空気が、変わっていた。
いつもと同じはずの月曜日。けれど、教室の時計の針が、数秒だけ遅れて動き出した。
それを見た瞬間、俺は悟った。
──もう、“閉じた構造”が破れかけている。
「終わりが、近いんだな……」
独りごとが、教室に滲んだ。
誰も気づいていない。クラスメイトは笑い、教師はいつもの注意を飛ばす。
だが俺は、その中で唯一、“ここが崩壊しつつある”という現実に触れている。
いや、俺だけじゃない。ユウも、だ。
『次が最後』
──彼女が残した言葉は、嘘ではなかった。
放課後、俺は旧校舎の焦げ跡の教室へ向かった。そこはもう、“境界”とは呼べないほどに不安定な空間になっていた。
床が波打ち、壁が透け、光が滲んでいる。
そこに、彼女はいた。
ユウは静かに立っていた。
「来てくれたね」
彼女の声は震えていない。覚悟を携えた者の、それだった。
「……ほんとうに、終わるのか」
「うん。でも、まだ“選択”は残ってる」
ユウが差し出したのは、記録ノート。
だが、そこには俺の文字ではない筆跡がびっしりと書き込まれていた。
──まるで、誰か別の“俺”が記したように。
「これは……?」
「並行に存在した、いくつもの選択の痕跡。あなたが“選ばなかった未来”が、ここに詰まってる」
震えた。手が、心が。
「じゃあ、俺は──これから何を選べば……」
ユウは首を横に振った。
「選ぶんじゃない。思い出して」
「え……?」
「本当は、最初からあなたは“知っていた”。繰り返す前の、たった一度きりの選択で、あなたはすでに“ここ”を知っていた」
全身が凍る。
“最初の選択”──それが、思い出せない。
何百、何千回と繰り返した月曜日。
そのさらに前に、何があったのか。
「……思い出せない」
「思い出すことでしか、次には行けない」
ユウの瞳はまっすぐに俺を見据えていた。
「じゃあ、どうすれば」
「……世界が壊れる前に、“君自身”を壊して」
「──っ」
その言葉の意味を、理解するのに時間はかからなかった。
記憶を壊す。自我を壊す。そのうえで、再構築された“本当の記憶”にアクセスする。
──それは、死とほとんど変わらない行為。
でも。
それでも、やらなければ、未来はない。
俺はノートを見た。
その中に、微かに震える文字があった。
『ここにいる──だが、時間がない』
──それは、過去の俺自身が書いたものだ。
繰り返し続けた時間の中で、何度も何度も見つめ直してきた“言葉”。
俺はゆっくりと、ノートを閉じた。
「……ユウ。俺は──」
唇が震える。
だが、言葉は確かに口からこぼれた。
「……壊すよ。全部、俺自身の中を」
「ありがとう」
彼女は、静かにほほ笑んだ。
「それが、わたしの望みだった」
そして、光が世界を包んだ。
世界は音を失い、色を失い、時間すらも失われた。