”闇の書”事件の最中に発生した、誘拐事件のお話です。
それは肌を刺すような冷たさを纏う秋風の吹き始めた頃の出来事。
破棄されて久しい廃工場、取り壊されず海鳴市の海岸沿いに点在しているソレの一つに、アリサ・バニングスと月村すずかは監禁されていた。
手首と足首を頑丈なロープで拘束されている彼女たちの瞳は虚ろで、意識が朦朧としていることが一目で分かる。
ひび割れた窓ガラスが海風の煽られて耳障りに軋み音を鳴らし、コンクリートがむき出しになっている床に、まるで投げ捨てられるように放り出されてせいか、身体の節々から鈍痛のような痛みが走る。それでも彼女たちは悲鳴を上げることも、拘束から逃れようともがく気配が見受けられない。
散乱する空き缶や壁紙が剥がれ落ちたむき出しの壁に描かれた品性のない落書きの数々。この場が、明らかに不良、或いは社会に対して不満のある人種のたまり場であることは間違いない。
何故そんな場所に彼女たちが監禁などされていると言うのか?
その理由は、彼女たちの閉じ込められた二階の部屋の外、出入り口を見張るように陣取ったスーツ姿の男と、彼の脇に控えるボディスーツのような出で立ちの女性
壁が所々崩れてしまっているためにほとんど吹き抜けの様になっている一階に金で雇ったチンピラを犇めかせている元凶たる男は、趣味の悪い純金製の腕時計を磨きつつ、傍らに直立姿勢のまま言葉も話さぬ
「くくく……まったく、ちょろいものだ。こうも容易く
自身も所属する本家……古より夜と血に塗れた闇の種族たる『夜の一族』、その末席に籍を置く男は、主である宗家の一人の命により、純血の『血の一族』の一人である月村 すずかの誘拐を命じられたのだ。だが、元来強欲かつ、独善心の強い気質であった男は、サポート役として与えられた限りなく人間に近い容姿の下に機械の身体を秘めた魂無き人形――『自動人形』――の力を自分の力だと錯覚し、分不相応な野心に目覚めてしまった。
即ち……自分こそが『血の一族』を支配する存在になるという、哀れなくらい愚かな偶想を抱いてしまったのだ。
男の幸運は、標的である月村 すずかが行動を共にする友人の中に、世界的大企業“バニングスグル-プ”の令嬢が含まれていた事。
そして、本家の連中がすずか誘拐に尻込みしていた最大の要因である裏の世界でも名の知れた凶悪にして痛烈な戦闘術『御神流』の使い手の一人が、現月村家当主でありすずかの姉でもある忍の恋人という関係性が存在しているからだ。
すずかを誘拐、拉致すれば、まず間違いなく御神流の剣士たちも動く。さらに、月村邸では現在でも稼働している自動人形のオリジナルとも呼ぶべき存在が二体も存在しているのだ。
それらの戦力は決して軽んじて良いものではない。だからこそ忍を煙たがり、彼女の本家における発言力の失墜を目論む旧時代的な老怪共は身内を人質に狙い、戦力を削り落とそうと目論んでいたのだ。だが、実行犯として用意された男の野心を見抜けなかったが故に、事態は混迷を見せることとなる。
男にとってもう一つの幸運と言えるのは、現在、忍が恋人である剣士や自動人形たちを連れて海鳴市を離れていたことだ。
大学生である忍は月村家当主としての側面を持ち、その名は裏の世界のみならず、表社会でも相当の影響力を有する。故に、会合やパーティーなどの行事に出席せねばならない義務が発生するのだ。特に今回は海外まで足を運ばなくてはならない“やんごと無い事情”というものがあったので、義務教育の最中であるすずかを残して忍、彼女のお世話係である自動人形『ノエル』、護衛の剣士、と言うか恭也は数日前から日本を離れてしまっているのだ。
自動人形の片割れである『ファリン』は、すずかのお世話係という役職上日本に残っているので、護衛という点では問題ないだろうと言うのが忍の推察だった。
だが、度重なる不運が、忍の甘い考えを粉々に粉砕してしまう事になる。
