のはらリン「今度こそ悲劇の運命を回避するッ!!!」 作:しじみ兆
夜の帳が下りていた。
木造の家は静まり返り、廊下の先からは食器を洗う水音がかすかに聞こえてくる。
「お母さん、先に寝るね」
「ええ、分かったわ。あまり夜更かししないでね」
「うん。すぐ寝るよ」
そう答えた声が、まるで嘘を吐いているように自分の耳に届いた。
襖を静かに閉めて、私は畳の上に正座する。
小さな部屋。机の上にはチャクラ練習用の木の板と、ノートが置いてある。
──誰にも知られてはいけない。
でも、もう始めなきゃ間に合わない。
私はゆっくりと息を吐いた。
目を閉じ、背筋を伸ばし、腹の底にある“気配”を探る。
(チャクラ……流れを思い出して)
それは、記憶の中ではすでに身に沁みていたはずだった。
でも、身体が……身体がついてこない。
(……浅い)
この幼い身体のチャクラ経路は未発達で、まるでか細い糸のように弱々しい。
未来の私なら、もっと太く、速く、自由にチャクラを練れた。
今は、まるで水のない井戸を覗いているようだった。
(落ち着いて。無理に力まない。チャクラは静かに、均等に、意識とともに流す──)
額に汗が滲む。膝がしびれてくる。
それでも集中を切らさない。少しでも感じ取れた“内の気”を、外へと導くように。
掌の上に置いた葉っぱが、少しだけ揺れた。
けれど、すぐにスッと落ちた。畳の上に、パサリという乾いた音がした。
(だめ……)
私は肩を落とした。
自分の無力さが、骨にまで染み込むようだった。
頭の中には、未来の戦場で培ったチームワーク、戦術、回復術さえ残っているのに──手が、動かない。
この肉体が、それらを扱うにはまだあまりに未熟だ。
(この身体を、鍛え直すしかない)
私はすぐに膝立ちになり、木の板を抱えて身体を支える筋トレに切り替えた。
腹筋、背筋、腕立て。数なんてどうでもいい。ただ、動ける身体を作ること。
カカシに刺されても“生き残れる肉体”を手に入れること。
(あの時……私は、何も準備していなかった)
死は、あまりにも唐突で。
“信頼”と“油断”のあいだに生まれた、どうしようもない誤解の中で、私は終わった。
自分が犠牲になることで、すべてが回避できると、どこかで思っていた。
──でも、違った。
犠牲では、何も救えなかった。
オビトは狂い、世界は歪み、私はただ“消費された存在”でしかなかった。
「……もう、絶対に、死なない」
声に出してみた。誰にも聞こえないように。
唇をかみ、再び正座に戻る。
チャクラの流れはまだ弱い。でも、確かに“そこにある”。
何度でも繰り返す。何百回、何千回でも。
この小さな身体に、記憶の力を馴染ませていく。
死なないための準備。それが、私の生きる理由だ。
ふと、机の引き出しから取り出したノートの端に、私はひとつ書き足した。
「目標:貫かれても死なない術を、絶対に身につけること」
インクの染みたその言葉が、闇の中で光って見えた。
そして私は再び、掌に葉を置いた。
呼吸を整え、何もない空間の中で、ひとつの力を磨いていく。
“次は、生き延びる”
ただそれだけを祈るように、私は夜の静寂の中で、静かに術の型を組み続けた。
その日、教室の空気は、最初から妙にざわついていた。
朝のチャイムが鳴る少し前、黒板の前に立っていた担任が、「今日は特別講師をお迎えします」と告げた瞬間、教室の空気は張り詰めた。
「だれ?だれ? 有名な人?」
「まさか火影とかじゃないよな?」
誰もが口々に騒ぎ始め、私はその声の波の中で、静かに息を潜めていた。
“特別講師”──記憶のどこかが、微かに警鐘を鳴らしていた。
