『四つ首の仔犬』とは呼ばせねぇ 作:あっぷるドリンコ
あの日から、一週間ほどが経った。
突然の高熱で倒れた僕は、数日間眠っていたらしい。目が覚めた時には体が全く動かなかったが、数日もすれば普通に歩き回れる程度には回復していた。
「ソーマ! 走らない!」
「走ってないよ!」
ギルドの中を小走りしただけで、すぐにお姉ちゃんから声が飛んでくる。
以前から心配性ではあったけれど、あの日からは輪をかけて酷くなった。階段を上れば見張られ、少し咳をすれば額へ手を当てられ、昨日などは一人で風呂へ入ると言っただけで本気で悩まれたくらいだ。
僕は、あの日から少しだけ大人になった。
忘れられないんだ、あの悪夢が。
頭も痛くなければ熱もない。食事だって普通に食べられるし、今日だって自分の家からギルドまで歩いて来られた。だけど、どうしてもあの記憶と感情が脳裏をよぎる。
夢だったのかもしれない。むしろ夢だと思いたかった。
けれど頭の中には、今まで知らなかったはずのものが残っている。聞き覚えのない言葉や、見たこともない魔法。行った覚えのない場所の景色まで、何かの拍子に突然浮かんでくる。
断片的で使いようがないガラクタの記憶だった。いざ思い出そうとすると霧がかかったように分からなくなるくせに、忘れようとすると勝手に現れるのだから質が悪い。
何より、あの時感じた恐怖だけは消えてくれなかった。
本当に未来なのか。いつ起こるのか。どうして僕が見たのか。何一つ分からない。
それでも、一つだけ決めたことがある。やらなきゃいけないって思ったんだ。
僕は強くなる。お父さんも、お姉ちゃんも、兄ちゃんも。大好きな四つ首の番犬のみんなも守れるくらい、誰にも負けないほど強くなる。
そして五歳の僕にとって、強くなるために思いつくものなんて一つしかなかった。
◇
「兄ちゃん! 魔法教えて!」
ギルドへ入るなりそう叫ぶと、近くにいた何人かがこちらを振り返った。
昼前の四つ首の番犬は、今日もいつも通り騒がしい。依頼書を眺めながら朝食を食べる人がいれば、カードで賭け勝負を始めている人もいる。碌でもないんだろうけど、これがウチの日常だった。
「朝っぱらからうるせえな。聞こえてるよ」
少し離れたテーブルから、暇そうにしていた兄ちゃんが顔を上げた。
見つけた瞬間に駆け寄ろうとすると、その直後、カウンターの向こうから鋭い声が飛んでくる。
「ソーマ!」
「っ!」
慌てて足を止める。お姉ちゃんが、ものすごく怖い顔でこちらを見ていた。
「……走ってないよ?」
「今から走ろうとしたでしょ」
ヒヤリとした汗が首筋を伝う。お姉ちゃんは怒らせると一番怖いんだ。
仕方なく普通に歩いて兄ちゃんのところまで向かうと、その一部始終を見ていた兄ちゃんが肩を揺らして笑った。
「大変だな、ガキ」
「兄ちゃんに笑われたくないよ」
僕はそのまま兄ちゃんの正面へ立つ。
「この前、魔法教えてくれるって言ったよね?」
「覚えてやがったのか」
「全部教えてって約束したもんね」
兄ちゃんは面倒そうに頭を掻いた。けれど、本当に嫌がっているわけではないことくらい僕にも分かる。
「まあ……言ったのは俺だしな。ただし今日は魔法だけだ。身体動かすのはアリアが許さねえだろ」
「うん!」
魔法――悪夢を見る前からずっと憧れていた力。
世界最強の魔導士になるのだから、まずは魔法を使えるようにならなければ始まらない。
「頑張るぞ!」
思わず声が溢れた。そんな僕を見て、兄ちゃんは小さく笑う。
◇
僕にとって魔法は、ずっと身近なものだった。
フィオーレで暮らしていれば、魔法を目にしない日の方が珍しい。町には様々な魔法アイテムが当たり前のように売られているし、ましてやウチは魔導士ギルドだ。依頼帰りの魔導士が自慢げに魔法を見せ、その勢いで壁を壊してマスターに怒鳴られることだって珍しくない。