現実として、学校から帰宅途中のすずかとアリサは拉致され、それを察知して救助に乗り込んできたファリンは、最新の科学技術をつぎ込んで性能を強化させた自動人形によって機能停止にまで追い込まれてしまっている。優越感に浸る男が腰掛けるモノ……壊れたマネキンを積み重ねたかのようなそれこそが、ほわほわとした笑顔とドジっ娘成分が魅力的な月村家のメイド、兼、自動人形であるファリン……その成れの果てであった。
今や失われた古代技術の粋とも呼べる戦利品までもを手に入れることが出来たと言う事実、それもまた男に余裕を感じさせている要因だった。
与えられた
後は、余計な横槍の入る前にバニングス家に娘を誘拐した旨を連絡して、身代金を毟り取る。警察や子飼いのSP共がいくら嗅ぎまわろうとも、己に命令に絶対服従な
そんな男が人質であるアリサをあっさりと解放するつもりは、やはりと言うか毛頭持ち合わせていなかった。
男は眼差を這いずり回る知能の足りない劣等種……としか思っていない不良共に声を掛けた。
不遜な態度で呼ばれ、プライドだけは高い不良たちの口から文句の声が上がるものの、すぐに嫌悪感を感じずにはいられない類の下種な笑いを上げつつ、数人の見張りを残して男の元へと向かう。
錆び付いた階段を昇り、男に近づいてきた不良たちの顔は欲望によって醜く歪み、これからの“パーティー”を待ちきれないのか涎を垂らす者までいる始末。
男は内心でドブネズミの如き評価を下しながらも、表面上は友好的な笑みを浮かべて、少女たちが監禁されている部屋の扉を開いた。
後に続いて入室した不良たちは、“パーティー”の主賓たる『生贄』の容姿に感嘆の声を漏らし、口笛を吹く。
あらかじめ用意していたパイプ椅子に男が腰掛け、自動人形が未だ意識が覚醒していないすずかを脇に抱えて一歩下がる。
その傍らでは、不良の一人が取り出したビデオカメラの電源を入れ、これから撮影されるドキュメントの主役である少女……アリサへとレンズを向ける。
撮影の準備が整った頃を見計らい、男は芝居がかった手振りで両手を広げながら不良たちに向き直る。
「さて諸君。これから君たちにはとある芸術作品の撮影に協力してもらう。題名は、そうだな……『令嬢の惨瓜』などはどうだろう? 大人の階段を上る少女へと送る、最高の称賛ではないかな?」
どっ! と湧き上がる不良たちの不愉快な笑い声が廃工場に響き渡る。
彼らは心から楽しんでいた。バニングスグループの令嬢という高嶺の花を、自分たちの手で汚すことが出来ると言う暗い情欲。いささか幼くとも、それを差し引いて余りある美しい容姿の美少女を己が手で汚すことが出来ると言うシチュエーションを。彼らは心から楽しんでいたのだ。
「さ~て、それではまず、女の操が華散る瞬間のベストショットを撮影しようか。ああ、出来る限り生々しく頼むよ? 何せこれは、彼女のご両親にプレゼントしなければならないんだからね」
「は~い、質問っす! 妙に大人しいんすけど、クスリでもヤッたんすか?」
「ん? ちょっと反抗的だったからね。特性の筋肉弛緩薬を少々……。ま、大丈夫でしょ。壊れたらそれまでです」
「あ、あの~……そん時はこの子って……」
一瞬何を言いたいのか分からなかったが、すぐに納得を示すと形相に頷いて見せる。
「ん? ――ああ、その時はどうぞご自由に。君たちの好きな様な玩具にするといい」
雇い主からの了承を得られた不良の一人は、欲望に目を血走らせながらアリサのすらりとした肢体を舐めまわす様に視線を動かした。どうやら真正の幼女偏愛者だったらしい。
思い思いの情欲に駆られた不良たちの中に在って尚際立った反応を見せる高校生くらいの少年を、男は冷めた目で見下ろしながらこれからの予定をもう一度整理する。
まずはバニングスご令嬢の撮影会を済ませ、それを彼女の実家に送り付けて身代金を要求する……。
口先だけの誘拐ならばまだしも、愛する娘の純血が奪われる瞬間の画像を送り届ければ、こちらの本気を理解できるだろう。
