レッツわたしと6エンパ   作:ひないじどり

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 物語らしい物語がまだ始まらないので駆け足で行きます。


人知れず、我知らず

 世界は白かった。

 彼女がパチパチとまばたきをすれば世界は交互に白と赤みがかった黒へと姿を変えた。そこでようやく彼女は、世界とは今見えている視界に差し込む光で白く照らされている地面のことであり、自分には瞼を通う血の色が透けて見えるまでに視覚的余裕があることに気付いた。ほっと息を吐く。

 しかし次の瞬間、覚えのある激痛が身体を駆け回った。思わずくぐもった悲鳴が上がる。じわり、と滲んだ涙は眼球を覆った。水膜の張った視界では地面の他に血に染まった粗末な布が巻かれた自分の身体が見えた。どうやら自分は簡単な治療をされ、何かにもたれかかって座っているようだ。そんなことにもようやく気付いた。

 

「生きてるかい」

 

 背中に響く声が背後から聞こえた。同時にもたれかかっている何かがゆるりと動いたことから、彼女は誰か他人と背中を合わせて互いに寄りかかるように座っていたのだろう。器用なことだ、と彼女はどうでもいいことに関心する。

 背中を合わせたその人は声の質から考えるに男性であろう。彼はちから無く言葉を口に出す。

「ったく、ひどい戦だったね。たくさん村が焼けたし、人もたくさん死んだ。ほんと乱世ってのは碌なことが無い」

 何のことだろう。

 その人の言葉を疑問に思うが彼女は何も言わず、そうなのか、とそのまま呑み込むことにした。痛みと倦怠感。それらが彼女の思考を鈍らせていた。もしくは考えたくなかったのかもしれない。生きている理由、この場所のこと、自分の現状、その他諸々について。

「あーあ、この国はどうなっちまうんだか。なぁあんた、どうなると思う?」

 その問いかけは誰へ向けたものだろう。彼女は周りを見回したが適当な人影は見当たらなかった。そこかしこに倒れている、軽鎧姿の人間達について背後の人は何も言わない。広く拓けたこの場所についても同じだ。

「……ま、わからないよな」

 納得するように、しかしそれでも落胆した声を出したのは、彼女が周囲を確認したときに頭を動かしたことを誤解したためであろう。互いの姿が見えないのにこういうことだけわかってしまうのは話し合いに不適切だと彼女は思ったが、だからと言ってそれじゃあ向かい合って話をしましょうと提案出来る雰囲気ではない。それに身体を蹂躙する激痛が彼女の口を閉ざしていた。痛みに耐えるために歯を食いしばっている彼女では、その人の望む答えは与えられない。

 それから数秒間沈黙が続いた。十秒には満たなかったと思うが正確な時間は彼女にはわからない。それでも背後の人がもう一度口を開いたときは、やっと喋ったと安堵すらしたほどである。

「……無事に、とは言えないが、こうして生き残ったのも何かの縁だ。一つ俺の頼みを聞いちゃくれないかい」

 ずるり、背中が滑る。突然崩れた均衡に対処出来ず彼女は地面に倒れ伏した。心構えも何もしていなかったので倒れたときの痛みが大きい。すぅ、と遠退く意識。まるで眠りに堕ちるような感覚の中、耳元で強く囁かれた言葉だけが脳に張り付いた。

 

「この国、あんたに任せるっての」

 

 

 

 

 

 彼女が目を覚ましたのは小鳥の囀る朝だった。チチュン、チチュンと快活に鳴く声は平穏を感じさせた。上にかけられた布団を掴み、彼女はゆっくりと起き上がる。身体の痛みは信じられないほど落ち着いていた。いつの間にか着替えさせられていた寝巻きの袖を上げてみる。そこには傷一つ無い肌が包まれていた。彼女は目を疑った。こんなに早く治るものなのだろうか。しかし現に痛みは少なく、傷痕も無い。それは他人から夢を見ていたのだと言われても納得出来るほどに。

 考えても真実などわかる筈がない、彼女は(かぶり)を振った。一先ず怪我については置いておくとしよう。

 どうやらどこかの部屋で寝かされていたようだ。雲のような文様に飾られた壁や丸く切り取られた窓、漆の輝く机をぐるりと眺めて首を傾げる。

 はて、ここはどこだろう。自分はこんな場所に憶えは無いのだけれど。

 それまでの出来事が夢のように曖昧で不確かだ。気を抜くとすぐに忘れてしまいそうな儚い記憶を辿ってみたが、何をどう思い返しても『知らない派手な部屋で寝た』という過去は無い。そう、知らない部屋なのだ。眠りから覚める場所はいつも彼女の自室だったというのに。

 キィ、と部屋の戸が鳴いた。驚きで肩が跳ねるがどうやら窓から吹き抜けた風によるものらしい。重々しい音は小鳥と比べるまでも無く彼女を不安にさせた。彼女はなんとなくだが理解していた。この場所が全く見知らぬ地であることを、どういう理由(わけ)か自分がそんな場所へ居ることを。それは直感というものに違い無い。生まれ育った地とは何かが違うのだ。

