火曜日・第八週目。
記録帳の文字は、以前よりも滑らかになっていた。
震えはない。焦燥もない。
──だが、それは慣れただけだった。
「ただの……繰り返しだ」
呟いた声が、部屋の中で虚しく反響する。
窓の外、空は青かった。
まるで何事もない平穏な朝。けれどその“平穏”が、最も恐ろしい。
俺はもう、火曜日が何度目なのかさえ分からなくなっていた。
この世界には、俺の他に誰も“記憶を持っている者”はいない。
ユウも、ナギサも、俺の知る彼女たちはもういない。
それでも、俺は淡々と火曜日を生きる。
授業に出て、昼飯を食い、誰かと会話をし、そして……夜になる。
それだけだ。
けれど、今日の火曜日──第八週目のそれは、ほんの少し違っていた。
午後の教室。理科準備室から戻る途中、俺は一枚の紙切れを見つけた。
落とし物のように廊下に転がっていたそれを拾い、無意識に裏返す。
──『観測は、まだ終わっていない』
震えた。
誰の字かは分からない。
けれど、その一文は確かに“俺に向けられた言葉”だと直感した。
探すべきか、忘れるべきか。
俺は迷った末、記録帳にその紙を挟んだ。
それは希望ではなかった。
──呪いだった。
再び、俺の中に“意味”という名の迷宮が芽吹く。
夜。
布団の中で、俺は目を閉じる。
耳鳴りのように、脳裏にあの一文がこだまする。
──『観測は、まだ終わっていない』
もしかしたら、この火曜日の先に“何か”があるのか?
わずかな希望。
けれどそれは、確信ではない。期待ではない。
それでも──俺は翌朝、また火曜日を迎える。
火曜日・第九週目。
俺の物語は、まだ終わっていなかった。
……にもかかわらず、そのこと自体に希望を見出せなくなっている自分がいた。
朝の支度。食卓に並んだ味噌汁の湯気。微かに焦げた卵焼きの匂い。
母の小言。テレビから流れるニュース。
──全部、記憶に刻まれている。
次に何が起きるか分かっている。
だからこそ、怖いのだ。
“本当に何も変わらない”という現実を、俺の脳が拒絶し始めている。
耐性ではなく、摩耗。
俺の感情は研ぎ澄まされたナイフのように冷え切っていた。
それでも、俺は生きる。
そうでなければ、すべてが終わってしまうからだ。
俺の人生は、この火曜日という一日の中で閉じられている。
永遠に続く可能性さえある。
だからせめて、“観測する”ことをやめなければ、意味が生まれるかもしれない──そんな理屈で、俺は今日も記録帳を開いた。
誰かがどこかで見ている気がしてならない。
この苦しみを。
この孤独を。
なら、残しておく。
証拠を。
俺という人間が、この日々の中に“確かに存在した”という証明を。
……もしも、この記録が誰かに届くのなら──。