『四つ首の仔犬』とは呼ばせねぇ 作:あっぷるドリンコ
「あの日から、いい子になりすぎちゃってね……お姉ちゃんとしては、ちょっと物足りないのよ……」
「テメェ、あいつの母親かよ……俺らまだ13だぜ……」
昼下がりの
バーカウンターの向こうで、アリアは磨き終えたグラスを棚へ戻しながら、物憂げにため息をついた。
向かいの席では、バッカスが頬杖をついている。目の前に置かれているのは酒ではなく水で、本人としては大いに不満らしい。隣のテーブルで昼間から酒を飲んでいるギルド員へ、先ほどから何度も恨めしそうな視線を送っていた。
「つーか、いい子って何だよ。魔法魔法ウルセェガキじゃねぇか」
「前だったら、もっと遊んでたじゃない……ギルドの中を走り回ったり、お隣のおじさんの顔に落書きしてお父さんに怒られたり」
「考えてみりゃただの悪ガキじゃねえかアイツ」
「そんな子が最近はずっと書物庫こもりっきり。そこにいなかったら保管庫で、それでも見つからなかったら、誰か捕まえて魔法のこと聞いてるわ」
バッカスが少しだけ眉を上げた。
「書物庫なんか、よく入る気になるな。何が置いてあんのかも知らねえぞ」
「でしょうね。ウチのギルドはそんな人ばっかりよ」
アリアは呆れたように言った。
四つ首の番犬にも、
昔の依頼記録や帳簿、誰かがどこかから持ち帰ってきた古い書物を、とりあえず捨てずに押し込んでいた部屋だ。案の定、その部屋を利用する人は存在していない。
棚には長い間動かされた形跡のない本が並び、空いている場所には壊れた椅子や予備の箱まで押し込まれている。少し前までは机の上にも薄く埃が積もり、奥へ歩けば靴跡がそのまま残るような有様だった。
そこへ入り浸るようになったのが、ソーマだった。
「最初の日なんて、埃吸って咳が止まらなくなったのよ?」
「そりゃそうだろ……」
「ソーマと一緒に机を片付けて、本棚から埃まみれの本を引っ張り出して……大変だったんだから」
アリアは困ったように笑った。
「昨日なんて、ご飯って呼びに行ったのに返事もしないんだから」
「腹減って出てくんだろ。ほっとけほっとけ」
「五歳児に言うことじゃないでしょ……というか、五歳ってそんなにお利口だったかしら? そもそも文字教えたっけ……?」
アリアの疑問にバッカスが口を閉じる。バッカスも少し疑問に思っていたところはある。それから水の入ったグラスを持ち上げ、少しだけ考えるように目を細めた。
「まあ、魔法アイテム使ってからずっとあんな調子だしな」
「う〜ん……楽しそうなのはいいんだけどね」
アリアの声が、ほんの少しだけ柔らかくなる。
事実ソーマは楽しそうに過ごしている。あの一件からどこか暗い雰囲気を覗かせていた少年が、知らないことを見つければ目を輝かせ、分からないことが増えれば、それ以上に本を抱えて書物庫へ戻っていく。それ自体は、きっといいことなのだろう。
けれど、高熱を出す前とまったく同じかと言われれば、そうではなかった。
時々、何かに追われているような顔をするソーマ。二人は、その胸の内にある「強くならなければ」「守れるようにならなければ」という焦りの理由までは知る由もなかった。
「ま、変な方向に行きそうならどうにかすりゃいいだろ」
「誰が?」
「知らねえよ」
「兄貴分なんでしょ?」
「誰が決めたんだよ……」
アリアはバッカスを見つめながらにっこりと笑った。
「ワ・タ・シ」
少し離れた場所では、二人の会話を聞いていたゴールドマインが、口に咥えた枝を僅かに揺らしていた。
◇
僕は書物庫で、一冊の本と睨み合っていた。
「……術式」
指で文字をなぞる。よく分からない。
隣に積んであった別の本を引き寄せ、目次から同じ言葉を探す。やっと見つけて頁を開いてみれば、今度はその説明の中に知らない言葉があった。
「魔力伝導……?」
さらに別の本を探す。すると今度は触媒という言葉が出てきた。
「また変な言葉が増えた…………」
