天涯の華は手折れない   作:RIN

2 / 3
第2話

 光を冠したその名こそ知られるが、彼女自身を深く知るものは少ない。

 

 史上初のクラシック三冠────三栄冠を達成。

 その偉業に世間が沸き立つ間もなく、クラシック三冠の最後となる菊花賞を制して現役を電撃引退。

 

 興行としての側面もあるトゥインクル・シリーズに激震が走るも、彼女個人がさる高貴な名家出身のウマ娘であり、メディアへの露出も競技者として最低限だったため、時とともに事態は沈静化していった。

 

 けれど、誰もがその熱狂を覚えている。

 その眩い光輝により焼き付けられた憧憬を忘れることなどできやしない。

 

 聖なる光。その名に違わぬ偉大なウマ娘の名はセントライト。

 

 デビューから一年も経たずして引退し、現在は中央トレセン学園の生徒会長として、日々ウマ娘たちを影から支えていた。

 

 王冠はいずれ朽ち果て、いかに輝かしい栄光も翳りを見せるだろう。

 

 セントライトは自らの役目を果たすことができた。

 無論、一介のウマ娘としてその後のキャリア────帝室由来の格式高いレースへ惹かれる彼女自身がいることも確かだ。

 だがそれ以上に、自らが掲げた光を次代に引き継がなければならないという強い思いが、セントライトに勇退を決意させた。

 

「勿体ないねえ。ま、春前に風邪を拗らせて引退したアタシが言えたことじゃないが」

 

Don't be so modest(ご謙遜を)。卿が齎した光もまた、多くのウマ娘を導くことでしょう」

 

「だといいんだが、他人に連闘を勧めるのはなぁ。ああいや、これもアタシが言えたことじゃないのは分かってはいるんだがね」

 

「Even so……夢とは、(ほまれ)とはそういうものでしょう。卿やわたくしも、機会を逸し掴むことのなかった夢に、幾星霜を経ても焦がれるはずです」

 

「掴むことが()()()()……ねえ。アンタらしい」

 

「史上最強と名高き卿ほどではないかと────クリフジ」

 

「おお怖い。アンタの光に焼かれた純真無垢な新入生(ひよっこ)たちに見せてやりたいよ。これが()()だってね」

 

 栗毛をなびかせる長身のウマ娘、クリフジは不敵に笑う。

 

 デビューの時期こそセントライトとは重ならなかったが、クリフジも同じく日本に新たな光を灯したウマ娘だ。

 日本ダービー、オークス、菊花賞というクラシックにおける変則三冠を達成した存在であり、引退まで無敗を貫き通した名実共に最強が過言ではないウマ娘。

 セントライトとて12戦9勝2着2回と連対率は9割を超え、残りの1レースも3着という突出した戦績を誇っていた。

 

 三冠を誇る名バ二人が屯する生徒会室に、好戦的な空気が横溢する。

 敵対的ではない。ウマ娘の本能を極限まで純化させたような、いまだ冷めやらぬ闘志の残滓が燻っており、『夢』を語ると二人はどうしても熱くなってしまう。

 

 そんな生徒会室の空気を打ち切ったのは、規則正しい足音でやってきた人物による、これまた聞きなれたノックの音であった。

 

「どうぞ、開いてますよミノルちゃん」

 

「失礼します。あら、副会長もいらしたんですか」

 

 途端に張りつめていた空気が弛緩する。

 生徒会室を訪れたセントライトたちの後輩たるウマ娘、トキノミノルは持参した角2封筒をセントライトに手渡した。

 

「遅かったじゃないかミノル。またイツセイに絡まれでもしたか?」

 

「もう、クリフジさん! いつも彼女を焚き付けて、私だって大変なんですからね?」

 

「It's all right。彼女と卿は確か……そう、竹バの強敵(とも)という、互いに得難き存在です。わたくしやクリフジも出会いに恵まれましたが、ミノルちゃんほどではないでしょう」

 

「セントライトさんまで⋯⋯」

 

 トキノミノルは困ったように眉尻を下げる。クリフジの揶揄いは日常茶飯事だ。

 対抗心を燃やすウマ娘たちを焚き付け、トキノミノルはその度に併走で勝ち続けてきた。

 クリフジが齎した変則三冠もまた、セントライトに比肩する偉業であり、トキノミノル自身も先達として彼女を尊敬している。

 

 ただ、世間一般が認識する女傑のイメージとは裏腹に、クリフジはどこか人好きのする()()()()の持ち主であった。

 綺麗に言葉を着飾るのなら気さくで大らか、高貴な雰囲気をまとってるセントライト以上に親しみやすい。

 ただ、トキノミノルやセントライトなど、親しい間柄にはその()()()()をいかんなく発揮する悪戯好きな一面もあった。

 

 クリフジに対し、先輩として確かな敬意を抱いているトキノミノルは格好の獲物である。

 セントライトほど上手に受け流すこともできず、いっそのこと焚き付けられる側のウマ娘たちのように盲目にクリフジの偉大な一面だけを知っていれば……というのは後の祭りで、毎度のように彼女の揶揄いの的になっていた。

 

