ブルーアーカイブ Last on Kivotos   作:ヴィーナス

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第10話:迫る悪意

先生たちが破壊したカイザーの工場から立ち上る黒煙は、アビドスに数年ぶりとなる、砲火の止んだ静寂をもたらした。

 

作戦は、成功した。

 

その事実は、地下シェルター都市の住民たちを熱狂させた。

 

「やったぞ! カイザーの工場が!」

「先生だ! 先生が、我々に勝利をもたらしてくださった!」

「これで、少しは安心して眠れる…」

 

酒場では祝いの酒が酌み交わされ、広場では子供たちが歓声を上げて走り回っている。

10年間、絶望的な消耗戦の果てに淀みきっていた空気が、まるで嘘のように晴れ渡っていく。

 

アビドス対策委員会のメンバーたちもまた、この束の間の平和に、安堵の表情を浮かべていた。

 

「やった…やったじゃないか…!」

司令部で戦況を見守っていたセリカは、椅子に深く座り込み、大きく息を吐いた。

信じがたい勝利。あの偽物だと思っていた男が、本当にやってのけたのだ。

 

「ん。すごい。先生の指揮は、完璧だった」

パトロールから戻ったシロコも、素直にその手腕を認める。

 

「うへぇ~、これでしばらくはお昼寝し放題だねぇ」

ホシノは、いつもの調子で言いながらも、その声には隠しきれない安堵が滲んでいた。

 

先生は、そんな生徒たちの姿と、住民たちの笑顔を見て、静かに息をついた。

自分の判断が、確かに良い結果をもたらした。

その事実に、彼はわずかな手応えを感じていた。

 

だが、その安堵は長くは続かなかった。

 

 

数日後。

アビドスの平和は、突如として破られた。

 

一つの主要工場を失ったカイザーは、その戦略を大きく変更したのだ。

物量に任せた大規模な攻撃ではない。

もっと陰湿で、悪意に満ちた、心理的な消耗戦。

 

「――敵襲! 北西の方角より、小型ドローン多数接近!」

 

物見台からの報告に、司令部が緊張に包まれる。

しかし、現れたのは、これまでの大群とは比べ物にならない、ほんの数機の小型ドローンだった。

 

「なんだ…? たったこれだけ?」

セリカが訝しむ。

 

ドローンは、大した攻撃もせずに、防衛ラインの手前で自爆して霧散した。

だが、その攻撃は、始まりに過ぎなかった。

 

30分後、また数機のドローンが、今度は別の方向から現れる。

1時間後、また別の場所から。

 

カイザーは、アビドスの防衛網の僅かな隙間から、まるで嫌がらせのように、小型の自爆ドローンを24時間体制で送り込み続けるようになった。

 

それは、要塞に決定的なダメージを与えるものではない。

だが、住民と生徒たちに、一切の休息と安眠を与えない、悪魔のような戦術だった。

 

警報が、昼夜を問わず鳴り響く。

その度に、対策委員会のメンバーは迎撃に駆り出された。

 

「またか! いい加減にしろ!」

セリカは、ドローンの迎撃と、それに伴う防衛設備の修復で、備蓄資材が想定以上の速さで消耗していく現実に、焦りを募らせていた。

 

神性を持つシロコとホシノは、その高い戦闘能力故に、終わりの見えないドローンの迎撃に、昼夜を問わず駆り出されていた。

特に、精神的に最も大きな傷を抱えるホシノの疲弊は、誰の目にも明らかだった。

 

その日の深夜、警報の合間に仮眠を取ろうとしていたホシノの元に、シロコ*テラーが音もなく現れた。

 

「ホシノ先輩」

 

「ん…? テラーちゃんかぁ。どうしたの、こんな時間に」

 

「この攻撃、おかしいと思わない? 非効率すぎる。狙いは、物理的な破壊じゃない。精神的な消耗…特に、先輩、あなたの」

 

「……」

 

「カイザーは、先輩が疲弊しきって、判断を誤るのを待ってる。危険だよ」

 

ホシノは、一瞬だけ、その虚ろな目に暗い光を宿した。

 

(…分かってる。そんなこと、とっくに分かってる)

 

このじわじわと首を絞められるような感覚。

それは、アヤネを失ったあの作戦の前と、よく似ていた。

だからこそ、考えたくなかった。認めたくなかった。

認めてしまえば、あの日の絶望が、また自分を飲み込んでしまうから。

 

「うへぇ~、大丈夫だって~。おじさん、これでも頑丈だからさ…。心配してくれて、ありがとね」

 

彼女は、再び仮面に隠れるように、わざと気だるげに笑ってみせた。

シロコ*テラーは、それ以上何も言わず、静かにその場を去った。

 

 

先生もまた、この状況に強い危機感を覚えていた。

彼は、司令部で地図を睨むだけではなく、地下都市の住民たちの中に積極的に入っていった。

彼らと話し、生活の様子を見て、何か打開策のヒントはないかと探していた。

 

住民たちの反応は、様々だった。

しかし、動物族の古老たちは、彼を温かく迎え入れた。

 

「先生。記憶など、些細なことですじゃ」

長老の一人が、先生にお茶を差し出しながら言った。

 

「我々にとって最も大切なのは、記憶ではなく、匂いです。あなたの魂が放つ匂いは、10年前の先生と、寸分違わぬ。それだけで、十分。あなたは、我々の希望ですじゃ」

 

その言葉が、鉛のように重くのしかかる。

 

(希望…)

 

長老の皺だらけの手、子供たちの屈託のない笑顔。

彼らの純粋な信頼が、胸を締め付ける。

この信頼に、応えなければならない。

 

だが、どうやって?

 

警報が鳴るたびに、生徒たちの顔から色が消えていく。

住民たちの間に、不満と疲労が蔓延していく。

カイザーの狙いは、物理的な破壊じゃない。

この共同体の「心」を殺すことだ。

じわじわと、確実に。

 

何か、何か手を打たなければ。

このままでは、内側から崩壊してしまう。

焦りだけが、空回りしていた。

 

 

同時刻。カイザーPMC理事の思考回路は、冷徹な計算を続けていた。

 

10年前の「色彩」消滅の混乱に乗じて、本社は採算が合わないと判断し、キヴォトスから撤退した。

だが、この地には、本社が見捨てた莫大な資産――工場、資源、そして技術が残されている。

これを悪用し、利益を上げることだけが、彼の存在意義だ。

 

思考回路に、新たな戦術プランが最適解として提示される。

 

『目標:アビドス高等学校所属、神性保有個体(ホシノ、シロコ、シロコ*テラー)の無力化および捕獲』

 

『手段:継続的な低強度攻撃による、対象個体、特に精神的脆弱性が確認される「ホシノ」への心理的負荷の最大化』

 

『予測:対象の戦闘能力および判断能力の著しい低下後、捕獲作戦へ移行』

 

『期待される利益:神性個体の確保による、動物族の労働力支配、およびキヴォトス全域への影響力拡大』

 

この非効率に見える嫌がらせは、彼にとっては極めて合理的な投資だった。

ロボットである彼に、焦りや苛立ちといった感情はない。

ただ、計算された最適な手段を、非人間的な残忍さで、目標が達成されるまで実行し続けるだけ。

 

彼のAIは、アビドスで最も強い力を持つ少女の心が、完全に折れる瞬間を、ただ冷徹に待ち続けていた。

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