放課後、私は深山と一緒に電車に揺られていた。
車窓から夕陽が照らす田園地帯をぼーっと眺める。
時刻は帰宅ラッシュの前。いつもなら座るところもないけれど、たった一、二時間前なだけで車内は私と深山含めて片手で足りる数しかいない。
そのせいか、妙にしんみりとした感じがした。
「美甘、結局どこに行くつもりなの?」
「一番良いところ」
「え……」
顔を赤らめた深山に白い目を向ける。
「邪なこと考えるな」
「か、考えてない。い、いったいどこなの?」
「おばあちゃんち」
「おばあちゃんち?」
「うん」
中学生の時はよく通った。
田舎にぽつんと一軒ある広いお家で、グランドピアノが置いてある。
夜遅くても演奏できるから、よく泊まりにいったものだ。
「どうしてそんなところに?」
「深山はさ、なーくんにどう接していくか決めた?」
尋ねると、深山は目を伏せてぼそっと言った。
「まだ……」
「だよね、私も。夕子から話は聞いたけど予想はあたってた。なーくんは告白をされたことをきっかけに、今までの行動を改めようとしてる」
「みたい……だね」
「うん。夕子は林間学校の日まで猶予を作ってくれたけど、それまでには絶対に答えを出さないといけない」
今日の午後からはいつも通りのなーくんだった。
だけど、それは夕子に言われたから。
なーくんの中の悩みはまだ消えていない。
「それはそう。凪に迷惑をかけられない」
「で、深山はどうする?」
「どうしよう……」
深山は俯いてしまう。
そんな簡単に答えが出れば苦労はしないよね。
なんて同意して笑ったとき、目的の駅到着した。
降りて改札を抜け、四月にもかかわらず青々としげった畦道を歩いて、おばあちゃんの家へと歩く。
しばらく無言で歩いていたけど、目的地が近づいてきて、私は零すように話した。
「なーくんが付き合うってなったら、きっと物凄く悲しいし、悔しいし、苦しいし、落ち込む。友達を続けてたら胸が張り裂けないで済む自信はない」
「……うん」
「でもさ、それって、なーくんがなーくんだからなんだよ」
酷く曖昧な言葉。
だけど深山には伝わったみたいで、深く頷いていた。
「凪は優しくて、距離感が近くて、一々甘くて、楽しくて、ドキドキさせられて、そんな凪だからくるおしいほど好きになった」
「うん。私らが好きになったのは、そんななーくん。でも今、好きになってくれた子に返事するために、付き合った子以外を惚れさせ傷つけてしまわないようにって、自分の行動で意図しない悲劇を招かないように悩んでる」
「だね」
「深山はさ。私らが好きになった、なーくんらしいところが、そんな理由でなくなっても良いと思う?」
「思わない」
即答だった。
だけど瞳は揺るぎなくて真っ直ぐだ。
笑う。また同じ気持ちだ。
なーくんが違う部活に決まったとき、深山に感謝した理由がはっきりとわかる。
自己投影したのだ。
泣いてくれた深山に自己投影し、私は深山と深山に映した私を慰めることができたから感謝したのだ。
「美甘も同じ気持ち?」
「うん。だから私は、なーくんになーくんでいてもらうために、ここに来た」
そう言って私はおばあちゃん家の門を開く。
古い和風のお屋敷、と言っても、よくある田舎の家といった感じ。
中に広い庭はあるが、園芸はされていなくて裸の地面が剥き出しになっているし、なんなら雑草で殺伐としている。
「ばあちゃーん」
当然のように鍵のかかっていない玄関を開いて、おばあちゃんを呼ぶ。
「うるさいねえ、相変わらず馬鹿な孫じゃ」
今年、75になるばあちゃんはまだ初老くらいの見た目で、まだまだ耄碌しないと安心していたが、私を馬鹿と称するところをみるに怪しいかもしれない。
「馬鹿じゃないから。友達と遊ぶから、ちょっと庭借りて良い」
「良いけれど、何するつもりじゃ?」
「穴を掘る」
「やっぱり馬鹿じゃのう……すまんの、馬鹿孫に付き合わせて」
「い、いえ。遅くなりましたが、お邪魔します」
「ゆっくりしてきんさい」
おばあちゃんとの挨拶が終わったところで、私は田んぼ用の作業着と、倉庫からシャベルを二つ持ってくる。
「深山、着替えて」
「え」
「早く」
急かすと、慌てて深山は着替えてくれた。
私も着替え、庭の真ん中に立ち、シャベルを地面にぶっ刺す。
「えっと、美甘。着替えたけど?」
「なーくんはさ、付き合った子以外を惚れさせ傷つけてしまわないようにって思ってるわけじゃん?」
