分たちに掛けられている様な声は聞こえてきていなかった。
もし、顔を隠すようなフード付きのコートを着ていなければ、ヴィアの美しさに声を掛けてくる者も居たかもしれないが、そういう人間も今は見えない。
皆、自分の目的に集中している様で、通りの端で立ち止まっているヴィアの事を気に留めている人も居ない様だった。
そんな人の群れが流れてゆく通りの中で、セナはジッとヴィアが立ち止まった場所から通りの反対側を見ていた。
適度に人が流れる通りの向こう側、僅かに見えるのは薄暗く狭い路地だ。
そこに何かが居るとセナは感じているらしい。
ヴィアはその何かを確かめるかどうか悩み、ゴクリと唾を飲み込んだ。
汗が一筋流れるヴィアの顔には、少しの緊張があった。
彼女たちは追われている身である。
無論、メンデルでヴィア達を狙った者たちとはあれ以来会っていない。
しかし、向こうがそれで諦めたという事も無いだろう。
そう考えていたヴィアは、セナの言う『声』の場所に行っても良いか悩んでいたのだ。
だが、そんなヴィアの思考を読んだ様にセナがヴィアの服を引っ張った。
そして、ジッとヴィアを見つめながら催促する様にもう一度。
「ママ」
「……セナ」
「怖くない、です」
まだ幼い。2歳の少女が母親である自分を心配している。
その様子がおかしくて、愛おしくて。
ヴィアはセナを抱えなおし、微笑んだ。
「じゃあ、ちょっと見てみましょうか」
「……!」
セナはヴィアの言葉に何度も頷き、安心した様に笑った。
そんなセナを強く抱きしめながら、ヴィアは胸の奥に緊張を押し込めて、通りを横断してゆく。
そして、僅かに見えていた通りの端から暗い場所へ繋がる路地へと視線を向け……思わず呟いた。
「……子供?」
「っ!?」
ヴィアの声が自分に掛けられていると気づいたのだろう。
暗い路地裏で膝を抱えながらうずくまっていた少年はハッとした顔でヴィアを見上げた。
土埃で汚れたやや長い金色の髪が、少年の動きに合わせてぎこちなく揺れる。
長い間シャワーも浴びていないのだろう。少しだけ匂う様な気もした。
孤児だろうか。
テロの多い時代だ。親を失った子というのも珍しくは無いだろう。
だから、ヴィアはその少年に声をかけてみる事にした。
「あなた、一人?」
「……」
コクリと少年が頷く。
しかし、青空を写した様などこまでも透き通る蒼い瞳はヴィアを拒絶している様でもあった。
「お父さんか、お母さんは?」
「……」
首を横に振る。
その反応にやはり亡くなっているのかとヴィアは頷き、これからどうするべきか考えていた。
今のヴィアに少年を引き取るという様な選択肢はない。
何故ならヴィアもセナも狙われているのだ。
一緒に連れていけばきっと、少年を巻き込む事になってしまう。
だから、いくらかのお金を渡して、孤児を預かってくれる組織が居る場所に連れて行こうした。
しかし、そんなヴィアの思考を振り払う様に、腕の中に居たセナが暴れ始めた。
「ちょっ、セナ! 危ないから」
「だい、じょうぶです」
どうやらセナは地面に降りたがっているという事を察したヴィアは、ため息を吐きながらもセナを地面に下ろし、その行動を見守る事にした。
セナはよたよたと安定しない足取りで歩き、ただジッとセナを見守る少年の所まで行くと、少年の腕に両手で掴まり、笑顔を向ける。
思わず、つられて笑ってしまう様な笑みを。
ヴィアによく似た藤色の瞳でジッと少年を見つめながら。
「もう、だいじょうぶ」
「……?」
「もう、ひとりじゃない」
「……なに、を」
「セナと、いっしょ」
「……」
「ママも、いっしょ」
栗色のまだ短い髪を揺らしながら首を傾け、自分を指さして、少年を指さす。
そして、後ろに居るヴィアを指さして、また少年を指さす。
「いっしょ」
「……」
「ひとりじゃない」
少年はセナの行動の意味を理解していた。
理解していたが、何故セナがそんな事を自分に言うのか理解できず、何の反応も示さないままジッとセナを見つめていた。
その行動の意味を、彼女の意図を探る為に。
しかし、セナはそんな少年の反応に首を傾げると同じ様にもう一度自分を指さし、少年を。
そして、ヴィアを指さし、少年を指さして、同じ事を繰り返した。
それは少年にとっては理解しがたい行動であった。
言っている意味は分かる。
だが、少年とセナは出会ったばかりだ。
出会ったばかりの人間が何を言っているのかと少年の中で憤る感情が生まれた。
