最初は中学三年生の春休みにタイムリープしたのかと思った。
前世と同じ名前に同じ顔。体と感性が若返っていた以外、俺に変化がなかったのだから、そう思うのも当然だった。
だが、テレビ、ネット、まるで年頃の女子にするような家族の反応を見て、俺がここを貞操逆転世界だと気付いたのはすぐだった。
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「小ギャル! 邪魔すんなあ! えーとぉ〜、開いてみたらぁ〜、連絡先みたいなところがあるんだけど〜」
「小湊くん、ルインやってる? もし良かったら私と交換してほしいんだけど?」
「涼香ぁ〜! 抜け駆けするなあ!」
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「小湊くんって駅はどっち方面? 家まで送ってこうか?」
振り返った清水さんは、散々汗をかいたはずなのにサラサラの髪を靡かせた。
「清水さんが俺を? あはは、逆に俺が送るよ」
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「私たちは女子だから、凄かったって言ってもたかが知れてるし。でも男子なら話は別だよ。男子と同じ部活動に励むってのは、女子高生が憧れるシチュエーションだから、きっと激しい勧誘にあうよ」
なるほど。舞亜ちゃんの反応のわけがわかった。
俺が激しい勧誘にあうのを心配してくれているのだろう。
清水さんの言葉を前世に置き換えて考えてみると、たしかに女子と一緒の部活は男子の憧れではあった。
男子が少ない今世では、数少ない男子と長く関われる場とも言えるし、わりと勧誘したいのかもしれない。
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「うーん。楽しそうなんだけど、ちょっと厳しいかも。割と激しめだったし、未経験でやるのは厳しい。運動不足解消になれば、ってテンションで入れないかなあ」
「運動不足?」
「うん。春休みは一回外に出ただけで引きこもってたし、体育もしっかり参加はできなそうだし、部活とかないと危機感覚えるよやっぱり」
***
「そうだね。うちは、舞亜と涼香との関係が大事。楽しいし、居心地いいから、好き。だからさ……」
「だから?」
「小湊には嫉妬してんだ。涼香も舞亜も小湊に夢中で、小湊も悪くないと思ってる。そのうち、うちの方が先に好きだったのに二人を掻っ攫って行くんだって」
***
私もまじまじと見てしまうが、清水は爽やかに笑って流した。
「今は私付き合ってないよ」
「ええっ!?」
美甘が驚愕の声をあげた。
「あ、やっぱ。そうなんだ?」
「夕子は気づいてたか」
「何となくね。涼香を見てれば気づくよ」
「いや気づかんし。どれだけ涼香が好きなんだよ」
美甘が言うと、小鳥遊は照れ臭そうにそっぽを向いた。
「ま、そういうわけだから、相談に乗れそうにないよ〜。あと深山もごめんね〜、手すら繋いだことないから、何もわからないよ〜」
「べ、別に……そんなの興味ない」
「あはは。ダーツで小湊くんの言葉に反応してた時から思ってたけど、深山はむっつりだなぁ」
「うっ」
「いやそんなんはいい! 涼香! いつから別れてたの!?」
そ、そんなん。私は結構悩んでるんだけど……。
なんて私を置いてけぼりに話は進んでいく。
「えーと、春休みかなあ」
「嘘。な、なんで別れたの?」
「うーん。付き合ってるのが馬鹿らしくなったから」
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(清水涼香 視点)
改札口のドアにぶつかりそうになりながら抜ける。
長い時間かけて整えた髪は乱れる。
また怒られる、という憂鬱を覚えながらも私は走り続けた。
待ち合わせの時間に遅れると、もっと怒られるからだ。
腕時計を見る。あと2分で彼氏と待ち合わせの時間。
『おい清水。映画見たくなったから、やっぱ13時に駅な』
急な呼び出しに慌てた私は、食べていた昼食を冷蔵庫に入れて家を出た。
電車に乗るまでずっと走っていたし、今もなお走り続けているけれど、ギリギリ間に合わなそう。
……怒られるだろうなあ。
そもそも時間内に間に合ったところで、意味がない。
彼は一秒でも待たされたら烈火の如く怒り散らす。
『女が男を待たせるな! いい加減にしろ!』
なんて怒鳴られた日から気をつけていたけれど、流石に2時間早まったら無理。
15時予定が13時になった、と12時に言われて遅刻しないのは無理。
自然と足が止まった。
ふと、ロータリーを走る車に目を奪われる。
首を振って歩き始める。
やだなあ、本当。
彼と付き合ってから何度も怒られて来ているが、未だに慣れない。
『俺に恥をかかせるな! ブランドモノ以外着てくるな!』
