ブルーアーカイブ Last on Kivotos   作:ヴィーナス

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第12話:空っぽの器

時間は、無情に過ぎていく。

 

アビドスの司令部は、墓場のような沈黙に包まれていた。

モニターには、カイザーの猛攻に晒され、絶体絶命のシロコとシロコ*テラーの姿が映し出されている。

そして、その隣には、戦線を放棄したホシノの、消えていく信号。

 

最悪の戦況。最悪の結果。

その全てを引き起こしたのは、自分の一言だった。

 

部屋の隅では、シラヌイが壁に寄りかかって腕を組み、アザゼルは椅子に座って天井を眺めている。

彼らは、この事態をただ静観していた。

先生が次の指示を出さない限り、彼らに動く義理はない。

無償の善意で動くような大人では、決してないのだ。

 

「…どうするんだ、先生!」

 

セリカの、悲痛な声が響く。

「このままじゃ、シロコちゃんたちが…!」

彼女の声には、焦りと、そしてわずかな苛立ちが混じっていた。

 

(なんで…なんでこうなるの…!)

 

先生の言っていたことは、正しかった。

罠の可能性も、戦力の逐次投入の危険性も。

でも、心のどこかで期待していたのだ。

かつての先生のように、あの不思議なタブレット「シッテムの箱」と、魔法のようなカードで、この絶望的な状況をひっくり返してくれるんじゃないかと。

 

今回の先生に、戦術的なミスはなかった。

自分たちの、生徒たちだけの力で何とかなるという、過信がこの事態を招いた。

無意識では、そう理解していた。

だが、それを認めたくなかった。

タイミングが悪かっただけだ、と自分に言い聞かせる。

 

先生は、セリカの声に答えることができなかった。

 

(俺の、せいだ)

 

手足から、力が抜けていく。

壁に背を預け、ずるずるとその場に座り込んだ。

正しいと思った。最善だと信じていた。

戦術的には、あれしか無かったはずだ。

だが、現情報はどうか。

戦況は、最悪を通り越して、もう終わっている。

 

何が、正しさだ。何が、最善だ。

俺は、ただ、彼女の心を壊しただけじゃないか。

 

視界の隅に、埃を被った資料の山が映る。

何かに憑かれたように、その記録を手に取り、ページをめくり始めた。

 

そこにいたのは、俺じゃない、別の「先生」だった。

生徒たちとペンキまみれになって笑っている。

夜遅くまで、誰かの夢の話を聞いている。

その手帳には、俺が知らない生徒たちの名前と、その子たちの長所と短所、そして夢が、びっしりと書き込まれていた。

 

これが、「本物」か。

じゃあ、俺は、何だ?

 

この記録を読み、上辺だけを真似て、知ったような気になっていただけだ。

彼女たちの10年という歳月が刻んだ、本当の痛みも、苦しみも、何も理解しようとせずに。

ただ、リンに与えられた「救世主」という役割にしがみついていただけだ。

自分が何者でもないという、空っぽの恐怖から逃れるために。

 

(……そうか)

 

乾いた笑いが、漏れた。

俺はずっと、間違っていたんだ。

 

戦術や、合理性だけじゃ、人の心は救えない。

ホシノが抱えてきた、10年分の孤独と絶望は、なおさらだ。

彼女が本当に欲しかったのは、戦術的な勝利なんかじゃなかった。

きっと、もっと単純で、もっと不合理なものだったんだ。

 

『今度こそ、誰も置き去りにしない』

 

そんな、絶対的な信頼の証明。

それこそが、彼女を救う、唯一の方法だったのかもしれない。

 

先生は、ゆっくりと立ち上がった。

その瞳には、もう、絶望の色はなかった。

あるのは、静かで、しかし燃えるような決意の光。

 

俺は、救世主じゃない。

ただの、空っぽの器だ。

なら、それでいい。

 

奇跡を起こす英雄じゃなくていい。

生徒が間違えれば、共に悩み、頭を抱える。

生徒が傷つけば、自分のことのように、共に怒る。

生徒が絶望すれば、その隣に、ただ黙って座り続ける。

 

どんなに困難な状況でも、どんなに不合理な選択でも、決して諦めず、生徒と共に立ち向かい続ける、ただの「大人」であること。

それこそが、記憶を失ってもなお、この魂に刻み込まれた、俺という存在の、本質なんだ。

 

「セリカ」

 

先生は、振り返り、彼女の名前を呼んだ。

その声は、もう、震えていなかった。

 

「作戦を、立てる。

シロコとテラーを救い出し、そして、ホシノを連れ戻すための、最後の作戦を」

 

彼は、役割を脱ぎ捨て、初めて、本当の自分自身になった。

空っぽの器に、確かな意志の光が灯った、その瞬間だった。

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