思わず机へ額をつける。デコボコした部分がおでこに当たって痛い。
僕は魔法アイテムについて知りたくて、本を読み始めたはずだったんだけど…………
——あの日、僕は初めて魔法を使えた。
自分では何一つ魔法として形にできなかったのに、腕輪へ魔力を流し込んだだけで、防壁が目の前へ現れた。魔法を発動できたんだ。
どうしてそんなことができるのか。
どんな方法で可能にしているのか。
僕は魔法アイテムを使いこなすのと同じぐらい、そこが気になった。
ポーリュシカさんは、魔法陣を「魔力をどんな魔法へ変えるのか決める設計図みたいなもの」だと言っていた。僕は、その設計図を自分の中で上手く組み上げることができない。でも、魔法アイテムには最初からそれが入っている。なら、誰がどうやって、その設計図を道具の中へ組み込んでいるのか。
僕はそれを理解することが強くなるための近道だと思った。
最初は本を読めばすぐ分かると思っていた。けれど実際には、一つ調べるたびに知らないことが二つ、三つと増えていく。本を読むためにも、前提となる知識が必要だってことを僕はわかっていなかったんだ。
机の上には、魔法アイテムについて書かれた本だけではなく、魔力、魔法陣、
「……おかしい」
分かるために調べているのに、分からないことの方が増えている。
恨めしく思いながらも、また頁をめくる。
古い本だからか、紙は少し黄ばんでいた。端が折れている頁もあり、何年も誰にも触られていなかったらしく、開くたびに小さく埃が舞う。それでも、最初にここへ入った時よりはずっとマシだった。
棚の一角だけは、自分で何度も拭いたし、机の上に積まれていた箱もどかした。椅子は脚が少しぐらついていたので、下に適当な紙を何枚か重ねて高さを調整している。
最初はただの物置みたいだった場所が、最近では自分だけの秘密基地みたい……なんてこっそりとワクワクしていたりもする。
「……魔力回路」
また知らない言葉を見つけた。意味の分からない絵と添えられた文字。それだけが今回見つけられた手がかりだった。
隣の本へ手を伸ばす。
「……マ」
遠くで声がした気がする。ギルドの広間で誰かが騒いでいるのだろうか? でも今は、それより先に本を読み進めたい。
「魔力回路……ラクリマから術式へ魔力を送る……」
「ソ……?」
「……伝達効率が――」
「ソーマ!!」
「はいぃ!!」
誰かに肩を掴まれ、僕はビクッと勢いよく顔を上げる。
気づくとすぐ横に、お姉ちゃんが立っていた。笑っている……でも、これは間違いなく怒っている時の笑顔だった。
「い、ま! 何時だと思う?」
「……お昼?」
「とっくに過ぎてるよ! もう三時だよ!!」
思わずハッと窓を見る。
――確かに書物庫へ入った時より、日がかなり傾いていた。
「ご飯……忘れてた」
「でしょうね」
机の端へ、サンドイッチが置かれる。
「ありがと!」
「どういたしまして……食べながら本を読んじゃダメだからね?」
「まだ何も言ってないよ?」
「顔に書いてあるの」
どうやら許してくれないらしい。僕は仕方なく本へ栞を挟み、閉じる。
「あと、今日は暗くなる前に出てくること!」
「でも、まだ調べたいことが――」
「返事」
「……はい」
僕は一生お姉ちゃんには勝てないんだろうなって悟ってしまった。
◇
どうにかこうにか本を読み進めて分かったこともある。
カードや銃、杖などの魔法アイテムを媒体にするもの。特別な鍵を使うものに、僕が使った腕輪のように、道具そのものに術式が組み込まれているもの。同じ所持系でも、その仕組みは随分と違うらしい。
その中で、一番驚いたのは鍵を使う『星霊魔法』だった。
「星霊魔法……」
古い本の頁には、いくつもの鍵が描かれている。
鍵を使い、星霊界にいる星霊と契約して呼び出す魔法……らしい。鍵という小さな道具一つで、違う世界と繋がるなんて……正直ただの道具という言葉では収まらないようにすら思えた。