好きでもない高い服で財布は空になった。
『はあ? 男に荷物を持たせるなよ? 気が利かねえなあ?』
家に帰ると、くたりと倒れ込むことが日常だった。
『お前の予定なんか知らねーよ! 彼女なんだから彼氏に都合合わせろよ!』
私事のキャンセルは多々。
何度も理不尽に怒鳴られ、その度に心を痛めた。
彼と付き合ってから5kg痩せて、夜寝付くことが難しくなった。不意に涙が溢れてくることだってある。
学校で一番顔の良い彼氏に、周囲は羨む。
逆告白されたのだから、尚更羨む。
だが当の本人としては、それほど良いものとは思えていない。
正直、何度も別れようと思った。
だがここで別れてしまうことは、私が男子と結ばれることが難しいと証明するようなもの。
女ならば傲慢で理不尽で、最低な人間だけれど、男であれば特段珍しい人間ではない。
そんな彼に耐えかねるというのは、私の器が小さいということなのだ。
女なら、男のわがままを包み込んでやれ。
それが常識で、数少ない男と付き合える女は度量がないといけない。
彼の理不尽に耐えられなければ、男と付き合う資格はない。
だから、我慢して付き合い続けた。
だから、これからも我慢して付き合い続けるだろう。
そう思っていたのに……。
「あの、差し出がましいんですけど、流石に彼女さんが可哀想だと思います」
男の子の声。
「はあ!? お前、さっきの話聞いてたよな!?」
彼氏の怒鳴り声。
「待ち合わせ一時間前に、二時間早まったって連絡したわけですよね?」
「あぁ! 一時間も前に言ったってのに!」
「いやそれで、遅刻するなは無理でしょ」
歩く。
早足で歩く。
男の子同士の喧嘩に騒つく周囲をかきわけて歩く。
群がる人の先頭に立った時、ぱっと視界が広がった。
雨上がりの虹のように煌めいて見えた。
急に世界が色づいたように思えた。
「無理じゃねえだろうが!」
「無理ですって。貴方は出来るんですか?」
「はあ? 何で男の俺がやらなきゃいけねえんだよ!」
「男の俺って……別に性別なんて関係ないでしょ」
胸を突き破りそうなほど、高鳴る鼓動。
ぴりりと走る、甘いそわつき。
焦がされるような、湧き上がる熱。
「関係ねえわけねえだろうが!」
「関係ないですよ……余計なお世話かもしれませんが、考えを改めた方が良いです」
周囲の顰めた声を聞く限り、どうやら、私の遅刻を愚痴ろうと男の子に声をかけて口論になったようだった。
「貴方は彼女さんを傷つけたいんですか?」
「はあ!? 傷ついているのは俺だろうが!」
「相手の視点に立ったことはありますか?」
「うっ、どうして俺が女を……くそが!」
彼氏の言葉を、男の子は正論で否定する。
女同士でしか通用しない正論でだ。
その後も口論は止まず、やがて彼氏は言い負かされた。
同じ男からの言葉には響くものがあったのだろう。
最後に男子は彼女の私に矛先が向かないように頭を下げた。
「わかっていただけたみたいで、嬉しいです。色々言ってすみませんでした」
男が公衆の面前で深々と頭を下げる。
その重みがわからないわけがない。
いや、男の子にとっては、それほど重くないのだろう。
だからこそ……からん、とラムネ瓶にビー玉が落ちるような音がした。
***
春休みの出来事を思い出した。
あのあと、男の子は周囲の視線に気づいて、頬を染めて逃げるように去った。
一方私はというと、彼氏に別れを切り出した。
理由は簡単。馬鹿らしくなったからだ。
世には素敵な男性がいる。
理不尽に耐えずとも男性と結ばれることは可能。
ならば、こんな男に付き合っていられない、と馬鹿らしくなったから別れた。
いや。男の子に、深い恋に落とされてしまったから。
そんなわけで彼氏と別れ、春休みの残りは男の子との再会のために費やした。
労は身を結ばず、ついぞ春休み中に再会出来なかったけれど……。
「一緒に踊ってくれる?」
爽やかな笑顔に、あり得ないくらい胸が高鳴る。
そんな内心を掴ませないよう、私は男の子……小湊くんの手を迷いなくとった。
結ばれる伝説があるというフォークダンス。
小湊くんと奇跡的に再会してから、私の焦点はずっとここだった。
きっと、小湊くんは、女の子達に恋されてしまう。
きっと、誰かを選ばないなら、好意を持っていない女の子を選ぶ。
きっと、親しい友人関係を維持していれば、私が選ばれる。
もし誰かを選びそうな予兆があれば参戦していたところだが、そうはならず、目論み通りことが運んでほっとする。
触れる指先、手から伝わる熱は、甘美で、蕩けてしまいそう。
ドキドキが止まないし、幸せすぎて破裂してしまいそうだ。
「知ってるじゃん」
「あはは。知ってる。本人の口から聞いてみたくて」
「清水さんは、したたかだなあ」
「うん。私はしたたかなんだよ」
独り占めした幸せは、どうしようもなく大きくて心の中で謝った。
ごめんね、深山、舞亜。
でも……私の方が先に好きだったんだよ。