夜の帳が降りる頃、エルドレアの町の外れにある忘れられた井戸に、リィナたち5人は立っていた。
「ここが……“崩れ”の根源だと?」
ミレイアの虹色の瞳が、月光に照らされる古井戸の縁を鋭く見つめている。地下から漂ってくるのは澱んだ魔力と、何か腐敗したような重苦しい空気。
「鼻が曲がりそうだにゃ……」
リオが耳を伏せながら鼻を押さえる。銀のローブを翻したリィナが、そっと杖を掲げる。
「魔力の流れが……不自然。月の力が引き裂かれてる」
《ムーンサイト》――リィナの視界が淡い青に染まり、魔力の流れが光として浮かび上がる。井戸の底へと流れ込む、紫に濁った魔力の線が見えた。
「よし、行こう。ここで止めなければ、町も崩れる」
カイが静かに拳を握る。その手に、リィナとの契約が宿る光が瞬いた。
「リンク、準備万全だよ」
地下へ降りる石段は冷たく、吐く息が白くなるほど冷え込んでいた。壁にはかすかに光る魔力結晶が散りばめられ、どこか神殿のような構造が見え隠れしている。
「これ、昔の月神殿の跡かもしれないにゃ……」
リオがぽつりとつぶやいた。
「地図に載ってない。帝国の記録にもない遺構よ」
ミレイアが歩きながら魔道計を確認する。リィナは黙って先頭を歩き続けていたが、やがて足を止めた。
「……何か、来る」
その瞬間、背後から――
「ギャアアアアア!」
壁を破って飛び出したのは、複数の脚を持つ異形の獣だった。獅子のような頭部、裂けた腹部からは紫の霧が立ち上る。
「魔物……でも、普通じゃない!」
「“崩れ”に取り込まれてる!」
ミレイアが叫ぶ。リィナは即座に魔法を展開した。
「《ルナ・シャード》!」
彼女の杖から放たれたのは、月光を結晶化させた五本の光の矢。氷のきらめきをまとい、魔獣の脚を的確に撃ち抜く。
「ユウ、援護!」
「任された!」
ユウが飛び出し、獣の動きを読んで脇腹へ回り込む。その剣が素早く振り下ろされ――だが、刃は獣の瘴気に弾かれた。
「硬い……!」
「じゃあ私の番にゃ!」
リオが跳ねるように飛び出すと、猫のような身のこなしで敵の背に乗り、爪を展開した。
「《獣爪乱舞》!」
ガガガッと連撃が走り、魔獣の背中を切り裂く。その隙に、カイが剣を構える。
「リィナ、リンクを!」
「いくわ、カイ!」
《リンク・エンゲージ》。魔力が共鳴し、カイの剣が青白く輝く。
「《フロスト・ドライブ》!」
氷の刃となった剣が魔獣の中心を貫いた。叫びを上げて崩れる魔獣。紫の霧を残して、やがてその姿は塵となった。魔獣を倒したあとの遺構は、奇妙な静けさに包まれていた。
「ここが……“核”?」
奥に鎮座するのは、紫色に濁った巨大な結晶体。ひび割れのような模様が走り、ところどころに浮かぶように小さな魔力球が漂っていた。
「完全に“崩れ”に飲まれてる。月の流れが断たれてるのがわかる……」
リィナが杖を構えて前へと進む。足元の石畳には、かつて神殿だった名残のように、月と星をかたどった模様が掘り込まれていた。
「このままでは町どころか、この地方全体に影響が出る」
ミレイアが魔道計を見つめ、顔を曇らせる。
「封印できる?」
「できる……けど、一人じゃ無理。“共鳴”させなきゃ」
リィナが目を閉じ、深く呼吸を整える。
「カイ、魔力を合わせて」
「うん、いつでもいける!」
彼女が詠唱を始める。杖の先から光が走り、結晶体のまわりに複数の魔法陣が浮かび上がる。
「《ルナ・シール》――月の封印よ、大地と光の間に境を刻め!」
カイがリンクを通じて力を送り、《リンク・シンクロ》が発動。リィナの魔力が増幅され、魔法陣が結晶を包み込む。
「今よ、ミレイア!」
「了解。《月鏡陣》、展開!」
補助魔法が加わり、封印が一気に進行した。
その時だった。
「……っ!」
リィナの瞳が何かを捉える。結晶体の中に、揺らめくような――銀髪の小さな少女の姿が一瞬、映った。
「……精霊……?」
小声で呟いたそのとき、結晶が共鳴音を発した。
「封印が跳ね返されてる!?誰かの……“意志”が残ってる……!」
霧が吹き出し、辺りを包み込む。見えなくなる仲間たちの影。誰かの声が、霧の奥から呼びかけてくる。
『たす……けて……』
「これは……」
リィナの手が震えた。
「私……この声知ってる」
封印の最後の詠唱が響いた瞬間、結晶体の奥から強烈な光と熱風が吹き出した。空間がねじれ、魔力が逆流する。
「やばい!崩れるぞ!」
ユウの叫びと同時に、遺構が軋みを上げて崩れ始めた。
「みんな、出口へ急いで!」
足場が崩れ、瓦礫が落ちる。ミレイアが結界を張り、落石を防ぎながら全員を先導する。
リオがリィナの手を取り、飛ぶように駆け抜けた。
「このままじゃ生き埋めになるにゃ!」
出口の光が見えたとき、後ろから大きな咆哮が響いた。
――あれは、精霊の叫びか、それとも“崩れ”が最後に吐き出した怨念か。
それでも、5人は走り続けた。
外に出たとき、ちょうど雲間から月が顔を覗かせていた。
夜風が冷たくて、泥と埃でぐしゃぐしゃになった服の裾を優しくなびかせた。
「ふぅ……生きてる……」
リオがその場に座り込む。
リィナは無言で、崩れた遺構の方を見つめていた。まだ、あの“声”が耳に残っていた。
「誰かが……あの中にいたのかも」
「精霊だったの?」
「わからない……けど、あの魔力は、ただの瘴気じゃなかった」
カイがそっとリィナに近づき、手を差し出した。
「大丈夫?震えてる」
「……ありがとう」
リィナがその手を取ったとき、小さな光の粒が彼女の掌に落ちた。それは結晶の欠片だった。だが、もう紫には濁っていない。
「少なくとも……この町は救えた」
ユウが言った。
「でも、これはまだ始まりにすぎない。“崩れ”は他にもある」
ミレイアが静かに頷く。
「私たちは、次に進む必要がある。“声”の正体を突き止めないと」
「そして……次の仲間を探すにゃ!」
リオがにやりと笑う。
リィナは、空に浮かぶ月を見上げた。その瞳に、さっきの少女の姿が一瞬だけ重なった。
「私は……まだ知らないことだらけ。でも、前に進む。きっと、“あの声”もそれを望んでるから」
カイは黙って、その言葉にうなずいた。
そして、旅は再び動き出す。