それだけでも十分すごいのだが、さらに読み進めると、その中には特別な鍵まであるという。
「黄道十二門の鍵……」
金色の鍵。黄道十二星座のシンボルマークが描かれた鍵は、世界に一本ずつ、計十二本しか存在しない超レア物。
「いいなぁ……すごいや……」
本物を見てみたいし、僕も欲しい。
星霊ってどんな存在なんだろう。どうして鍵一つで別の世界への門を開けるのだろう。契約って、いったいどうやるんだろう——疑問が次々に出てくるけれど、答えを示してくれる人はいない。生憎
「はぁ…………」
結局、分からないことは自分で調べるしかないみたいだ。僕は諦めて本を読み進める。
◇
僕は書物庫と同じくらい、ギルドの保管庫を漁っている。こっちは書物庫以上にグチャグチャしていて広かった。
壁沿いの棚には昔使われていた武器や道具が並び、床には木箱が積まれている。依頼から持ち帰ったまま置かれているものもあれば、誰が使っていたのか分からない古い装備もあった。
……最初は、もっと魔法アイテムがたくさんあると思っていた。でも実際には、普通の武器や生活道具の方がずっと多い。
理由はとても単純で、魔法アイテムは高いってだけ。使われる
複雑な術式や戦闘用のものになるほど値段は跳ね上がり、簡単な依頼を何件かこなした程度では買えないものも珍しくないらしい。整備費もバカにならないらしく、だから使用者が少ないということだ。…………値段を見てみたけど、僕じゃ絶対に買えない金額だった。
ウチの保管庫にある魔法アイテムも、依頼先から報酬代わりに譲られたものや、昔誰かが使っていたものが中心だった。中には壊れて、そのまま放置されているものもある。
「…………」
棚の奥に、古びた魔法灯が置かれていた。
僕のおもちゃとは違う、本格的な作りの一品。金属の枠は黒ずみ、中心に嵌められている
「故障」と書かれた紙が貼り付けられている。
僕は周囲を見る。誰もいないし、壊れているし、もう使えない。だったら。
「分解しても――」
「駄目よ!」
「わっ!?」
背後から声がした。振り向けば、お姉ちゃんが腕を組んで立っている。
「いつからいたの?」
「ソーマが周りをキョロキョロし始めたところから」
「ほとんど最初じゃん……」
僕が触るより先に、魔法灯を取り上げられた。お姉ちゃんの方が全然背が高い。
「壊れてるからいいじゃん……」
「壊れてるから安全とは限らないの。魔力が残ってるかもしれないじゃない」
お姉ちゃんは魔法灯を元の場所へ戻す。
「じゃあ、いつになったら分解していいの?」
「ちゃんと仕組みが分かるようになってから」
そう言って、お姉ちゃんは保管庫から出ていった。
言いたいことくらい僕にだって分かる。心配してくれてるのだって……でもさ、それでも僕には強くならなきゃいけない理由がある。
僕は棚へ戻された魔法灯を見つめる。分からないから、触れないなら――分かるようになればいい。
その日から、書物庫で探す本がまた増えた。魔法アイテムを使うための本だけではなく――
魔法アイテムそのものの製法が書かれた本を。
◇
「魔法技師?」
夕方。カウンターで書類を読んでいたお父さんに、僕は声をかけた。
「うん」
抱えてきた本を開き、見つけた頁を指差して見せる。
「魔法アイテムを作ったり、直したりする人だよ」
「それならオニバスにもいるだろ」
「でも、僕が知りたいのはもっと色々できる人なんだ」
そこは僕なりに調べてきた。
壊れた魔法アイテムを修理したり、既にある設計を使って同じものを作ったりする人もいる。
けれど、僕が知りたいのはそれだけじゃなかった。
「魔法陣とか術式とか、魔力がどこを通るかとかも全部考えて、一から新しい魔法アイテムを作れる人。そういう人に教えてほしい」
「……随分と面倒な本まで読むようになったな。もうそこまで理解しやがったか」
お父さんは本の頁を覗き込み、少しだけ眉を寄せた。やっぱり知ってたんじゃないか!
