火曜日・第二十八週目、午前六時五分。
目が覚めた瞬間、胸の奥に何かが引っかかっているのを感じた。夢を見ていた気がする──だが、その内容はまるで墨を流した水のように曖昧で、掴みどころがない。
俺は静かに布団を抜け出し、記録帳を手に取る。ページをめくる指に、わずかな違和感。紙の質感が変わったような……あるいは、それすらも“編集”されたのか。
──『火曜日・第二十七週目──観察継続。新たな観測者の接触あり。距離不明。敵対なし。観測意図不明』
前夜の記録を読み返し、俺は深く息を吐いた。
昨日の“誰か”──見守るような視線の主。あの人物は、明らかに何かを“試している”。俺の行動、思考、選択。それらをすべて俯瞰し、冷静に評価している存在。
……観測の裏に、さらなる観測がある。
そのことに、俺は徐々に気づき始めていた。
学校へ向かう道すがら、何気なく目をやった道路標識の位置が、数センチだけ変わっていた。電柱の番号が、前週とは異なっている。
「書き換えられている……?」
思わず声に出た。誰に聞かれるわけでもないが、声にすることでしか、現実感を得られなかった。
教室に入ると、クラスメイトたちは何事もなかったかのように談笑していた。
俺だけが、世界の“縫い目”を見ている。
昼休み。屋上の扉の前で立ち止まり、耳を澄ませる。
微かな靴音。誰かが、階段の上からこちらを窺っているような──いや、観察しているのか?
勢いよく扉を開けるが、誰もいない。ただ風が吹き抜けるだけだった。
俺は屋上の手すりに寄りかかり、視界の果てを睨む。
「……俺の記録は、誰のためのものなんだ」
問いに答えはない。
だがその晩、答えに近づく“出来事”が起きた。
帰宅後、記録帳の隙間に、一枚の写真が挟まれていた。
見覚えのない写真。
──俺が、校舎裏で誰かと会話している場面。
相手の顔はぼやけている。だが、写真の中の俺は確かに笑っていた。
……そんな記憶は、ない。
その写真の裏には、一言だけ書かれていた。
──『お前は既に影響されている』
記録帳を落としそうになるほど、手が震えた。
──誰かが俺の“過去”を、書き換えている?
いや、もっと恐ろしい。
記憶ではなく、俺自身が“改ざんされている”のかもしれない。
夜。
記録帳の余白に、俺は強くペンを走らせた。
──『記録されること自体が観測対象である場合、主観の保全は限界に近い』
──『この世界において、俺はどこまで“自律”しているのか』
ベッドに横たわるも、眠れなかった。
目を閉じると、無数の目がこちらを覗いている感覚がする。
それでも、俺は書き続ける。
──『火曜日・第二十八週目──観察環境の異常強化。過去情報への干渉疑い。記録写真挿入あり。改ざんの可能性』
まだ俺は“俺”でいられる。
……そう信じたいだけかもしれない。
しかし、信じることすら観測されているのだとしたら。
俺の“観測者としての意志”は、もはや幻想なのだろうか。
風が、窓を軋ませる。
記録帳のページが一枚、風に捲られた。
そこに書かれていた、見覚えのない文字──
──『次の段階に進む準備はできたか?』
俺は、声にならない息を飲んだ。