旅を続けるリィナたちは、エルドレアを後にして東方の山岳地帯へと向かっていた。
目的地は、かつて「知の都」と呼ばれたアストラリア遺構群――いまや廃墟となった、古代の魔法文明の図書館都市である。
「……このあたり、一面が魔力の“空白地帯”に入ってるわ」
リィナが杖を地に突き、目を細める。風は静かで、魔力の流れすら感じられない。
「それって……つまり、魔法が使えなくなるとか?」
カイの問いに、ミレイアが小さく頷いた。
「厳密には、魔法の“源”が外部から遮断されている状態。自己魔力の高い者ならある程度使えるけれど……リィナ、あなたでも長期戦は避けるべきね」
「ふん、それはそれで試しがいがあるわ」
そう言いながらも、リィナの表情はどこか張りつめていた。
足元に広がるのは、黒い岩盤と石畳の入り交じる廃墟。風もなく、音もない。空は雲に覆われ、まるで世界ごと沈黙に包まれているようだった。
「なんか……空気が死んでるみたいだにゃ……」
リオの耳も尻尾もしおれている。ユウは剣の柄にそっと手をかけた。
「この静けさ、何かが潜んでる。油断しない方がいい」
そのとき――
カツン。
石畳を踏む、硬い足音。誰かが前方の瓦礫の向こうから歩いてくる。
「……来るわよ」
リィナの瞳が鋭く光った。
瓦礫の影から姿を現したのは、二人の少女だった。
全く同じ顔、同じ長い白髪、同じ灰色の瞳。淡い霧のような服を纏い、無表情のままこちらを見つめていた。
「……あなたたち、誰?」
カイが声をかけると、二人は同時に口を開いた。
「“虚無の書庫”へようこそ」
「求める知識の代価は、記憶と存在」
「この子たち……人間じゃない」
ミレイアがわずかに身構えた。
「おそらく、書庫の守護存在。“沈黙の双子”……古い文献に名前だけ残っていたわ」
リィナが一歩踏み出す。
「私たちは、“崩れ”の真実を探している。古代文明の記録がこの地下にあると聞いたわ。案内してくれる?」
少女たちは一瞬だけ視線を交わし――
「案内は可能。しかし、あなた方の中に“記憶を手放せる者”が必要」
「代償……ってこと?」
「知識の封印を解くには、“一番大切な記憶”を引き換えに捧げるの。そうでなければ、虚無の書庫は開かない」
その言葉に、一同が息をのんだ。
「記憶って……消えたら戻らないの?」
「そう。例外は存在しない」
リオが震えた声で言った。
「そんなの、誰も選べないにゃ……!」
「だったら、私が行くわ」
その言葉に皆が振り向いた。リィナだった。
「リィナ……!」
「私には、記憶よりも“知ること”が必要。あの声の正体も、“崩れ”の原因も、放ってはおけない」
カイが叫んだ。
「でも、記憶って……君にとって大事なものも含まれるんだろ!?」
「だからいいのよ。私には、いらない記憶が多すぎる」
彼女の瞳には、かつての焼け落ちた村と、助けられなかった人々の幻影がちらついていた。
ミレイアは一歩前に出ると、そっとリィナの肩に手を置いた。
「リィナ、もしそれを選ぶなら……私はあなたの“記録者”になる。失った記憶を、外から繋ぎとめる術があるかもしれない」
リィナは小さく微笑んだ。
「ありがとう。でも、私は大丈夫。リンクがあるから」
そう言って、カイの手を取る。
「あなたがここにいる限り、私の中の“欠けたもの”は補われるはず」
カイの表情が驚きに変わり、そして力強く頷いた。
「じゃあ……信じる。君が前に進む力を」
双子の少女たちが一礼し、地下への扉を指し示す。
「では、虚無の書庫へ――“記憶の封印”を、開放せよ」
その瞬間、地面が崩れ、彼らは重力に引きずられるようにして落ちていった。
視界は闇に包まれ、音も重力も失われる。
そして、次に目を開けたとき――
そこは、重力も音も色も存在しない、無の図書館だった。
永遠に続く本棚、宙に浮かぶ文字の欠片、そして光さえ届かない空間に、リィナの意識がゆっくりと沈んでいく。
『その代償に、“あなたが初めて愛した記憶”を捧げなさい』
どこからともなく響く声。
リィナの中で、ある“名前”が蘇りそうになる。
「……だれ……だった……?」
――記憶が、削られていく。
だがそのとき。
「リィナ、しっかりして!」
リンクを通じて、カイの声が届いた。
「君が、どんな記憶を失っても、俺が君を覚えてるから!」
リィナの胸に、淡い熱が灯る。
「……私は……まだ、終わらない……!」
