──“それ”は、終わったはずだった。
目が覚めた瞬間、俺はそう思った。朝の空気が変わっていたからだ。日差しの角度、室内の温度、鳥の鳴き声の質。あらゆるものが、月曜日とは違っていた。
俺は布団から体を起こし、しばらくのあいだ天井を見つめていた。夢の余韻か、現実の疲労か、判断はつかなかったが、頭の奥に濁った霧のようなものが残っていた。
「……火曜日、か」
ぽつりと呟く。スマホを手に取ってカレンダーを見ると、そこには確かに“火曜日”と記されていた。指が小さく震えた。
あの果てしない月曜日が、本当に終わった──そのはずだった。
制服に袖を通し、朝食の席に着く。母の差し出した味噌汁の湯気が、ほのかに香る。湯気の立ちのぼる様子を、俺は妙に丁寧に眺めていた。
登校途中。駅前の横断歩道で、信号が変わる。見慣れた景色が、どこか新鮮に見える。空の色が違う。騒がしさも、どこか軽い。電車のアナウンスが耳にやけに馴染む。
教室のドアを開けたとき、いつもと同じクラスメイトがいた。だが、月曜日とは違い、何もかもが新しく感じられた。黒板には火曜日の予定表。前日に描かれていたはずの落書きも消え、掲示物が張り替えられていた。
英語の授業で、教師が配るプリント。前とは違うレッスン内容だった。
体育で投げられたボールの感触。
昼食に食べたパンの味。なぜか新発売だった。
全てが“初めて”だった。俺は、やっと時間を取り戻したのだ。
違和感はない。むしろ、ようやく現実に追いついたという安堵すらある。
教室の窓辺で、一人、ユウのことを思い出した。
あの、旧校舎で出会った奇妙な“観察者”。
いま、この火曜日の中に彼女は存在しているのか。
それとも──ループを超えて、どこかへ行ってしまったのか。
そんなことをぼんやり考えながら、俺は放課後の夕焼けを見上げていた。
その日、何も異常はなかった。
何も、奇妙なことは起きなかった。
そして、夜。
俺は布団に潜り込み、静かに目を閉じた。
──そして、朝。
目覚ましの音が鳴る。
カーテン越しの光が、昨日とまったく同じ角度から差し込んでいた。
耳を澄ませば、台所から同じ音。母の足音、戸棚の開閉、味噌汁の香り。
「今日は火曜日よ」
母が笑顔でそう言った瞬間、
俺の背筋に冷たいものが走った。
──火曜日?
もう一度、スマホを見る。
日付は、火曜日。
前日と、まったく同じ。
登校途中、駅前の横断歩道。
同じ学生、同じ犬の散歩、同じ風の音。
教室に入り、同じプリントが配られる。
昼休み、同じ会話が交わされる。
放課後、同じ夕焼けが燃えていた。
──火曜日が、繰り返されている。
それは、月曜日とはまるで違う。違和感もない、異常もない。だからこそ、恐ろしい。
俺は、気づいてしまったのだ。
新しいループが始まったことに。
『火曜日・第一週目』
記録帳の新しいページに、震える手でそう記した。
世界は、また閉じる。
今度は、火曜日が──俺を離さない。