天涯の華は手折れない 作:RIN
この世界に生まれ落ちた時から、ひどく世界が緩慢に思えた。
今生の母曰く、私は産声を上げるまでひどく時間がかかったらしい。
不思議なことに、その頃の記憶こそないが、漠然と当時の感覚だけは今でも身体にこびりついている。
物心なんてついていない。だのに胸の奥が締め付けられるような原初の本能が、私の脳裏に刻み込まれていた。
幸いなのは、後遺症だとかトラウマだとか、将来に響く悪影響があったわけではないこと。
むしろ自らの限界を察知する才能が開花したのだと、ポジティブに受けとめることができている。
なにせ今後のキャリアを形成するにあたって、最も自己アピールできるポイントこそが自己管理の徹底だったから。
身体能力だとか、忍耐強さだとか、協調性だとか、問題解決能力だとか……人並みに自己研鑽をしてきたつもりでも、自信をもって断言できる自らの長所は、生まれてから
だから────
「と、いう体で自己PRを考えてみました。どうでしょうかパフェ先輩」
「え、ええっと。確かに自己管理は大切ですけれど……あの、本当に中央のトレセン学園を目指してくれるんですよね?」
「はい! もちろんです! 私もパフェ先輩のような尊敬できるウマ娘────を、
そう豪語する私に、目の前のウマ娘さんは柔らかく微笑みこそすれ、どこか焦燥と不安を宿した眼差しで私を射抜く。
「た、確かにサポート課からトレーナーを目指すのは常道ですし、自己管理はアピールポイントになるかもしれません。でも!」
「あっ、もしかして資格取得や課外活動などのエピソードを盛り込んだほうがいいでしょうか? 一応、ガクチカに気を配ってきたのでストックはありますけれども」
「そ、そうじゃありません! ルドシちゃん、トゥインクル・シリーズはどうしちゃったんですか!?」
普段は穏やかなパフェ先輩が、珍しく声を張り上げた。
けれど私はキョトンと呆けた顔をすることしかできない。
なにせパフェ先輩の言葉の意図が、私には皆目見当もつかなかったからだ。
「えっ!? トゥインクル・シリーズは本気で目指していますよ。当然じゃないですか」
「ですよねですよね!? だから中央トレセン学園に────」
「はい。中央のトレーナーになって、担当のウマ娘とトゥインクル・シリーズに挑戦して見せます!」
「違いますよぅ! いえ、それも凄く大変なことではありますけど!」
悲しきかな。どうやら私からパフェ先輩への想いは一方的な片思いだったらしい。
かつては地元をミス・パーフェクトの渾名でブイブイ言わせていたパフェ先輩も、私という不出来な妹分には頭を抱えてしまう。情けない限りで罪悪感さえ湧いてきた。正直泣きそうです。
「……ルドシちゃん」
「はい、なんでしょうパフェ先輩」
どんな時でも愛想が良いパフェ先輩。そんな彼女の神妙な声音に、私も自然と背筋が伸びた。
パフェ先輩は今年から中央トレセン学園の高等部に内部進学したピチピチの現役JKで、まだデビューこそ果たしていないものの、その才覚や名声はずぶのモグリなウマ娘である私でさえ聞き及ぶほどだった。
そんなパフェ先輩が、大変貴重なプライベートの時間を割いてまで私の相談に乗ってくれているのだ。中央のトレーナーを目指す者として、進路は違えど先達たるパフェ先輩の言葉を無下にするという選択肢など存在しない。
「もし、もしですよ。
「
葛藤と焦燥。後悔と罪悪感。まるで審判を待つ咎人かのように物憂げな表情で、パフェ先輩は膝の上に置かれた両手をぎゅっと握りしめている。
きっと、パフェ先輩を慮るのであれば、糾弾とまでは言わずともチクチクと小言を口にすべきなのかもしれない。パフェ先輩を贖罪意識から解放してあげるべきなのかもしれない。
けれど、そんな欺瞞で誤魔化すことに意味も価値もないのだ。