そして、無の空間に、一冊の本が現れた。
表紙には、古代文字でこう刻まれていた。
《第一魔源律:崩壊の起点と、双星の輪廻》
彼らが求めていた“真実”への扉が、ついに開いた。
だがそれは同時に――世界の運命を覆す、“選択”の始まりでもあった。
無の図書館で、リィナとカイ、ミレイア、リオ、ユウの意識が宙を漂うように静止した。
不毛な空間に浮かぶ一冊の本。《第一魔源律:崩壊の起点と、双星の輪廻》とだけ刻まれたその表紙に、リィナの視線が吸い寄せられる。
「読まなければ…真実はわからない。でも…代償は――」
顔を引きつらせながらリィナは杖をぎゅっと握り締めた。彼女がこの書庫に来た目的。その重みを胸に刻む。
もうひとりの存在が、リィナを勇気づける――
「リィナ。君が決めていい。僕は信じてる」
その言葉に、リィナの心は決まる。
リィナは本を開き、ページに浮かぶ古代文字を読む。すると――
錯覚のように脳裏をよぎる、“幼い日の光景”。
星明かりの下で、両親に抱かれて眠っていた。
数百年前、まだ平和だった村の日常。
そこに強い違和感が芽生える。
「これは……私の記憶じゃない?」
胸が苦しくなった。ページに書かれた内容は、自分が覚えていない「第二の幼少期」。「両親に抱かれた記憶」は消え、無だった時間だった。しかし――
「この記憶、失った…のかもしれない」
リィナは顔を青くしながら、崩れゆく“自分の記憶”を感じていた。
書を読み終えた瞬間、古代文字が閃光のように弾け、虚無の図書館に紫と銀の魔力の渦が巻き起こる。
床も天井もなく、本棚だけが崩れ落ちる中、記憶の核が姿を現した。
ミレイアが静かに言う――
「その核の力は、“崩れ”の起源そのもの…守護精霊の残滓でもある」
「このままでは…全員、記憶も存在も“虚無”に飲まれる…!」
ユウが叫んだ刹那、床が崩れ、暗黒の渦が彼らを飲み込もうとした。
リィナ、リオ、ミレイア、ユウは咄嗟に円陣を組む。祈りと呪文を重ねる。
リィナが杖を掲げ、月の加護を展開。
ミレイアは夜の魔力を込めた援護魔法。
リオとユウが護衛配置と肉弾戦の役割を分担。
だが渦の力は強く――
「代償は…リィナ」
核の中心から影が伸び、その先には――
銀髪の少女。それは自分に酷似する“精霊の幻影”だった。
少女は穏やかに微笑む。
「私は、かつてあなたが守れなかった少女の“もう一人の記憶”。
だが今、あなたの力を得て…次なる選択ができる」
渦が部屋を飲み込み始め、視界が歪む中――
『記憶の核』が一筋の光を投げかける。
その光がリィナの胸に触れた瞬間、彼女は呟く。
「……私が選ぶのは――」
――短く視線を上げる。その瞳からは、強く意思の光が滲んでいた。
――その瞬間、本が爆ぜ、図書館の構造が崩れ落ちると同時に、時空の裂け目が開かれた。
リィナの声が響く――
「『今は戻れ』。次の旅のために私たちは、生き延びなければならない」
彼女の後ろには、ミレイア、リオ、ユウが盾となるように立ち、そして
カイもまた、手を伸ばしていた。
「リィナ、カイ……逃げよう」
全員の記憶と存在をその場に留める覚悟。
だが、全ての力を使い切ってしまった彼らは…
そのときカイが不意に足を取られ、背後の空間が黒く捻じ曲がる。
「ッ――カイ!」
ユウがすぐに駆け寄ろうとするも、足元の魔方陣に阻まれ、一歩も動けない。
リオは弓を構えるが、狙いを定める間もなく風が狂い、矢が逸れた。
ミレイアも叫ぶ。
「だれか、助け――!」
しかし、次の瞬間――
紫の光が駆け抜けた。
叫び声とともに、リィナがカイに飛び込む。
「カイッ!!」
その身に魔力の奔流を纏い、リィナは虚無の裂け目の前に杖を突き立てた。
辺りを照らす光――それは、今までに見せたことのない圧倒的な魔力と意志の結晶だった。
「私は――あなたを守るって決めたの!」
その瞳は、恐れも迷いもなかった。
ただ、彼だけは絶対に失いたくないという想いで、命を懸けていた。
その光景を、誰もが言葉を失って見つめていた。
ユウ:「……俺、動けなかったのに」
リオ:「リィナの反応、早すぎる……いや、あれは……」
ミレイア:「……“守る”だけじゃない。“何か”が違う」
三人の胸に、どこかざらついた感情が走った。
自分たちも、仲間を守りたいと思っていたはずなのに。
だけどあのとき、リィナだけが迷わず飛び込んだ。
それは、守ることを超えた想いだった。