そしてその瞬間は、あまりにも唐突に訪れた。
「失礼する」
ただ、そのひと言だけで、教室の空気が一変した。
声は低く、よく通り、感情の波がほとんどなかった。だがその響きは、木の葉の芯を撃ち抜くような硬さを持っていた。
──はたけサクモ。
白髪の長髪を後ろで束ね、深い額当ての下に鋭い目を持つ男が、教室の入り口に立っていた。
その姿を見た瞬間、私は思わず指先を握り込んだ。爪が掌に食い込む感覚が、かすかに痛かった。
彼は、未来ではもう死んでいる。
名誉を奪われ、信頼を折られ、息子にも心を閉ざされ、静かに自死を選んだ男。
でも今はまだ──生きている。
「本日から三日間、君たちに“現場で通用する忍の基礎”を教える。名前は、はたけサクモだ」
その名が口にされた瞬間、教室のあちこちで「えっ」「うそ」「本物?」とざわめきが広がった。
「白い牙……って、あの?」
「やば、本物じゃん……!」
どよめきはすぐに沈黙に変わった。
サクモは一切の笑顔を見せず、ただ静かに教壇に立つ。その背筋はまるで竹のようにまっすぐで、誰もが無意識に背筋を正した。
(怖いわけじゃない……でも、圧倒される)
教室の空気は完全に“彼のもの”になっていた。
そしてその中にいた私は、息をすることさえ躊躇うような緊張を覚えていた。
──彼の存在が、こんなにも重かったなんて。
未来の記憶では、彼の死は断片的に語られていた。
“仲間を助けて任務を失敗した男”“村に見捨てられた英雄”
だが今目の前にいるサクモは、そのどれでもなかった。
彼は──ただの、ひとりの“本物の忍”だった。
「まず聞く。忍にとって、もっとも重要なものは何か。答えられる者は?」
教室が一斉に静まり返った。
誰もが答えを探していたが、誰も言葉にできなかった。
「……命、ですか?」
一人の男子が恐る恐る答える。サクモは首を横に振った。
「命は結果にすぎん。“任務を果たす”ことが重要だという者もいるだろう。だが──俺は違う」
その言葉に、私は一瞬、呼吸を止めた。
(来る……あの言葉)
「忍にとって最も重要なのは、“守りたいと思ったものを、最後まで守り抜く覚悟”だ」
教室の空気が揺らいだ。
強さとは、力ではなく信念にある。
そんな言葉が、その声には確かに宿っていた。
「敵が強かろうと、仲間が弱かろうと、失敗の可能性があろうと、“守る”と決めたら、何を捨ててでも守れ。──それが忍の在り方だと、俺は思っている」
言葉に、熱はない。
だがそれは、長年の重みによって磨かれた“真理”だった。
私は、胸の奥にひびが走るのを感じた。
(この人が……この人が、生きていてくれたら……)
カカシの人生は、どう変わっていただろう。
信じることをやめずに済んだかもしれない。
誰かを切り捨てることを正義と呼ばずに済んだかもしれない。
「お前」
思考が浮かびかけた瞬間、不意に声が飛んできた。
私は一瞬、体が硬直した。
──指された。
「……のはらリン。そうだな?」
「……はい」
声が、少しだけ震えていた。
サクモはそのまま、こちらにゆっくりと歩いてきた。
その足音が、教室の板張りをひとつひとつ踏みしめる音が、まるで心臓の鼓動に重なってくる。
「目が違うな」
その言葉に、空気が止まった。
「何かを見た目だ。……ずいぶんと、深いところまで」
私は何も言えなかった。
けれどその目が、私の奥の奥までを見透かしている気がした。
「……お前は、何を守りたい?」
問いかけは、まるで刃だった。
私は、すぐに答えることができなかった。
何を守りたい? オビト。未来。自分。
全部──じゃあ、優先順位は? 命と信念、どちらを選ぶ?