だってパフェ先輩────トキノミノルの刻む蹄跡が、悲観的なものであってほしくないから。それだけは許されない、あってはならない。
誰が許さないとか、誰が許すとかではなく。
誰よりも私が……フルールドシエルというウマ娘が、彼女の手にするであろう栄冠に、一欠片ほどの瑕疵さえ許すことができないから。
身勝手な感情かもしれない。それでも、かつて彼女から貰った言葉は決して重圧なんかではないと、私は証明しなければならなかった。
「フフ。パフェ先輩は心配性ですね。これは本心です。先輩のそういうところ、私は大好きですよ」
悄然とした様子のパフェ先輩に微笑みかける。
果たして、今すぐにパフェ先輩を苛む苦悩が晴れるわけではないだろう。
けれど、伝え続けるしかない。或いは、人生という
積み重ねることが、私の想いを証明できる唯一の手段だから。
「でも……やっぱり我儘なんでしょうか。私は、ルドシちゃんにも走ってほしいんです」
ああ、私は幸せ者だ。
シビアな勝負の世界とはいえ、ウマ娘たちの未来を閉ざしかねない私なんかの走りを、望んでくれる存在がいる。
想いを乗せることも背負うことも、それがどれだけ幸せなことか。
トゥインクル・シリーズどころか、たった一度も公的なレースを走ることすらなかった母を持つ私には望外の喜びだ。これ以上の幸福を私は知らない。
だから、私は
満たされているから、この微笑みが永遠に変わることもない。
「走ること
────私だって、ウマ娘ですから。
◆◇◆◇◆
「走ること
フルールドシエルの言葉に他意は感じられない。
本心からの言葉なのは、幼い頃から面倒を見てきた彼女には分かりきっていた。
聡明で、寛容で、少し抜けた天然な部分のある後輩だけれど。
超然とし過ぎた彼女の在り方は、まるで花散る儚さを体現しているようだった。
だから────この感傷も、かつての愚かな私が招いた罪科による結果なのだろう。
なんの悪意も後悔も抱いていない彼女の言葉に、トキノミノルは絶望的なまでの無力感を味わうことしかできないでいた。
(彼女にとって走ることは、きっと……)
ウマ娘は走ることが本懐だ、というのは過言ではない。
生きがい、プライド、アイデンティティ……形容する言葉は個人で異なるにしろ、もっぱらウマ娘にとって走ることへの想いや執着は避けられないものだ。
それこそ、命やキャリアすら時には顧みないほどに。
しかしフルールドシエルというウマ娘には当てはまらない。
走ることも好き、というのは事実だ。かつて併走をした彼女自身がそれを一番に知っている。
けれどそれは、トレーナーとして大成することよりも優先順位は下がるらしい。
それだけならば奇特なウマ娘というだけで済む。
趣味嗜好は様々、ウマ娘の未来だってウマ娘の数ほど存在する。
だからこれは、どこまでも彼女自身の身勝手な期待でしかない。
「ルドシちゃん。なら私がもう一度、あなたに走ることを望むなら、トゥインクル・シリーズで走ってくれますか?」
「……メイクデビューや未勝利戦もありますし、確約はできません」
もう言い訳はできない。これは呪いだ。
シエルにとって、レースの勝敗は日常におけるささやかな幸福と等価値でしかないのだろう。
強いるわけでもなく、強いられるわけでもなく。
トキノミノルに望まれることを、不幸でも重荷でもないと思っているのは、嘘偽りのない真実のはず。
なら。
ならば。
で、あるならば。
「いいえ。ルドシちゃん、あなたは絶対に勝ちあがります。私だけではないです。セントライトさんやクリフジさんも断言するでしょう。きっと、過去も未来も、あらゆる時代を置き去りにして」
「……」
「私のように脚への不安もなく、どこまでも駆け抜けていけるはずです。先ほど仰っていた通り、あなたは丈夫過ぎるほどですから」
