怒涛の展開と言ったのは嘘です。騙して悪いがプロットのメモをなくしたんでな。
ぼくはきょうもげんきです。
これはどうしたことだろう。彼は目の前の惨状に大きく瞳を見開いた。
家々は軒並み破壊され、畑には未だ折れた槍や剣が突き刺さり横たわりとても作物を育てられる状態ではない。血と蹄の痕がこびりついた地面は人間に踏まれなくなって久しく、表面をさらりと撫でる風が塵芥を運んでいく。その光景は『廃村』としか言い様が無い。
「なんだ、これ……」
かすれた声で呆然と吐き出した呟きは数秒間その場に留まって消えた。誰にともなく当てた言葉だが、傍らで同じようにこの光景を見ている女は器用に聞き流すことも出来ず、ひどく痛ましげに表情を歪ませている。
「なんて……なんてひどい……」
「……人の気配が無い。ここも早いとこ後にしたほうが良さそうだ」
女は泣きそうなままに頷く。未だ心から晴れることの無いその表情に、彼もまた沈んだ面持ちになる。
心休まる地は、ここには無い。
「……行こう」
歩みを促した彼は、その耳に馬の嘶きを聞いた。
各部隊に三千はあった兵力は
「賈詡よ」
筋骨隆々とした体に負った怪我へ手当を受けながら、姜維軍の大将軍である黄蓋は厳しい視線を賈詡へと投げる。最前線で戦っていた黄蓋の兵は最早壊滅状態だった。黄蓋自身の怪我も浅くはない。
「何でしょう」
「御大将を無事に退げるには、何人必要か」
「全員ですかね」
事も無げに賈詡は即答した。元より撤退を算段していた賈詡にとってその回答は真っ先に考えていた内容だった。「全員か」と険しい顔付きになる黄蓋に、賈詡は畳みかけるように発言する。
「こちらは良いように遊ばれていただけですからね、お相手は元気にもほどがある。少数で後退してもあちらにはほぼ無傷の騎馬隊があるんで、あっという間に囲まれて終わりですよ。退がるなら何よりも数が要る」
「敵を食い止めるためにも幾らか残すべきではないのか?」
「単なる捨て駒だね。効果もあまり無い。賢いとは言えませんよ」
黄蓋は何やら思案するようにひとつ鼻を鳴らす。
「ふん……うちの軍師を同じことを言いよるわ」
その言葉に、どうやら自分は試されていたのだと知る。危なかったと静かに胸を撫で下ろし、同時にそれくらい予想済みだとほくそ笑む。
賈詡が援軍として来た理由は適任が他に居なかったこともひとつだが、『侵攻側』と『防衛側』の兵力を知るためであった。特に自分が身を置く防衛側は侵攻を防ぎ切り尚且つ攻め落とすに容易なよう
「おーい、ちょっと集まってくれ」
姜維軍の軍師・司馬昭が黄蓋と賈詡に声をかける。本陣に建てられた天幕に二人を招き入れた司馬昭は出入り口から何度も顔を出したりきょろきょろと周りを見回したりと忙しない。人目を気にするその様子は後ろめたいことを言おうとでもしているかのようだ。余所者の賈詡でさえ察することが出来たのだから、長く共に仕えてきた黄蓋が気付かないわけがなかった。
「何ぞ御大将に言えん策でも思いついたか?」
「はっきり言うなぁ……。ま、その通りなんだが」
この天幕に姜維の姿は無い。意図的に遠ざけていることは明白だ。司馬昭は小さく呻ったり天幕内を歩き始めたり頭を掻いたり咳払いをしたりとなかなか本題に入ろうとしなかった。しかし一つため息を吐き、意を決したように口を開く。
「捕縛した敵兵を、人質にしようと思う」
確かにそれは仁君たるに努めている姜維には言えない策だ。黄蓋も言葉を失っている。だが同じ軍師である賈詡は司馬昭が非道と謗られるであろう手を提案した気持ちもわかった。
姜維軍がこの戦で捕縛した敵兵はおおよそ二部隊である。各隊の指揮を取っている兵も二人縄に付けていた。
「保険のため、ですか」
「そういうこった」
「具体的にはどうするつもりで?」
「交渉……が出来れば一番良いんだがな。あまり効果は無さそうだ」