「……まだ、答えは出ていません」
「なら、探すといい。お前なら見つかる。──目が、そう言ってる」
サクモは、それだけ言って去っていった。
教室に静寂が戻るまで、誰も一言も発さなかった。
私は、手のひらに残った汗の感触を見つめながら──
この世界の“歪みの根”が、あまりにも深く絡み合っていることを、改めて思い知っていた
放課後、教室には誰もいなかった。
誰もいないはずだった。
私は、忘れ物を取りに戻っただけだった。
日直のノート。机の中に置きっぱなしにしていた、それだけが目的だったはずだった。
──けれど、そこにいた。
「……あれ」
思わず声が漏れた。
教室の中央。窓際の斜めの光の中に、その男は静かに立っていた。
木製の机に片手を置き、目を伏せたまま、何かを思案しているようだった。
はたけサクモ。
その背中は、昼間の授業中に見たものよりも、ずっと小さく見えた。
怖さも、迫力も、なかった。ただ、哀しみだけがあった。
「……のはら、リン、だったか」
彼は背を向けたまま、私の名を呼んだ。
どうして気づいたのか。音も立てなかったはずなのに。
「はい……忘れ物を取りに」
「そうか。悪かったな、ひとりでこんな空気を占拠して」
「そんな……」
私は言葉を探した。でも何も出てこなかった。
なぜだろう。目の前のこの人は、明日も、明後日も、ここにいるべきなのに──
その背中は、もう“この世に馴染んでいない”ように見えた。
「お前の目は、静かだな」
ぽつり、と言われた。
「俺の目も、昔はそうだった。……何も知らなかった頃は」
私は息を飲んだ。
「……でも、お前の目は、俺よりもずっと深い場所を見てる。だから思ったんだ。お前は──おれのようには、ならないだろうなって」
彼は振り返らなかった。
その言葉は、自嘲でも後悔でもない。どこか“見送り”のような、穏やかすぎる諦めの声だった。
「……私は……」
口が勝手に動いた。
「私は、誰かを助けたいです」
気づけば、そう言っていた。
「助けて、守って、生かして……それが、私の……忍としての理由です」
彼は黙った。
その沈黙が、何よりも重かった。
「理由なんて、すぐに変わるさ。変わってもいい。でも、それでもいい。最後の最後まで──自分が自分でいられるならな」
ゆっくりと、彼は顔だけこちらに向けた。
「──お前は、守れると思うぞ」
その目が、優しく、まっすぐに私を貫いた。
「お前の目には、覚悟がある。……そういうのは、簡単には消えない」
言葉を失った。喉の奥が熱くなった。
何かを言わなきゃと、口を開こうとしたその瞬間、彼はふっと微笑んだ。
「じゃあな。……ありがとう。お前が、この時代にいてくれて」
そして、彼は去っていった。
教室の戸が音を立てて閉まり、沈黙が戻ってくる。
残された私は、なぜかその背中が“もう二度と戻ってこない”と、はっきりと理解していた。
そしてその数日後──訃報は、届いた。
私は、何もできなかった。
けれど、たったひとつだけ、はっきりと分かっていた。
──この人は、きっと、わたしのことを“信じて”逝った。
そして私は、その信頼を裏切った。
(変えられなかった……)
机の上に、誰かが残した落書きがある。
その文字がにじんで、読めなかった
×××
その報せは、朝の空気とともに、やけに静かに届いた。
「……はたけサクモが、自害したそうだ」
担任の口から、その一言が発せられた時。
教室の空気は“どう反応していいか分からない”沈黙に包まれた。
誰かが小さく「え……」と呟いた。
誰かが「なんで?」と聞いた。
でも誰も、それ以上の言葉を持っていなかった。
私は、立っていられなかった。
机の下で、膝が震えていた。
掌が冷たくなっているのに気づいても、それすらも止められなかった。
任務の失敗。仲間を優先したことによる非難。
自らの誇りと、孤立した現実の狭間で、誰にも頼れず、彼は静かに命を絶った。
私は、知っていた。
未来で何が起きるかを。
そして──この死が、はたけカカシの心をどう壊していくかを。
でも、私は何もしていなかった。
「……っ……」
机に伏せて、音もなく震えた。
泣き声ひとつあげられなかった。誰も泣いていなかったから。
誰も“彼の死”を、そこまで重く捉えていなかったから。
