翌週の月曜日。俺はいつもより早く登校した。始発電車に揺られながら、胸の奥で言い知れぬざわつきを抱えていた。
黒板の文字──『お前と同じ、観察者だ。』
あの一文が、頭の中で何度も繰り返されていた。いや、正確にはそれではなかった。
『ここにいる、だが時間がない』
黒板に刻まれたその言葉は、今も脳裏にこびりついて離れない。まるで、それ自体が時を超えて訴えかけてくるように。
それは、俺の世界に初めて差し込んだ“他者”の存在だった。
まるで、長い間閉ざされていた部屋の窓が、ほんの少しだけ開いたような感覚。
世界が、ほんの少しだけ広がった気がした。
俺は、再び教室の黒板に問いを記した。
『どこで会える?』
返答がある保証はない。けれど、これまで何もなかった世界に“応答”が返ってきたのだ。信じるに足る兆候だった。
そして、次の週。
黒板には、たった一言だけ。
『旧校舎。図書準備室。放課後。』
俺は、心臓の音が自分でもわかるほどの緊張を覚えた。手のひらがじんわりと汗ばみ、喉が乾いていた。
放課後、俺は人気のない旧校舎へと足を向けた。校内の喧騒が遠ざかるたびに、足取りが慎重になっていく。
古びた扉の前。俺は一度だけ深く息を吸って、ノブに手をかけた。
ぎぃ、と軋む音と共に開いたドアの向こう。
そこには、ひとりの少女がいた。
制服姿の彼女は、俺の存在に気づいても動じることなく、古びた机に腰かけていた。長い黒髪が肩に流れ、視線だけをこちらに向ける。
「来たんだね」
その声──夢の中で何度も聞いたあの声と、同じだった。
「……君が、観察者?」
「うん。私の名前はユウ。仮の名前だけどね。あなたも、私と同じ観察者でしょ?」
俺はうなずくことができなかった。ただ、彼女の言葉を受け止めるだけで精一杯だった。
ユウはそっとノートを差し出した。中には、見覚えのある記録が並んでいた。
「これは……俺の記録?」
「あなたの記録と、私の記録。ほとんど一致してた。でも、微妙に違う。それが、出会いの証だよ」
俺はページをめくる。手の震えが止まらない。見慣れた内容の中に、確かに“俺が知らない情報”が混ざっている。
「なぜ、君は記憶を持ってる? この世界で、俺と同じように」
ユウは、少し困ったように笑った。
「たぶん、私もずっと前から閉じ込められてる。気づいたときには、もう“こっち側”にいたの」
「こっち側……」
「観察する側。変化を見つけ、繰り返しを越えようとする側。でもね……」
彼女は視線を外し、窓の外を見つめた。
「……時間が、ないの」
「え?」
「このループ、無限じゃない。私たちの記憶の保持期間にも限界がある。少しずつ、記録は曖昧になる。夢の中の声も、ぼやけていく。もう何度目かわからない。でも……」
ユウは俺の目をまっすぐ見た。
「あなたに会えてよかった」
その瞬間、俺の胸に熱い何かが込み上げてきた。
「ユウ……俺たちは、この世界を変えられるのか?」
「分からない。でも、ふたりならできるかもしれない。……少なくとも、私は信じたい」
彼女は微笑み、ノートの最終ページにペンを走らせた。
『ここにいる、だが時間がない』
俺は、その言葉の意味をようやく理解し始めていた。
観察するだけでは、終わらない。何かを変えなければ、この繰り返しの果てには、何も残らない。
その日、旧校舎で出会った少女──ユウとの会話が、俺の中で新たな決意へと形を変え始めていた。