警察連中が救出に駆けつけてくる可能性も懸念されるが、戦力的には
後は、アリサの身柄を
そして手に入れた金、すずか、ファリンを取引材料にして確たる地位と権力を手に入れる。
――くくく……! 無駄のない完璧なシナリオだ! まさに天啓という奴だな。
男が自己陶酔に浸っている間にも、事態は進行していった。
脅迫ビデオの撮影が開始されたらしく、欲望まみれの不良たちの手がアリサへと殺到していた。
彼女が抵抗できないことを良いことに、手足の拘束を解いた勢いのまま胸元のリボンを解かれ、着崩れた制服を剥ぎ取られていくアリサの瞳は変わらず焦点を失ったまま。
されども完全に意識を撃しなつている訳ではないようで、小さく開かれた桜色の唇から吐息と共に小さな声が零れ落ちる。
本人の意思に関係なく衣服を脱がされていることによる条件反射のようなものであったが、不良たちにはまるでか弱い小動物が嗚咽を堪えているように聞こえたらしい。
弧を描いていた一同の口端が更に吊り上り、もはや溢れる欲望を隠すつもりも失せてしまったらしい。
遂にアリサは年相応の可愛らしいシルクの下着以外の着衣を奪い去られてしまう。
ビニールシートの上に横渡る下着姿の美少女。
何とも幻想的でもある光景に、誰かが喉を鳴らす音が響く。
そしてとうとう、彼女の未成熟で果実を思わせる小さな膨らみへと男共の魔手が伸ばされ――
――ふん。どこまでも下種な連中だな。
罪なき少女が欲望の捌け口になろうと言う光景を前にしても、男に同情と言った感情は微塵も湧き上がってはこなかった。
人間と言う種族を下等生命だと断じている男にとって、目の前で繰り広げられる光景は『野良犬の群れに襲われるやんごとない血統のブランド犬』と言う構図にしか見えないのだ。
幼い少女に一生残る傷を負わせる事態に陥らせた者としては、あまりも許されざる思考。
されどそれを裁く権利を持つ者は、悲しいかな、この場には一人として存在していなかった。
此処に居るのは生贄になり果てた哀れな子羊と欲望に駆られた野良犬の群れ。魂無き人形と、主を守ることが出来なかった人形の成れの果て。
そして元凶たる人間モドキと――
「『
人ならざる人形師だけなのだから――!
「え?」
果たしてそれは誰の声だったのか。不良の内の一人であったことだけは確かだろう。
アリサに手を伸ばしていた者、カメラを構えていた者、少女を囲い、汚される様を見物しようと身を乗り出していた者。
一切の例外も無く、彼らの首が
否、それで終わりではない。人体の構造上、決して達してはならない首の関節の限界を超えた負荷が彼らの首に掛かり続けている。
それは徐々に肉を引き裂く様な不快な効果音と共に鮮血を生み出し、やがて不良たち全員の頭部と胴体を永遠の別れへと誘った。
人間がひとりでに首をねじ切られるという異常な光景を前にして、男の精神は完全な機能停止へと陥っていた。
その合間も、間欠泉の如き勢いで噴出し続ける鮮血が部屋を真っ赤に染め上げて、鉄分特有の鼻につく臭いを蔓延させる。
「な、なな……い、いったい、なにが……!?」
予想だにしなかった事態に狼狽し、血生臭い液体の水溜りの広がる床に尻餅をついた男がせわしなく視線を動かす。
この部屋には自分と
しかし、誰もいないのに人間の首がねじ切られると言う非常識な光景を目の当たりした男の頭は完全なパニックを起こしていた。
実はこの男、人間が死ぬ様を見るのが今回が初めてだったのだ。
『夜の一族』の中でも極めて闇に属する血の濃度が薄い男には吸血衝動が存在しなかった。
血が薄い故に、一族の深い部分にまで関わる機会に恵まれず、血生臭い事態に関わる機会も皆無だった。
要するに、口だけは形相な優越感に浸る発言を繰り返していた男の本質は、所詮そこらのチンピラと大層ないのが現状だった。
「うっわ~~、なに? なんなの? コレが吸血鬼ぃ~~? ハッ、期待外れもいいとこだね~~(嘲笑)」
