ブルーアーカイブ Last on Kivotos   作:ヴィーナス

22 / 37
第22話:歓迎されざる救世主

歓迎と恐怖、そして監視の視線が渦巻く広場の中心で、先生は途方に暮れていた。

シラヌイは姿を消し、残されたのは自分と、傍観を決め込むアザゼル、そして全てを愉しむ黒服だけ。

この状況をどう打開すればいいのか、全く糸口が見えない。

 

(まずは、この学院の行政組織と話をしないと…)

 

先生は、シラヌイから事前に聞いていた情報を思い出す。

この学院には「陰陽部」という、生徒会に相当する組織があるはずだ。

まずは彼らと接触し、自分たちが敵ではないことを示し、協力関係を築く。

それが、この閉鎖された社会に足がかりを作るための、最も現実的な一歩のはずだった。

 

先生は、ひざまずく動物族の老婆に、できるだけ穏やかな声で語りかける。

 

「ありがとうございます。でも、俺は英雄なんかじゃありません。もしよろしければ、この学院の行政を担っている『陰陽部』の方に、取り次いでいただけませんか?」

 

しかし、老婆は困ったように首を横に振るばかり。

 

「陰陽部、でございますか…。我らのような者が、軽々しくお会いできるような方々では…」

 

その時、広場の入り口がにわかに騒がしくなった。

整然とした足音と共に現れたのは、揃いの制服に身を包んだ一団。

彼女たちの胸には、蓮の花をかたどった徽章が輝いている。

 

「百花繚乱紛争調停委員会だ!」

「彼女たちが、どうしてここに…」

 

遠巻きに見ていた生徒たちが、さらに距離を取る。

百花繚乱の生徒たちは、先生たちの前に立つと、一糸乱れぬ動きで扇状に展開した。

その視線は、ひざまずく動物族ではなく、先生たち三人にだけ、鋭く注がれている。

 

「あなた方が、大結界を乱したよそ者ですね」

 

隊長らしき生徒が、冷たく言い放つ。

 

「我々は、あなた方を危険分子と判断しました。これ以上の混乱を避けるため、我々と共に来ていただきます」

 

それは、10年間、この停滞した町の秩序を、ただ愚直に守り続けてきた者たちの、揺るぎない意志だった。

陰陽部からの「手出し無用」という命令は、通信網が寸断されているこの状況では、現場の彼女たちにまで届いていなかった。

彼女たちは、自らの判断で、この町の警察として、ただ職務を遂行しようとしているだけなのだ。

 

先生が弁解しようと口を開くより早く、百花繚乱の数人が素早く動き、先生とアザゼルの腕を掴んだ。

 

「抵抗は無意味です。大人しく従いなさい」

 

(これも、ダメか…)

 

為す術なく、先生たちは彼女たちに連行されていく。

広場から追い出され、彼女たちが管理する牢獄で取り調べを受けるのだろう。

最悪のスタートだ。

 

しかし、一行が薄暗い路地へと差し掛かった、その時だった。

 

「――待ちなさい!」

 

鋭い声と共に、伝令役と思われる百花繚乱の生徒が、息を切らしながら駆けつけてきた。

 

「た、たった今、陰陽部より緊急連絡です! その者たちへのいかなる干渉も禁ず、と! 即刻、解放しなさい!」

 

「なっ…!?」

 

隊長の生徒が、信じられないという顔で目を見開く。

 

「陰陽部が、なぜ…? 理由は何です!?」

「分かりません! ただ、これは最優先命令です!」

 

隊長は、悔しそうに唇を噛み締めると、不承不承といった様子で部下たちに命じた。

 

「…手を、離しなさい」

 

あっけなく解放された先生は、何が何だか分からず、ただ呆然と立ち尽くす。

組織間の連携が、全く取れていない。

この学院は、内部から崩壊しかけている。

 

百花繚乱の生徒たちが、苦々しい表情で去っていく。

先生は、再び広場へと戻るしかなかった。

行政組織との接触は、最悪の形で失敗に終わった。

 

(次は、どうすれば…)

 

先生は、住民たちの栄養状態の悪さに目を向ける。

このままでは、いずれ町全体が立ち行かなくなる。

先生は、かつて連邦生徒会があったサンクトゥムタワーの首席行政官、七神リンのことを思い出した。

彼女なら、何か知恵を貸してくれるかもしれない。

 

先生は、周囲の警戒の視線を背に受けながら、広場の隅に打ち捨てられていた、古びた公衆電話ボックスへと向かった。

幸いにも、かろうじて通信機能は生きているようだった。

 

その頃、サンクトゥムタワーの執務室。

七神リンは、鳴り響く通信機の表示を見て、深く、深いため息をついた。

 

『先生』。

その二文字が、彼女の心を複雑にかき乱す。

 

10年間、たった一人で、この崩壊した連邦生徒会を守り続けてきた。

誰もが責任を放棄し、逃げ出す中で、「いつか生徒会長が戻ってくる」という、今や霞のようになった希望だけを胸に、周囲から押し付けられる全ての責任を背負い、生き抜いてきた。

 

そんな彼女の前に現れた、記憶のない『先生』。

彼の規格外の行動力と、アビドスで見せた奇跡のような実績は、評価に値する。

だが、それとこれとは話が別だ。

 

リンは、覚悟を決めて受話器を取った。

 

