白銀の森を越えて三日目の朝、一行は濃い霧に包まれた小さな町へとたどり着いた。
「ここが……エルドレアの町?」
カイは地図を確認しながら、霧に覆われた木造の門を見上げた。門の上には簡素な看板がぶら下がっており、かろうじて「エルドレア」の文字が読める。
「見ての通り、町全体が霧に包まれている。夜でもないのに……これは異常ね」
リィナが眉をひそめて空を見上げた。雲は薄い。だが霧は地面からじわじわと湧き上がってくるように濃く、まるでこの町そのものが“何か”を隠しているように思えた。
「空気も変だね。冷たいし、重い。ここ、本当に普通の町なのか……?」
「かつては、ね。交易で賑わっていたけど、最近は魔力の乱れで旅人も減ったと聞くわ」
ミレイアは落ち着いた声で答えた。彼女の虹色の瞳は、霧の奥へと何かを見透かすように細められていた。
門を通って町に入ると、住民の姿はまばらだった。皆、不安そうにうつむき、家の戸口に魔除けの札や古い護符を貼りつけている。商人たちもほとんどが店を閉め、通りは静まり返っていた。
「……ようそこの旅人さん、あまり長居しない方がいいよ」
通りすがりの老婆が、声をかけてきた。
「最近、夜になると町の下から“音”がするんだ。うめき声みたいな、誰かが泣いてるような。獣か、化け物か……わからないけど。とにかく、ここはもう安全な場所じゃない」
「町の下……?」
カイが尋ねると、老婆は黙って首を横に振り、そそくさと去っていった。
「妙ね。地下に何かがあるっていうの?」
「おそらく、古い遺構が町の地下に残っているのよ。エルドレアは元々、魔法文明の末裔たちが暮らしていた場所だったはず」
ミレイアの言葉に、リィナも頷いた。
「崩れの兆候があるとしたら、その遺構に……」
その時――
「おい、そこの猫娘! また何を盗んだ!」
怒声が通りに響いた。
一行が振り向くと、数人の衛兵が一人の少女を追いかけていた。猫耳、しなやかな体、そしてふわふわと揺れる縞模様の尻尾――フェリン族の少女だった。
「盗ってないってば!勝手に落ちてたのを拾っただけにゃー!」
少女は器用に看板の上を飛び越え、壁を蹴って路地裏に滑り込んだ。だが衛兵たちは執拗に追いかける。
「止まりなさい!こらっ!」
リィナは即座に手を掲げ、足元の空間を歪ませた。
「《月氷結界》」
足元に淡い光の魔法陣が出現し、衛兵たちの足が一瞬で凍りついた。
「なっ……!?動けない!? おい、誰だお前たち!」
「落ち着きなさい。私たちは旅の者。あなたたちが不当な逮捕をしようとするなら、こちらにも考えがあるわ」
リィナが淡々と告げると、衛兵たちは顔をひきつらせた。
「……ちっ、後悔するなよ」
彼らが去った後、猫耳の少女はすばやく物陰から顔を出した。
「うわー、助かったにゃ! 君たち、なかなかやるね?」
リィナが睨むように言った。
「それで、あなたは何を盗んだの?」
「ほんとに盗ってないにゃ!ただ、広場に落ちてた妙な石を拾っただけなの!あたしはリオ、フェリン族の冒険者志望!」
リオは尻尾をピンと立てて胸を張ったが、すぐにしょんぼりした。
「ま、今は食べ物探しで精一杯だけどね……」
カイが声をかける。
「その石、まだ持ってる?」
「うん。ほら、これ」
リオが懐から取り出したのは、黒く曇った小さな結晶だった。だが、リィナが手に取った瞬間――
「これは……魔力結晶の“崩れ”だ」
「崩れ……?」
ミレイアが低く呟く。
「魔力の流れが歪み、自然の魔石が劣化・変質した状態。これが町の地下にあるということは……やはり原因は地下ね」
リオが小さく唸る。
「……あたし、知ってるかも。霧が出始めた頃から、町の古井戸の底で光るものを見たの。なんか、ズズン……って地面が鳴ってた」
「地下遺構に繋がっている可能性があるわ」
リィナは立ち上がり、決意を込めた瞳でリオを見つめる。
「リオ。あなたの感覚と素早さ、役に立つわ。私たちと一緒に来て」
「えっ、あたしを仲間にしてくれるにゃ?」
カイが笑った。
「もちろん。逃げ足が早い子は、敵からも逃げられるからね!」
リオの尻尾がぶんぶん揺れた。
「じゃあ、あたしも正式に仲間にゃ!よーし、張り切っちゃうよ!」
霧に覆われた町の地下――そこには、世界を蝕む“崩れ”の核が眠っている。
リィナたちの冒険は、静かに次の扉を開こうとしていた。