ブルーアーカイブ Last on Kivotos 作:ヴィーナス
炎は激しく燃え続けていた。
百鬼夜行の街は、炎の熱風と叫びと嘆きに満ちている。
先生は、診療所の片隅で、壁に背を預けたまま、動かずにいた。
その瞳には、何の光も宿っていない。
ただ、目の前で燃え盛っている、あの地獄の光景だけが、繰り返し、繰り返し、再生されている。
(無駄だったのか…)
今までの、全ての努力が。
薬草を求めて駆け回った日々も、診療所で交わした、ささやかな会話も、全てが、あの炎に飲み込まれて、灰になった。
砕け散ったのは、街だけではない。
先生自身の、魂もだった。
耳の奥で、叫び声が響いている。
助けを求める、生徒たちの声。
絶望に泣き叫ぶ、住民たちの声。
その一つ一つが、鋭いガラスの破片となって、彼の心を抉り続ける。
(なぜ、こうなった…?)
自問自答が、始まる。
この悲劇は誰かの、歪んだ正義感だけが生み出したものなのだろうか。
違う。
彼の目には、この百鬼夜行の惨状が、キヴォトス全体の、構造的な問題の縮図として映っていた。
機能不全に陥った、連邦生徒会。
見捨てられ、忘れ去られた、学園都市。
その中で、人々は希望を失い、互いを疑い、緩やかに死んでいく。
この事件の犯人は、その「緩やかな死」に、テロという形で、無理やり終止符を打ったに過ぎない。
(俺は、何を見誤っていた…?)
アビドスでの成功体験。
生徒一人ひとりに寄り添い、対話すれば、道は拓ける。
その信念は、間違ってはいなかったのかもしれない。
だが、それだけでは、足りなかったのだ。
この世界には、個人の善意や努力だけでは、どうにもならない、巨大な悪意と、構造的な欠陥が存在する。
それに、どう立ち向かえばよかったのか。
先生は、過去の栄光を知らない。
以前の自分自身が、どうやって世界を救ったのか、知らない。
だからこそ、彼は、古い権威や、既存のやり方に、固執しない。
ただ、目の前の現実だけを見つめる。
(今、苦しんでいる人々を、どうすれば救える…?)
その純粋な問いが、彼の思考を、新たな結論へと導いていく。
暗闇の中で、一つの光が、灯る。
それは、今まで彼が積み重ねてきた、住民たちとの対話の記憶だった。
薬草を採りながら、動物族の生徒が語ってくれた、この土地の豊かな自然の知識。
治療を受けながら、元職人の生徒が漏らした、物資さえあれば、何でも作れるという、失われた技術への誇り。
そして、アビドスの生徒たちが、あの過酷な砂漠の中でも、決して希望を捨てずに生き抜いてきた、その強さ。
そうだ。
俺は、一人で抱え込みすぎていた。
「先生」だから、自分が何とかしなければならない、と。
その思い込みが、自分の視野を狭め、目の前にあるはずの、これらの『力』を見えなくさせていたのだ。
本当の『寄り添い』とは、一人で全てを背負うことではない。
それは、仲間を信じ、彼らが持つ専門性を、最大限に活かせるように采配し、チームとして、巨大な悪意に立ち向かうことだ。
医者には、医者の。
スパイには、スパイの。
戦闘のプロには、プロの。
そして、自分には、自分にしかできない役割がある。
それは、この混沌の中から、未来への大きな絵図を描くこと。
アビドスと、百鬼夜行。
砂漠の学園と、停滞した楽園。
アビドスには、技術と、未来への意志がある。だが、資源がない。
百鬼夜行には、豊かな資源と、失われた技術がある。だが、希望がない。
もし、この二つが手を組めば…?
互いの弱点を補い、共に生き残るための、新しい連合。
連邦生徒会に頼らない、生存者たちの、新しいコミュニティ。
その、途方もないビジョンが、先生の頭の中に、確かな形を結んだ。
それは、先生一人の考えではない。
彼の空っぽの器に、アビドスと、百鬼夜行の、生徒たちや住民たちの、魂の苦悩や、叫びや、そして、ささやかな希望が注ぎ込まれて、生まれた、巨大なビジョンだった。
それは、破壊への対抗策としての、創造。
絶望の淵で、彼は、キヴォトス全体の構造にまで寄り添い、その問題を解決するための、革命的な設計図を、手にしたのだ。
先生は、ゆっくりと顔を上げた。
その瞳に、再び、静かだが、しかし、今までとは比較にならないほど、強く、そして確かな光が宿っていた。