相手の、ちからと数に任せて攻めてくる戦法を思い出しつつ司馬昭は渋い顔をする。『替え』はいくらでも居るのだとでも言うように繰り返し繰り返し侵攻してくる相手だ。将二人程度では攻める手をとめるどころか軽くすることすら望み薄というものであった。
しかし、と賈詡は内心首を傾げる。策など瞬時に考えるだけでも他にいくらか浮かぶ。下策と一蹴されるようなものも含めると十はある。それでも人質を取ると決めたのはなぜなのだろう。
「……では」
黄蓋が重々しく口を開いた。
「そのようにしよう。元より見込みなど無かった、そろそろ我らが主もわかってくれるといいんじゃが」
「理解はしてるだろうよ。納得してない――っつーか、納得出来ないってだけで」
司馬昭は大きく息を吸い、ゆっくりと吐いた。きっ、と眉を吊り上げ真剣な表情になる。黄蓋も同じだ。賈詡は顎に手を当て一つ頷く。
これからもう一波乱あることは、周知である。
「――撤退しよう」
何かしたくても何も出来ないというのは、歯痒くて歯痒くて仕方ない。
彼女は君主という立場を活かしきれない自分に罪悪感を覚えていた。一番発言力があり、何をするにも従わなければならない存在だとは知っている。普段ならそうそう顔も見ることが出来ないような偉い人間なのだ、とも。現に怪我や病気の治った者はこれ以上城に居るわけにはいかないと帰り支度を始めている。まだつらいだろう、もっと居てもいいのだと彼女が言っても頑なにそれを拒む。
曰く、そのような待遇は卑賤の身に余る、と。
中にはこのまま居座るつもりでいる者も確かに存在しているのだが、やはり周囲が当人を諌める。誰しもが、それが普通だと言って。彼女はどうするべきか悩んでいた。
自分が一番偉いならば、自分の発言に従ってもらうのが普通だろうか。
しかし郷に入りては何とやら、民の言うようにさせたほうがいいだろうか。
無理矢理従わせるような真似はしたくない。例え身の丈に合わない役目でも、その席に着いたからには周囲から良い評価をもらえる仕事をしたいと思う。だがその所為で今後取り返しのつかない出来事に襲われたら後悔してもしきれない。
どうするのが一番正しいのだろう。答えをもたらしてくれる人間も今は遠くの地だ。彼女は渡り廊下の欄干にもたれかかり、頭を痛めていた。
「――君主様」
足音も慌ただしく近付いて来たのは一人の兵士だった。見覚えがある。彼女が看病をし、回復してからはたまに賈詡の手伝いをしている兵だ。彼は頭を下げたまま早口に「申し上げます」と声にする。
「城邑にて、不審な二人組を発見しました」
「不審な二人組?」
「はい。現在身柄は拘束し、我が方の兵数人と共に城門前に待機させています」
なんで、と彼女は項垂れだ。相談相手も居ないこのときに、なぜ狙いすましたかのように悩み事が増えるのか。彼女は少し泣きたくなりながらも雀の涙ほどの君主らしさを着飾って兵に尋ねる。
「……その二人組とはどのような人物、だ?」
「はっ。一人は全身を鎧に包んだ若い男、もう一人は君主様と年も変わらないような少女ですが武装しておりました」
それを聞いて彼女は思わず呟いた。
「なにその組み合わせ」
彼女には鎧青年の姿も武装少女の姿も上手く想像出来なかった。かろうじて、動く西洋甲冑と腰に剣を携えた女の子を思い浮かべたが、そうじゃないだろうと頭を振る。もしもそうだったら不審にもほどがある。
「……その人達はなにをしに来たんだろう」
兵はわからないと答えた。怪しかったからと捕らえ、それから君主の指示を仰ごうとしたらしい。物騒だなぁと彼女は他人事のように考えた。
「如何なさいましょう」
彼女は何も知らない自分にほとんどを教えてくれる人間を思い浮かべた。
「……とりあえず、その人達に会ってみようか」
不安ばかりが胸を満たす彼女の言葉に、兵は健気に拱手をして応えた。