滑稽な醜態を晒す男の背中に投げつけられる、嘲り混じり……いや、嘲りそのものとも呼ぶべき少女の声。
恐怖と驚愕が入り混じった視線を向けた先には、返り血を一切浴びていないおとぎの国の女の子の如き衣装の上に白衣を羽織った少女が、アリサを抱きかかえながら佇んでいた。
彼女の足元を中心にした一メートル四方には血飛沫の跡が一切存在しておらず、床を伝って流れる血液も、彼女の手前で、まるで見えない壁に阻まれるように彼女を避けている。
真っ赤に染まった室内に生まれた小さな円形の聖域に佇む少女は、頭に付けた機械的な猫耳をぴくぴく動かしながらすずかを抱きかかえたままの自動人形へと指を向ける。
「こっちおいで♪」
「了解です、マイマスター」
「なぁ!?」
指を曲げてこっちに来いと指招きする少女の命令に従い、すずかを抱えたまま
突如現れた不審者を排除するでもなく、むしろ本来の主に命を受けたかのような淀みの無い動きで少女の傍らまで寄ると、自動人形は恭しく傅いた。
それは主人を敬う最上級の礼。自動人形が少女を絶対上位者と認識している何よりの証。
それを見た男は、彼女を指差しながらまるで合点がいったとばかりに叫ぶ。
「そ、そうか! お前は一族の連中が送り込んだ奴だろう!? 俺の反旗を知っていやがったのか!?」
そうとしか考えられない。そう叫ぶ男の存在を
「何の事? ていうかそもそも、
「はっ……?」
「ま、何でもいいや。目障りだから死んどけ」
疑問に終ぞ答えてやることも無く、ルビーの放った真紅の糸によって、男は刹那の間も掛からずに首を跳ね飛ばされた。
身の丈に合わぬ欲望を抱いた男の、あっけなさ過ぎる終わりだった。
男が見下していた人間たちと同じ赤い血を撒き散らしながら宙を舞った男の首が、血の池と化した床に落ちて転がった。
ルビーは、要は済んだとばかりに踵を返して部屋の外へと向かう。その後ろに付き従うのはすずかを抱えた自動人形だった。
その首筋にはルビーの手元から伸びる真紅の操り糸。そう、自動人形はルビーの魔力糸を媒体としたハッキングを受け、主従プログラムを書き換えられていたのだ。
いかにオカルトに属する技術によって生み出された古の叡智の結晶であろうとも、
不良たち同様、『
ウキウキとした軽いステップで部屋を出たルビーは、目的のブツの片割れである『完全な自動人形』であるファリンをも見る。
ご丁寧に手足をもぎ取られた上で機能停止に陥っているものの、中枢部はほぼ無傷であることに気づいて、笑みを浮かべる。
「……ぅぅ」
研究者魂が触発される
振り向けば、自動人形が両脇に抱えるように運んでいるアリサとすずかの呻き声であるのが見て取れた。
どうやら、クスリとやらの効果が切れ掛けているらしい。
ルビーはめんどくさそうに頭を掻き、されどすぐに意識を切り替えて己の目的を果たすために動き出す。
まずは懐から取り出した空の注射器、血液検査で使われるような三本の注射器に、意識の無いすずかの血液を採取していく。
これが、彼女がここに来たもう一つの理由。
『夜の一族』の中でも血の濃度が濃いいすずかの血液をサンプルとして採取すること。
純粋な吸血鬼はこの世界に存在していない事を突き止めたルビーは、妥協点として月村に連なる吸血種の血液の入手を目論んだのだ。
誤算があったとするなら、いざルビーが接触しようとするよりも早く、変質者(だと彼女は思っている)に誘拐される
せっかくの玩具を脇から掻っ攫われたように感じたルビーは、この廃工場にたどり着くなり一階部分で見張りをしていた不良たちを始末、斬り飛ばされた首から記憶を読み取って経緯を知ると、そのまま邪魔者の排除に乗り出して、今に至る。
アリサを救ったのはほんの気まぐれだった。彼女にとってアリサと言う少女は微塵も興味を感じない有象無象の一つでしかないが、流石に女としての矜持という点から、変態共の行為を見過ごすことが出来ず、結果として救助することになった。
