火曜日・第四十三週目、午前四時五十九分。
まだ目覚ましも鳴っていない時間。
俺は不意に目を覚ました。
まるで、誰かに呼ばれたかのように。
部屋の空気は張りつめていた。昨日までの火曜日とは、微妙に違う。
肌にまとわりつく空気が重たい。そして──記録帳が、ベッドの脇に落ちていた。
昨夜、自分で閉じて机の上に置いたはずだ。
震える指でそれを拾い上げ、表紙をなぞる。
表紙の角が削れている。
中を開くと、俺の知らない新たな章が追加されていた。
──『観測の矛盾:対象の自己認識と記録内容に不整合を確認』
その文面の下に、見覚えのある筆跡で一文が記されていた。
──『この記録は本当に、俺が書いたのか?』
頭が真っ白になった。
俺が書いた記録に、俺自身が疑義を抱いている?
そんなことがあり得るのか。
意識の底に、深い不安が広がる。
もしかして、俺の“自己”そのものが書き換えられているのではないか。
登校中、視界の端に異変が頻発した。
看板の文字が、瞬きの間に変わる。
制服のリボンの色が、クラスメイトごとに違っている──そんな些細な“ズレ”が、まるで隠しきれないエラーのように浮き出していた。
誰かがこの世界を継ぎ接ぎしている。
それでも、学校にたどり着く。
教室の机に記録帳を置いた瞬間、それが勝手に開き、記述の“時間軸”が入れ替わり始めた。
火曜日・第十七週目の出来事が、三十週目の記録と繋がっている。
ナギサが登場しなかった記憶が、別のページでは“再会した”と書かれている。
──記憶の改ざんではない。
これは、記録自体が“二重に存在している”ことの証明だ。
記録帳は、誰か別の“観測者”によって複製・編集されている。
その夜、俺は再び旧校舎の地下に向かった。
そこには、白いローブを着たあの男がいた。
「再編集が始まったな」
「お前がやってるのか?」
「いや、今回は違う。もっと上位の“観察者”が動き出した」
「……上位?」
「君の記録帳は、既に複数の観測系統に共有されている。誰が“本来の記録者”か、定かではなくなっている」
男は、静かに言葉を続けた。
「観測の矛盾が拡大すれば、“記録帳そのもの”の存在が消滅する可能性がある。君の意志も、例外ではない」
「……じゃあ、どうすればいい」
男は俺に、金属でできた小さなペンダントのような装置を渡した。
「これは“原初観測キー”。君の観測が始まった“最初の火曜日”を指し示す」
俺は、それを握りしめる。
「過去に戻れるってことか……?」
「ただし、戻る先は“観測の起点”に限定される。君が今まで記録してきた火曜日とは、微妙に異なる“始まり”だ」
記録帳を見つめる俺に、男は最後にこう言った。
「観測者であり続けたければ、自分の視点を信じ続けろ。それだけが、改ざんされない唯一の武器だ」
部屋に戻り、ペンダントを机の上に置いた。
記録帳のページに、俺は新たにこう記した。
──『火曜日・第四十三週目、観測の矛盾確認。多層記録化の兆候。自己視点の保持を優先する』
──『原初観測キー、受領。次週、使用を検討』
そして俺は、机に顔を伏せた。
再び記録される未来が、もし俺の意志で決まるのなら──
俺は、まだ終われない。
その夜、夢の中で“あの少女”が再び現れた。
彼女は背を向けたまま、こう言った。
「まだ、書き直せるよ」
──俺は、もう一度書き直す。俺という存在を、この記録帳に。
そして、まだ見ぬ“本当の火曜日”へと進むために。