レッツわたしと6エンパ   作:ひないじどり

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 キェェェェェェアァァァァァァシャァベッタァァァァァァァ!!!


出会いと別れは表裏一体

 彼女の『識って』いることは少ない。普段の生活に於いてもそうであるし、『この世界』についても同じだった。涼州という地名もそれを託されるという苦難も背負うべき責務も、幸せも、不幸せも。

 それらをすべて教えてくれる人は今まさに彼女に会わんとしている。

 怪しげな眼差しで前を見つめながら、その人物は西涼の荒れた城邑を歩いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 その建物で彼女は一つ夜を越した。何分広い建物なので厨房や風呂場といった彼女が必要とする部屋がどこにあるのか探すだけで時間が潰れ、夜更けに容赦無く襲って来る睡魔にもうどうでもいいやと諦めて手近な部屋で一晩を過ごしたのだ。

 そして今、彼女は同じ理由で朝食も摂らずにとある別の部屋に居る。

 書斎と呼ぶのが正しいかはわからないが、数多くの資料が所狭しと詰め込まれたその部屋を言い表すにはやはり『書斎』という言葉が似合う。いくつもの棚や箱。それらに収納されてもまだ床に溢れている材質様々な情報媒体に埋れながら彼女は文字通り頭を抱えていた。何時間も迷ってたまたま辿り着いたここで何か情報を得られればと思ったのだが甘かった。それは彼女にとって誤算だった。

 字が、読めない。

 粗悪だが紙として機能しているものならいざ知らず、竹や木を繋いで一つの巻き物とした、所謂竹簡や木簡(彼女はそれらの名前も知らない)といったものは明らかに時代が違う。触るのは勿論見ることすら初めてだ。何百年、下手をすれば何千年も昔の文字など彼女にしてみれば眠りながら描いた落書きかミミズの集合体だ。ただでさえ漢文には慣れていないというのにその文字までもが彼女に牙を剥く。紙にまとめられているものも達筆過ぎて解読出来ない。お手上げだった。

 玉座に置かれていた手紙が楷書を少し崩したような、まだ読める範囲のものだったから油断していた。油断していなくともこればかりはどうにもならなかったのだが。目の前に求めていた答えがあるかもしれないのに、自分のちから不足の所為でそれを得られない。彼女は泣きたくなった。

 --しかし、収穫はあった。文字が『わからない』ということを知れたのだから。

 何がわかるか、何がわからないか。自分に出来ること出来ないことは何か。それを認識するだけでも大きな進歩だ。傲慢で生き残れるほどこの世界は優しくない。また同じく卑屈で生き残れるほど、この世界は謙虚ではないのだ。やはりそんなことも彼女は知らない。ここまで来ると彼女の無知さは一種の個性とも思えてくる。

 

 ぐぅぅと腹の虫が鳴いた。流石に二食抜くと空腹感も強い。山と積まれた無理ゲーを早々に諦めて彼女は厨房を探すことにした。せめて水くらいは飲みたかった。

 昨日今日と彷徨い歩いたので建物は大方探索した。それでも探す部屋が見つからないのはきっとまだ探していないところにあるからだろう。まさかどこにも無いとは思えない。ここが個人の屋敷や公共の宿泊施設でないとしても、少なくとも水場というのはどこかにある筈だ。

 それが希望的観測であることを彼女は自覚している。

 

 彼女はふらふらと頼りない足取りで歩く。心細かった。わからないことだらけ、縋るものは何も無い。唯一の情報源は書斎の資料だがそれらを読み解くことは出来ない。風呂にも入っていないしそういえば服も目覚めたときに着ていた寝巻きのまま。おまけに喉はカラカラで腹も空いている。そして極めつけに、自分は独りだ。じわりと涙が滲んだ。ひどくみじめな気分だった。

 なんでわたしがこんな目に。これでは生きているのも死んでいるのもたいして変わり無いじゃないか。

 唇を噛んで嗚咽をこらえる。こぼれ落ちそうな涙は強引に袖で拭った。ここで泣くと際限無く泣き喚いてしまいそうだった。見せる相手も居ない意地を張り、彼女は悲劇のヒロインを気取らないよう自戒する。それがとんでもない驕りだということは知っていた。しかしどうしても『わたしはなんて可哀想なんだろう』とは思わずにいられなかった。

 

 今だけは許してほしい。今だけ、今だけ、あともうちょっとだけ--。

 

 彼女は泣いた。泣きながら歩いた。前へと進むことを止めなかったことは彼女を褒めるべきだろうが、褒めるどころか慰める者も咎める者も、彼女の傍には一人として居なかった。

 

 

 

 

 

 大勢に囲まれながら、それでも孤独だと感じるようになったのはいつからだろう。思わずため息を吐いたその人物の憂い顔はしかし一枚の絵のように美しい。その人を悩ませる要因は兵士達が鍛錬に励む声、女官達が城を走り回る足音、そして自分が仕えている主の怒号。聞こえてくる度に頭が重くなり息が詰まる。自分以外の人間もそうなのか、ピリピリと緊張した空気はここ何日も改善されない。

「お姉ちゃんはどうするの?」

 いつもは太陽にも似て輝く瞳が心配そうに伏せられている。無邪気という言葉を体現したようなこの妹には悪いが、これ以上留まっていれば自分の身が危ういことをその人は理解していた。