「うん」
「だからさ、私たちはなーくんがなーくんでいても、傷つかないって証明しないといけない」
そう言うと、深山の顔が曇る。
「わかる、けど……」
「うん。傷つかないでいられるほど、私の想いは小さくない。だから、掘ろう」
浅くて狭い宝箱じゃ収まらなかった。
だから。
もっと大きくて深い、出てこれないくらい大きな宝箱を用意しないと。
「そんな想いを、宝物を、すっぽりとしまい込めるほど大きな穴を」
力強く地面を掘り起こす。
砂が飛び散る。手に伝わる感触は重く、ひと掘りで筋肉が苦しんでる。
それでも掘り続けたいと思う。
「……美甘」
「想いをしまいこめたら、友達でいることに問題ない。変わらない関係でいられれば、なーくんも惚れさせるかも、なんて思い上がりだってわかるよ」
「うん」
「でも深山、私は強制しない。掘りたくなれば掘れば良いし、想いを閉じ込めたくなかったら何もしなくていい。むしろしない方がいい」
そう言って、私は掘り続ける。
しばらくすると、地面を掘り返す音が二つに増えた。
一心不乱に掘り続けていたら、いつしか腰くらいの高さまで穴は深くなっていた。
辺りは暗くなってきたけど、まだまだ掘り続ける。
「うぅ……凪ぃ。引っ込み思案なのに、ぐいぐい来られたら好きになっちゃうよ」
「男に縁なんてないんだから、期待させないで! 本気になっていいなんて言わないで!」
恋情を吐き出しながら穴を掘る。
汗だくだし、腕だって重い。
だけど、まだまだ納まらない。
この程度の深さじゃ足りない。
だから、ひたすらに掘り進める。
「私、男子が人より好きなんだよ。ボディタッチされたらドキドキで死んじゃうんだって、凪」
「変なカミングアウトしないで」
「……うるさい。吐き出せるだけ吐き出したいんだ。もうここに全てを埋めてしまうって決めたから」
深山の言葉に百里ある。
私は穴にとじこめるように叫ぶ。
「私のことを舞亜ちゃんって呼んでくれるしさあ! なーくんって呼ばせてくれるしさあ! 虫歯になるくらい甘いんだけど! あーもう、好きぃ! 大好き!」
「私も人生で男子の下の名前を呼べるとは思わなかった! 下の名前で呼んでもらえるとは思わなかった! まだ慣れてない! ずっとそわそわしちゃう! 好き!」
思いついたこと、感じたこと、全てを吐き出す。
全然深さが足りない。
こんなんじゃまだまだ溢れてしまう。
辺りは既に暗いが、どんどん掘り続けると、おばあちゃんが何も聞かずに馬鹿でかい照明を点けてくれた。ついでに土を掻き出すバケツも、穴に出入りできる脚立も用意してくれた。
どこにこんなものが、とか色々気になっていいはずだけれど全く気にならない。
私も深山も想いを閉じ込めることに夢中だった。
「新歓に揉まれてたとき、抱き寄せて助けてくれたのは流石に好きになっちゃうよ。なーくんの女子とは違う感触、心地のいい体温、くらくらするいい匂い、痛いくらいの胸の鼓動。全然忘れられないよ……」
「そ、それ、本当?」
「嘘なんかつかないって」
「う、羨ましい……美甘?」
「何?」
「それでシてないよね」
「……そ、そんなん言うたら、深山。あんただって同じでしょうが!」
「そう?」
「バッティングで腰掴まれたり、ローラースケートで押し倒したりしてたじゃん!」
「うっ、そんな昔のことを」
「昔でもないでしょ。それにどうせまだ覚えてるんでしょ」
「……うん」
「なら、そういう発想が出てくるってことは……深山もシたんでしょうが!」
「そ、そんなにシてない!!」
「そんなにって何回よ」
「……美甘が言うなら、教える」
せーの、の掛け声でお互いの回数を発した。
「この猿!!」
「う、うるさいっ!! 美甘も私より少ないだけで非難できないでしょ!」
深山はそう言って、沈んだトーンで続けた。
「だから……私は元々無理だったんだ。こんなに性欲が強い女子は気持ち悪がられちゃうから」
深山はシャベルを力強く地面に突き刺し、土を掘り返しバケツに入れる。
私も同じように穴を掘る。同じように感情を吐き出す。
「私もわかってたんだよ。どう足掻いても勝てない相手がいるって挫折した時から、ずっと本気になることが怖かった。なーくんと甘い関係になるために手を伸ばす、なんてピアノより身を結ばないことはわかっていたし、本気になるつもりなんてなかった」
なのになあ……。
