ブルーアーカイブ Last on Kivotos 作:ヴィーナス
先生たちが破壊したカイザーの工場から立ち上る黒煙は、アビドスに数年ぶりとなる、砲火の止んだ静寂をもたらした。
作戦は、成功した。
その事実は、地下シェルター都市の住民たちを熱狂させた。
「やったぞ! カイザーの工場が!」
「先生だ! 先生が、我々に勝利をもたらしてくださった!」
「これで、少しは安心して眠れる…」
酒場では祝いの酒が酌み交わされ、広場では子供たちが歓声を上げて走り回っている。
10年間、絶望的な消耗戦の果てに淀みきっていた空気が、まるで嘘のように晴れ渡っていく。
アビドス対策委員会のメンバーたちもまた、この束の間の平和に、安堵の表情を浮かべていた。
「やった…やったじゃないか…!」
司令部で戦況を見守っていたセリカは、椅子に深く座り込み、大きく息を吐いた。
信じがたい勝利。あの偽物だと思っていた男が、本当にやってのけたのだ。
「ん。すごい。先生の指揮は、完璧だった」
パトロールから戻ったシロコも、素直にその手腕を認める。
「うへぇ~、これでしばらくはお昼寝し放題だねぇ」
ホシノは、いつもの調子で言いながらも、その声には隠しきれない安堵が滲んでいた。
先生は、そんな生徒たちの姿と、住民たちの笑顔を見て、静かに息をついた。
自分の判断が、確かに良い結果をもたらした。
その事実に、彼はわずかな手応えを感じていた。
だが、その安堵は長くは続かなかった。
◇
数日後。
アビドスの平和は、突如として破られた。
一つの主要工場を失ったカイザーは、その戦略を大きく変更したのだ。
物量に任せた大規模な攻撃ではない。
もっと陰湿で、悪意に満ちた、心理的な消耗戦。
「――敵襲! 北西の方角より、小型ドローン多数接近!」
物見台からの報告に、司令部が緊張に包まれる。
しかし、現れたのは、これまでの大群とは比べ物にならない、ほんの数機の小型ドローンだった。
「なんだ…? たったこれだけ?」
セリカが訝しむ。
ドローンは、大した攻撃もせずに、防衛ラインの手前で自爆して霧散した。
だが、その攻撃は、始まりに過ぎなかった。
30分後、また数機のドローンが、今度は別の方向から現れる。
1時間後、また別の場所から。
カイザーは、アビドスの防衛網の僅かな隙間から、まるで嫌がらせのように、小型の自爆ドローンを24時間体制で送り込み続けるようになった。
それは、要塞に決定的なダメージを与えるものではない。
だが、住民と生徒たちに、一切の休息と安眠を与えない、悪魔のような戦術だった。
警報が、昼夜を問わず鳴り響く。
その度に、対策委員会のメンバーは迎撃に駆り出された。
「またか! いい加減にしろ!」
セリカは、ドローンの迎撃と、それに伴う防衛設備の修復で、備蓄資材が想定以上の速さで消耗していく現実に、焦りを募らせていた。
神性を持つシロコとホシノは、その高い戦闘能力故に、終わりの見えないドローンの迎撃に、昼夜を問わず駆り出されていた。
特に、精神的に最も大きな傷を抱えるホシノの疲弊は、誰の目にも明らかだった。
その日の深夜、警報の合間に仮眠を取ろうとしていたホシノの元に、シロコ*テラーが音もなく現れた。
「ホシノ先輩」
「ん…? テラーちゃんかぁ。どうしたの、こんな時間に」
「この攻撃、おかしいと思わない? 非効率すぎる。狙いは、物理的な破壊じゃない。精神的な消耗…特に、先輩、あなたの」
「……」
「カイザーは、先輩が疲弊しきって、判断を誤るのを待ってる。危険だよ」
ホシノは、一瞬だけ、その虚ろな目に暗い光を宿した。
(…分かってる。そんなこと、とっくに分かってる)
このじわじわと首を絞められるような感覚。
それは、アヤネを失ったあの作戦の前と、よく似ていた。
だからこそ、考えたくなかった。認めたくなかった。
認めてしまえば、あの日の絶望が、また自分を飲み込んでしまうから。
「うへぇ~、大丈夫だって~。おじさん、これでも頑丈だからさ…。心配してくれて、ありがとね」
彼女は、再び仮面に隠れるように、わざと気だるげに笑ってみせた。
シロコ*テラーは、それ以上何も言わず、静かにその場を去った。
◇
先生もまた、この状況に強い危機感を覚えていた。
彼は、司令部で地図を睨むだけではなく、地下都市の住民たちの中に積極的に入っていった。
彼らと話し、生活の様子を見て、何か打開策のヒントはないかと探していた。
住民たちの反応は、様々だった。
しかし、動物族の古老たちは、彼を温かく迎え入れた。
「先生。記憶など、些細なことですじゃ」
長老の一人が、先生にお茶を差し出しながら言った。
「我々にとって最も大切なのは、記憶ではなく、匂いです。あなたの魂が放つ匂いは、10年前の先生と、寸分違わぬ。それだけで、十分。あなたは、我々の希望ですじゃ」
その言葉が、鉛のように重くのしかかる。
(希望…)
長老の皺だらけの手、子供たちの屈託のない笑顔。
彼らの純粋な信頼が、胸を締め付ける。
この信頼に、応えなければならない。
だが、どうやって?
警報が鳴るたびに、生徒たちの顔から色が消えていく。
住民たちの間に、不満と疲労が蔓延していく。
カイザーの狙いは、物理的な破壊じゃない。
この共同体の「心」を殺すことだ。
じわじわと、確実に。
何か、何か手を打たなければ。
このままでは、内側から崩壊してしまう。
焦りだけが、空回りしていた。
◇
同時刻。カイザーPMC理事の思考回路は、冷徹な計算を続けていた。
10年前の「色彩」消滅の混乱に乗じて、本社は採算が合わないと判断し、キヴォトスから撤退した。
だが、この地には、本社が見捨てた莫大な資産――工場、資源、そして技術が残されている。
これを悪用し、利益を上げることだけが、彼の存在意義だ。
思考回路に、新たな戦術プランが最適解として提示される。
『目標:アビドス高等学校所属、神性保有個体(ホシノ、シロコ、シロコ*テラー)の無力化および捕獲』
『手段:継続的な低強度攻撃による、対象個体、特に精神的脆弱性が確認される「ホシノ」への心理的負荷の最大化』
『予測:対象の戦闘能力および判断能力の著しい低下後、捕獲作戦へ移行』
『期待される利益:神性個体の確保による、動物族の労働力支配、およびキヴォトス全域への影響力拡大』
この非効率に見える嫌がらせは、彼にとっては極めて合理的な投資だった。
ロボットである彼に、焦りや苛立ちといった感情はない。
ただ、計算された最適な手段を、非人間的な残忍さで、目標が達成されるまで実行し続けるだけ。
彼のAIは、アビドスで最も強い力を持つ少女の心が、完全に折れる瞬間を、ただ冷徹に待ち続けていた。