(深山怜)
私というやつは、どこまでもどうしようもない人間だ。
男子が好き。だけど拒絶されることを恐れて何もできない。
コミュニケーションも得意じゃなくて積極性がなく、引っ込み思案。
だけど男子が好きで、声を聞くだけでどこか嬉しくて、肌を見ればついついドキドキして、触れたくてそわそわする。
男子という存在に性的欲求を覚えるのは仕方のないこと。
それはわかっているけれど、自分のような人間が向けることに強い罪悪感がある。
男子は女子の性欲を嫌悪するもので、私みたいな女子からはより嫌悪される。それが強いので尚更だからだ。
間違いなく私は拒絶される。そんな恐怖ももちろんある。
ありふれた言葉だけど、手に入らないものは最初から望まない方がいい。
手を伸ばすことは悪で、望むこと自体が悪だ。
だからそんな言葉を自分に言い聞かせ、私は今まで男子に近寄らずに生活してきた。
きっと私にとって、私のような女子にとって、望まないことは社会や世界にとって正解だ、と男子から距離を置いて生きてきた。
なのに……凪は私が張った壁を無遠慮に壊し、ずけずけと踏み込んできた。
出会った初日の出来事は一つたりとも忘れていない。
『あはは、忘れた? じゃあもう一回言うよ。一緒に遊んで遠慮しなくなるまで仲良くなってやるから覚悟しとけ!』
そう言った凪の言葉は、あの瞬間恋に落ちた音は今も鮮明に覚えている。
好き。たまらなく好き。
あの日から男子に向けられていた私の欲望は、凪一人に向けられるようになった。もともと強かったものが、何倍にも増大した。
そして強くて熱い身を焼き焦がしてしまわんばかりの欲望に、欲して欲して仕方なくなる切ない疼きに日々悩まされてきた。
凪が欲しい。だけど、私は拒まれる人間。
手を伸ばすことが悪だとされる世の中が私の理性をかろうじて繋ぎ止めていた。
ただそれも日に日に限界に近づいていた。
一分、一秒でも凪と過ごすだけで、ますます好きになるのだ。
優しくて、格好良くて、良いところが沢山あって、目に入れるだけでときめきが加速する。
好きで好きでたまらないのに、限界を超えて好きの感情は膨れ上がっていく。
もう破裂寸前だった。だから私を惚れさせるのはやめて欲しかった。優しくしないで欲しかった。これ以上、私を悩ませないで欲しかった。
だけどそんな凪が好きで好きで堪らないのだ。
だから私は、凪が私の好きな凪を捨てる前に、私の恋心を捨てることにした。
美甘と二人で穴を掘り、思いの丈を閉じ込める。
馬鹿馬鹿しくて、くだらない行為だが、抜群に効果はあった。
初めて抱えた莫大な感情を封印できた。
しかしダメだった。
やっぱり私は凪のことが好きで、たまらなく凪が欲しくて、諦めなければならない現実と、手に入らない恐怖で一晩中涙が止まらなかった。
翌朝には掘り返してしまった。
手放せず、自分が間違っていると分かりながらも掘り返してしまった。
どうして良いかもわかっていないのに正しさを捨て、欲望を手放せずにいる。
そんな己の情けなさと惨めさに自己嫌悪が止まらず、人目をしのんで泣いてばかりいた。
私は愚かだ。
どうしようもない人間だ。
好きで好きでたまらないのに、恐怖で手を伸ばせず、他人に攫われることに震えてメソメソしているばかり。
どうしたらいいんだよぉ……。
そう思う時も、やはり思い浮かぶのは凪に恋に落ちた瞬間だった。
『あはは、忘れた? じゃあもう一回言うよ。一緒に遊んで遠慮しなくなるまで仲良くなってやるから覚悟しとけ!』
あぁ、そっか。そうすればいいんだ。
私は気づいた。私は辿り着いた。私の答えが出た。
すぐにスマートフォンに手を伸ばし、私は凪にメッセージを送った。
『凪、日曜日暇? 時間もらえないかな?』