「でも好きになった。その感情は押し込めても、見ないふりしても、何してても常にあった。目につく煩わしいゴミなのに、人から見たら愚かしさを象徴するゴミなのに、何より大切な宝物にしか見えなくて無視できなかった」
本当に馬鹿なんだよなあ……。
「わかる。伸ばした手が届かないことも、振り払われることも知ってる。でも、どうしても好き。凪が愛しくて、触れたくて、胸が苦しい」
「悲しいよね」
「うん」
「掘ろうか」
「うん」
好きだった。今も好きだ。とめどなく溢れる想いをしまい切れるようひたすらに掘り進める。
辺りは真っ暗。既に夜。
虫の音が涼やかな夜に響く。
「どう? そろそろ入り切りそう?」
「うん。もう2メートルくらいはありそう」
脚立がないと上り下りできない深さになった。
最後に思い残すことのないよう想いを零す。
「なーくん、好き。甘い浮つきををくれてありがとう。恋心はくだらないゴミだけれど、私にとっては輝かしい思い出。ここに供養します。ありがとうございました」
「凪。本当に好きだったよ」
しばらくの静寂。
そして笑う。
「あー、本当に私らキモすぎ。んで馬鹿すぎ。何やってんだよ、本当」
「我ながら馬鹿だ」
くっと伸びをする。
穴の中から見上げる星空は澄み渡っていて凄く綺麗だ。
「美甘」
「何?」
「これでいいんだよね?」
深山の問いに私は強く頷いた。
「これでいいんだよ。絶対に正しい。最初から無理だったものに夢見てた時間が伸びて、諦めるのが遅くなっただけ。これ以上引っ張っても、いずれその時が来る。でも……」
「でも?」
「正しさを盾に臆病だった自分を無理やり肯定してるだけなのかも」
想いを伝えたり、行動しないことは、正しいのに変わりない。
だけど私に勇気があれば、何かが変わっていたのかもしれないのも事実だ。
「……美甘は本当に私と同じだね。振り払わせることが申し訳ないのも本当だけど、凪に伸ばした手を振り払われることが怖かったのも本当。正しさを盾に、臆病で手を伸ばせなかった自分を肯定してた」
「うん。でも正しいものは正しいんだよ。白のボールを黒のボールと言い張っても、白は黒にはならない。私がなーくんと結ばれないのは、それくらい自明の理」
「それは分かってる。だけどさ、臆病じゃなかったらって、行動に移せてたらって考えてしまう」
「私も。今日、ずっと考えてた。違う未来があったんじゃなかったのかって」
胸が痛い。息が苦しい。目頭が熱い。
なーくんが好き。どうしようもなく好き。
私じゃない女の子の隣でなーくんが幸せそうにしている姿を想像して、溜まった涙がこぼれ落ちた。
嫌だよ、そこには私がいたいよ。
誰よりも好きな自信はある。
誰よりも幸せにしたいと思ってる。
誰よりも幸せでいられると確信してる。
苦しい。
私の方が好きなのに。
絶対に私の方が好きなのに。
だけど、そこに私がいられないのは私が悪い。
正しいものを、間違っていると。
間違っているものを、正しいと。
そう言えるだけの愚かさも勇気も持ち合わせていなかった。
「小鳥遊から聞いたけど、凪に告白した子。特別な女の子ではないみたい」
深山の声も濡れていた。
「……うん。可愛いけど、普通の子って感じだったよ」
「私なんかじゃ手の届かない子と結ばれるって思い込んでた。でも私だって可能性があったんじゃないかって思わずにいられない」
最後の最後。
迫り上がってくる激情を吐き出す。
「あーもう! 何で私じゃダメなんだよお! どうして私じゃダメなのかな!? どうして私はこんなにダメなの!!」
「結果論なのは分かってる! でもこんなことなら凪に手を伸ばせば良かった!」
お互い、何もなくなるまで、掠れるまで声を絞り出す。
涙もなにもかもが体から抜け落ち、ほうほうの体で穴から抜け出した。
穴を埋める作業はお互いに何も発せず、埋め終えてからようやく声を発した。
「帰ろうか、深山」
「うん。明日からもよろしくね、美甘」
「そうだね」
そんな言葉を交わして帰途につく。
深山の顔は曇りが晴れ、すっきりとしていた。
きっと私もそうだろう。
なーくんの友達を続けることへの不安はすでに解消されていた。
***
翌朝、まだ日も昇っていない時間。
始発の電車から降りた私は、改札で深山と出会った。
「あ」
と驚いたものの、だよね、と一緒に歩き出す。
「学校に遅れるし、早くやろっか」
「うん」
私と深山は埋め立てた穴にシャベルを突き刺したのだった。