だから僕も、少し大きくなれば自然と魔法を使えるようになるものだと思っていた。
「まずは簡単なのからな」
ギルド裏の空き地で、兄ちゃんが腕を組む。
「簡単なの?」
「ああ。いきなり派手なの覚えろって話じゃねえ。お前が何に向いてるかも分からねえからな」
どんな魔法を身につけられるかは人によって違うらしい。得意不得意もあれば、本人との相性もある。だから最初は色々試しながら、自分に合ったものを探していくのだという。
兄ちゃんが真面目に話してくれるのが珍しくて、ちょっと笑いそうになってしまった。
「まずは何やるにしても魔力が使えねぇと意味がねぇ。そこからやっていくわけだが……」
「どうやって?」
「……そこなんだよな」
兄ちゃんが困ったように眉を寄せる。
「身体ん中に魔力があるだろ?」
「うーん……分かんない」
「感じねえか?」
「うん」
「…………」
兄ちゃんに黙られた。
兄ちゃんの説明は感覚的すぎて、どうにも分かりにくかった。
「兄ちゃん?」
「いや、まあ、お前まだ五歳だしな」
明らかに誤魔化されたのを感じる。
その後も、手を前へ出してみたり、目を閉じてみたり、兄ちゃんが普段魔法を使う時の感覚を聞いて真似してみたり……色々やった。
身体の中にあるという魔力を意識して、それが掌から外へ出るところを想像する。言われた通りに何度も試したけれど、いつまで経っても何も分からなかった。
「……できてる?」
「いや。何も出来てねぇな。魔力は動いてそうな気がするんだけどな」
「じゃあ、もう一回!」
手の向きを変えてみる。今度は目を閉じる。さっきより強く念じてみる。
それでも結果は同じだった。
「最初なんざそんなもんだ」
兄ちゃんは特に気にした様子もなく、僕の頭を軽く叩いた。魔力の扱いは感覚によるところが大きいらしい。僕は少し、モヤッとした。
「今日できなきゃ明日やりゃいい。焦んな」
「明日はできる?」
「知らねえよ」
僕自身も、この時は大して気にしていなかった。
今日は初めてだったから。明日になればできるかもしれないし、明日できなければ、その次の日にできるようになればいい。
それくらいに考えていた。
◇
けれど、何日経っても何も出来なかった。
兄ちゃんだけではない。もしかしたら教え方が僕に合っていないのかもしれないと思って、ギルドの色々な人に頼んだ。
炎の魔導士や、
教えてくれる人によって、魔力の扱い方を表す言葉は少しずつ違った。
身体の中にある魔力を意識して、それを使いたい場所へ集めると言う人もいれば、使いたい魔法の形を思い描き、そこへ魔力を流し込むのだと説明する人もいた。感覚だから慣れれば自然にできると言う人もいて、僕の頭はもうグチャグチャだった。
それでも、結果だけは一度も変わらなかった。
何かに失敗しているわけですらない。火を出そうとして煙だけ出るわけでも、弱い風しか起こらないわけでもない。本当に、何も起こらない。
「……おかしいな」
そんな日が続いて、兄ちゃんが初めてそう言った。
「なにが?」
問い返すと、兄ちゃんは腕を組んだまま僕を見る。
「単に下手とか、慣れてねえって感じじゃねえんだよ。普通なら下手なりに何か起きてもよさそうなもんなんだが……」
「僕、魔法使えないの?」
思わず聞いた。
「そこまでは言ってねえ」
兄ちゃんはすぐに否定した。
けれど、その声がほんの少しだけ硬かったことには、僕でも気づいた。
◇
それから数日後。
僕はお父さんと一緒に、オニバスを離れていた。
「まだ着かないの?」
「もう少しだ」
「さっきもそう言った」
「黙って歩け」
そう言いながら、お父さんはちゃんと僕の歩幅に合わせてくれている。