らしくないなー、と少しだけ呆れつつも、血液採取と並行して行っていたファリンからのデータ吸い上げも恙なく終わらせるルビーの手腕は、天才と称される忍ですら感嘆の声を上げるほどのレベルだと言える。
採取した血液サンプルを白衣の内側に忍ばせ、アリサとすずかを床に下ろさせた自動人形に接続したままの『
途端、自動人形の身体のサイズが大きく変容を遂げた。
姿形は変わらないまま、まるで某未来的青狸の打ち出の小槌っぽいライトの様にみるみるサイズが小さくなっていく。
この非常識な光景もまた、『
『
ルビーは、『自動人形の大きさ』と言う概念を操作、改変し、白衣のポケットにも収まるさサイズの姿こそが正しいのだという風に世界の概念を書き換えたのだ。
無論、世界の理を上書きしているようなこの状態を維持するのには相当の魔力が消費されてしまうが、“Ⅳ”を倒すことで保有魔力を増大させた今の彼女には、この状態を数日間もの間、維持し続けることが可能となっていた。
スモールサイズの自動人形に動かないよう命じた上でポケットに仕舞込むのとほぼ同時に、二人の少女たちの意識もゆっくりと覚醒していった。
「ん、んんっ……ぇ? わ、わたし……っ!? アリサちゃんっ!?」
先に意識を取り戻したのはすずかだった。
拘束を解かれていたすずかは、クスリの影響で未だに鈍い痛みが残る頭を抑えつつ辺りを見わたし、すぐ隣で倒れている下着姿のアリサを見つけ、悲壮さすら漂わせた叫びを上げる。
それが切っ掛けになったらしく、アリサの方も徐々に感情の色を瞳に映し出していく。
「ぅ……っ、くしゅん! うぅっ……さぶ、い……え?」
肌を撫でる秋風の刺すような冷たさに意識を取り戻したアリサは、涙を零しながら抱き着いてきたすずかを抱き留めつつ、意味が分からないとばかりに首を傾げる。
実は、彼女たちが拉致される際、アリサの方が先に睡眠薬を嗅がされて意識を失っていたのだ。この廃工場に連れ込まれた後も、目を覚ます前に別のクスリを打たれてしまっていたために、アリサにはまったく事情が分からなかったのだ。
対するすずかはと言うと、アリサが捕えられた際に主犯である例の男にお約束とも言える『友達を傷つけられたくなければ大人しくしろ』というやり取りを交わしていた事や今のアリサが下着姿だと言う状況から、自分のせいで巻き込まれてしまった彼女が酷い目に遭わされてしまったのではないかと言う恐怖に支配されてしまっている。
その様子をファリンの残骸に腰掛けて頬杖をつきながら眺めるルビーからすれば、アリサの声色から乱暴されたかどうかが分かるものだろうと思う所だが、いくら人外の血に連なるとは言ってもすずかは幼い少女でしかなく、科学者として冷静な判断力を備えた彼女と同レベルのものを求めるのは酷というものだろう。
「ちょ、すずかってば! 落ち着きなさいって――ぁ」
大声で泣き散らすすずかを抱きしめて何とか宥めようとするアリサの視線が不意に、ルビーのそれと交叉する。
「……」
「……」
「……あ、気にせずに続けて?」
「いや、そこは助けなさいよ!?」
あんまりな言い分に思わず素のままツッコンでしまうアリサ。
ルビーはアリサの小生意気な反応を面白そうに眺めていたが、いいかげんに泣き声が喧しくなったのか、足元に転がるコンクリートの破片を掴み上げると、手首のスナップを返してすずか目掛けて放り投げた。
「ちょっ!?」とアリサが悲鳴を上げるよりも早く、血の匂いに吊られて本能が鎌首を擡げ始めていたすずかの手刀が、迫る破片を粉微塵に粉砕した。
言葉を無くすアリサの目には、瞳を真紅に染め、口元から犬歯が伸びたすずかの姿が映り込む。
すずかがそれに気づいた時にはもう遅い。慌ててアリサから身体を離し、怯えるように自分を抱き締めたすずかはの真紅に染まった瞳からとめどなく涙が溢れ出していく。
――見られた。知られた。怖がられた……!!
