テニス部の活動が終わり、俺は千秋さんと帰り道をともにしていた。
「今日も楽しかったなあ」
冥色の空に輝く金星を見上げながらそう呟く。
やはり運動はいい。
この世界の娯楽は殆ど女性向け。
男性向けのものは感性が合わなくてすぐ離脱してしまうのだ。
「うん。一年生は筋トレとボール拾いが定番なのに、テニス部は緩いから練習させてくれるの嬉しいよね」
千秋さんはそう言って笑った。
そこに初日にあったような緊張感はなくて、部活動を通してかなり打ち解けたように思う。
「千秋さんも俺に慣れちゃったね」
「そ、そう?」
「うん。最初に会った日は挙動不審だったのに、どこか寂しい」
「ええ!?」
「あはっ、冗談。ちゃんと仲良くなれたの実感して、浮かれて変なこと言った」
「っ! ああもう、凪くんは……」
千秋さんは頬を赤らめたあと、嬉しさを噛み締めるように笑った。
その笑顔には心を絆す和らぎがあって、俺も浮かれてしまう。
駅へ向かう帰り道は街灯がキラキラと眩しい。
道路を行き交う車の音も悪くない。
夕の涼しい気候は心地いい。
部活終わりの下校に趣を感じる。
何でもない帰り道だけど、縁日の夜のような浮遊感がある。
隣に千秋さんという同級生の美少女がいるから特別に感じるのかもしれない。
「凪くんはテニス上手くなってきた?」
「バックハンドはまだ難しい。今度先輩に握りとかフォームとか教えてもらおうかな」
「だ、ダメダメ。まだ皆、ようやく凪くんに接せるようになったところだから、そんなの死んじゃうよ!」
「そんな馬鹿な」
「割と本気だよ!」
「じゃあ千秋さんが教えてくれる? 部内で一番仲良いし」
そう言うと、千秋さんは顔を真っ赤に染めた。
「へ!? あ、あうぅ……。う、嬉しいけど、下手だから教えられないし……」
「それもそうだね」
「ひどい!」
軽口を交わして、笑い合う。
本当に千秋さんとは仲良くなったなあ。
実感して、今結構幸せなのかも、と思う。
普通に教室では話せる友達がいて、部活に行けば千秋さんがいる。
クラス外の子や部活メンバーの他の子とも徐々に打ち解けてきた。
ありふれた日常だけれど、きっとこれが理想の青春ってやつなのかもしれない。
うん。このまま行けば、フォークダンスに誘っても嫌な顔されないかもしれない。
いやむしろ、誘ってくれるかもしれない。
人の青春を奪うどころか、二人で青春を満喫することができるかもしれない。
——ぐ〜。
お腹の鳴る音が聞こえた。
俺ではなく、千秋さんの方から。
「な、凪くん」
「ファミレスとか寄ってく? お腹空いたし、ポテトでもつまんでこうよ」
「……うん。本当に凪くんは」
「凪くんは?」
「え!? えーと……」
千秋さんは視線を彷徨わせたのち、俺に真剣な眼差しを向けてくる。
その瞳には強い意志を感じる輝きがあり、飲み込まれてしまいそうなほど綺麗だった。
「な、なんでもないよ!」
だが千秋さんは視線をまた彷徨わせて続けた。
「じゃあファミレスに行こう!」
せかせかと歩く千秋さんを追って隣に並び、そして辿り着いたファミレスの扉を開いた。
ファミレスに入って案内されたテーブル席に座る。
二人以上が座れるソファーをお互い一人で占有し、対面で向かい合う。それだけで何だか贅沢をしているような気分になった。
部活終わりのファミレス。
これも青春だなあと感慨に耽る。
「俺は何にしよっかな。千秋さんは何にするの?」
「う、うーん。ポテトを摘みたいけど、カキフライ定食も捨てがたい。とんかつ定食だっていいし……」
「わりとガッツリ行くんだね」
メニューと睨めっこしていた千秋さんは、顔を赤く染めて慌てて違うページを開いた。
「うっ、じゃあそのパスタにしようかな」