 この部屋の向こうに、何があるのか。知るのは怖いが、知らないままというのも同じくらい怖い。彼女は恐る恐る戸に近寄りそっと手をかけた。何度か深呼吸をする。それでも勇気は出なかったが、いつまでも立ち往生しているわけにはいかない。与えられる情報は限り無くゼロだった。ここがどこなのか、死にそうだった自分はどうなったのかを能動的に知る必要がある。今のままでは、ここが所謂死後の世界ではないと否定出来ないのだ。

 彼女は思い切って戸を開いた。それでも盗み見るように静かにそろそろと開いたことについては目を瞑ってもらいたい。

 

 廊下を挟んで壁が見えた。先の部屋と同じような雲に似た文様が描かれている。彼女の立っている位置から左右に伸びる廊下は見える範囲だけで推測してもかなり長い。途中で鮮やかに装飾された壺や置き物が鎮座していることを考えてもここは名家の屋敷のように金持ちな権力者のための建物だろう。その割に彼女が寝ていたのはふかふかのベッドではなく布団の敷かれていない寝台そのものだったのだが、きっとたまたま布団を干していたとかそんな理由だろうと彼女は想定する。もしくは自分なんかに敷くような布団は無いということか。己で考えた仮定に彼女は少し落ち込んだ。

 左右どちらに進むか迷って、彼女は左を選んだ。迷路などでよく提唱される『左手の法則』をふと思い付いたのだ。左に沿って進めばいずれ出口に辿り着くというものだった気がする。ここがはたして迷路なのか、出口はあるのかという疑問は残るが、知らない場所でうろちょろする彼女は迷子とあまり相違無い。それに結果的には良い選択だった。

 何度か曲がった廊下の奥へ進むと広い空間に出た。調度品が無いことを見ても『部屋』とは言えないだろう。ホール、いやホテルのフロントのような場所だろうか。彼女から見て左には一際大きく重厚な扉があった。その壁一面を陣取るほどの幅、天井まで届くような高さ。RPGで例えるならラスボスの間へと続く扉のような、いかにもその先に権力の象徴があるようなそれだ。彼女は尻込みした。進むべき、なのだろうか。好奇心はあるが彼女はそれ以上に怯んでいた。ここが死後の世界だとすればこの先に居るのは閻魔大王だろうか。絵本や漫画でよく描かれる、恐ろしい顔をした巨体の男性を思い浮かべる。こわい。いやしかし、もし本当に居るとしたらすべての疑問は解決される。ここは死後の世界で自分は死んだのだという事実を呑み込める。でもこわい。

 彼女は扉に耳を当てて向こうの音を聞こうとした。目を閉じどんな些細な音でも聞き逃すまいと集中したが、話し声はおろか人の存在を知らせる音すら何も聞こえなかった。この扉が分厚いからかもしれない。それとも単に誰も居ないだけなのか。もっとよく聞こうと耳をさらに密着させる。

 しかしちからを入れた所為で、ギィィと重苦しい悲鳴を上げながら扉が開いてしまった。どうやら押し戸だったらしい。心臓がヒュッと浮き上がるような驚き。彼女は慌てて扉から離れるがさして意味は無かった。扉は開かれたまま静止している。十センチほど開いた隙間を咄嗟に閉めようとして、いやいや待て待てと自分を叱咤する。ここまでやったら覗いてみよう。見るだけなら損は無いだろう。それに、こんなときでもやっぱり好奇心は抑えられない。

 

 真っ先に目に入って来たのは絢爛な椅子であった。

 三段ほどのごく短い階段を上り少し高い位置に輝くその椅子は民主主義国家で育った彼女から見ても『玉座』のようであった。いや、まさしく玉座なのだろう。何百人もの人間が頭を下げるこの広い広い部屋を見渡すことの出来るそれは王にしか許されない場所だ。彼女の知る中ではその広さは体育館に近いが、何本もの柱がそびえ立つそこは『王の間』に相応しい貫禄があった。

 彼女は息を飲む。その美しさに、権力の象徴であるその威厳に、そして座るべき人の居ない虚しさに。王の間は無人であった。仕える者も、従える者も居ない。それが異常だということを彼女はまだ知らなかった。自分を咎める者が居ないようだとだけ察し、彼女は安心して足を進めた。

 足音は嫌になるほど高々と響いた。一歩踏み出すごとに辺りを窺うが人影はまるで無い。不気味を通り越して、悲しくなるくらいに。

 

 玉座の下まで歩き進んだとき、彼女は巻き物が一つ、椅子に座っていることに気付いた。

 

 あれは何だろう。読んでみたいが、玉座への階段が彼女の足を止めていた。この先へ行けるのは選ばれた人だけだ。許された人だけだ。部外者である自分がおいそれと進んで良い領域ではないと本能が訴える。

 それでも彼女は踏み出した。現状を教えてくれるものなら何でもいい、とにかく知りたかった。夢なら夢と言ってほしい、現実なら現実と言ってほしい。何もわからないというのはひどく恐ろしいのだ。

 彼女は自分で選んだ。

 

 --『西涼ノ地ヲ託ス』

 

 玉座へと上ったことも、その一言だけが書かれた紙を見ることも、自分で選んだのだ。

 例えそれ以外に選択肢が無かったとしても。

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