「確かに、そこまで出来る領域の魔法技師はそう多くねえ」
「え! 知ってる人いる!? その人とお話ししてみたい!!」
僕の要望にお父さんが、少し呆れたような顔をした。
「……簡単に言いやがるな。お前が求めてるような腕のいい魔法技師自体がそう多くねえんだ。いたとしても、自分の仕事で忙しい。五歳のガキに一から教えてくれ!って頼んで、喜んで引き受ける奴が何人いると思ってんだ」
「……やっぱりいない?」
「今のところはな」
思わず肩が落ちる。けれど、その言い方が気になった。
「今のところ?」
「ああ」
お父さんは咥えていた枝を指で摘まみ、書類の横へ置いた。
「俺だって何もしてねえわけじゃねえよ。昔の知り合いやら、何人かには話を回してる。魔法アイテムの仕組みや作り方を教えられる奴がいねえかってな。もっとも、ここまでガキだとは伝えちゃいねぇがよ」
「え、もう探してくれてたの?」
「テメェのガキの面倒すら見れねぇほど耄碌しちゃいねえさ」
お父さんはいつも通りぶっきらぼうな言い方だった。
でも、僕のことを見守ってくれているようで、凄く、凄く嬉しかった。
「ただ、まだ見つかってねえ」
「……そっか」
「その代わり、魔法アイテムを巧く使う方ならいいのが一人いるらしい」
枝の先が僕へ向く。
「使う方?」
「お前、魔法アイテムが動くようになったからって、それだけで満足してんのか?」
首を横に振る。
「そりゃあ使い方もちゃんと知りたいよ?」
「なら丁度いい。
お父さんが口元を僅かに上げた。
「会うか?」
「会う!」
◇
数日後。
「……きれい」
思わず口から出た。
初めて訪れた別の魔導士ギルド。同じ魔導士ギルドなのに、四つ首の番犬とは何もかもが違った。
床は鏡のように磨かれ、机も椅子も綺麗に揃えられていて、壁には装飾が施され、窓辺やテーブルには色とりどりの花まで飾られていた。酒場というより、何か別のお店みたいだ。大人な雰囲気に僕は少し緊張する。
「お父さん」
「マスターだ」
「ウチと全然違う」
別に悪いとは言っていない。ただ、帰ったらギルドの床を一度拭いてみようと思った。
「あらぁ、ゴールドマインじゃない。久しぶりねぇ」
奥から声がした。現れた大柄な男の人が、お父さんを見るなり嬉しそうに近づいてくる。すね毛がジャリジャリしていた。
「相変わらず元気そうだな、ボブ」
「そういう貴方は相変わらず愛想がないわねぇ」
二人の話し方を聞けば、昔からの知り合いだということはすぐ分かった。
この人が
「あら〜、この子がソーマちゃん?」
「初めまして! ボブさん!」
「まあ、ちゃんと挨拶できるのね。可愛いじゃない」
大きな手で頭を撫でられた。少し強いが優しい手つきだった。
「アイツは?」
「もう呼んであるわよ」
ボブさんが奥へ目を向ける。
僕もそちらを見ると、一人の男の人がゆっくり歩いてきた。
背はそれほど高くない。大きな鼻と、きっちり整えられた髪が目につく。でも、一番気になったのはそこではなかった。
腰にいくつも吊られている、小さな香水瓶。色も形も少しずつ違って、カラフルで綺麗に見えた。
僕がそれを見ているうちに、その人は足を止めた。
片手を腰へ添え、反対の手を顔の横へ掲げる。身体を斜めにし、胸を張る。
「私は一夜=ヴァンダレイ=寿」
一拍置いて。
「よろしく頼むよ――メェーン!」
「よろしくお願いします!」
僕はぺこりと頭を下げた。変わった人だが、いい人そうだった。
「…………」
一夜さんが固まった。
「?」
僕は何か間違えたのだろうか。
「少年」
「はい」
「私を見て、何か思わないのかね?」
改めて見る。変わった顔ではあるし、格好も個性的だった。でも、僕にはそれより気になるものがある。
「それが、使う魔法アイテム?」
腰の香水瓶を指差す。一夜さんが目を見開いた。横でボブさんが吹き出し、お父さんは露骨に顔を逸らしたのが見える。
肩が揺れているから、たぶん笑っているんだろうけど、なんでだろうか?
