ブルーアーカイブ Last on Kivotos   作:ヴィーナス

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第30話:信頼の眼差し

最近、街で妙な事件が頻発している。

原因不明の小規模な爆発。インフラ設備の不審な故障。

誰かが、意図的に、この街を混乱させようとしている。

 

(このままじゃ、まずい…)

 

先生は、診療所の窓から外を眺めながら、強い危機感を覚えていた。

診療所に来る人たちの顔に、少しずつ笑顔が戻ってきた。

アザゼルやセリナさん、ハナエさんのおかげで、この街にも、ほんの少しだけ、希望の光が見え始めた気がする。

 

この光を、失いたくない。

やっと手に入れた、ささやかな日常を、誰にも壊させたくない。

 

百花繚乱の人たちが、犯人捜査に動いてくれているのは知っている。

でも、彼女たちのやり方は、少し、強引すぎる気がする。

診療所に来る人たちから、よく聞くんだ。

「百花繚乱の人たちに、犯人扱いされた」

「何もしてないのに、睨まれた」って。

 

彼女たちの正義感は、分かる。

でも、その正義が、住民たちとの間に、新しい溝を作ってしまっている。

 

(このままじゃ、ダメだ。悪循環になるだけだ)

 

誰かが、彼女たちとは違うやり方で、動かないと。

でも、誰が?

シラヌイは、まだ娘さんのことで手一杯だろう。

アザゼルは、診療所で手一杯だ。

黒服は…論外だ。

 

(…俺が、やるしかないか)

 

専門家じゃないことなんて、分かってる。

無謀だってことも、分かってる。

でも、何もしないで、誰かが傷つくのを待っているなんて、俺にはできない。

アビドスで、俺は学んだんだ。

大人が、生徒のために、責任を持って動かなきゃいけない時があるって。

 

その夜、俺は誰にも告げず、一人で診療所を抜け出した。

昼間の喧騒が嘘のように、夜の百鬼夜行は、深い沈黙と闇に包まれていた。

割れた街灯の下を、痩せた野良犬が駆け抜け、廃墟の窓が、風に吹かれて不気味な音を立てる。

道端には、その日の僅かな糧さえ得られなかったのか、力なくうずくまる生徒たちの姿が点在していた。

 

普段、診療所で助手を務めている先生が、こんな時間に一人で街をうろついている。

その姿は、住民たちの目に、奇異と不信の色を映し出した。

 

「先生…? なんで、こんなところに…」

 

囁き声が、闇の中から聞こえてくる。

そして、その予想外の行動は、監視者たちを大慌てさせた。

 

「目標が単独で移動を開始!」

「追跡しろ! 絶対に見失うな!」

 

屋根裏では、陰陽部の密偵が息を殺し、建物の影では、百花繚乱のメンバーが、苛立ちを隠さずに後を追う。

先生自身は、全く気づいていない。

自分の何気ない行動が、水面下で大きな混乱を引き起こしていることなど。

 

専門家ではない彼の行動は、あまりにも無謀だった。

彼は、ただ闇雲に、事件が起きた場所の周辺を歩き回り、何か手がかりがないかと探すことしかできない。

 

その結果は、最悪だった。

彼は、路地裏に巧妙に隠されていた、シュロが仕掛けた試作品の爆弾を踏みかけてしまう。

 

カチリ、と。

足元から、微かな、しかし致命的な金属音が響いた。

 

「――動くな!」

 

鋭い声と共に、物陰から百花繚乱のメンバーたちが飛び出してきた。

委員長のナグサが、緊迫した表情で叫ぶ。

 

「それは、感圧式の爆弾だ! 下手に動けば、この路地ごと吹き飛ぶぞ!」

 

彼女たちは、武闘派ではあるが、同時に、この10年間、あらゆる危険な仕事を引き受けてきたプロフェッショナルだ。

一人が、慎重に、しかし素早い動きで先生の元へ駆け寄ると、特殊な工具を使って、爆弾の信管を無力化していく。

その額には、玉のような汗が浮かんでいた。

 

数分後、永遠にも感じられた時間の後、彼女は短く告げた。

 

「…処理、完了しました」

 

