ブルーアーカイブ Last on Kivotos   作:ヴィーナス

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第17話:砂漠の誓い

カイザーの主力部隊が壊滅し、アビドス砂漠には、ここ十年で初めてと言えるほどの静寂が訪れていた。

空には砲煙の代わりに星々が瞬き、風の音だけが、錆びた鉄骨の間を吹き抜けていく。

アビドス対策委員会の面々と先生一行による残党狩りも終わりを告げ、地下シェルター都市には、張り詰めていた緊張とは違う、疲労と安堵が入り混じった空気が流れていた。

 

司令部として使われていた教室で、先生は窓の外に広がる、静かになった砂漠を眺めていた。

記憶のない彼にとって、この勝利が何をもたらすのか、まだ実感はなかった。

しかし、ホシノやシロコたちが、ほんの少しだけ柔らかい表情を取り戻したのを見て、胸に温かいものが灯るのを感じていた。

 

「…行かなければならない」

 

静寂を破ったのは、先生の独り言のような呟きだった。

振り返ると、そこにはシラヌイ、アザゼル、そしていつの間にか現れた黒服が立っていた。

アビドスの生徒たちの姿はない。大人たちだけの時間だった。

 

「アビドスは、確かに一つの危機を乗り越えた。でも、それは始まりに過ぎない」

先生は続ける。

「このキヴォトスには、アビドスと同じように、あるいはそれ以上に苦しんでいる生存者たちがいるはずだ。僕たちは、それを黙って見過ごすわけにはいかない」

 

その言葉に、アザゼルは鼻で笑い、黒服は興味深そうに口角を上げた。

だが、最も強く反応したのはシラヌイだった。

獣のような鋭い光を宿した瞳で、彼は先生を真っ直ぐに見据えた。

 

「次の目的地は決まっている」

シラヌイは、乾いた声で言った。

「百鬼夜行連合学院だ」

 

その名に、先生は驚かなかった。

彼の旅に打算的に同行しているこの男の目的は、ただ一つ。娘の行方を探すこと。

その執念が、彼の全身から滲み出ていた。

アザゼルも黒服も、沈黙をもって同意を示している。

この男の硬い意志を、今ここで覆す理由も力も、この一行にはなかった。

 

「わかった」

先生は頷いた。

「でも、その前に一つだけ条件がある。シラヌイ、君が今知っている百鬼夜行の情報を、全て共有してほしい」

 

先生の視線が、シラヌイを射抜く。

「君は、百鬼夜行に着いた瞬間、俺たちのことなど忘れて一人で飛び出していくんだろう。それは構わない。でも、無策で動かれて、お互いに不利益を被るのは避けたい。俺たちは、まだチームだ」

 

シラヌイは一瞬、苦々しげに顔を歪めたが、やがて重い口を開いた。

「…奴らの本拠地は、巨大な結界に覆われている。物理的な攻撃は一切通じない。外部の者も、内部の者も、出入りは不可能だ」

 

彼は吐き捨てるように言った。

「ゲヘナから盗み出した禁制品、『雷帝の遺産』をぶつけてみたが、傷一つ付かなかった。あれほどの兵器ですら、だ」

 

シラヌイは壁に寄りかかり、腕を組んだ。

「超遠距離用の望遠鏡で、結界の向こうを覗き続けた。朧げだが、生徒や住民の姿は確認できる。奇妙なことに、データベースの情報と照合しても、生徒たちの多くが歳を取った様子がない。おそらく、あの結界は空間だけでなく、時間の流れにも何らかの干渉をしているんだろう」

 

彼の声に、わずかながら疲労の色が滲む。

「だが、暮らし向きは最悪のようだ。栄養状態は明らかに悪く、自給自足でどうにか食いつないでいるのがやっと、というところだろうな」

 

その情報共有を、部屋の入り口で静かに聞いていた影があった。

シロコだった。

彼女はゆっくりと歩み寄り、シラヌイの前に立つ。

 

「…イズナのこと?」

 

シロコの静かな問いに、シラヌイの肩が微かに震えた。

シロコは、カイザーの工場を破壊する作戦に、命懸けで協力してくれたこの父親の姿に、何かを感じ取っていた。

 

「カイザーを倒すのに手を貸してくれたお礼。あなたに伝えるべきことがある」

シロコは真っ直ぐにシラヌイの目を見て、告げた。

「十年前のあの日…『色彩消滅作戦』の直後、私たちは命からがらアビドスに戻った。それと同じように、イズナも百鬼夜行に帰還したのを確認している。私たちが知っているのはそこまで。その直後に、あの結界が発動したらしい」

 

「―――!」

 

シラヌイの目が見開かれた。

娘は、あの地獄で死んだのだと、そう諦めかけていた。

心のどこかで希望を抱きながらも、絶望的な現実がそれを打ち消し続けていた。

だが、今、目の前の少女が告げた事実は、乾ききった彼の心に注がれた、一滴の救いの水だった。

 

「…そうか」

長い沈黙の後、シラヌイの口から絞り出すような声が漏れた。

「そうか…生きて、いたのか…」

 

彼は壁に背を預けたまま、ずるずるとその場に座り込みそうになるのを、必死に堪えた。

「…恩に着る、アビドスの狼」

絞り出された感謝の言葉は、誰にも聞こえないほど小さかったが、確かにその場の全員の耳に届いていた。

 