「……メェーン」
一夜さんは、少しだけ寂しそうに見えた。
◇
「これは単なる香水ではない」
しばらくして、一夜さんは懐の瓶を僕に見せつける――変な体勢で。でも、話している内容は思っていたよりずっと真面目だった。
「私の
「瓶ごとに違うの?」
「その通り」
「全部使える?」
「無論だとも」
一夜さんの腰を見る。
ぶら下がっているいくつもの瓶には、それぞれ違う香りと効果があるらしい……今の僕は簡易防壁一つしか使えない。だから、いくつもの効果を使い分けられるというだけで、驚いた。
「すごい……」
「ふっ……この良さが分かるかね、少年」
一夜さんが満足そうに鼻を鳴らした。
「だが、今日私が教えるのは香水の作り方ではない」
「うん。作る人はまた別に探してるってお父さんが言ってた」
「ならば話は早い。君が使っている魔法アイテムを見せたまえ」
僕は左腕を差し出し、兄ちゃんから借りている、簡易防壁の腕輪を見せた。一夜さんは起動部や留め具を確認し、軽く頷く。
「単純な構造だが、今の君には悪くない」
「僕、もう使えるよ」
「使えることと、使いこなせることは別だよ」
「……違うの?」
「当然だとも」
一夜さんは腕を広げる。
「この腕輪は、君の代わりに簡易防壁という単純な魔法を発動させてくれる。だが、いつ防壁を出すべきか、どちらへ出すべきか、誰を守るべきかまでは教えてくれない」
言われてみれば、その通りだった。僕が腕輪へ魔力を流さなければ、防壁は出ないのは当然の話だ。
「道具が優秀でも、使う人間が何も考えなければ、それ以上にはならない。逆に、単純な道具でも使い方を知っていれば、出来ることは増える」
「どうしたら上手くなる?」
一夜さんの口元が上がった。
「実際に使うのが一番だろうね」
◇
僕と一夜さんは場所を移し、青い天馬の裏手にある小さな練習場へ出た。
向かい合った一夜さんの指先には、小さなコルク栓が何個も握られている。
「まずは確認からだ。これを君へ投げる。魔法で防ぎたまえ」
「分かった」
右手を腕輪へ添える。
この腕輪は、ボタンを押して魔力を流せば、手のひらを向けた方向へ防壁を作ってくれる。流す魔力量によって、大きさや維持できる時間も多少変わる。
使い方自体は知っている。
だから僕は、一夜さんの指先が動いた瞬間に押せばいいと思っていた。
「あ」
防壁を出すより早く、コルクが額へ当たった。
「いたっ!」
床へ転がったコルクを見てから、一夜さんへ視線を戻す。
「速いよ! それにいきなり顔は狙わなくてもいいじゃん!」
「敵が攻撃する前に、『どこを狙うぞ』と教えてくれるのかね?」
「……教えてくれない」
「なら、もう一度だ」
言い返せない。確かに一夜さんの言っていることは正論だった。僕は今度こそ成功させるために、先に腕輪を起動した。
身体を隠すほど大きな防壁が目の前へ広がる。
これなら守り切れるはず。
けれど、一夜さんは投げない。
「……まだ?」
「まだだね。いつ投げるとは言っていないのだから」
防壁を出したまましばらく待っていると、一夜さんは脚を交差させ、片手を頬へ添えた。
「メェーン」
「……何でポーズしてるの?」
その直後、コルクが飛んできた。簡易防壁へ当たり、軽い音を立てて弾かれる。
「やった!」
「成功……かもしれないがまだまだだね」
「えっ? 防げたよ?」
間違いなくコルクは防げたし、間違いなく成功しているはずだった。
一夜さんが僕の腕輪を指差している。
「この小さなコルク一つを防ぐために、君は随分前から大きな防壁を出していた。その間も魔力は使われ続けている」
「……あ」
「君は人より魔力量が少ないと聞いている。なら、魔力を十持っている人間と同じ使い方をしてはいけない。相手が十使って結果を出すのなら、君は五、或いは一で同じ結果を出す方法を考える必要がある」
「節約するってこと?」
「それも実戦で重要なことの一つだね」
一夜さんがもう一度コルクを構える。
「必要な時に、必要な分だけ魔力を使う。そう意識しながらやってみたまえ」
今度はすぐに起動しない。
一夜さんの指先だけでなく、腕や肩まで見る。
——僕は一夜さんの肩が僅かに動いた瞬間、腕輪へ魔力を流した。
顔の前だけに小さな防壁が広がり、飛んできたコルクを弾く。
「できた!」
「今のは悪くない」
同じコルクを防いだ。
でも、さっきより使った魔力は少ない。
「もう一回!」