「あはは、格好つけないでいいのに。じゃあ俺がカキフライ頼むから、とんかつ頼みなよ。それでシェアしよう」
そう言ったとき、背中にガタガタと騒がしい音が届いた。
振り返るもソファの背もたれが高く後ろの様子はわからない。
静かだったし、パッと見て誰もいなかったように思うけれど、ちゃんといたんだ。
もしかして机の下にでも隠れてた? そんなわけないか。
きっとお喋りに夢中になっている間にトイレから戻ってきたとか、そんなところだろう。
「お待たせいたしました。こちらカキフライ定食と、とんかつ定食になります」
しばらく雑談しながら待っていると、店員さんが運んできてくれた料理が目の前に並ぶ。両方とも出来立てで美味しそうだ。
「いただきます」
箸でカキフライを摘むと軽やかな衣がパリとなり、熱さを想像して冷めもしないのにふーふーと息を吹きかけてしまう。
冷めた気になって口に運ぼうとしたとき、千秋さんがまじまじとこちらを見ていることに気づく。
「どうしたの?」
「え、ああ。いやいやいや! 何でもない!」
「あーそっか。シェアだったよね。はい」
俺はカキフライを千秋さんの口元へ近づける。
「へっ!?」
「口開けて、あーん」
間抜けにあいた千秋さんの口にカキフライを突っ込み、咥えたのを確認すると口の中から箸先を引き抜く。
「〜〜〜っ!?」
カキフライを食べて悶え苦しむ千秋さんを見て笑う。
「あはは。やっぱ熱かったか。毒見ご苦労」
そう言って俺は自分のカキフライを割って冷まして食べる。熱々のものを食べるのが醍醐味であるが、これでも十分美味しい。
千秋さんを見るとまだ悶え苦しんでいたので、慌てて謝る。
「ご、ごめん。そんなに熱かった?」
「ち、違うよ。その熱いとかそういうんじゃなくて、そのとにかく大丈夫だから!」
どういうことなのだろう、と思うと、後ろから台を殴るような音が聞こえた。
後ろの席の人は静かだし、大きな声が迷惑だったかと反省した。
とはいえ、声量だけ抑えて会話は続ける。話は花が咲き、部活終わりで俺も空腹だったので、食事が楽しかった。
そして楽しい時間というものは一瞬で過ぎるもの。
締めのオレンジジュースをストローで啜りながらゆったりと雑談して過ごす。
「先輩がちらっと話してるの聞いたけど、千秋さんは練習試合のこと聞いてる?」
「うん。あるらしいけど、一年生の私たちには関係ないよ」
「試合に出る実力がないみたいな?」
「ううん。私たちは林間学校の日だから」
「あぁそういうことか」
「うん……えっと、凪くんはさ」
千秋さんはモゴモゴと言い淀んだのち、伏し目で続けた。
「ダンスのペアってさ、決まってる?」
「いや全く」
「そ、そうなんだ!」
「喜ばないでよ。強制参加らしくて、誰なら踊ってくれるか真剣に悩んでるんだからさあ〜」
「えっ!?」
千秋さんは目を見開き、恐る恐るといった感じで言った。
「そ、それなら、私と踊ってくれたりなんか……」
「え、いいよ」
「ですよね。それは私のようなものが凪くんとなんか……って、え? な、凪くん今なんて言ったの?」
「いいよって。むしろ、ありがたい。千秋さんが踊りたいって思ってくれるなら、俺にとって嬉しいことこの上ないよ」
千秋さんはしばらくフリーズしていたが、顔中に喜びを滲ませた。
「や、やったぁ!!」
その喜び様は目で見てわかるほど大きかった。
背景には満開の花畑が広がっているよう。
瞳はキラキラに輝いて映す世界が色めいているよう。
笑顔はプレゼントを十年分もらったかのような幸せで弾けている。
千秋さんの姿は魂を揺さぶるほど、可憐で、美しくて……恋する乙女の輝きがあった。
あ……。
喜びようを目の当たりにして気づいた。
千秋さんが俺に特別な感情を抱いていることに。
「な、凪くん、じゃあ……あ」
