春を告げる風が、火星の学園都市を優しく吹き抜ける。
空はどこまでも青く澄み、赤い砂丘の向こうで、太陽が今日という特別な日を照らしていた。
――卒業式。
式典が行われる大講堂には、制服姿の生徒たちが整列していた。
トアンは列の中で、静かに目を閉じる。
かつて、母を失い、バルレッドに導かれ、数々の戦いを乗り越えてきた彼女にとって、
この日が来るとは、正直思っていなかった。
「代表答辞、フォルミリア・シエル」
壇上に立ったシエルは、変わらぬ銀髪を揺らしながら、少しだけ柔らかく笑った。
「私たちは、数えきれない日々をこの学園で過ごしてきました。
仲間と出会い、衝突し、そして――支え合いました」
スピーチの途中、トアンとシエルの視線が交わる。
あの日、突然の出会いだった少女と少女が、今ではかけがえのない友に変わっていた。
「多くのものを失いました。けれど、同じだけ多くのものを得たのです。
この学園が教えてくれたのは、戦うことではなく、守りたいものを選ぶ勇気でした」
拍手の中、彼女は退場し、代わってリュシオンたち仲間も登壇した。
ユリウスは「校則違反はだいたい僕です」と笑いを取って、
モカとリリアは壇上で小さな漫才を始めて教師に怒られたいた。
トアンは――最後の退場列で、バルレッドのことを考えていた。
(……あなたがいたから、ここまで来られたんだよ)
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講堂の外、記念撮影の時間。
校庭には無数のカメラと、笑顔と、別れの涙があふれていた。
「赤い制服、似合ってたよ」
「お前が寮母室の冷蔵庫からアイス盗んだの、忘れてねえからな」
「また火星来たら連絡して!」
トアンはバルレッドのキーを握りながら、皆の言葉に頷いた。
(エルネスティアも一緒にここにいられたら…)
そこに、シエルが近づいてきた。
「……泣かないのね」
「泣いたら、前が見えなくなるから。ほら、まだ“続き”があるでしょ?」
シエルはその言葉に微笑み、彼女の隣に立った。
「じゃあ、撮ろうか。最後の一枚」
カメラに向かって、仲間たちが並ぶ。
中央には、赤髪の少女――トアン。
その頬には、風が触れた痕のように、わずかな光が揺れていた。
「はい、笑って――卒業、おめでとう」
――カシャ。
そして、新たな物語が始まる。
はずだった。
それは、あまりにも唐突だった。
卒業式の翌日、学園コロニーの上空に、警報が響き渡る。
《警告。地球連合軍と火星独立軍が交戦状態に突入。全住民に避難指示が発令されました――》
空が赤く染まる。
あの日、卒業式で見上げた蒼天は、もうそこにはなかった。
コロニー外縁では、既にフレーム同士の交戦が始まっていた。
火星の制圧部隊、そして地球の迎撃部隊が、学園施設ごとに陣取っている。
「なぜ今……戦争なんて……!」
トアンは、整備棟でバルレッドに飛び乗る。
通信回線はすでに干渉を受け、仲間の声は届かない。
「リュシオン! シエル! 聞こえる?!」
《…………北エリアに! 私たちは地下施設……っ》
《爆発音が……通信が……シエルが……!》
断片的な情報の中、トアンは動いた。
しかし、学園の周辺にはすでに火星軍と地球軍双方の兵が入り乱れ、
誰が敵で、誰が味方なのかさえ分からない。
レグナストの青い光、 それらが遠くに見える――だが、近づくにはあまりにも火線が多すぎた。
「……くそっ!」
爆炎が、校舎のひとつを吹き飛ばす。
煙の中で、誰かの叫びが響いた。
「待ってて……絶対、また会いに行くから!」
その日、コロニーは地獄と化した。
赤い機体が、爆風の中で立ち尽くす。
――紅機の少女、トアン。
彼女は今、誰の声も届かない空の下で、
再びひとりになった。