僕たちが向かっているのは、マグノリアという街の近くにある森だった。
僕はすでにオニバスでも何人かの医者や魔導士に診てもらっている。身体へ見たことのない器具を当てられたり、水晶のようなものへ触らされたり……色々やってもらった。
そこで分かったのは、僕が持っている魔力は同年代の子供と比べても少ないらしい、ということ。けれど、それだけでは魔法がまったく使えない理由にはならないらしい。
誰もはっきりしたことを言ってくれないまま、それを聞いたお父さんが最後に一人だけ診せたい奴がいると言った。
「誰に会いにいくの?」
僕が声をかけると、口に咥えていた枝が上下する。
「昔の知り合いだ。腕だけは確かだ」
「……腕だけ?」
「性格は最悪だ」
「お父さんが言うの?」
僕が口答えすると、少しだけ怒られた。グリグリとされた頭が痛い。
木の枝を踏みしめながら森を進むと、やがて木々の向こうに一軒の家が見えてきた。
森の奥にぽつんと建った、小さな家だった。
お父さんは迷う様子もなく扉の前まで進むと、遠慮なく拳を叩きつける。
「おい、ポーリュシカ! いるんだろ!」
「うるさいよ! 成金バカ!!」
中から即座に怒鳴り声が返ってきた。
…………お父さんが言った意味が、少しだけ分かった気がする。
◇
「ガキを連れてくるんじゃないよ!」
扉が開いて最初に言われた言葉が、それだった。
赤い髪の女の人だった。僕から見れば十分お婆ちゃんと呼べる年齢なのだけれど、そんなことを口にしたらものすごく怒られそうな雰囲気がある。
「相変わらずだな」
「用が済んだらさっさと帰りな。あたしは人間が嫌いなんだ」
「だったら俺も追い返せよ」
「アンタは昔から勝手に上がり込むだろうが!」
どうやら本当に昔からの知り合いらしい。二人のやり取りをみて、僕は理解した。
ポーリュシカと呼ばれた人はしばらくお父さんを睨みつけたあと、その視線を僕へ向けた。
「……その子かい?」
「ああ」
お父さんの声が少しだけ低くなる。
「二週間ほど前に突然倒れた。馬鹿みてぇな熱出して、三日近く意識が戻らなかった。その後、本人が魔法を覚えたがって色々試してるんだが、何一つ起きねえ」
「倒れる前は?」
「病気なんてするやつじゃなかったし、体調面には問題ねぇと医者に聞いてる」
また睨み合っている二人。それでも会話はどんどん進んでいく。
僕は二人の間でどうすればいいか分からず、とりあえず黙っていた。
「……まあいい。そこに座りな」
「はい」
言われた通り椅子へ座ると、すぐに額や首元へ触れられた。
「熱はないね」
「もう元気だよ」
「アンタに聞いてないよ」
「……はい」
怖い。流石に声をかけられたのだから、聞かれたと思っても仕方ないだろう。
その後もいくつかの道具で身体を調べられた。透明な石へ手を置かされ、腕や胸元へ魔法をかけられ、時折見たこともない薬のようなものまで飲んだ。
その間、ポーリュシカさんはほとんど何も言わなかった。でも、手つきは凄く優しかった。
最初こそ面倒そうにしていたのに、調べる時間が長くなるにつれて段々と表情が険しくなっていく。最後に僕の胸元へ手を当てたまま長いこと黙り込み、やがてゆっくりと手を離した。
「ゴールドマイン」
「ああ」
「大体分かったよ」
お父さんの顔から、先ほどまでの軽い雰囲気が消えた。
「説明しろ」
ポーリュシカさんは僕を一度見てから、近くの椅子へ腰を下ろした。
「まず、魔導士の身体についてどこまで知ってる?」
「俺はお前と違って頭は良かねぇ。一般的な話ぐらいしか知らねぇよ」
ポーリュシカさんは呆れたように肩をすくめ、お茶を飲む。どうやら込み入った話になるみたいだ。
「そうかい。バカにも分かるように初歩的なところから再確認していく」
