旧校舎の図書準備室。
開け放たれた扉の先には、かつて確かにユウが腰掛けていたあの長椅子。だが、彼女の姿はもうなかった。
代わりにそこには、俺の記録ノートのコピーが数冊、整然と並んでいた。
「……これ、俺のじゃない」
手に取ったノートの表紙には、確かに俺の字がある。だが中身は──違っていた。
記述の内容は、俺が実際に記したものとは似て非なるものだった。出来事の順番が入れ替わり、些細なやり取りが変化し、まるで“別のアキラ”が記録したようだった。
「これは、もう一つの……」
思考が止まりかけたその時、視界の端に“影”が揺れた。
振り返った先──窓の外。
誰かがこちらを見ていた。
女子生徒。黒髪、無表情、けれど明確な“意志”を持った視線。
先週現れたあの少女か──否、それとも?
俺は咄嗟に準備室を飛び出した。
階段を駆け下り、旧校舎の渡り廊下を抜けて、窓のある中庭へ。
だが、そこに彼女の姿はなかった。
「……待てよ」
代わりに、石畳の隅に落ちていたもの──それは、封筒だった。
俺の名前が、丁寧な筆跡で書かれている。
中身を取り出すと、そこには一枚の手紙と、懐中時計。
手紙の内容は、以下の通りだった。
『アキラくんへ。
あなたがこの手紙を読む時、私はもう“境界”の向こう側にいます。
ユウではありません。けれど、あなたを見ていました。
あなたが記録を重ね、選び、悩んで、それでも前を向こうとしたこと──私は、それを知っています。
この時計は、時間の中に潜む“鍵”です。
ゼンマイを巻いて、目を閉じてください。
そうすれば、私はあなたに“答え”の欠片を渡せるかもしれません。
——君が、ここにいることを証明して』
読み終えた俺は、震える手で懐中時計を包み込んだ。
重みが、現実を感じさせる。
俺は静かにゼンマイを巻いた。
カチリ、カチリ、と機械の音が静かに鳴る。
目を閉じる。耳を澄ませる。
次の瞬間、脳裏に“光景”が流れ込んだ。
……白い教室。
……止まった時間。
……無数の時計。
……ユウが泣いている。
「やめろっ……!」
俺は時計を放り出すようにして飛び起きた。
気づけば、夕暮れの準備室に立っていた。
懐中時計は、元の場所──封筒の上に戻っていた。
時間は進んでいなかった。
俺は──境界を、見たのか?
それとも、記憶を投影されたのか。
ノートに、こう記した。
『“選ぶ”だけでは、足りない。境界を超える覚悟がいる』
ループは続く。
けれど、変化は確実に進行している。
俺だけではない。
この世界に、“もう一つの視点”が生まれようとしている。
それが、ユウの消失と関係しているなら──俺は、もう止まっていられない。
懐中時計を握りしめて、俺は次の月曜日を待った。