「その意気だ――メェーン!」
何度か続けているうちに、一夜さんが僕の正面から斜めへ移動した。
「よし。タイミングは少し分かってきたようだね」
「うん!」
「では、次はこれだ」
一夜さんは持っていたコルクをしまうと、地面から小さな石を一つ拾い上げた。
「石?」
「コルクより重く、当たった時の衝撃も大きい。今度はこれを防いでみたまえ」
「分かった」
「少し危ないから、きちんと防ぐんだ……メェーン」
念を押され、僕は一夜さんの腕と肩を見る。
さっきまでと同じだ。投げる瞬間を見て、必要な時だけ防壁を出せばいい。
一夜さんの肩が動いた。さっきと同じように横から飛んできた石へ左腕を向け、すぐに防壁を展開する。
「っ!」
石は防壁にぶつかって弾かれた。
防げた。けれど、コルクの時とは違う。ぶつかった瞬間に防壁が僅かに揺れ、腕にまで衝撃が伝わってきた。
「防げたけど、ちょっとビリビリした……」
「そうだね。まだまだ上手くやれる」
「え? ちゃんと防いだよ?」
一夜さんは首を横へ振る。
「コルク程度なら真正面から受けても大した問題にはならない。だが、飛んでくるものが重くなり、速くなればどうだろうね?」
「もっと衝撃が強くなる……?」
「その通りだ。君は幼いのに随分賢いね」
一夜さんが片手を真っ直ぐ立てる。
「今の君は、飛んできた石を防壁で真正面から受け止めた。なら、もっと強い攻撃が来れば、より多くの魔力を使って頑丈な防壁を出そうと考えるかもしれない」
「駄目なの?」
「それも一つの方法さ。だが、君は使える魔力が少ない制約がある。何でも力ずくで受け止めるのは、あまり賢いやり方ではない……さっきと同じ話さ」
そう言って、一夜さんは立てた手を斜めに傾けた。
「防げとは言った。真正面から受け止めろとは言っていないだろう?」
「……あ」
何を言いたいのか分かった。
「簡易防壁を斜めにして、衝撃を逃がすってこと?」
「その通り」
もう一度、石を投げてもらう。
今度は同じ大きさの防壁を、飛んでくる石に対して少しだけ斜めに展開した。
石が防壁に触れた。
——さっきのような強い衝撃は来なかった。石は防壁の表面を滑るようにして横へ逸れ、そのまま地面を転がっていく。
「おお……!」
思わず声が出た。
「さっきと同じ防壁だ。強くなったわけでも、別の魔法へ変わったわけでもない。だが……」
「使い方を変えただけ」
同じだけの魔力しか使っていないのに、さっきよりずっと楽に防げた。なら、もっと斜めにすれば、さらに衝撃を減らせるんじゃないのか?
「もう一回!」
「構わないよ」
飛んできた石へ、今度はさっきより大きく角度をつけて防壁を出す。
石が防壁へ当たり――そのまま僕の肩に向かって飛んでくる。
「うわっ!」
慌てて身体を捻る。石は肩を掠め、後ろへ飛んでいった。
「痛っ……!」
「角度をつければいいというものでもないのが難しいところなんだメェーン」
慌てて避けた僕は転んで肘をぶつけた。
一夜さんが人差し指を立てる。
「力を逃がすことだけ考えれば、今度は守るべき場所が空いてしまう。真正面から受けるのか、逸らすのか。どれだけ角度をつけるのか。それも状況に合わせて決めなければならない」
「……凄く難しいんだね」
「そう。だから考え続けるんだ」
思わず僕は腕輪を見る。
押せば防壁が出る、それだけの単純な仕組み。けれど、いつ出すのか。どれくらいの大きさにするのか。真正面から受けるのか、角度をつけて逸らすのか。そして、どこを守るのか。
そこまでは腕輪が決めてくれないんだ。
「少年」
一夜さんがコルクを弄びながら言った。
「
「うん」
ギルドでも、怒った途端に炎が大きくなった人を見たことがある。お父さんも武勇伝を語っていたのを覚えている。
「だが、魔法アイテムは少し違う。君がどれだけ怒っても、この腕輪から突然炎が出ることはない」
「それは熱いから困っちゃうね」
「ハハッ、そうだろうね」
一夜さんが笑った。
「この腕輪のような魔法アイテムは、良くも悪くも素直だ。あらかじめ組み込まれた魔法を、設計の通りに発動する。出来ることが決まっているからこそ――その力をどこまで役立てられるかは、使い手の技量や工夫に掛かっている」
僕は腕輪を見る。同じ道具を持っていても、結果まで同じになるわけじゃない。魔力量そのものが少なくても、使い方まで誰かより劣ると決まったわけではない。
「でも、ちょっと分かってきた」