お父さんの眉間に皺が寄るが、話を遮ることはしなかった。
「魔導士は大気中に存在するエーテルナノを体内へ取り込み、自分の魔力として蓄える。その魔力を溜めておく器――
僕にはほとんど意味が分からなかった。
けれど、お父さんは真剣な顔で話を聞いている。
「この子は、その魔法源が小さい。生まれつきだろうね。同年代と比べても、蓄えておける魔力そのものが少ない」
「やっぱり、そこは間違いねえか」
「ああ。でも、魔力量が少ないだけなら、魔法がまったく使えない理由にはならない。これは他の医者の意見と同じさ」
ポーリュシカさんがはっきりと言った。
「魔力が少ない魔導士なんていくらでもいる。使える魔法の規模や回数に限界は出るが、それだけで何一つ使えなくなるわけじゃない。問題は、その先だ」
そう言って、僕の胸元を指差す。
「魔法源から魔力を引き出して、それを使いたい魔法の形へ組み上げる。火なら火、風なら風、身体強化なら自分の肉体へ作用する形にする。魔法を使うには、程度の差こそあれ、そうやって魔力に形を与える過程がある」
「……こいつは、それができねえのか?」
「正確に言えば、極端に上手くいってない。不可能では無い筈……」
ポーリュシカさんは僕の胸元から手を離し、指先に残った感覚を確かめるように軽く握った。
「魔力そのものはちゃんとある。身体の中を流すこともできるし、僅かなら外へ出すこともできる」
「なら、何が駄目なんだ?」
「簡単に言えば、この子は
お父さんが眉を寄せる。
「もちろん、本当に身体の中で魔法陣を描いてるって意味じゃない。魔法陣ってのは、魔力をどういう魔法にするのか、その形や方向を決める設計図みたいなものさ。火にするのか、風にするのか、それとも身体を強化するのか――魔導士は魔法を使う時、それに当たるものを無意識に組み上げてる」
「こいつは、それができねえのか」
「ああ。魔力を動かすところまでは問題ない。でも、そこから先の設計図を組み上げられない。だから魔力を外へ出せても、一つの魔法として形にならずに終わっちまう」
ポーリュシカさんは僕へ視線を戻した。
「今までアンタが試していたような魔法が使えないのは、それが原因だよ」
僕にも、少しだけ分かった気がした。
「じゃあ……僕の中にも、魔力はあるの?」
「他の医者も言ってただろうけど、魔力はちゃんとある。少ないけどね」
僕は自分の胸を見る。何も感じない。けれど、魔力が無いわけではないらしい。
「……原因は?」
お父さんが枝を口から外した。
「やっぱり、倒れた時か?」
ポーリュシカさんはすぐには答えなかった。
「断定はできない。これまで魔法をまともに使ったことがないんだ。前の状態と比べる材料がない以上、元からそうだった可能性も捨てられない」
そこで一度言葉を切る。
「ただし――その日に何かが起こったことだけは間違いない」
ポーリュシカさんの視線が僕へ向いた。
「高熱を出した直後のこいつを診た医者の記録も見せてもらった。身体そのものには大した異常がなかったのに、魔力だけが酷く乱れて、枯渇寸前だった。五歳の子供が熱を出したくらいで、あんな状態にはならない」
僕は膝の上で手を握った。
燃えるオニバス。倒れているみんな。黒い翼。
最後に頭の中へ一気に流れ込んできた、知らない記憶の濁流を思い出す。
「ソーマ」
呼ばれて顔を上げる。
「あの日、何か魔法を使った覚えは?」
「……分かんない」
「本当に?」
「うん。僕、何にもしてないよ。急に頭が痛くなって……そしたら、知らないものがいっぱい見えて……」
そこまで言って、口を閉じる。
未来――そう言っていいのかは、まだ僕自身にも分からない。
ポーリュシカさんはしばらく僕の顔を見つめたあと、それ以上は追及しなかった。