と。
***
日曜日。私は凪を駅前に呼び出した。
「来てくれてありがとう」
「うん。こっちこそ。遊びに誘ってくれてありがとうね」
凪はそう言って笑う。
ここのところどこか笑みは曇っていたけれど、今日は晴れていた。
昨日、美甘が何かしていたらしいので、その影響か。ちょっと嫉妬する。
ただ完全には晴れきっていないみたいなので、その曇りを晴らしてやろう。
そのために今日私は誘ったのだ。
「凪」
「うん?」
「今日はさ、細かいこと全部忘れて楽しんでほしい。私も何も気にせずに楽しむから」
凪が頷いたのを見て、私は満足して歩き出した。
***
最初に来たのは、ボウリング。
まずは球選び。どれにしようか、悩んだのち、10ポンドの球を選ぶ。
よいしょ、と持ち上げると、凪が声をかけてきた。
「持つよ、重いでしょ」
凪の爽やかな笑みにとくんと胸が高鳴る。
男子は鍛えないのが普通なので、基本的にこういう役割は女子のものだ。
だけど身体能力的には男子の方が高いので、重い物を持ってもらうのは女子の憧れだったりする。
そうだよ。そういうところを好きになった。
「いいよ、私が持つ。凪のボールも運ぶから貸して」
「いやいや、流石にそれは無理だって」
申し訳なさそうに、無理無理、と手を振る凪に好きが加速する。
やっぱり凪が変わってしまうなんて悲しいことだ。
かと言って、友達で居続け好意を持たないから、安心して優しくしてくれていい。なんて言うことはできない。
だから私は変わるんだ。
「じゃあ凪のボールを私が運ぶから、私のボールを運んで」
「えぇ、何それ」
「いいから」
私は凪の選んだボールをレーンまで運ぶ。
まずは、このくらいからスタートだ。
「よし。じゃあ投げよう」
「うん、どうする? 負けた方が罰ゲームとかする?」
「凪はギャンブル好きなんだ?」
「あはは。ギャンブルっていうより、何か賭かってたほうが熱くなれるしね。全然、なくても楽しいけど」
凪は勝負事に熱くなるのが好き。
また一つ凪のことが知れて嬉しい。
「じゃあ賭けよう」
「よし。じゃあ何を賭ける?」
「勝ったら何かもらう」
「曖昧だなあ」
「私は決めるのが苦手な人間だから」
私という人間を凪に知ってもらえたことも嬉しかった。
***
ボウリングを終えた後、次へと移動する。
「凪、ボウリング楽しかった?」
「うん、楽しかったよ。怜って運動神経良いのに、ボウリングは上手じゃないんだ」
「むう。でも勝ったのは私」
「あはは。途中からカーブ縛りにさせられたからね」
「でも勝ちは勝ちだから」
「負けず嫌いだなあ。でもそういうところ良いよね。冷めてないから同じ温度感で盛り上がれて楽しい」
私も楽しい。
凪は私と同じ目線で遊んでくれる。
と言っても、私に合わせてくれているわけじゃない。
気遣いや遠慮とかがなくて、ただ普通に私と同じ目線で遊んでくれている。
きっとそれは理想だ。
そこに至ることは難しいかもしれない。
けれど一歩一歩踏み締め、近づくことはできる。
「凪」
「ん?」
「お腹空いた。何か食べよう」
「いいね。どこ行こうか?」
「麺類が食べたい」
「おぉ、いいじゃん。ラーメン食べたいなあ」
「私、うどんが良い」
「割れたねえ。ディベートか?」
「じゃあ私のターン。海老天うどんが食べたい。出汁に浸った海老天は本当に美味しい。最初は衣をさくっとした食感を楽しんで、海老のぷりっとした食感を楽しむ。時間が経って出汁でふやけた衣は美味しいし、海老にも味が染みて絶品。うどんは口に入れたらほわほわして、つるんとした舌触りが最高。コシがある麺を噛んだら、旨味たっぷりの出汁が染み出して筆舌しがたい美味さ」
「うわあ、美味しそう」
「ふふん。でしょ? 凪のターンね」
