ブルーアーカイブ Last on Kivotos 作:ヴィーナス
先生が、足の怪我と、自らの無力感で動けずにいる、その時を。
シュロは、待っていた。
廃墟と化した学園の一室。
彼女は、目の前に並べられた、複数のモニターを、冷たい瞳で見つめていた。
モニターには、街の各所に仕掛けた爆弾の、現在のステータスが表示されている。
全て、準備完了。
「さようなら、偽物の楽園」
シュロは、誰に言うでもなく、静かに呟いた。
その指が、ためらうことなく、一つのボタンを押し込む。
起爆スイッチだ。
その瞬間。
百鬼夜行連合学院は、炎に包まれた。
生徒たちが寝静まった、深夜。
悪意に満ちた大規模同時多発テロは、まず、街の毛細血管を寸断することから始まった。
ドンッ、という地鳴りのような轟音と共に、地下に張り巡らされた水道管とガス管が、同時に火を噴いた。
地面が裂け、灼熱の炎と濁流が、アスファルトを突き破って噴出する。
直後、商店街の変電施設が、まばゆい閃光と共に爆発し、街は完全な闇に閉ざされた。
それは、始まりに過ぎなかった。
シュロが、この数週間、街中に仕掛けてきた無数の爆弾が、連鎖するように、次々と爆発していく。
生徒たちが暮らす、いくつもの団地。
その一階部分に仕掛けられた爆弾が、建物の基礎を破壊し、轟音と共に、上層階が崩れ落ちていく。
「きゃああああ!」
「助けて! ドアが開かない!」
「熱い! 誰か!」
逃げ場を失った生徒たちの悲鳴が、炎と煙の中に吸い込まれていく。
脱出できた者も、わずかな家財道具を抱きしめ、燃え盛る我が家を前に、ただ泣き崩れることしかできない。
かつて、思い出の場所だったはずの学園の校舎が、瓦礫の山へと変わっていく。
彼女が「停滞」と定義した、ありとあらゆる日常の風景が、爆炎と共に消し飛んでいく。
本来、彼女の計画は、もっと大規模なものだった。
上下水道のダム、電力発電所。そうしたインフラの大元を破壊し、百鬼夜行を、再起不能なまでに叩き潰すはずだった。
しかし、その計画は、百花繚乱の地道な捜査によって、未然に防がれていた。
彼女たちは、主要インフラに仕掛けられた爆弾を、寸でのところで発見し、解体していたのだ。
陰陽部や百花繚乱の本部を直接狙わなかったのも、計画が早期に露見するのを避けるためだった。
シュロは、より確実な、市街地の完全な破壊を選択した。
診療所の窓から、先生は、その光景を、ただ呆然と見つめていた。
ほんの数時間前まで、ささやかな希望の光が灯っていた街が、目の前で、地獄絵図へと変わっていく。
炎が、夜空を赤く染め上げ、もうもうと立ち上る黒煙が、星々を覆い隠す。
先生たちが拠点としていた建物も、本来なら爆破予定だった。
だが、連続する不審火を警戒した百花繚乱が、事前に周辺調査を行い、爆弾を回収していたため、奇跡的に難を逃れていた。
「先生! 早く、こちらへ!」
セリナの声が、遠くに聞こえる。
だが、先生の足は、動かなかった。
彼の耳には、もう、セリナの声は届いていない。
ただ、遠くから聞こえてくる、助けを求める生徒たちの、無数の叫び声だけが、彼の鼓膜を、そして心を、容赦なく打ち続けていた。
守りたかった。
この街の、ささやかな日常を。
そこに住む、生徒たちの笑顔を。
そのために、自分にできることを、必死にやってきたつもりだった。
薬草を採り、診療所を手伝い、人々と話をした。
無謀だと分かっていながら、一人で調査にも出た。
だが、その全てが、この圧倒的な破壊と、悪意の前では、何の意味もなさなかった。
(俺が、何をしても、無駄だった…)
(結局、俺は、誰一人、救えなかった…)
自分の「寄り添う」という信念が、自己満足の偽善に思えた。
無力だ。
自分は、あまりにも、無力だ。
炎上する街。
阿鼻叫喚の地獄。
その光景が、先生の瞳に焼き付く。
彼の心の中で、張り詰めていた何かが、ぷつり、と音を立てて、砕け散った。
希望も、信念も、後悔さえも、全てが燃え尽きて、ただ、空っぽの虚無だけが残った。