全てのウマ娘が羨むほどの頑強さは、もはや妬み嫉みすら湧かないほどで。
「それでいいんです。あなたのデビューまで私の脚は持たないでしょう。もう一度、ともに走るという約束も果たせない。それでも、私は走ることを決めました」
「パフェ先輩……」
「だって、多くの方が私の走りに期待をしてくれているんです。その中に、もちろんルドシちゃんもいます。それを重荷だなんて思いません。だって、私は走りたいから走るのですから」
鮮烈な赤栗毛の少女が、この時ばかりは小さく見えた。
目敏い子だ。幼い頃から気づいて居だのだろう。
トキノミノルは全力を出せない。どれだけ突出した才能があり、十全に使いこなすことができたとしても、脚が彼女自身の走りに耐え切れない。
だから、最初は自らの非運を嘆かなかったといえば噓になる。
目の前で俯く赤栗毛のウマ娘のような丈夫さがあればと、自己嫌悪に陥った時期もあった。
けれど彼女が折れることはなかった。
三栄冠の神話が現実となる瞬間に出会った。変則三冠が齎されたあの時、新たな時代の始まりも予感した。
更に遡れば、シエルの近縁がダービーを制する場面も、シエル本人には語っていないが目撃していた。
「これでもルドシちゃんより少しお姉さんなんですよ。トゥインクル・シリーズもそれなりに見てきました。だからちょっぴり自信をもって言えます」
予感ではなく確信だ。
かつて、たった一度だけの併走で垣間見たシエルの天稟は、なにもレースだけの才覚に限った話ではない。
シエルのレースに執着しない在り方は、誤解されることもあるだろう。
その上で、彼女は彼女のまま、トゥインクル・シリーズを駆け抜けていく図太さもある。
「シエルちゃんはシエルちゃんのまま。ただ走ってほしいんです。ほかの誰でもなく、私というただ一人が、シエルちゃんにそう望みます。あなたの刻む轍が、多くのウマ娘が目指す『その先』になるのですから」
名前も顔も知らぬ誰かに夢を見せろとも言わない。夢を見ろとも言わない。
器用に立ち回ることは出来るだろう。社交性は人一倍ある。
けれどそれは、いずれフルールドシエルに求められることはないと彼女は確信している。
それほどまでに、シエルの才覚は逸脱しているのだ。
セントライトやクリフジ、そしてトキノミノル自身や、未来で台頭する多くのウマ娘。
そしてシエルの赤栗毛を彷彿とさせる伝説的なあのウマ娘や、果てにはあのエクリプスさえも。
シエルがシエルである所以────『その先』を走り続けるシエルには、時代も世界も追いつくことなどできはしない。
そんな直感を発端とする未来予測すら、すでにシエルは置き去りにしている……などという、眉唾な妄想すら一笑に付すことはできなかった。
「もし、それでも億劫なら思い出してください。恨んでも構いません。私に夢を見せてください。私の想像も理解も超えて、多くの敗者を築き上げてなお、誰もが不可能だと諦める偉業を成してください。それが────
呪縛だ。これでは前回の約束の焼き増しだ。
そんな彼女自身の罪悪感すら、もはや本当の意味でシエルを揺るがすことなどできなかった。
天の果てに咲く華は、その花びらに触れることすら誰にも叶わない。
けれど、蕾が開かれなければ世間の目に留まることすらなく枯れ落ちるのみ。
そして一度花開いてさえしまえば、その華は未来永劫、語り継がれることになる。その華自身が、望もうと望むまいと。
「だから────走ってください。私すらも、置き去りにして」
そんな
◯フルールドシエル
・赤栗毛
・クォーター(母が日米ハーフのウマ娘)
・日本生まれ日本育ち
・なんか強くて速いやつ
・体型はスレンダー寄り
・頑丈
・思春期特有のアレ、12歳児
・中央トレセン学園の中等部入学予定
・割とアホ