ブルーアーカイブ Last on Kivotos   作:ヴィーナス

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第36話:再生の祭り

百鬼夜行に、十年ぶりに祭囃子が戻ってきた。

復興の槌音は、やがて祭りの準備の喧騒へと変わり、停滞していた街に、かつての活気が、少しずつ、しかし確実に蘇っていく。

歴史的な同盟と、「停滞の時代の終わり」を記念する祭りは、かつてないほどの規模で、盛大に執り行われた。

 

その喧騒の裏で、シラヌイは、静かに行動を開始していた。

彼は、桑上カホと明確な打ち合わせなどしていない。だが、彼女が何を欲しているかは、手に取るように分かっていた。

黒服から手に入れたPCウイルスを使い、イズナを利用した上層部の男の、全ての悪事を引きずり出す。

その情報を、情報屋、密偵、裏社会のあらゆるネットワークに、一斉に拡散する。

同時に、男が隠し持っていた銀行口座をネットワーク経由で凍結し、その人脈、資金源、あらゆるリソースを、完全に断ち切った。

 

そして、男の寝室に、一枚の置き手紙を残す。

『お前を守る者は、もういない。監獄だけが、お前の居場所だ』

 

全てを失った男は、翌朝、自ら陰陽部に出頭した。

その機を逃さず、桑上カホもまた、敵対派閥の有力者たちを、次々と粛清していった。

 

後日、カホからシラヌイへ、一つの「お返し」が届く。

イズナの、汚された経歴が、データ上から、完全に抹消されていた。

そして、二人が、このまま百鬼夜行に残ることも、先生と共に旅立つことも、どちらでも選べるように、手筈が整えられていた。

 

祭りの中心では、イズナが、百花繚乱のメンバーたちに囲まれていた。

 

「前の先生は、もっとドジで、よく転んでましたよ」

「でも、いざという時は、すごく頼りになったんです」

 

彼女たちは、もう、今の先生に嫉妬してはいない。

彼を、共に戦った「信頼できる指揮官」として、心から認めている。

イズナは、その会話に微笑みで応じながらも、心の片隅で、今ここにいない父の気配を探っていた。

 

(お父様…)

 

きっと、何かをしているのだろう。

自分を、あんな風に、ただの道具として弄んだ、あの者たちへの、落とし前をつけに。

イズナ自身は、もう、復讐など望んでいない。

だが、10年間、この闇社会で生き抜いてきた彼女には、分かる。

父が、自分のために、その手を汚そうとしていることも。

そして、それが、自分を操った人間が迎えるべき、当然の末路であることも。

彼女は、何も言わず、ただ、父の無事を祈った。

 

「今の先生の方が、ずっと人間らしくて、素敵かもしれませんね」

 

ナグサのその言葉に、先生はハッとした。

自分は、いつの間にか、会ったこともない「英雄」の幻影を、追い求めていたのかもしれない。

アビドスで、百鬼夜行で、様々な人々の話を聞く中で、前の先生もまた、完璧な英雄などではなく、悩み、苦しみ、時には間違う、一人の人間だったのだと、ようやく理解できた。

 

そして、同時に、新たな疑惑が、彼の心に芽生える。

前の先生も、時折、まるで未来を知っているかのように、的確な行動を取ることがあったという。

それは、今の自分が、人々の対話の中から、未来への設計図を描き出したのと、どこか似ている。

失われた記憶。

それは、ただ失われたのではない。

何か、重要なことを、意図的に『抹消』するために、消されたのではないか。

その疑惑が、彼の心を、静かに、しかし、重く支配し始めていた。

 

診療所では、アザゼルが、セリナやハナエと共に、まだ残る負傷者の手当てを続けていた。

その顔には、もう、かつてのような虚無の色はない。

治療が一息ついた時、アザゼルは、薬草を整理している二人に、静かに問いかけた。

 

「…あなたたちは、これからどうするつもりですか? 結界は、いずれ完全に解かれるでしょう。本来の所属先であるトリニティに戻るのか、それとも、外の世界へ?」

 

その問いに、セリナとハナエは、顔を見合わせた。

 

「それは…」

 

セリナの言葉が、途切れる。

もちろん、トリニティのことは気になっていた。特に、一人で聖園ミカを抱え、帰還したであろう、蒼森ミネ団長のその後が。

しかし、この、まだ多くの助けを必要としている百鬼夜行を見捨てて、自分たちだけが去る。

それは、救護騎士団の精神に、あまりにも反していた。

何より、この10年間を過ごしたこの地には、嫌な思い出も多いが、この診療所で生まれた、かけがえのない繋がりもある。

 

二人は、アザゼルが、ずっとここにいるわけではないことも、察していた。

彼は、先生の同行者だ。この祭りが終われば、また、旅に出るのだろう。

悩める二人の様子を見て、アザゼルは、小さく溜息をついた。

 

「…やれやれ。蒼森ミネの消息については、分かり次第、私が責任を持ってあなたたちに伝えます。そして、私は、あの手間のかかる先生の面倒を見る必要があるので、この祭りが終われば、ここを去ります」

 

彼は、そこで一度、言葉を切った。

 

「この診療所は、既に陰陽部の責任者と話をつけてあります。公共の、無料、あるいは低額の診療所として、今後も維持されるでしょう。…もし、あなたたちが望むなら、この場所を、支えて欲しい」

 

その言葉に、セリナとハナエの迷いは、完全に消え去った。

 