「何がかね?」
「魔法アイテムって、持ってるだけじゃ駄目なんだね」
一夜さんは満足そうに頷いた。
「その通りだよ」
腰に並んだ香水瓶を軽く叩く。
「私だって、いつも同じ香りを使えばいいわけではない。身体を強くするべき時もあれば、別の効果を選んだ方がいい時もある。自分に使うのか、仲間に使うのかでも変わってくる。実戦は選択の連続なんだよ、少年」
僕は一夜さんが持っている瓶を見る。必要な時に、必要なものを選ぶ。
今日教わった、必要な時に必要な分だけ魔力を使うという話も同じだ。無駄を減らして、少ない魔力でも出来ることを増やしていく。
でも――どれだけ上手く使えるようになっても、今の僕が持っている魔力そのものが少ないことは変わらない。
「……僕、ずっと魔力少ないままなのかな」
考えているうちに、ふと口から出た。一夜さんは少しだけ間を置いて口を開いた。
「さあね」
「分かんない?」
「私は医者ではないからね。身体が大きくなれば変わることもあるだろうし、魔力だって今と同じとは限らない。これから新しい技術を覚えることもある」
そう言って立ち上がると、一夜さんは胸を反らし、片腕を天へ掲げた。
「何より、君はまだ五歳だ。五歳で出来ないことを数えるには早すぎる」
「……うん」
「今出来ないことより、これから覚えられることの方がずっと多い。なら今は、出来ることを一つずつ増やしたまえ」
格好は相変わらず変だった。でも、その言葉は妙に真っ直ぐ胸に入ってきた。
――知らないことだらけのくせに、勝手に全部終わった顔をするんじゃない。
少し言い方は違うけれど、ポーリュシカさんに言われたことを思い出す。
「……わかった!」
「よろしい」
一夜さんが満足そうに頷く。その腰で、いくつもの香水瓶が揺れた。
「一夜さん。それ本当に全部使える?」
「何度聞かれても答えは同じだ。無論だとも」
「僕も、いっぱい使えるようになれる?」
一夜さんが僅かに目を丸くした。
「沢山使いたいのかね?」
「うん。少しじゃ足りないよ」
そこは考えるまでもなかった。
僕は左腕の腕輪を見る。
「これだけだったら守ることしかできないでしょ。攻撃もしたいし、足を速くする魔法アイテムだって欲しい。僕だけじゃなくて、お父さんとか、お姉ちゃんとか、兄ちゃんを助けられるものだって……!」
口にしているうちに、次々と欲しいものが浮かんでくる。遠くを見るもの。何かを探せるもの。重い物を運べるもの。魔法アイテム次第では、空だって飛べるかもしれない。
「なんでもできた方が強いじゃん」
僕としては、それだけの話だった。
一夜さんはしばらく黙って僕を見ていたが、やがてその口元がゆっくりと上がった。
「君は、随分と欲張りだね」
「……そう? 駄目?」
「いや。欲しいものを欲しいと言うことは、悪いことではない。今から自分の可能性を一つに決める必要もないだろう」
一夜さんが認めてくれたようで、嬉しくなって顔を上げる。
「じゃあ全部――」
「ただし」
目の前へ指を突きつけられた。
「そこまで欲張るのなら、それに見合う技術が必要だ。百個の魔法アイテムを持っていても、必要な時に必要な一つを選べなければ、ただ荷物が増えただけだろう」
百個の魔法アイテム。それだけあったら、いったい何ができるんだろう。でも、それを扱いこなすのがどれだけ大変かは、今日、一夜さんが教えてくれた。
「少年?」
「聞いてる!」
一夜さんが小さく息を吐く。
「今日教えたように一つ一つ魔法アイテムを理解し、考えて扱えるようになりたまえ。何が出来て、何が出来ないのか。どれほど魔力を使い、いつ、何のために使うべきなのか」
腰の香水瓶へ目を落とす。
「能力系の魔導士が自分の魔法そのものを磨くのなら、君は魔法アイテムからどれだけの結果を引き出せるかを磨くんだ」
僕も香水瓶を見る。
一夜さんはたくさん魔法アイテムを持っているからすごいんじゃない。全ての使い方を知っていて、すぐに必要なものを選び、その使い方まで考えられる。
だから一夜さんは
「……分かった」
「よろしい」
「でも、やっぱり僕は全部できるようになるよ!」
一夜さんは一瞬だけ黙った。
それから胸を張り、今日一番大きな笑顔を浮かべる。
「メェーン。それでいい」
一夜さんはやっぱりカッコよかった。
■ 一夜の香水
一夜=ヴァンダレイ=寿が
もっとも、使用者の香りについては賛否が分かれる。