「ん? その書類は? アタシだけ仲間ハズレかい?」

 

「いえ、これは⋯⋯」

 

 冗談半分、後進への気遣い半分。

 クリフジの視線はセントライトに手渡された書類に向かう。

 

 未だ中央トレセン学園は、入試すら始まっていない新学期への過渡期だ。

 生徒会の一員として、クリフジも新入生の情報を閲覧する機会は少なくない。

 

 紛れもない貴族であるセントライトほどでなくとも、クリフジやトキノミノルも名家に近しい家柄の出身だ。

 レース界において名家が果たしてきた、或いは現在進行系で担っている役割は決して小さくはない。

 

 この中央トレセン学園も、門戸を開く姿勢を示して多くのウマ娘を受け入れているが、やはり名家に蓄積された環境や育成ノウハウから、一般出と名家とでは否定できない『差』が存在している。

 

 だから、せめて機会だけは平等に与えられるべきだとして、多少の強権を用いてでも、セントライトを中心にクリフジたちは新入生の選考に多少の口出し⋯⋯程度のことはしている。

 

 そういった現状であるが故に、彼女たちは決して一人の生徒を贔屓することなどあってはならないし、するつもりもなかった。

 

 たとえ身内だろうと能力、人格、品性などが中央トレセン学園に相応しくないのであれば、容赦なく選考から外すよう口添えするだろう。

 或いは、いずれも満たす素質を兼ね備えていようと、実技による選抜で挑んだウマ娘の結果が振るわなければ、やはり果断な措置を通達する他ない。

 

 だから、今こうしてトキノミノルやセントライトが、忙しい時間を割いて一介の新入生の情報を精査しているのだとすれば。

 

 それはよほど、複雑な事情を抱えているに違いなかった。

 

「────I see。ミノルちゃんの苦心もようやく実ったようです。クリフジ、卿にも共有すべきでしょう。この場にいないヒサトモには、追って私から伝えます」

 

「ヒサトモだって? なんでアイツが⋯⋯まさか、あの子か?」

 

 刹那、クリフジは冗談交じりの笑みを消し、険しい表情を浮かべる。脳裏に過るのは、どこまでも鮮やかな、赤い髪を靡かせるウマ娘。

 

 急に声を顰めたクリフジへと、トキノミノルはバツが悪そうに顔を伏せ、セントライトは静かに瞑目したまま毅然と無言を貫いていた。

 

 その様子にクリフジの怒りも募る。普段は決して見せない怒気を滲ませていた。

 

 重々しい空気にトキノミノルは消え入るような返答しかできない。たとえ、それがクリフジへと火に油を注ぐ反応だったとしても、自らの不誠実を虚飾することだけはしたくなかったから。

 

「⋯⋯ええ」

 

「おい、()()()() ミノル、セントライト。結論は出しただろう⋯⋯! あの子が億劫なら、決して無理強いはしないと、他ならぬアンタらが望んだじゃないか!」

 

「You're absolutely right。フルールドシエル(かのじょ)とて、何者かに強制されて走るような性分ではないでしょう」

 

 まるで全てを見知っているかのような物言いだった。

 暗い表情を浮かべるトキノミノルとは対照的に、セントライトは平素と変わらない、超然とした佇まいを崩さずに告げる。

 

 それが余計、クリフジの怒りを煽った。

 

 だが付き合いの長さは伊達ではない。

 そんなセントライトの態度が、トキノミノルではなくセントライト自身へとヘイトを向けるようコントロールするためだと理解できてしまう。

 

 だが、クリフジとて譲れない一線がある。

 どちらかが悪いとか、そんな単純な善悪の話ではなく。

 

 多くの人々に夢を与え、夢を見せ────数多のウマ娘たちの夢を砕いた果てに得る栄誉を知るからこそ、クリフジと同等の視座を持つはずのセントライトへの憤りをどうしても払拭できなかった。

 

「それがどうした。私やヒサトモが納得するとでも? カイソウは? アイツはアタシたち以上にあの子へと入れ込んでいた。ある意味ではミノル、お前よりもだと断言できるほどに」

 

「⋯⋯存じています」

 

 名家の直系でなくとも、その傍流は広く中央のレース界に根を下ろしている。

 フルールドシエルというウマ娘と親しいトキノミノルは、必然、彼女の親族にあたるカイソウやヒサトモらと知己であった。 

 

 だから、トキノミノルは誰よりも知っている。

 

 シエルにかけた呪縛で自分一人だけが恨まれるのなら、自分一人だけの罪咎ならばどれだけマシか。

 カイソウやヒサトモ、そして沈黙を用いて雄弁に語るセントライトと────義憤に駆られるクリフジ本人でさえも。

 

 天の(はて)を渇求するウマ娘の業からは逃れられない。

 どこまでも駆け抜けて、理解も想像も置き去りにし、ただ()()()を往くシエルの走りに魅了されてしまうのだと。

 

「アタシだって、あの子の走りを否定したいわけじゃない。お前との併走だって見たさ。間違いなくあの子は時代の寵児、本格化前でありながら既に領域(ゾーン)に目覚めている」

 

 トキノミノルはクリフジの言葉を首肯する。

 