「ラーメンは満足感があるよね。ほろほろの柔らかいチャーシューの肉って感じは、うどんじゃ味わえない旨さがいい。スープも醤油でも塩でも何でも、旨味がぎゅーって詰まってて蓮華で掬って飲むだけで幸せだし、店によって違うから楽しみがあるのがいい。味玉とか、野菜とか、ネギとかトッピング一つ一つにパワーがあるし、麺と合わさって美味しい。一杯で満足できるのは絶対にラーメンだよ」
「うぐ。たしかに……でも」
と歩きながら、ディベートを続ける。
主張は食い違うけれど、悪い雰囲気なんてなくて、ずっと笑いながら続けた。
「じゃあ回転寿司にしよう」
「うん。それがいい」
じゃれあうような楽しいディベートは予想外のところに着地した。
うどんのお店には決まらなかったけど、私は満足感でいっぱいだった。
***
「回転寿司は豪勢だ」
そう言って笑う凪が眩しく、私は自分の皿に目を向ける。
海老、烏賊、鮪。オーソドックスなネタばかりだ。
もちろん全部好きだけど、私は高校一年生の女子。
変わったネタを頼んでヒかれるのが怖くて、無難なネタを頼んでいた。
でもそんなことばかりしてちゃダメだ。
「あはは。怜らしいの頼んだね」
ハンバーグ寿司を頼んだのだけれど、凪に笑われてしまう。
「私らしいって何?」
むすっと、言いつつも、内心では喜んでいた。
知らない人、仲良くない人なら、私にそんな感想を抱かないだろう。
きっとバスケの上手い静かな人。それくらいだ。
だけど凪からは、私には子供っぽいところがある、と見えている。
それは事実で、仲がいい証拠で、たまらなく嬉しい。
「ごめんって。俺も頼もうかな、ハンバーグ寿司美味しいし。照り焼きマヨが美味い」
「わかる。凪は何かないの?」
「何かないって?」
「恥ずかしくて頼みづらいネタ」
「えー、そうだなあ。海老アボカドとか?」
「美味しいけど、恥ずかしい?」
「いやそんなに」
「ずるい」
あはは、と凪は笑って続ける。
「じゃあ、大トロ。高いネタって、友達と行くと頼みづらいんだよ」
遠慮の壁が一つ消えて、胸が温かくなる。
「私相手にそんなのいいよ」
「ありがとう、怜」
「うん。私も頼むし、大トロとイカオクラ」
「イカオクラ? 渋いね」
「凪!」
「あはは、ごめんって」
冗談のやりとりに笑う。
渋い物を渋いと言えて、渋いと言われたことに怒れる。
そんなやりとりに、また一歩近づいたと嬉しくなった。
一歩ずつ、一歩ずつなんだ。
***
食事でお腹を満たしたあとは、映画館。
昼食はあんなに割れたに関わらず、見る映画はアクション映画にすんなりと決まった。
開演ギリギリに入ったので、映画館内は暗い。
休日ということもあって人が多く、席は一杯。
一番いい席はとれなかったけれど、後ろの端っこは画面全体を見るのに首が痛くならずにすむ。それに凪の横顔を独占できて、気分がいい。
「嬉しそうにしてどうしたの?」
「ううん、何でも」
これは言えない。
まだ、だけど。
「あ、始まるよ」
映画の広告、説明があって、本編が始まった。
内容はドタバタのアクションコメディ。
それくらいしか頭の中に残らない。
スクリーンの光で照らされた凪の顔に見惚れてばかりいた。
「んー、面白かったぁ〜!」
映画から外に出て、ぐっと伸びをする凪。
そんな仕草が愛おしくて仕方ない。
「怜、このあとどうする?」
「このあと、か」
時間は午後三時半。
帰るにはちょっと早い時間だけど、すでに日はオレンジに色づいている。
地面に落ちる影も長く、今から何かするのも躊躇われる時間だ。
「あはは。じゃあ歩いて帰ろうか」
映画館まではバスに乗ってきていた。
ここから駅に行くには二十分くらい歩くことになるのだけど、凪は大丈夫だろうか?