「もし、それが何らかの魔法現象だったと仮定するなら」
今度はお父さんへ向き直る。
「五歳の身体と、元々小さい魔法源で扱える範囲を大きく越えた魔法を、無理やり成立させた可能性がある」
「その反動で……」
「ああ。魔力を魔法として組み上げる部分に、耐えられないほどの負荷がかかった。そう考えれば、倒れた直後の異常な魔力の乱れにも説明はつく」
お父さんが黙る。
「治せんのか?」
「分からない」
即答だった。
「筋肉や骨なら、傷ついている場所を探して治せる。けどこれは、そういう単純な傷じゃない。成長と一緒に状態が変わる可能性もあるし、使い方を覚えて多少改善する可能性もある。それでも、元通りになる保証なんてできないよ」
しばらく部屋が静かになった。僕には難しい話が多かった。
でも、一番聞きたくなかったところだけはちゃんと分かってしまった。
「……じゃあ、僕、魔法使えないの?」
ポーリュシカさんが僕を見る。
「少なくとも、今までアンタがやっていたやり方で魔法を身につけるのは、かなり難しいだろうね」
大丈夫だとも、そのうち使えるとも言ってくれない。その言い方がどういう意味なのかくらい、僕にも分かった。
途端に胸の奥が急に苦しくなった。
世界最強の魔導士になる。そう、みんなの前で言った。
魔法も格闘技も全部教えてもらって、兄ちゃんたちみたいに強くなればいいと思っていた。それなのに、その最初の魔法から自分には難しいと言われている。
「じゃあ……」
声が上手く出なかった。
「僕、魔導士になれないの?」
言葉にした途端、目の奥が熱くなる。
泣きたくなんてなかった。お父さんもいるし、知らない人の前だ。それでも、唇が勝手に震えた。
「誰がそんなこと言ったんだい?」
「……え?」
顔を上げる。
ポーリュシカさんは慰めるどころか、呆れたような顔で僕を見ていた。
「アンタが今まで試してたのは、術者自身が身につけた魔法を使う
「でも、魔法……」
「魔法の使い方が一種類しかないなんて、誰に教わったんだい?」
そう言われて、何も答えられなくなる。そもそも僕は、魔法に種類があることすらよく知らなかった。
「魔法には、アイテムを媒介にして使う
「……ホルダー?」
初めて聞く言葉だった。
「所持系にも色々あるが、魔法アイテムの中には、使い手の代わりに術式を担ってくれる道具もある。魔力を受け取れば、あらかじめ組まれた術式に従って決められた魔法を発動する――そういうものを、魔道具と呼ぶこともある」
ポーリュシカさんが僕の手を取る。
「この子は魔力そのものが無いわけじゃない。量は少なくてもちゃんとあるし、身体の中を循環もしてる。魔道具へ魔力を流し込むだけなら、今の状態でもできる可能性が高い」
「じゃあ……」
お父さんが目を細めた。
「こいつ自身ができねえ部分を、魔道具側にやらせるってことか?」
「そういうことさ」
その言葉に、僕は涙を拭うことも忘れて二人を見る。
「僕でも……使えるの?」
「恐らく使えるだろうね。でも確実じゃない」
ポーリュシカさんは、あくまでそこだけは言い切らなかった。
「所持系だって何でも使えるわけじゃない。大量の魔力を必要とする物なら、そもそもアンタの魔力量じゃ動かせないだろうし、使用者自身が細かく魔力を制御しなきゃならない物もある。勿論、万能なんて話じゃないよ」
僕が少し不安になったのが分かったのか、ポーリュシカさんは続ける。
「でも、今までとは別の道がある。その可能性くらいは保証してやる」
「……ほんと?」
「何度も言わせるんじゃないよ」
怒られた。それでも、さっきまでとは違った。
魔法が使えない。それだけで全部終わったと思った。でも本当は、僕が知っている方法が一つしかなかっただけなのかもしれない。