千秋さんの顔が急に曇る。
俺が千秋さんの感情に気づいたことが伝わったのか、と思ったけれど、どうやらそうではなかった。
「ごめんなさい。やっぱりペアの話、軽く決めないで欲しい」
千秋さんは悲しげに目尻を下げて続けた。
「凪くんは、伝説の話を知ってる?」
「で、伝説って?」
千秋さんの好意に気づいた動揺で噛んでしまった。
「軽いなって思ったけど、やっぱり知らなかったんだ。ダンスを踊った男女は将来結ばれるって伝説があるんだよ」
「そうなんだ……」
「だ、だからね。凪くん、その伝えずにパートナーになるのは騙すみたいで嫌だったから……」
「えっと、はい」
「うん。そ、その、それだけだから……」
千秋さんは肩を縮こめて、赤い顔を隠すように俯く。
しかしバッと立ち上がり、伝票を勢いよく手に取る。
「嘘! 喜んだのはそういうことだから!」
千秋さんは走ってレジへと向かい、お会計を済ませて店から出て行ってしまった。
追った方が良かったのだけれど、俺は動揺していて固まることしか出来なかった。
***
ファミレスからの帰り道。
駅から家までの夜道を俺は一人、歩きながら考える。
千秋さんが俺のことを好き。
それでジンクスを信じてペアに喜んでくれた。
俺からしたら、こんなに嬉しいことはない。
心臓の鼓動はずっと早いし、甘い気持ちは抜けない。
全身がそわそわする感覚がずっとある。
千秋さんみたいな可愛い子に好いて貰えて、その先の未来を歩める可能性がある。
それだけで転生した意味があるし、青春を感じている。
千秋さんと付き合えたらどれほど幸せだろうか。
甘い恋人生活を送ることを想像するだけで胸が高鳴る。
ダンスのペアをお願いしよう。
悩んでいたダンスのペアには最適の相手だし、最高の青春を送れる。
そう思う。
でも……きっとそれじゃ駄目だ
『だ、だからね。凪くん、その伝えずにパートナーになるのは騙すみたいで嫌だったから……』
千秋さんの言葉は痛いくらいに誠実だった。
嬉しいことに千秋さんは好意を向けてくれている。
だけど俺はただ普通に過ごしただけ。
振り返ってみても、格好いいことしたりとか、惚れてもらえるようなことは何一つしていない。
それでも好意を持ってもらったのは、この世界だからでしかない。
男が少ないからフィルターが掛かっているだけで、実際の俺は魅力的ではない。
そこを隠して好意を受け入れるのは騙しているようで嫌だ。
誠実な千秋さんに対して、あまりにも誠実さがかける。
『ごめんなさい。やっぱりペアの話、軽く決めないで欲しい』
あの時の千秋さんの真剣な顔。
可愛い女の子と付き合えて嬉しいから付き合う、なんて軽い気持ちで応えてはいけないとも思う。
「どうしたらいいんだろう……」
何をどうしていいか全くわからない。
それに、これからも普通に過ごして良いのだろうか?
俺は普通の男という自負がある。だから女性に惚れられないように気をつけるなんて絶対にしたくない。この世界の男性みたいに傲慢に生きていくなんて尚更だ。
だけど普通に過ごすということは、この世界において普通ではない生活を送るということ。
俺はただ普通に過ごしただけだが、千秋さんに好きになってもらえるくらい、この世界において普通ではなかった。
『あるものはある。あるから見える。見て見ぬふりには限界が来る。それだけは知っておいて欲しい』
不意に小鳥遊さんの言葉が蘇る。
怜、舞亜ちゃんも見て見ぬふりをしていたのかもしれない。
違ったとしても俺が俺として生きることで辛い思いをする人が出てくるのかもしれない。
郷に入っては郷に従え、か……。
「とりあえず、千秋さんにメッセージを送ってから、また考えよう」
***
(三浦千秋)
や、やばい……どうしよぉ〜!?