『…先生? どうされたのですか、こんな時間に』

 

「リンさん! よかった、繋がった…」

 

先生は、百鬼夜行の惨状と、食料支援の必要性を必死に訴えた。

その言葉を聞きながら、リンは唇を噛み締める。

 

(やはり、こうなったか…)

 

先生の純粋な善意は、時に現実という壁を無視する。

アビドスでの成功が、彼に「連邦生徒会はまだ機能している」という誤った希望を与えてしまったのかもしれない。

このまま曖昧な返事をすれば、彼は今後も同じように、不可能な支援を要求してくるだろう。

それは、彼にとっても、そして自分にとっても、不幸なことだ。

 

今、正直に、この絶望的な現実を打ち明けることこそが、彼のためになる。

リンは、意を決して、冷徹なまでに現実的な言葉を紡いだ。

 

『…先生、申し訳ありませんが、それは不可能です』

 

「え…?」

 

『連邦生徒会に、もはや他学区を支援する余力など、どこにも残されていません。アビドスへの支援? とんでもない。あれは、ノノミさんの個人資産と、ネフティス社との直接交渉で成り立っている、例外中の例外です』

 

リンの声には、10年分の疲労と、そして自嘲の色が滲んでいた。

 

『今の連邦生徒会は、かろうじて生存している他の学園から、議席の維持を名目に徴収した支援金で、最低限の機能を維持しているだけの抜け殻です。他の政府機関や企業からは、とうの昔に見放されています。私たちにできることなど、もう何も…』

 

ブツリ、と通信が切れる。

最後の頼みの綱が、目の前で断ち切られた。

組織との交渉は決裂。外部からの支援も絶望的。

万策尽きた。

 

先生は、受話器を握りしめたまま、その場に立ち尽くす。

アビドスで得た自信は、この閉鎖された現実の前で、脆くも崩れ去ろうとしていた。

 

「……はぁ。見ていられませんねぇ」

 

その時、背後から聞こえてきたのは、アザゼルの呆れ果てたような溜息だった。

今まで腕を組んで傍観していた彼が、ゆっくりと先生に近づいてくる。

 

アザゼルのプライドは、限界に達していた。

アビドスでの屈辱的な扱いは、まだ耐えられた。

だが、ここは違う。百花繚乱の少女たちの、純粋な正義感に満ちた、しかし無知ゆえの侮蔑の視線。

そして、解放された後の、遠巻きに見る生徒たちの、恐怖と嫌悪が入り混じった眼差し。

それは、彼の心の最も深い部分を抉った。

 

(私の理想が…私の科学が、ただの恐怖の象徴だと…?)

 

神秘を根絶し、誰もが平等な世界を作る。その崇高な理想のために生み出した神秘無効化薬。

それが、自分の手を離れた後、ヘイローを破壊するだけの凶悪な兵器に転用され、夥しい死者を出した。

自分の愚かな思想は、結局、軍需産業に利用されただけだった。

その事実が、虚無主義者を気取る彼の仮面の下で、耐え難い屈辱となって燃え上がっていた。

 

(それでも…)

 

アザゼルは、自分の薄汚れた白衣の袖を、無意識に握りしめる。

生徒会の極秘ファイルにも記されていない、彼の過去。

まだ妹が生きていて、彼が狂気の化学者になる前。

彼は、ただ人の命を救いたいと願う、一人の『医者』だった。

ニヒリストを気取っても、この白衣を脱ぎ捨てられないのは、まだ良識があったあの頃を、家族がいた温かい日々を、忘れられないからだ。

 

そして、目の前に広がるこの百鬼夜行の惨状。

アビドスよりも、遥かに酷い。

彼の『医者』としての目が、栄養失調だけではない、数多の病を見抜いていた。

長く続くストレスによる精神疾患、不衛生な環境が引き起こす感染症、そして希望を失ったことによる、心の病。

ここには、治療を必要とする『患者』が溢れている。

 

そして、奇妙なことに。

自分の手元には、アビドスの少女から託された、最新鋭の医療キットがある。

神など信じない。だが、こういう皮肉な運命の巡り合わせは、信じてもいいかもしれない。

 

今、自分にできることは何か。

打ちひしがれている先生を慰めることか? 違う。

自らの過去を嘆くことか? 論外だ。

答えは、一つしかない。

 

「いつまで、そんな子供じみた理想論に浸っているつもりですか。交渉? 支援要請? そんなもので、この死んだ世界が救えるとでも?」

 

アザゼルは、先生の横を通り過ぎると、広場の中心へと歩き出した。

そして、警戒する生徒たち全員に聞こえるように、朗々と宣言した。

 

「――ここに、無料の診療所を開設します」

 

その場にいた誰もが、耳を疑った。

 

「治療費は一切いただきません。怪我でも、病でも、何でも診ましょう。ただし…」

 

アザゼルは、ニヤリと口の端を吊り上げた。

 

「私の手は、安くはありませんよ。治療を受けた方には、それ相応の『対価』を、別の形で支払っていただきます」

 

彼は、セリカから渡された最高級の医療キットのケースを、地面に置いた。

パチン、と留め具を外す乾いた音が、静まり返った広場に響き渡る。

 

先生が、ただ立ち尽くすことしかできなかった状況を、キヴォトス最悪の犯罪者と蔑まれた男が、自らの意志で、たった一人で、動かし始めようとしていた。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。