──火曜日・第一週目、再観測起動。
目覚めた瞬間、俺はすべてを思い出していた。
四十三週もの間、繰り返し続けた火曜日。
抹消されかけた観測者の権利。記録帳の改ざん。そして──原初観測キー。
そして今、ここにいる。
目覚ましの音、母の声、朝の空気。
それらはすべて“最初”の火曜日そのままだった。
けれど、これは同じ火曜日ではない。
──ここは、原初の火曜日。
観測が始まる前。
誰の干渉も、改ざんもなされていない、純粋な“始まり”だ。
俺はすでに原初観測キーを使い、この場所に到達していた。
だからこの瞬間が、今までとは違う意味を持つ。
これは「記録の再出発」だ。
記録帳を開き、改めて記す。
──『火曜日・第一週目、原初観測再起動。記録者=アキラ。視点は単一、干渉拒否。』
視界に映る世界が、少しずつ“輪郭”を取り戻していくようだった。
登校の道すがら、すべてが新鮮だった。
信号、風の流れ、道行く人々──すべてが、どこか“初めて”のように感じられる。
だが、それらは過去にも見た光景。
違うのは、俺の“意識”だ。
この世界の理不尽も、繰り返しも、改ざんも知った上で、俺はここにいる。
教室に入ると、懐かしい顔ぶれが並んでいた。
ユウ、ナギサ──彼女たちは、ここにいる。
まだ何も壊れていない。
まだ、記録されていない“未来”が、ここにはある。
俺は席に着き、視線を感じながらも記録帳に指を置く。
誰かが、この記録を見ている気配がする。
だが、それがどうした。
これは、俺の物語だ。
この火曜日から、すべてを記しなおす。
観測の視点を取り戻すために。
未来を取り戻すために。
そして、俺という存在が、この世界に確かにあったという“証明”のために──。
俺は、再びペンを走らせる。
──ここから先は、“俺”の物語だ。
教室の窓から差し込む陽光はやわらかく、春の訪れを思わせた。だが、俺の胸の中にある感情は、それとは裏腹に冷えた緊張感を湛えていた。全てを思い出した上で再びここに立っている。だからこそ、この瞬間の意味を、誰よりも重く受け止めていた。
原初の火曜日──すべてが始まった場所であり、まだ何も壊れていない時間軸。ユウも、ナギサも、他の誰も、まだ何も知らない。それがどれだけ貴重なことか、俺は知っている。
午前の授業中、俺はノートを取るふりをしながら、静かに観測を始めた。誰が何を言い、どんな風に笑い、どんな視線を交わしているか──それら一つ一つが記録の対象になった。
『ユウ、午前10時23分、隣の席の女子にメモを渡す。内容は不明。表情に違和感なし。』
『ナギサ、数学の時間、前の席に座る男子とアイコンタクト。頷き二回。沈黙。何かのサイン?』
日常の些細な行為のすべてが、俺には謎めいて見えた。それは、もしかすると自分の過去への強迫観念かもしれない。しかし、今の俺にとって、それは唯一の“観測者としての証”だった。
昼休み。俺は屋上へ向かった。空は抜けるように青く、どこまでも平穏な時間が流れていた。記録帳を取り出し、ページの余白に筆を走らせる。
──『違和感なし。しかし、それが恐ろしい。観測者であるはずの俺が、なにも発見できていないことが、最大の異常かもしれない』
記録を終えた直後、誰かの視線を感じた。振り返ると、屋上の扉がゆっくり閉まりかけていた。誰かが、俺を“見て”いた。
俺は即座に階段を駆け下り、廊下を見渡した。誰の姿もない。だが──感覚が告げていた。
「誰かがいる」
それは恐怖ではなかった。どこか懐かしく、だが警戒すべき気配。俺は廊下の影を記録帳に記し、今後の調査対象とすることにした。
放課後、教室の後ろの書庫で、ユウとすれ違った。
「……アキラ?」
彼女は、不思議そうに俺の顔を覗き込んだ。まるで、俺の内面を見透かすように。
俺は微笑んだ。「なんでもない。ただの……既視感(デジャヴ)だよ」
彼女は首を傾げてから、小さく笑った。
──その笑顔も、俺は知っている。
すべてを失う前にあった、あの頃の笑顔だった。
その日、俺は夜遅くまで記録を続けた。
──『火曜日・第一週目、原初観測起動。干渉兆候あり。記録は安定中。ユウ・ナギサ共に正常。だが、新たな観察対象の気配。視覚外接触あり』
ページの隅に、俺は初めて“願い”のようなものを記した。
──『この日常を、守るために。俺は観測者であり続ける』
記録帳を閉じた瞬間、胸の奥に小さな熱が宿るのを感じた。
俺はまだ、変えられるかもしれない。
何度壊れても、何度否定されても。
この“記録”がある限り──俺は、俺でいられる。
──“火曜日”は、まだ続く。だが今度は、俺の手で。
これは、俺が生きた証。
これは、俺が未来を掴むための物語だ。