「私は運動部の女子だからいいけど、凪は大丈夫?」
「いやいや、俺も運動部だし余裕だよ」
「そっか。じゃあ、もうちょっと遠回りしよう。河川敷を歩きたい」
「あはは。いいね」
笑って提案を受け入れてくれた凪に、言ってみるものだ、なんて思う。
男子に歩くことを強要するような行為は、一般論としてダメだ。
だけど、凪は受け入れてくれる。むしろ楽しそうにしてくれる。
「明日から学校。やだー」
「そんなに? 怜ってそう言えば、勉強はどうなの?」
「ノーコメント」
なんて他愛のない会話をしながら歩く。
雑談は楽しく心地いい。
ときおり甘さに胸が苦しくなるけど、それもまたいい。
ふと上を見上げれば、夕焼け空に変わっていた。
水色とオレンジのグラデーションがついた空だ。どことなく寂しく、どことなく懐かしい。エモいという感じがする。
視線を下げれば河川敷。道路から川へと繋がる土手は綺麗に手入れされていて、青芝が茂っているようだ。川には夕日が浮かび上がり、水の流れでキラキラと輝いている。
綺麗だな。なんてことない光景をそう思えるのは、きっと隣に好きな男の子がいるからだろう。
「凪。今日、楽しかった?」
「うん、勿論。誘ってくれてありがとね」
凪は笑う。本心で言っているのがわかって、胸がときめく。
やっぱり、私には凪を諦めることなんて出来そうにないな。
私は愚かな人間だ。
引っ込み思案で喋りが下手で、今日だって他の子と遊んだ方が凪は楽しかっただろう。
きっとこの先も、凪にリードしてもらわなければ、まともなデートは出来ないだろう。
性欲だって強く、今日だって凪の唇や肌、身体に目を奪われたこともあった。
きっとこの先も、抑え切ることなんて出来ないし、その先の多くを求めてしまうことだろう。
やはり私は愚かな人間で、男子に拒絶されてしかるべき人間だ。
でも……手を伸ばすことを怖がらなくていい。
「凪、今日で私たち、昨日より仲良くなれたかな?」
「うん。怜が運動神経良いのに、ボウリングは上手くないって知ったし、負けず嫌いなところもわかったしね」
「うっ、だけどそう。私も凪がラーメンに熱を持っていることも知ったよ」
「あはは。怜が海老天のうどんが好きなのも知ったかな」
「結局、回転寿司にして、折り合いをつけられるって分かった」
「そうだね、揉めなかったね」
「凪が高いネタを頼みづらいって、気遣い屋な面も知ったし」
「怜が渋いネタが好きなのも知ったよ」
「アクション映画を観たいのは一緒だった」
「うん、面白かったぁ〜」
なんて話していたら、いつの間にか駅。
改札を抜けてホームへ。
「見送りなんて良いのに」
「私の電車はあと10分くらい来ないから、ギリギリまで暇つぶし」
「気遣わなきゃ良かった」
なんて会話に二人くすくす笑う。
「ねえさ、凪」
「何、怜?」
「ボウリングの勝負、賭けたの覚えてる?」
「覚えてるよ。勝ったら何かもらうって約束だけど、もしかして決まった?」
「うん。決まった」
「常識的な範囲でお願いね」
「大丈夫。凪が電車に乗ってドアが閉じるまでの時間をもらうだけだから」
「えーと?」
「その間、凪は黙って私の話を聞いていて欲しい」
「えっと、うん」
うん、と声を出した凪に、私はしーっと唇の前で人差し指を立てる。
凪が唇を固く結んだのを見ると、私は口を開く。
「私も、林間学校で凪と踊りたい」
口にするのは思いの外怖くなかった。
それはきっと仲が深まったから。
別に、仲良くなったから私が選ばれるかも、なんて打算的な意味じゃない。
いや、全くないわけじゃないけど、怖くない理由は違う。
もし口にしても、凪が嫌なら断ってくれる。それでいて、変な感じにもならない。
そんな信頼関係があると思ったから。
今までの私は、拒まれたらそこで終わりだと思っていたから怖がっていた。
だけど現実そうじゃない。友達のままでも、話す機会はこの先もある。友達以外の未来だってある。
仮に、その先に進んで、私の性欲が拒まれたとしても、凪が私を遠ざけなければ別に良いのだ。うどんとラーメンが回転寿司に着地するように、私と凪の間で良い着地点が見出せる。
大切なのは、何でも言いあえる関係になることだ。
「私、凪ともっと仲良くなりたい。告白しても、無理だ、って笑ってくれて、それに、嫌だ、って言えるような関係になりたい。いや、なりたいじゃなくて、なるよ」
だから私はこう言うのだ。
「一緒に遊んで遠慮しなくなるまで仲良くなってやるから覚悟しとけ!」
と。