ナグサは、安堵の息をつくと、今度は怒りの形相で先生を睨みつけた。

 

「だから言わんことではない! 素人が首を突っ込むから、こうなるのです!」

 

先生は、衝撃で捻挫した足の痛みと、自らの無力さで、何も言い返せなかった。

たとえ容疑者リストの筆頭であっても、目の前で死なせるわけにはいかない。

そのプロ意識が、彼女たちを動かしていた。

 

その頃、百花繚乱の捜査本部は、新たな発見に揺れていた。

インフラ施設や重要施設で、次々と未発見の爆弾が見つかったのだ。

犯人の目的は、計画的で、大規模な同時多発テロであると、目星がつきつつあった。

 

ナグサは、先生一行に、これだけの爆発物を持ち込む能力はないと、理性では理解していた。

あの装甲車両だけでは、物理的に不可能だ。

しかし、委員会内部の武闘派は、そうは考えなかった。

 

「あの黒服とかいう生首、宙に浮けるなら、何かしらの技術で空間に爆発物を大量に持ち込んでいるに違いありません!」

「疑わしきは罰するべきです! 今すぐ奴らを拘束しましょう!」

 

ナグ-サから見れば、ありえない発想だった。

だが、彼女たちの単純な正義感は、一度火が付くと止められない。

ナグサは、暴走しかねない部下たちを抑えるのに、必死だった。

 

その結果、先生一行は、かろうじて容疑者リストに名を連ねたまま、監視が続けられることになった。

しかし、その直後。

信じられない光景が、百花繚乱のメンバーたちの目の前で繰り広げられた。

 

先生が負傷したという噂を聞きつけた住民たちが、次から次へと、診療所に見舞いの品を届けに来たのだ。

 

「先生、大丈夫かい?」

「これ、うちで採れた野菜だけど、食べて元気出してくれよ」

「先生が早く良くなるように、お祈りしといたからな!」

 

住民たちにとって、先生は、もはや単なる「よそ者」ではなかった。

彼は、自分たちのために、薬草を採りに野山を駆け回り、診療所で汗を流し、そして今、この街の危険を顧みず、一人で調査に出て、怪我をした。

百花繚乱のように、上から「正義」を振りかざすのではない。

同じ目線に立ち、自分たちの痛みを分かろうとしてくれる、一人の大人。

その姿が、10年間、誰にも顧みられなかった彼女たちの心を、強く、強く打っていた。

 

彼らの目には、百花繚乱に向けるものとは全く違う、心からの心配と、揺るぎない信頼の眼差しが宿っていた。

その温かい眼差しは、まるで鋭い刃のように、ナグサの胸に突き刺さった。

それは、彼女たちが10年間、血の滲むような努力をしても、決して、ただの一度も、向けられることのなかった眼差しだったからだ。

 

ナグサは、その光景を、ただ呆然と見つめることしかできなかった。

 

(なぜ…?)

 

その疑問が、彼女の頭の中を支配する。

 

(なぜ、この男なの…?)

 

ナグサには、理解できなかった。

自分たちだって、身を粉にして、この街のために戦ってきた。この10年間、一日たりとも、気を抜いたことなどない。

危険な任務にも、汚い仕事にも、文句一つ言わずに身を投じてきた。

先生がやっていることと、何が違うというのだ。

むしろ、我々の方が、よほどこの街に貢献しているはずだ。

 

それなのに、なぜ、住民たちは、我々ではなく、このぽっと出の男を、こんなにも信頼する?

 

その時、ナグサは、初めて自分たちの「誤り」に気づき始めた。

違いは、権力と暴力の行使だ。

我々は、治安維持という大義名分のもと、住民を疑い、威圧し、時には力で押さえつけてきた。

それは、行使すればするほど、不信と恐怖という悪循環を生むだけだった。

一方、先生は、何も持たない。ただ、同じ生活をし、謙虚に奉仕するだけだ。

最も尊敬されるのは、そういう人間なのだ。

 

先生の「素人の無謀な行動」が、なぜ、これほどまでに評価されるのか。

その答えが、目の前の、温かい光景の中にあった。

ナグサの胸に、今まで感じたことのない、苦くて、そして少しだけ羨ましいような、複雑な感情が込み上げてきた。

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