火曜日・第四十一週目、午前五時三分。
目覚めた瞬間──世界に、ノイズが走っていた。
微細な振動が、皮膚の下でざわめいている。空気の密度が、昨日と違っていた。いや、昨日ではない。同じ“火曜日”だが、それは既に、昨日とは“別の火曜日”だった。
俺は記録帳を開いた。
ページの隅に、見覚えのない記述があった。
──『観測座標A25:分岐点到達。選択の準備を』
指が止まる。
“選択”──その言葉は、あまりにも唐突で、けれどどこか必然のように感じられた。
この数ヶ月、いや、火曜日という永遠の連続の中で、俺は観察され、記録し、抵抗し、そして繋がりを得た。ユウとナギサの影を見てから、記録帳の文が他者のものと重なり始めた。
そして今──
「世界が、分かれようとしている……?」
呟きは空気に吸い込まれ、静かに消えた。
通学路の途中、交差点で信号を待っていると、向こう側に“もう一人の俺”が立っていた。
瞬間、視界がぐにゃりと歪んだ。
──同じ制服、同じ顔、だが目の奥が違う。
彼もまた記録帳を持っていた。だがそれは黒ではなく、白い装丁だった。
彼はこちらに目を向け、軽く頷くと、静かに踵を返して歩き去っていった。
世界はすでに分かれ始めている。
学校に着くと、空間の一部がわずかに“ずれて”いた。廊下の角度、教室の照明の色、掲示板の紙の端の折れ方。
小さな違和感の連続が、確かな異変として積み上がる。
「分岐が進行している……」
頭の中で警鐘が鳴る。
昼休み、図書室の奥で記録帳を広げると、そこに白い便箋が挟まっていた。
──『選びなさい。観察を続ける者か、記録から逸れる者か』
──『片方の未来だけが、君を許す』
震える指先で便箋を裏返すと、小さく刻まれた記号があった。
「F-13」──火曜日・第十三週目。
その日は、俺が最初に“観察されている”ことに気づいた日だった。
つまり──すべての始まり。
その時点に戻り、別の選択をしろというのか?
放課後、俺は再び旧校舎の地下へ向かった。最奥の扉の前に、仮面の男がいた。
「分かっているようだね。分岐点は、君が記録を“誰かのために書き始めた日”から始まっている」
「選べというのか? 今さら……過去を?」
「いいや、選ぶのは未来だ。どちらの時間を“観測し続けるか”。君が記す時間軸の正当性が、今まさに問われている」
「……もし選ばなかったら?」
仮面の奥の瞳が、ほんの僅かに細まった。
「いずれ記録権限は消滅し、君は両方の未来から消える」
目の前が暗くなる。
──俺が書き残した記録が、誰の未来にも届かなくなる。
それだけは、絶対に嫌だった。
俺は記録帳の余白に、一文を書き始める。一
──『火曜日・第四十一週目──分岐確認。選択保留中』
選ぶには、まだ情報が足りない。
だから俺はこの火曜日を生きる。
この一日一日を、どんな形であれ記し続けることで、自分の“本当の未来”を見極めるために。
夜。
俺は布団の中で目を閉じた。
夢の中で、再び誰かが俺の手を握っていた。
今度は──その手が、ユウのものだった気がした。
そして、遠くでナギサの声が聞こえた。
「アキラ、書くことをやめないで。あなたの記録が、私たちを繋いでるの」
──分岐の先に、彼女たちがいる。
俺は目を開け、ゆっくりと記録帳の新しいページにペンを走らせた。
──『未来は、記されることで現れる』
それが、今の俺にできるすべてだった。