怒りのままにセナの手を握る。
強く。強く。
彼を自分の後継者にしようと、暴力で従わせようとした男の様に。
セナを睨みつけ、言葉を投げつけた。
「なんだ! お前は! あの男みたいに! 僕を苦しめる為に来たのか!?」
「っ! ちがう」
「なら、なんで! 何が目的なんだ! 僕を嘲笑いに来たのか!? 僕が、普通の人間じゃない、から……!」
「ちがう」
「……!」
「かなしいって、きこえたから」
「は」
「くるしいって、きこえたから」
「きみは……」
「さみしいって、きこえたから」
セナは自分の左腕を強く握りしめる少年の手を逆に右手で重ね合わせ、包み込んだ。
そして、少年に微笑みかける。
「いっしょに、いたい」
「っ! どうして……君は!」
「わ」
少年はセナに抱き着くと、そのまま顔を埋めて泣き始めた。
セナは少年の勢いに地面へ倒れそうになってしまうが、少年が踏みとどまったことで何とか地面から真っすぐに立つ事が出来た。
そして、泣き続ける少年の背中を撫でる。
「よしよし」
セナを抱きしめて、泣き続ける少年を見ながら、ヴィアは天を仰いで空に深い息を吐いた。
当初考えていた少年をどこかに預ける作戦はもう実行出来ないだろう。
こんな路地裏であっても、命が狙われないだけマシ。
そんな生活に少年を引きずり込む事になってしまった。
しかし、ヴィアは大人である。
人一倍責任感の強い大人である。
この状況で少年を投げ出すような真似は出来なかった。
故に、少年を引き取る選択をしつつ、どこかで戦う術を身に付けなくてはな、と考えるのだった。
夫であったユーレンはもう居ない。
セナだけなら逃げ回るだけでも良かったが、少年が増えた以上、戦うという選択肢も出てきてしまった。
ならば、戦えるようになろう。
ヴィアはそう考えて、少年が泣き止むまで近くで静かに待ち続けるのだった。
少年と出会ってから一時間程の時間が経った。
今まで抱えていた苦しみを全て吐き出す様な涙を流し、少しだけスッキリしたような顔でセナから離れた少年は、ここでようやくヴィアの存在を思い出して頬を朱色に染めた。
強い羞恥心を感じている様で、視線を彷徨わせている。
そんな少年に気を遣いながらヴィアは少年の前で地面に片膝を付けて、しゃがみながら語り掛ける。
「さっきセナが言ってた事なんだけど」
「……はい」
「セナは貴方と家族になりたいみたいなの。貴方はどうかしら」
「あなたは……!」
「うん?」
「あなたは、迷惑では無いのですか?」
しっかりとした言葉遣いに、礼儀正しい仕草。
だが、見た目は酷く汚れていて、まともに食事をしている様子もない。
そんなアンバランスな様子に、何か事情があるんだろうなとヴィアは察しながらも、それを口にせずニコリと笑う。
母親らしい慈愛に満ちた笑みで。
「勿論。迷惑なんて事はないわ。セナもお兄ちゃんがもう大好きみたいだし」
「……セナ」
自分の腕に捕まって微笑んでいるセナに目を向けながら少年は柔らかい顔で笑う。
その様子にヴィアは満足しながら、もう一度自分に気合を入れるのだった。
「選ぶのは貴方よ。私たちの手を取っても、取らなくても構わないわ。もし困っているのなら、貴方みたいな親の居ない子がいる場所にも案内出来るしね」
「僕は!」
「……」
「僕も、セナと、一緒に居たいです……出来る事なら」
「ほんと?」
「……うん」
「ママ!」
不安に揺れる瞳でヴィアを見つめる少年と、キラキラと輝く様な瞳を向けてくるセナ。
そんな対照的な二人の子供に見つめられ、ヴィアは満面の笑みで二人を強く抱きしめた。
「わぷ」
「っ!」
「勿論よ。少し刺激的な旅になるけど、家族になりましょう。一緒に手を繋いで笑い合える。そんな家族に。だから堅苦しいのも無し。ね?」
「……!」
そしてヴィアは少年を開放し、そろそろ立っているのが限界だと思われるセナを抱きかかえ、再び口を開いた。
「じゃあ、家族になった記念に、自己紹介しましょうか。私はヴィア。そしてこの子はセナ」
「セナ!」
ヴィアの声に合わせて、セナは小さな右手を一生懸命上げながら笑いかける。
そして、少年はそんなセナの様子に笑みを浮かべながら、おずおずと口を開く。
「僕は、ラウ。ラウ・ラ……ううん。違う。ただのラウだよ。ヴィア、さん。セナ」
「ヴィアで良いわ。よろしくね。ラウ」
「ラウお兄さん!」
「うん。よろしくお願いします」
少年ラウは、ヴィアに不器用な笑みを向けながら、ゆっくりと頭を下げるのだった。