ブルーアーカイブ Last on Kivotos   作:ヴィーナス

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第26話:再会と告白

診療所は、日を追うごとに活気を増していた。

当初、アザゼルの的確な治療と先生の献身的なサポートだけだった診療所は、どこか張り詰めた、近寄りがたい雰囲気があった。

しかし、セリナとハナエが加わったことで、その空気は一変した。

 

「あらあら、転んでしまったんですね。大丈夫ですよ、すぐに綺麗にしますから」

「大変です! そのかすり傷、放っておくと大変なことになりますよぉ!」

 

二人の明るく、そして少しお節介なほどの奉仕の精神は、人々の警戒心を解きほぐし、重症になる前に気軽に足を運べる、親しみやすい場所へと診療所を変えていった。

コミュニティの雪解けは、確実に進んでいた。

 

そんな診療所の日常の裏で、セリナとハナエは、一つの大きな懸念を共有していた。

彼女たちにとって、先生の記憶喪失は、それほど驚くべきことではなかった。

強い衝撃で記憶を失うことは、決して珍しいことではないからだ。

 

だが、彼女たちが本当に心配していたのは、別のことだった。

10年前と、先生の見た目が全く変わっていないこと。

それは、明らかに異常だった。

 

(先生のお身体に、誰かが妙なことをしていないでしょうか…)

 

セリナとハナエは、密かに調査を進めていた。

動物族の長老たちに頼み、その鋭い嗅覚で先生の魂に異常がないかを見てもらった。

アザゼルにも協力を仰ぎ、彼が軽い催眠術をかけて先生の深層心理を探った。

 

しかし、結果は全て「異常なし」。

先生は本当に記憶を失っているだけで、魂にも、精神にも、不自然な干渉の痕跡は見つからなかった。

 

「科学的に見ても、おそらくこれ以上の調査は無意味でしょうねぇ」

 

アザゼルは、溜息交じりに言った。

 

「最先端の設備を使ったところで、結果は同じはずです。もし何かあるとすれば、それは遺伝子レベルで巧妙に仕組まれた何かか…あるいは、先生の御先祖に、長寿の種族でもいたか。そのどちらかでしょう」

 

その言葉に、セリナとハナエは、心の底から安堵のため息をついた。

下手な最新鋭の医療設備よりも、アザゼルのような名医による診断の方が、よほど信頼できる場合がある。

先生の身体に、差し迫った危険はない。それが分かっただけでも、大きな収穫だった。

 

そんなある日の午後。

患者の波が一段落し、セリナがお茶を淹れようとしていた、その時だった。

診療所の入り口のドアが、軋むような音を立てて、静かに開かれた。

 

そこに立っていたのは、まるで何日も眠っていないかのような、憔悴しきった顔の男だった。

ぼろぼろの衣服、虚ろな目、そして全身から発せられる、濃密な死の匂い。

 

シラヌイだ。

 

「…シラヌイ!」

 

先生が驚いて駆け寄る。

最後に会った時とは、まるで別人だった。

かつての鋭い獣のような眼光は消え失せ、今はただ、深い絶望と自己嫌悪の闇が、その瞳の奥に淀んでいる。

彼は、先生の声にも反応せず、ふらつく足取りで診療所の中に入ると、まるで糸が切れた操り人形のように、椅子に崩れるように座り込んだ。

 

「どうしたんだ、一体…。娘さんは、見つかったのか?」

 

先生の問いに、シラヌイはしばらくの間、虚空を見つめていたが、やがて力なく首を振った。

そして、絞り出すような、ひび割れた声で語り始めた。

 

「…見つけた。だが、最悪の形だった」

 

彼は、自分が闇の中で見てきた全てを、訥々と、しかし包み隠さず告白した。

娘が、陰陽部の上層部にその才能を利用され、心を殺したスパイとして、汚い仕事に手を染めていること。

その瞳から、かつての輝きが完全に失われ、ただの道具になり果てていること。

その姿が、かつて非情なスパイであった自分と重なり、耐え難い苦痛であること。

そして、自分一人では、陰陽部という巨大な組織を相手に、娘を救い出すことなど到底不可能であること。

 

「…合わせる顔が、ない」

 

シラヌイは、震える手で顔を覆った。

その肩が、小さく震えている。

 

「彼女が知る、理想の父親は、もうどこにもいない。俺は…俺は、手を汚し切った、ただの悪人だ…。娘を、俺と同じ道に引きずり込んでしまった、最低の父親だ…」

 

その痛ましい告白に、診療所は静まり返った。

セリナとハナエは、かける言葉も見つからず、ただ悲しげに俯いている。

 

沈黙を破ったのは、意外にも、今までこの手の話には常に傍観を決め込んできた黒服だった。

 

「いいじゃないですか。私なんて、あなたより遥かに多くの悪事を働いてきましたよ。そして、反省もしていない」

 

黒服は、いつもと変わらぬ笑みを浮かべて、しかしその声には奇妙な説得力があった。

 

「チームとは、そういうものでしょう。清廉潔白な聖人君子の集まりではない。それぞれの罪や、歪みを抱えた者たちが、一つの目的のために集う。傷を舐め合うのではなく、互いの歪さを利用し、補い合う。それが、私の思う『チーム』ですがねぇ」

 

その言葉に、先生も続く。

 

「俺だって、同じだ。俺は、キヴォトスを救うために、何かとてつもない犠牲を払ったのかもしれない。今の俺は、それを覚えていないただの抜け殻だ。でも、そんな俺でも、アビドスでやり直すことができた。シラヌイ、君は父親なんだ。俺なんかより、ずっと多くのチャンスがあるはずだ。諦めるのは、まだ早い」

 

最後に、アザゼルが、薬を調合する手を止めて、静かに呟いた。

彼の声は、誰よりも重く、そして切実だった。

彼は、シラヌイの姿に、妹を失い、全てを憎悪し、道を誤ったかつての自分を重ねていた。

 

「…それでも、会えるなら会いたい。それが、家族だ」

 

自らの過去を重ねたその言葉は、シラヌイの凍てついた心を、わずかに溶かした。

彼は、ゆっくりと顔を上げた。

その瞳には、まだ絶望の色が濃く残っている。

だが、その奥に、ほんの少しだけ、仲間を信じるという、新しい光が灯っていた。

 

自分は、一人ではない。

この歪で、どうしようもない連中が、それでも、自分の隣に立ってくれている。

初めて、この歪な一行が、一つの方向を向いた瞬間だった

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