火曜日・第十四週目。
朝の空気が、妙に軽かった。
ただの錯覚だと思いたかった。目覚めた瞬間、まるで自分の記憶が一部だけ書き換えられたような、奇妙な違和感が胸の内に残っていた。日差しは確かに火曜日を告げていたが、何かが違っていた。わずかな温度の差。遠くで鳴く鳥の声。そのすべてが、少しだけ"ずれて"いる。
記録帳の表紙を開き、いつものように今日の日付を書く。
──『火曜日・第十四週目』
手は震えていない。ペン先も滑らかに走る。だが、書き終えた文字を見つめながら、俺は内心で言葉にならないざらつきを噛み殺していた。
何かが変わった。
それは、きっと俺の"中"ではなく、世界の"外"で起きた変化だ。
登校途中。通学路の途中、見慣れた公園に見慣れないベンチが設置されていた。
──そんなはずはない。
前日まで何度も同じルートを歩いていた。あんなもの、あるはずがない。
近づいて確認すると、ベンチの下に紙切れが挟まっていた。
──『何かが視ている。だが、君はそれに気づかなくていい』
……何の意味だ? 誰が、何を目的に?
その紙片の筆跡は、前回のものとも異なる。柔らかく、どこか優しげで、しかし核心を避けるような曖昧さを持っていた。
教室に着いても、誰一人としてこの違和感に触れる者はいなかった。クラスメイトは皆、普通に笑い、普通に会話をし、普通に時間を過ごしている。彼らは繰り返しの中に生きながらも、そこに気づくことはない。
──孤独だ。
だがそれでも、俺は記録し続ける。
昼休み、屋上へと続く階段の踊り場。そこにはまた、新たな紙が貼り付けられていた。
──『観察は行動を促す。その先にあるのは、君自身の輪郭だ』
その文面に、俺は動きを止めた。
これはもはや、単なる警告ではない。観察されているという事実を前提に、俺自身の選択を促している。誰が? なぜ?
ユウ──あの静かな観察者とはまるで異なる。
ユウは観察と記録に徹していた。対話も意思も、控えめな存在だった。しかし、今回の誰かは違う。
能動的だ。俺の行動に介入しようとしている。意志がある。計画すらあるかもしれない。
午後の授業中、ふとした瞬間に窓の外を見た。
体育館の屋根の上に、誰かがいた。
逆光で顔は見えない。ただ、こちらを向いている気配だけがはっきりと伝わってくる。
教師の声が遠のいていく。教室の喧騒が消えていく。視線だけが、俺の世界を侵食していく。
その存在に名前を与えることはできない。
だが、確かに感じる。
新たな観察者が、そこにいる。
放課後。
俺は、記録帳に今日の出来事を細かく書き記した。
──『火曜日・第十四週目。不可解な設置物、異なる筆跡の警告文、校舎外からの視線』
ページの端に、一行だけ追記する。
──『次に会う時、俺は「質問」を用意しておく』
夜。
窓の外には星が瞬いている。
いつもと同じ夜空。けれど、その広さが今夜だけは、どこか怖かった。
俺は確かに、また"見られて"いる。
その目は、もう優しさではない。だが敵意でもない。
ただ──期待。
俺に対して、何かを「試している」目。
記録帳を閉じた後、俺は深く息を吐いた。
「……なら、応えてやるよ」
目を閉じる。
そして、火曜日の夢の中へと、俺は再び身を沈めた。
物語は──確かに、まだ終わっていない。