“仕方ないよね”“ああいう死に方するような人だったんだ”
そんな目で語られる未来が、もう目の前にあった。
私は──ただ、それを見ているだけだった。
(変えられると思ってた)
あの人が教壇に立ったとき。
信念を語ったとき。
私を見て、「何を守りたい?」と問うたとき。
(本当は、助けたかった)
でも、できなかった。
私は“未来の結末”を知っていても、具体的に“どうすればそれを変えられるか”を、分かっていなかった。
だから、何もしていなかった。
言葉ひとつ、行動ひとつ、選び取らなかった。
それが──命取りだった。
「……のはらさん? 具合でも悪い?」
担任の声が遠くから届いた。
私は何も言えず、ただ小さく首を振った。
言い訳も、理由も、何もなかった。
目の前が霞む。涙ではなかった。
ただ、自分の存在が“意味のないもの”に思えた。
(わたしは……ここで何をしてるんだろう)
未来を変えるために戻ってきたはずなのに、
誰一人、救えていない。
その日の放課後、私は家に帰ると、自室の襖をぴったりと閉め、光も差さぬ畳の上で、ひとり、声を殺して泣いた。
泣き声は、出なかった。
出す気力がなかったのではない。
出す資格が、なかった。
何度も何度も、唇を噛んだ。
小さな音を立てて、声の代わりに、息だけを震わせて。
──私は、あの人に言われた。
「お前は、守れると思うぞ」と。
「その目には、覚悟がある」と。
あれは希望だった。
自分が沈みかけていた場所から、わずかに差し伸べた最後の手だった。
けれど私は──その手を、何一つ握り返せなかった。
(どうして……)
どうして私は、気づいたときに声をかけなかった?
どうして“あの人の目”が、あんなにも遠くを見ていたことに、怯えなかった?
いや、違う。わかってた。
怖かっただけだ。
私は、未来の修正に失敗することが怖くて、
彼の心に深く踏み込むことを──避けた。
あの人が孤独の中で死を選んだのは、
“誰も彼の選択を肯定しなかったから”じゃない。
“最後に信じた誰か──私──が、肯定してくれなかったから”だ。
私は──裏切ったんだ。
そしてその死は、カカシの中で腐敗し、膨れ上がり、
やがて彼を“鋼鉄”のように冷たく変えていく。
未来のカカシは誰も信用しない。
命を“価値”で天秤にかけることに慣れた目をしていた。
そして私は──そんな彼の手によって、殺された。
全ての始まりは、ここだった。
この死が、すべてを連鎖させていく。
──それを、私は知っていたのに。
「……っ……う……」
吐き出すように、かすれた嗚咽が漏れた。
枕を噛んで、喉を押さえつけるようにして。
涙が流れる感覚すらなかった。乾いたまま、ただ熱い。
襖の外では、母が何かを話している声が聞こえる。
晩ご飯の匂いが、微かに漂ってきた。
でも私は動けなかった。
畳の上に膝を抱えたまま、背を丸めたまま、
部屋の隅で、黒くなる天井をただ見つめていた。
どれほどの時間が経ったのだろう。
夜はすっかり更け、虫の声も聞こえなくなっていた。
私は、ようやく手をついた。
指が、わずかに震えている。
自分の体なのに、重たくて、冷たくて、何か“ひとつ”を置いてきたような喪失感があった。
でも、その中で、わずかに、ほんのわずかにだけ──
あの人の背中が、胸の奥で“問いかけていた”。
──「お前は、何を守りたい?」
私は、今こそ答えなければならなかった。
「……もう、黙って見てるだけなんて、しない」
声はかすれていた。けれど、確かに震えていた鼓膜に、届いた。
「見てただけの私を、殺す。
そうして生まれるなら、“見捨てない私”に、なってみせる」
私は立ち上がる。
涙の跡を拭うことはなかった。
その痕を忘れないように、深く刻み込むために。
月明かりの下で、私は机に向かい、筆を取る。
ノートの隅に、小さく──けれど真っ直ぐに、こう記した。
「次は、声をかける」
どんなに遅くても。
どんなに怖くても。
間に合わないかもしれなくても。
──手を伸ばす。
それが“あの人の信じた目”に、報いる唯一の方法だった。
1話あたりどれくらいの文字数だと嬉しいか教えてください!!
-
5000〜6000
-
7000〜8000