すずかの心を埋め尽くすのは“恐怖”。
大切なお友達に化け物と呼ばれて蔑まれ、恐怖と憎悪の込められた目を向けられる。
それはすずかにとって何よりも耐え難い地獄。近しい人たちに拒絶されることを何よりも恐れる、幼い
すずかの突然の豹変に意味が解らず困惑するアリサの疑問に答えたのは、すずかが目覚めたと言うのに彼女の家族に腰掛けたままのルビーだった。
まるで常識を解くような軽い口ぶりで説明を始める。
「簡単に言うとさぁ、そいつは『夜の一族』って呼ばれる吸血鬼の一族なんだってさ。お前も見たでしょ、真っ赤な瞳に、体液を啜る牙を」
「な、き、吸血鬼って……、そんな馬鹿な事!?」
「喚くな、吼えるな、口を挟むな。私は事実しか言ってないし。そいつの怯えっぷりが何よりの証明でしょ~? 大方、隠してきた化け物だっていう事実を知られて、拒絶されんのを怖がってんじゃないの~?」
人は異質である存在を拒絶する。
だが、ルビーの声色に恐怖や嫌悪と言った感情は感じられない。どこまでも淡々としたものだ。
財閥の子女としてパーティーなど多くの大人と接する機会があったアリサは、人の悪意に敏感だ。
彼女を私利私欲のために利用しようとする者、偽りの情報を与えようとする者からは総じて嫌な印象を感じ取っていた。だが、ルビーからはそんなものが感じられない。
つまり彼女の言葉は見紛うこと無き真実であり……それはつまり、
すずかは何も語らない。両膝を抱えて俯いたまま、震え続けている。
平然としたまま淡々と真実だけを述べたルビーには、すずかを励ましたり、労わるつもりは毛頭なかった。
アリサに事情を説明したのも、単にポケットの中で発動させた転移魔法によって自動人形をアジトへ転移させている間の暇つぶし以上の意味はなかったからだ。
すずかの価値は彼女の血液を採取した時点で消失しており、アリサに至ってはアウトオブ眼中。
しいて言えば、真実を知らされてあわや純血を失いかけたアリサがすずかにどんな態度をとるのかに興味が湧いたくらいだ。
故に、自動人形の転移を無事完遂させた彼女は立ち去らずに事態の推移を観察しているのだ。
フォローする気配の無いルビーから怯えを見せるすずかへと視線を戻したアリサは、下着姿である事にも関わらず、羞恥を堪えながら立ち上がるとすずかの元へと歩みを進める。
すずかの傍らまで近づくと、俯いた彼女の頭を両手で挟み込むように掴んで強引に顔を上向かせた。
涙に濡れた真紅の瞳に、覚悟を決めたアリサの顔が映る込む。
「あ、アリサちゃ――うきゅっ!?」
「おお!? なんと見事なヘッドバッド!」
一転して好奇の色を瞳に映したルビーが見つめる先では、すずかの額に自分の額をこれでもかっ! と言う勢いで叩き付けたアリサの姿があった。
違う意味の涙を流しながら赤くなった額を抑えるすずかを、漫画なら間違いなくビシッ! という効果音がバックに描かれているであろう勢いで指差したアリサは、感情をぶちまける様に叫ぶ。
「よく訊きなさい、すずか! 正直私は今混乱してる! 学校の帰りにいきなり誘拐されたかと思ったら、なんでか下着姿になってるし! こんなボロい建物に連れ込まれてるし! 妖しいネコ耳白衣なコスプレ女もいるし! おまけにアンタが吸血鬼!? 『夜の一族』!? はっきりって、急展開過ぎてぜんっぜん意味わかんないのよ!」
「あ、アリサちゃん、お、落ち着いて「シャラップ!」――はい」
限界突破してしまったアリサを止めることなど、何者にも不可能なのだ。
自然に正座になってしまったすずかの前で両手を腰に当てて仁王立ちしたアリサのお説教はまだまだ続く。
「そもそも、どうしてアンタがそこまで怯えなきゃならない訳!? アンタ吸血鬼なんでしょ? だったら私の血を吸って言いなりにさせるなり、催眠術とかに掛けて記憶を消したりすればいいじゃない」
「そんなことできる訳ないよおっ!? そりゃあ、一族の秘密をしられてしまったら、記憶を消さなきゃならない場合もあるけどっ……! 私はっ! 友達にそんな事したくないもんっ!」
「――じゃあ、何が問題なワケ?」
一転して静かな声色で問われたすずかがキョトンとした惚けた顔を見せる中、屈んで彼女と視線を合わせたアリサが続ける。
「私は貴方を……『月村 すずか』っていう女の子を心から大切な友達――親友だと思ってるわ。これは何があろうと絶対に覆らない
普通でない? ――それがどうした。
人間ではない? ――それも個性じゃないか。
化け物が怖くないのか? ――――友達を怖がる必要がどこにある?