 着々と進められる侵攻への準備。隊を任されている者は兵を整え、策を任されている者は夜遅くまで頭を捻っている。その中であまり役に立てていない自分が、同じような立場である血の繋がった妹よりも疎ましく思われていることにはとっくに気付いていた。それを妹が察しているのかはわからないが知らないままで居てくれたら幸いだ。今ではたった一人の家族が自分の所為で悲しむのは心が痛む。どうするのかと問われた瞬間はヒヤリとした。

「そうね、私は……」

 頃合いだろうか。前々から胸に忍ばせていた思惑を表明するには。

 その人は妹を真っ直ぐに見つめ、艶やかな唇に決意を込めた。

「私はここを、洛陽を離れるわ」

 

 

 

 

 

 --生き返った。

 顔を突っ込む勢いで水を胃袋に流し込んだ彼女が抱いたのはそんな感想だった。

 厨房を探して彷徨っていたのだが辿り着いたのは草木が枯れ始めていた庭だった。手入れのされていた頃はそれは美しかったのだろうが今は見る影も無い。しかし、そこには水があった。庭に流れる水は川と呼ぶにはあまりに小さいものだったが、ゆるやかな曲線を描き清水を湛えるそれは彼女にしてみればさながら地獄に垂れる蜘蛛の糸だった。衛生面や行儀作法の面では非常に褒められたことではないが背に腹は変えられない。生水による腹痛も、人間的尊厳の閑却も、飢えと渇きで死ぬよりは何倍もましだ。

 生き抜くことに少し適応した彼女は豪快に口元を拭った。先程泣くだけ泣いてすっきりしたのかもしれない。もしくは、気持ちを切り替えていかないと身が持たないと気付いたのだろう。飢えはともかく、渇きは満たされた。これからどうするかを考えなければ。

 ふと空を見上げると、綺麗な茜色の光に目が眩む。朝から迷ってばかりいたので彼女は気付かなかったが、一日は着実に終わりに近付いていた。しかし彼女が得たものは少ない、いっそ一つも無いと言ってもいい。このまま徒労で終わるのかと思うとげんなりする。明日へ続く解決策すら見つけられないままというのは避けたい。しかし、どうするべきか。

 悩んでも答えは見つからないが悩まないことには何も始まらない。矛盾にまた悩みつつも彼女は空を眺めていた。

 

 背後から足音が聞こえたのはそんなときである。

 彼女は急いで振り返った。

 

「んー、これはまた、なんとも小さい」

 

 そこに居たのは何とも怪しい風体の男だった。怪しさを擬人化したらこんな人間になるのだろうかと彼女は思った。出会い頭に失礼なこと(確かに彼女は身長もそれ以外も誇れるほどは持っていないが)を言い放ったその男は鋭い目付きで彼女を上から下へと念入りに観察している。有りもしない虚偽を暴こうとするような視線に居心地の悪さを感じながらも、ここに来て初めて会った他人に彼女の心は弾んだ。

 誰ですか、と訊こうするがそれより先に男が口を開いた。

「俺が調べた限り他に人が居ないところを見ると、噂に聞く西涼の新しい君主様ってのはあなたで間違い無いかな?」

 彼女の脳裏にあの手紙--『西涼ノ地ヲ託ス』という一文が思い浮かぶ。自分に宛てられたものであるか正直自信は無いが、偶然だろうが棚ぼただろうが受け取ったのは彼女である。気後れしながらも恐る恐る頷いた。

 男の表情が変わる。訝しげな顔が薄く笑みを描いた。

「それは良かった! ここまで来て人違いだったら目も当てられない」

 そう言うと男は片手で拳をつくり、また片手でそれを包んだ。その両手を前に出したまま頭を下げる。それは『拱手』という一種の敬礼なのだが人生十八年間で敬礼をしたこともされたことも無い彼女が知る筈もない。

 そのまま彼女の耳に届いた言葉は、彼女の思考を縛りつけた。

 

「俺は()文和(ぶんか)。あなたにお仕えするため参りました」

 

 やはり十八年間の人生で一度も投げられたことのない言葉である。彼女はぽかんと口を開けた。

 仕えるとはどういうことだろう。まさか見るからに年上であるこの人は、子どもである自分の配下になりたいと言っているのだろうか。からかっているのかと不安になるが頭を下げたその姿は真摯に見えた。それに何より、無下に断るほどの余裕は、彼女には無かった。

「……本当、ですか?」

 自発的に出した声に我ながら懐かしさを覚えた。情けなく震えているがそれは目の前の人間が『自分なんか』を選んだことへの戸惑いが半分。

「身の振り方を強制されて素直に従うような人間じゃないんでね、俺は」

 また、喜びが半分である。胸の奥からじわじわと熱が湧き上がる。男の言うことは半信半疑だが、とにかく独りではなくなるのだ。今の彼女にとって重要なのはそれだけである。

 

「……ありがとうございます!」

 

 気付けば叫ぶように応えていた。その大声に男が顔を上げる。彼女の顔を見た男は、心底嬉しそうに笑うその頬が紅潮していることに目を丸くした。打算も何も感じられない平和そうな表情に毒気が抜かれそうだ。男は思わず胸中で首を捻った。乱世がどういう時代か、この娘は『識って』いるのだろうか。識っていてもこんな顔をするとは底抜けのお人好しかただの馬鹿か。当たりを付けられるほど彼女を知っていないがそれでも抱える思いは変わらない。男は--賈詡(かく)は小さく笑みをこぼした。

 とにかくどんな人間であれ、御し易いに越したことは無い。

 




 おい、賈詡さんの主要名声が知略じゃないだと……? どういうことだ!? 説明しろ苗木!
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