翌朝、一行が旅立ちの準備を終え、地上に出ると、そこにはアビドス対策委員会の全員が待ち構えていた。

その輪の中心では、セリカが動物族の長老らしき人物と真剣な顔で話し込んでいた。

先生が近づくと、話が一段落したのか、長老が先生に向き直り、深々と頭を下げた。

 

「先生。あなた方のおかげで、我々は未来への一歩を踏み出す勇気を得ました」

長老はそう言うと、隣にいた「砂の民」と呼ばれる部族の青年を促した。

青年は、大切そうに抱えていた布袋を開き、中に入っている色とりどりの小さな種を先生に見せた。

 

「これは、我ら砂の民が代々受け継いできた、砂漠でも育つ作物の種です。セリカ殿と相談し、我々は少しずつですが、このアビドス高校の敷地を借りて、再び自分たちの手で食料を育てることに決めました。地下での暮らしは終わりにはできませんが、これは、我々の新たな始まりです」

 

先生は、その小さな種の中に、力強い生命力と、彼らの揺ぎない決意を感じた。

「素晴らしいことだ。君たちなら、きっとできる」

 

先生が温かい眼差しでそう言うと、そのやり取りをすぐ側で聞いていたセリカが、ふいと顔をそむけながらも、どこか誇らしげに口を挟んだ。

「ちょっと、まさか黙って行こうなんて思ってなかったでしょうね?」

腕を組んだセリカが、呆れたように言う。

その足元には、山と積まれたコンテナが並んでいた。

 

「百鬼夜行じゃ、まともな物資の確保は難しいでしょ。これは私からの餞別。長持ちする食料と、使えるか分からないけど当時の共通通貨。それと…」

セリカはちらりとアザゼルを見て、ぶっきらぼうに付け加えた。

「あんたの『診療所』、あんなボロボロの道具じゃ話にならないでしょ。これは本格的な医療キット。品質は保証するわ」

 

「これは…」

アザゼルが絶句する。

それは、彼が失った研究室にあったものと同等か、それ以上の最高級品だった。

 

すると、砂漠の向こうから、巨大な影が近づいてくるのが見えた。

太陽の光を浴びて静かに走行する、多人数乗りの大型装甲車両だった。

 

「ノノミちゃんからです」

ホシノが、どこか誇らしげに言った。

「『先生がバイクで砂漠を横断するのは、さすがに心配ですから』だってさ。ネフティス製の特注品で、太陽光さえあれば半永久的に走れるスグレモノだよ~」

 

「うへぇ~、これなら快適な旅ができそうだねぇ」

ホシノはそう言うと、どこからか取り出したショットガンを先生に差し出した。

「ついでに、これも持ってきなよ、先生。護身用にはなるでしょ?」

 

しかし、先生は静かに首を振って、その銃口を押し返した。

「ありがとう、ホシノ。でも、それは受け取れない」

彼の声は、穏やかだが、確固たる意志に満ちていた。

「僕たちの戦いは、もうそういうものじゃないんだ。力で相手を屈服させるんじゃなく、言葉で、心で、繋がっていく。そう信じたいんだ」

 

その言葉に、ホシノは一瞬きょとんとした顔をしたが、やがて「へぇ…」と面白そうに笑い、銃をしまった。

 

最後に、シロコが先生の前に立ち、小さな包みを差し出した。

中身は、手作りの栄養補助食だった。

「ん。道中、これを食べて。…必ず、戻ってきて」

 

「ああ、必ず」

先生は力強く頷き、新たな希望と、生徒たちの温かい想いを胸に、頑丈な大型車両に乗り込んだ。

 

太陽光を浴びて静かに砂漠を進む大型車両の中、ダッシュボードに設置された通信デバイスのスクリーンが、不意に明るくなった。

ノノミが「何かあった時のために」と持たせてくれたものだ。

 

『ちょっと先生! 無事に着いたわけ!?っていうか、そっちの状況はどうなってるのよ!』

画面いっぱいに、心配と苛立ちを隠せないセリカの顔が映し出される。

その隣から、ひょっこりとホシノが顔を出す。

 

『うへぇ~、セリカちゃんは心配性だねぇ。先生なら大丈夫だって~』

『そういう問題じゃないでしょ!』

 

画面の向こうで、いつもの賑やかなやり取りが繰り広げられる。

先生が苦笑していると、シロコが冷静に会話を制した。

 

『ん。でも、定期的な報告は義務。先生、状況を教えて』

 

「ありがとう、みんな。心配かけてごめん」

先生は、百鬼夜行の巨大な結界を前にしていること、そしてこれからどう動くかを簡潔に伝えた。

画面の向こうの彼女たちは、真剣な顔で頷いている。

アビドスを離れても、こうして繋がっている。その事実が、先生の心を温かくした。

 

通信を切った後のアビドス対策委員会室。

「もー! あの先生、絶対また無茶するんだから!」

セリカはそう言いながらも、その口元には微かな笑みが浮かんでいた。

 

「ふふっ」

ノノミが優雅に微笑む。

「先生はきっと、百鬼夜行でも私たちの想像を超えるようなことをしてくださるはずです。皆さん、いつでも支援物資を送れるように、輸送ルートの確保と必要物資のリストアップを始めましょう♪」

 

彼女たちの戦いは、まだ終わっていない。

遠く離れた砂漠の地から、大切な先生を支えるための、新たな戦いが始まろうとしていた。




いつもご愛読いただきありがとうございます。アビドス編は今回で一つの節目を迎えます。お気に入り、感想、評価は作品執筆の何よりの励みになります。よろしくお願いします。
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