「まだ五歳だろうが。知らないことだらけのくせに、勝手に全部終わった顔するんじゃないよ」
ポーリュシカさんは鼻を鳴らす。
「鬱陶しい」
やっぱり言い方は酷かった。
でも今度は、少しだけ笑えた。
◇
帰り道。僕は行きとは違って、ほとんどお父さんへ話しかけなかった。落ち込んでいたわけではない。
頭の中が、さっき聞いた話でいっぱいだったんだ。
――
その中には、自分でできない部分を魔道具に代わりにやってもらえるものがある。
何度考えても不思議だった。
僕の中にある魔力は、自分で魔法にしようとすると上手くいかない。でも、そのまま道具へ渡すだけならできる……そんな可能性。
「……道具が、魔法にしてくれる」
小さく呟く。
僕一人ではできないところを、外にある道具にやってもらう。
確かに考えれば、心当たりがある気がした。
「何だ?」
「なんでもない」
そのまま無言で歩き続ける。ぼうっとその記憶を掘り出そうと集中していると、不意に頭の中へ一つの光景が浮かんだ。
地面を走る、小さな車。
「あ」
思わず足を止める。
「今度は何だ」
「お父さん」
「あ?」
「僕、魔法の車使ってたよね?」
お父さんも足を止めた。
「車?」
「ほら、前に買ってくれたやつ。地面に置いたら走る車!」
「ああ……お前が二日でバラしたやつか」
「三日だよ!」
「変わんねえよ」
そこは大事じゃない。
あの車だって、魔法で動くアイテムだった。それだけじゃない。触ると光る玩具や、音が鳴る玩具もあった。
僕は今まで、そんなものを何度も使ってきた。お父さんが、ギルドのみんなが僕にくれたものがある。
魔力を感じたことなんて一度もない。どうやって動いていたのかも知らない。ただ触って、遊ぶことができていた。
「……僕、使ってた」
自然と歩く速度が上がる。
「何がだ?」
「魔法アイテム!」
振り返る。変な顔をしたお父さんがいた。
「僕、使ってたよ!」
それだけで所持系の魔法を使えていた証拠になるのかは分からない。
それでも、魔法を道具へ任せるという考え方自体は、ずっと身近にあったんだ。
「お父さん! 本格的な魔法アイテムある!? 僕、やっぱり使えるかもしれない!」
「ギルドにゃ探しゃ何かしらあるだろうが……おい! 走んな!! こんなとこで走ったらコケんぞ」
最後まで聞くより先に、僕は前を向いた。怒鳴り声を背中で聞きながら、足が勝手に速くなっていく。
さっきまでの悔しさが消えたわけじゃない。兄ちゃんたちと同じような魔法を使えないことは、やっぱり悔しかった。
でも、別の道があるなら試したい。
本当に僕にも使えるのか。どんな魔法アイテムなら使えるのか。
それを知りたくて仕方がなくなっていた。
◇
「兄ちゃん!」
僕はギルドへ入るなり、バーのカウンターへ駆け寄る。
「兄ちゃん! 魔法アイテムある!?」
「あ?」
カウンターでお姉ちゃんと話しながら依頼書を見ていた兄ちゃんが、何事かと振り返った。
「なんだなんだ、急に」
「ポーリュシカさんに言われたんだ! 僕、今までやってた魔法は難しいけど、所持系の魔法なら使えるかもしれないって!」
帰り道で思い出した魔法玩具のことも一気に話す。
「だから試したい! 僕でも使えるか!」
「なるほどな……そっちは確かに試したことなかった……のか?」
兄ちゃんはピーナッツを一つ口へ放り込み、少し考え込んだ。
「……そういや、確か一個持ってたな」
「ほんと!?」
「ああ。アリア。前渡した腕輪残ってるか?」
「ええ、持ってるわ」
お姉ちゃんがカウンターの奥を漁り、しばらくして小さな革袋を取り出した。
中から出てきたのは、金属製の腕輪だった。中央には小さな起動部が取り付けられている。
「簡易防壁の魔法アイテムだ。前の依頼で貰った安物だけどな」