 未だ、まともにトレーニングをしていない幼いだけのウマ娘と、本格化の兆しが見え始めた頃のトキノミノルとの併走。その立会人にはクリフジやヒサトモらもいた。

 

 トレーニングどころか併走すら初めてだったフルールドシエルは、トキノミノルとの併走で領域を発現し、その認知は競争相手ではないクリフジにも及んでいた。

 

 まさしく、トゥインクル・シリーズで走る前から新たな時代を予感させる天賦の才。

 それはクリフジでさえ認めざるを得ない天稟であり、揺るぎない信実だった。

 

 しかし、このタイミングまで沈黙を保っていたセントライトが、唐突に言葉を挟む。

 どこか達観したような、遠い場所を眺めるような哀愁を眼差しに宿しながら。

 

「Let me just add one more thing、あの子が領域(ゾーン)に目覚めたと言うのは……些か語弊があるでしょう」

 

 神妙な声音。静謐な眼差しには翳が差す。セントライトの物憂げな相好は、つい先程まで超然としていた佇まいから掛け離れた、彼女自身の胸中を示唆するようだった。

 

 クリフジも、トキノミノルも口を噤む。思慮深く慈悲深く、されど剛毅果断な才媛たるセントライトをして、フルールドシエルというウマ娘の才覚と危うさに憂慮を覚えずにはいられないらしい。

 

「『領域』を発現したところで身体能力以上の成果を発揮できるわけではない。限界の先と称されることもありますが……卿等であればよくご存じかと」

 

 無言の首肯。セントライトと同様に時代を築いたクリフジと、既に『領域』に目覚めているトキノミノルは黙して認めるしかない。

 

 『領域』があれば体調不良を覆せるわけでもなく。ガラスよりも脆く儚い両脚が剛健になることもない。

 

 身体能力の潜在ポテンシャルをいくら引き出すことができようが、本能と理性のせめぎ合いを完全に掌握できようが、不条理な現実からは逃れることなどできやしなかった。

 

 だから、ウマ娘は弛まぬ研鑽を積み重ねる。純然たる走力こそが勝負の要であり、『領域』の有無でレースの勝敗が決することは無いのだから、手段の一つでしかありはしないのだ。

 

「果たして、シエル(あの子)はどうでしょう。本格化前でありながら、既に純然たる走力は私達に匹敵していました。それも、10歳(かつて)の並走時点で。領域があるから? いいえ、年端もいかぬ体躯がハンデとならないほどのストライドを繰り出す脚力、コーナーリングと加速の一切を無駄なく行うピッチの最適化。どちらも────あの子の『領域』とは全くの無関係だとしたら?」

 

「は? まるで……走力だけで、『領域』を発動したミノルに迫ったような物言いじゃないか。引退したとはいえ、『領域』を見間違えるほど耄碌したつもりはないんだが」

 

 クリフジの憤りは鳴りを潜めた。

 

 突拍子もないセントライトの非現実的な推測は、クリフジでなくとも常人に理解は及ばない空想の域にある。

 年端もいかないウマ娘と、既に才覚を示し本格化の兆候が見え始めたウマ娘の併走で、まさか前者こそが純粋な走力における勝者だといえのは───荒唐無稽な与太話にしか聞こえない。

 

 けれど、当事者たるトキノミノルだから分かる。分かってしまう。

 嫉妬も憧れも置き去りにするシエルの走りは、過去も現在(いま)も、そして未来さえ、永遠に追いつくことはできないのだと。

 

「───会長の仰る通りです。あの子……ルドシちゃんの『領域』は、走力そのものになんら関与しません」

 

 信じられない。与太話にしてはハッタリが過ぎる。セントライトが言葉を紡ぐ間は懐疑的だったクリフジも、並走をした当人であるトキノミノルの言葉には困惑を隠せない。

 

 なにせ、トキノミノルこそ次の時代を築くウマ娘であることは自明なのだ。セントライトやクリフジに比肩する偉業を成すに違いないと、誰もがその強さに夢を見ている。

 

 それこそ、後の世にトゥインクルシリーズの盛衰が語られるならば、間違いなくトキノミノルの名だけは確かに刻まれる。顔を忘れられようと、その走る姿が霞んでしまっても、その強さに人々は魅入られてしまう。

 

 そんな、ウマ娘が。

 

フルールドシエル(あの子)の『領域』は───あらゆる『領域』の()()()を行く。ただ、()()()()の『領域』なんです」

 

 『それだけ』という言葉の重みを、知らない筈がないのだから。

 

「……仮に、そうだとしても。どうして今になって、あの子は入学を意思表示した?」

 

「自惚れていたのかもしれません。私も卿等も、あの子を分かったつもりになっていました」

 

「クリフジさん。あの子に()()()を求めてしまったのは私です。でも、あの子ほど強いウマ娘もいません。だってそうでしょう? 私の期待も、クリフジさんの優しさも、セントライトさんの配慮も……あの子はきっと、何もかもに囚われることなく、気付けば既に()()()にいるんですもの」

 

 ────嗚呼。こんな私達の杞憂さえ、彼女は既に置き去りにしているのかもしれませんが。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。