ベッドの上で頭を抱え、バタバタとのたうち回る。
やらかした。完全にやらかした。
凪くんをダンスに誘えて、OKをもらった。
あそこで終わっておけば、手を繋いでダンスしたり、甘い時間を過ごせたり、ジンクスが本当になっちゃったりしたのに。
「何て、何て私はバカなんだ……」
凪くんとダンスを踊れると決まったあのとき、
『な、凪くん、じゃあ……あ』
私は声を失った。
それは凪くんがあっさりとしすぎていて、きっとジンクスについて知らないと気づいたから。
騙すような真似をしてしまうことに罪悪感を覚えたから。
凪くんを罠に嵌めるようなことをしたくなかったから。
……それだけだったら良かったのに。
あの瞬間、私の胸には猛烈な寂しさが去来していた。
『ごめんなさい。やっぱりペアの話、軽く決めないで欲しい』
そんな言葉が出たのは私が情けなかったから。
私なんかでは、きっと手が届かないと思っていたのに、輝いた女の子たちのもとでなく、私の側に来てくれた凪くん。
部活の中で一番仲がいいと言ってくれた凪くん。
常に優しさを向けてくる凪くん。
事あるごとに、ときめきで胸を焦がしてくる凪くん。
そんな彼にどうしようもないくらい惚れてしまった私は、情けなかったからつい思ってしまったのだ。
ペアに選ばれることは私にとって世界一重要な出来事。
しかし、凪くんにとっては些細な事でしかない。
それがたまらなく切ない、と。
『凪くんは、伝説の話を知ってる?』
だから私は伝説の話をした。
勿論、騙したくないのは本当。
だけれど、みっともない感情もまた本当だった。
『で、伝説って?』
『軽いなって思ったけど、やっぱり知らなかったんだ。ダンスを踊った男女は将来結ばれるって伝説があるんだよ』
『そうなんだ……』
『だ、だからね。凪くん、その伝えずにパートナーになるのは騙すみたいで嫌だったから……』
そこで止まっておけよ、千秋。
『えっと、はい』
『うん。そ、その、それだけだから……』
頼むからそこで止まっていてくれ、千秋。
『嘘! 喜んだのはそういうことだから!』
ああああああああああ!!
ジタバタと暴れる。
顔の熱は煙が出そうなほど。
羞恥心で全身がぷるぷるして、耐えきれずに身悶えする。
結ばれるというジンクスを知った上で喜んでいたと教えた。
ご丁寧にそういうことだから、と付け加えた。
あーもう!! そんなんほぼ告白だよ!!
ダンスを断って、それで告白まがいなことまでして……もう馬鹿すぎる!
明らかに友達より上に見られていないのに、突っ走って迷惑をかけるとかあり得ないだろ私?
これで凪くんが無理です、ってなって、距離取られたらどうするんだ私?
こんなに好きなのにハッキリ断られたら、大丈夫なのか私?
はあ……。馬鹿すぎる。
無理だってわかりきってるのに、ほんの少しまだ期待してるのも含めて馬鹿すぎる。
あの時の私は理性が残っていた。
凪くんのことを好きで胸がドキドキしていても、誤魔化すだけの理性は残っていた。
だけど好きの感情は凪くんを視界に入れるだけで見えて、目を閉じても目障りで、耳を塞いで閉じこもっても纏わりついてきた。
何をどうしても無視できず、抑えきれず、口から出てしまった。
その結果が今。
過ぎたる欲望は身を滅ぼすというが、まさに今だ。
鬱々としてきたとき、スマホからメッセージの受信音がなった。
送信者は凪くん。
極度の緊張と内容への恐怖に手が震え、手に取ったスマホを操作することすらできない。
十数分と動けなかったが、深呼吸して意を決してメッセージアプリを開く。
『真剣に考えて答えるので、もう少しだけ待ってもらえると嬉しい』
普段の凪くんはからかってくるほど調子のいい男の子。
メッセージもいつもはそんな感じなのだけど、今日はふざけた様子がない真面目なものだった。
ああ、だから私は好きなんだよ……。
きゅっと胸が締め付けられる。
でも断られるのは目に見えてる。
断られる日をひたすらに待つ生活を、私はこれからどう過ごせばいいのだろうか。