アリサにとってすずかはすずかでしかなく、それ以上にもそれ以下にも成りえない。
例え彼女が、物語に登場するような永遠を生きる不死の吸血鬼であったとしても、アリサが彼女に抱く友愛に揺らぎなど存在しうるはずも無い。
『ありのままを受け入れる』
ア
リサの伝えたい想いをすずかは己の心で受け止めた。
と同時に溢れ出す涙……だが、それは先ほどまでの恐怖と怯えからくる類のものではなかった。
それは“歓喜の涙”。心のどこかで諦めていた本当の友達を見つけると言う願いが叶ったことによる優しい涙。
嗚咽を溢す
自分の周りにいる人は誰もが一癖も二癖もある困り者集団。
隠し事、声を大にして言えない秘密を抱えた厄介極まりない人々。
――まったく、常識人である私が苦労するのはある意味で当然の事なのかしら?
『財閥のお嬢様』『ツンデレ』『リーダー気質』『帰国子女』というかなりのハイスペックを誇る彼女もまた、十分に変わり者であると言えることに本人だけは気付いていなかった。
「へぇ~? ユウジョウってヤツ? 見物する分には結構いい見世物かもね~」
心地良い空気を木っ端微塵に打ち砕いたのはやはりと言うか彼女だった。
吸血鬼娘を抱きしめる金髪半裸娘って誰徳? と空気を読まなさすぎる感想すら抱いていたルビーは、振り向いてきた二人に向けて、ふと気になったことを尋ねる。
「てかさ~、何で吸血鬼ってコトを隠さないといけないワケ?」
「え? だ、だって普通は怖がられるものですよね、人間じゃあないんですし……」
「すずか! アンタはまた……!」
「ち、違うんだよアリサちゃん! アリサちゃんの気持ちはものすごく分かったし、嬉しいよ!? でも……皆がアリサちゃんみたいに優しい訳じゃないのも分かるから」
「あ……」
アリサは自分の考えの甘さに溜息を吐きたくなった。
自分はすずかという女の子の事を良く知っているから彼女を受け入れられた訳であったが、何ら無関係の人たちからすれば、吸血鬼というイメージが先行して恐れてしまう可能性の方が大きい。
それを考慮した上でのすずかの言葉だったのだとアリサは理解し――再びルビーから放たれた予想外の台詞に言葉を無くすことになる。
「ん? 何言ってんのさ、オマエ? ボクが言ってるのは有象無象の反応なんかじゃなくて、お前自身が吸血鬼って事を隠してる理由は何だって事なんだけど?」
「は、はぁ? あのー、貴方が何を言いたいのか全然分からないんですけど……て云うかそれ、同じじゃないの?」
「え? 何処が? お前らの言いたいのは『他の連中から怖がられるから正体を隠さないといけない』って事でしょ? ボクの質問は『
「自分を……偽る、ですか?」
「ん? ボク何か変なこと言った?」
心底意味が解らないと首を傾げるルビー。
アリサとすずかは年不相応に優れている頭脳をフル稼働させて彼女の言葉の意味を分析していく。
そして理解した。彼女の問いの本質、それが何を意味することなのかを。
「わ、私は……『夜の一族』で吸血鬼だっていうコトはどうしようもない事実です。でも、私は人間の近くに、人間たちの作り上げた世界で生きていきたい。暖かな光の下で、人生を歩んで生きたいんです。だから――」
「自分を偽って、我慢するんだ、って? ――バッカじゃないの?」
ルビーは肩を竦めた。呆れてものも言えないと言わんばかりの態度を全身で表現している。
「
「自分を……受け入れる……!? で、でも私は」
「吸血鬼? それとも化け物? ……んで、それがどうしたっての? お前ら周りを気にし過ぎ。そもそも、世界ってモンの中心は自分なんだぜ? それなのに周りの目ばっか気にして愛想良くして生きてくのがオマエの幸せな人生なワケ? そんなのボクは御免だね。折角生きていられるんだ。面白いことをトコトン楽しんでこその人生だろ~~♪」
人生というものは、確かに数多くの人々との出会いと別れを繰り返して歩いていくものだ。
外的要因によって千差万物に道筋を変える
そう――『月村 すずか』の人生は『月村 すずか』だけの物であり、本人が楽しんで
すずかは確かに
だが、それでも――自分自身すらも嘘で塗り固め、いろいろな物を堪えて生きていく事が本当の幸福であるはずが無い。
古来より、幸せを掴む事ができた存在は総じて我儘で、我を押し通したが故にそれを成し得たのだから――!