「これも所持系?」
「ああ。お前が魔力を流せば、腕輪に組まれた術式が防壁に変えてくれる。今のお前が試すなら、こういう単純なやつがいいだろ」
兄ちゃんが僕の腕に巻き付け、中央の起動部を指差す。
「ここ押して、魔力を流してみろ。腕輪がお前の魔力を受け取るはずだ」
指を伸ばす。けれど、僕は触れる寸前で手を止めた。
「……兄ちゃん」
「ん?」
「これも使えなかったら……どうしよう」
急に不安になってきてしまった。この手段すら駄目だったら、僕があの未来に抗う術が無くなってしまう。そんな気がして。
兄ちゃんは一瞬だけ黙った。それから僕の額を軽く小突く。
「その時は次探すぞ」
「次?」
「一個駄目だったくらいで全部終わった顔すんな。強くなりたいんだろ?」
「……うん」
「なら探せ。使えるもんがあるなら、全部使えばいい」
僕は腕輪を見つめ、今度こそ起動部を押した。
カチリ、と音がする。
「わっ……!」
腕輪へ僅かに何かを持っていかれるような感覚がした直後、青白い光が広がり、僕の前に半透明の壁が現れた。
微かな倦怠感と一緒に、それ以上の喜びが湧き上がってくる。
「出た……?」
「お、ちゃんと出たな」
兄ちゃんはそう言うと、カウンターの皿からピーナッツを一つ摘んだ。
「ほらよ」
「え?」
指先から弾かれたピーナッツが、僕へ飛んでくる。
カンッ、と乾いた音がした。
ピーナッツは目の前で弾かれ、そのままカウンターの上へ転がった。
「…………」
ピーナッツと防壁を交互に見る。そして最後に、自分の腕へ目を移した。
「……僕がやったの?」
「半分な。魔力はお前。でも魔法にしたのはその腕輪だ」
ようやく、ポーリュシカさんから聞いた話が完全に理解できた気がした。
僕一人ではできない部分を、この腕輪が代わりにやってくれた。自分で魔法として形にできなくても、魔力を道具へ渡すことはできる。
カウンターに転がっていたピーナッツを摘み、そのまま口へ放り込む。
「兄ちゃん! 僕でも魔法使えた!」
「ああ」
「おめでとう、ソーマ!」
お姉ちゃんが嬉しそうに頭を撫でてくれる。
ピーナッツ一つ弾くだけの、小さな防壁だ。これだけじゃ、お父さんも、お姉ちゃんも、兄ちゃんも守れない。あの黒い竜なんて、もっと無理だ。
でも、何もなかった場所に、ようやく一つ道が開けた。
僕を追ってきたお父さんも、帽子の下で僅かに口元を緩めている。
僕はもう一度、腕輪を見る。
どうして僕の魔力を受け取れるんだろう。どうやって防壁にしているんだろう。中の仕組みを変えたら、別の魔法も使えるんだろうか。
嬉しさだけじゃなく、そんな探究心まで湧き上がってくる。
「……兄ちゃん。これ、中見ていい?」
「駄目に決まってんだろ」
「なんで!?」
「お前、昔もそれで玩具壊しただろうが!」
「今度は壊さない!」
「信用できるか!」
僕と兄ちゃんの会話を聞いて、周囲から笑い声が上がる。周りのみんなも僕の魔法を見ていたんだ。
少し恥ずかしい。でも、嬉しくて涙が出た。
魔法には無限の可能性がある。
僕にできないことは、道具にやってもらえばいい。一つで足りないなら、もっと探せばいい。使えるものがあるなら、全部使えばいい。
そしてこの日、僕は初めて、魔法を使えるようになりたいだけじゃなく――その魔法が、どうして動いているのかを知りたいと思った。
■ 簡易防壁の腕輪
魔力を流すことで、使用者の正面へ小型の防壁を展開する腕輪型魔法アイテム。使用者自身が防壁魔法を習得している必要はなく、内部の術式が受け取った魔力を簡易防壁魔法へ変換する。低出力かつ単機能だが、その分だけ扱いやすい。
ソーマの魔導士としての生活は、ここから始まった。
なお、初めて防いだ攻撃はピーナッツ。