「他の誰でもない、オマエ自身がありのままの自分を受け入れてやれよ。友バレするにしても何にしても、まずはそこから始めるべきなんじゃないの~?」
「――そう、ですよね」
言い方はかなりキツく、思いやりとかも感じられない辛辣な物。
でも、すずかもアリサも気づいていた。彼女の言葉の正しさを。
すずかの出自について、たしかにアリサは受け入れた。
だがそれは、
もしルビーが指摘しなければ、すずかはアリサに依存していたかもしれない。自分でも受け入れられなかった真実を受け止めてくれたアリサと言う存在に、自分の背負う全てを委ねることも厭わぬほどに。だがそれでは駄目なのだ。何故ならば、『友』とは想いを重ね、お互いを支え合いながら時にすれ違い、時に手を取り合って運命と言う定めを歩いていく存在なのだから。
故に、対等でなければならない。何よりも、その関係こそが彼女たちの望む自分たちの在り様なのだから。
「――アリサちゃん、もう一度だけ言わせてくれますか?」
真剣な表情を浮かべたすずかと向かい合ったアリサが、頷く。
深く深呼吸をして胸の鼓動を収めると、覚悟を決めた表情のすずかが問う。彼女たちの“本当の一歩”をこれから歩むために。
「私は『夜の一族』という吸血鬼の一族です。アリサちゃん、こんな私でも……お友達に、手を取り合ってくれますか――?」
その答えはもう決まっている。
すずかの手を取って胸元に引き寄せると、自分の手で包み込むように握りしめながら、本心からの問いに応える。
「もちろんよ。貴方、月村 すずかは、私、アリサ・バニングスにとってかけがいの無い親友なんだから!」
アリサが浮かべる笑顔はまるでお日様の様に暖かくて。
それに虚構は一切含まれていないと確信できる
言葉以上にお互いの心が通い合う何かが、確かにそこに在るのだと感じられた。
だから、すずかは――涙を流す。
“本当のお友だち”
心の隅で己には手に入れることは出来ないと諦めかけていた
吹き込む風の冷たさすら気にならぬ心に宿った確たる暖かさに身を委ねながら、額を擦れ合わせるほど身近な親友と顔を見合わせて――笑い合う。
こんな辺鄙な場所で結ばれたとは思えぬ、果てしなく高潔なる誓いの儀式。それが生み出すのは、人と吸血鬼の間に紡がれし確かな“絆”。
永久に砕かれぬ“縁”と言う名の誓約が、
「つ~か、
「うわっ!? そういや、忘れて――ぎゃぁああああっ!? ファリンさんがバラバラにー!?」
「ファリーン!? ど、どうしよう、どうすればいいのかな、アリサちゃん!? 接着剤で治せるかな!?」
「プラモデルかっ!? アンタ、自分ちのメイドをなんだと思ってんのよ!?」
「ま、ボクなら治せるけどね~~♪」
「「治せるのっ!?」」
――その後、事切れた不良たちの携帯を使って通報している間に、興が乗ったルビーによってファリンが完全修復(彼女を破壊した自動人形に関する記憶は消去済み)されて、彼女たちが警察に保護される頃には、ルビーの姿はまるで風の様に消え去っていたのだった。
アリサとすずかは願った。いつかまた、
……まさかそれが、クリスマスイブの夜、異世界から来訪した機動戦艦の中で訪れることになろうとは、この時の彼女たちは勿論、ルビーですらも予想だにしていなかったのだった。
まさかのルビーさん説教タイムとは……ま、本人は言いたいことを言っただけですが。
ルビーさんは自分の愉快犯的思考などの異常性を理解していますからね。
そんな自分を受け入れた上で、今を楽しんでいる彼女からすれば、自分の本質に怯えるすずかの在り様が気に入らなかった訳です。
そして、アリサとすずかが『なの・フェイ』や『アリ・シュテ』並みにラブラブな関係になりそうな予感が……。
きっと彼女たちは、地球でラヴラヴな愛・フィールドを形成してくれることでしょう。