「「はい!」」

 

二人は、力強く、同時に頷いた。

そして、セリナは、おずおずと、一つの包みをアザゼルに差し出した。

 

「あの、アザゼルさん。これは、私たちからです」

 

包みを開けると、中から出てきたのは、真っ新な、純白の白衣だった。

 

「いつも、ボロボロの白衣を着ていらっしゃったので…。今のあなたは、偉大な化学者であり、そして、私たちの尊敬する、お医者様です。ならば、新しい白衣が必要だと思いました」

 

ハナエが、少し照れながら、そう付け加える。

アザゼルは、その思わぬ贈り物に、一瞬、困惑したような表情を見せた。

だが、やがて、彼は、自嘲するように、小さく笑った。

そして、今までずっと着続けていた、薄汚れた白衣を、静かに脱ぎ捨てると、その新しい白衣に、袖を通した。

それは、彼が、過去の自分と決別し、新たな一歩を踏み出した、瞬間だった。

 

街の片隅では、シュロが、監視付きで、祭りの光景を遠くから見つめている。

百鬼夜行の古くからの伝統で、たとえ獄中の者であっても、祭りを遠くから見ることだけは、許されていたのだ。

彼女の心の内は、先生を除き、誰にも理解できない。そして、シュロ自身も、もはや誰かに理解されることを望んでいない。

 

彼女の興味は、ただ一つ。

先生が、あの時見せた未来図を、本当に実行するのか。

停滞を破壊し、どんな新しい物語を紡いでいくのか。

先生が、自分を裏切らない限り、彼女は、このまま囚われているつもりだった。

罪の意識はない。だが、理解されることのない世界で一人で生きるのは、監獄の中にいるのと、さほど変わりはないのだから。

 

その頃、サンクトゥムタワー。

首席行政官の七神リンは、先生から届いた「新生キヴォトス連合」設立の報告書を前に、思わず頭を抱えていた。

 

「な…何を考えているんですか、あの人は…!」

 

彼女の計画では、先生はあくまで連邦生徒会の枠組みの中で行動し、各地の問題を解決することで、弱体化した連邦生徒会の権威を、少しずつでも取り戻してくれるはずだった。

しかし、先生は彼女の想像を遥かに超え、全く新しい独自の枠組みを創造してしまった。

 

(支援なしで、最終的に、百鬼夜行を自力で切り抜けた…?)

 

その事実に、リンは驚愕を禁じ得なかった。

かつての先生であれば、もっと強引な、あるいは奇跡的な方法で、状況を打開したかもしれない。

だが、今の先生のやり方は、違う。

地道に対話を重ね、仲間を集め、それぞれの能力を最大限に活かし、誰もが納得できる形で、未来への道を切り拓く。

それは、より『大人』の、誰もが理解し、共感できる手法だった。

 

アビドスと、百鬼夜行。

このキヴォトスでも最大クラスの人口を誇る二つのコミュニティが、手を組んだ。

この新しい連合を、今の、何の力もない連邦生徒会の下に置くことなど、到底不可能だ。

仮にできたとしても、今度は自分が、彼女たちの言いなりになるだけだろう。

 

リンは、静かに目を閉じた。

10年間、守り続けてきた、この場所。

その役目が、終わりを迎えつつあることを、彼女は感じていた。

そして、そのことに、不思議と、安堵している自分もいた。

自らが解き放った「先生」が、もはや自分のコントロールを離れ、歴史そのものを動かし始めている。

その事実に、わずかな寂しさと、それを上回る、確かな期待を抱きながら、リンは、深く、長い溜息をつくのだった。

 

一方、百鬼夜行の最奥、『黄昏』に繋がる寺院。

クズノハが、一人、静かに煙管をふかしていると、空間が僅かに歪み、一人の男が姿を現した。

黒服だ。

彼は、『色彩消滅作戦』の際にシロコ*テラーの転移能力を監視・解析し、今や、限定的ながらも、自分だけの短距離転送を実現していた。

 

「…何の用じゃ、ゲマトリアの男よ」

 

クズノハは、驚く様子もなく、静かに言った。

彼女は、この男の過去も、ゲマトリアを結成した理由も、そして、その哀れな末路も、全てを知っている。

 

「あの時、わらわの言葉を聞いておれば、今のような、滑稽な姿にはなっておらなんだものを」

「ククク…私を疑う必要はありませんよ、賢人殿」

 

黒服は、不敵に笑う。

 

「あの時の私の決断に、後悔はありません。そして、予想とは全く違う形になりましたが、私の望みは、既に果たされている」

 

彼の興味は、もはや、世界の真理などにはない。

ただ、あの『先生』という、予測不能な存在を、最後まで見届けること。それだけだ。

 

「それよりも、理事長。あの存在について、何かご存知では? かつて、あらゆる黒幕の可能性として疑い、調べ尽くしましたが、尻尾一つ掴めなかった。実在しないものと、判断しておりました。悔やむべきは、そちらの方でしたかな」

 

その言葉に、クズノハは、ふう、と紫煙を吐き出した。

 

「…サンクトゥムタワーは、古代から、ずっと、あの場所に、あのデザインで存在し続けておる。どんな動乱の時代に破壊されようと、常に、ありえぬ速度で、寸分違わず復旧してきた。…それだけじゃ。お主の、他人の真似事程度の力で、理事長を探ろうなどとすれば、消滅させられるだけじゃぞ」

 

その言葉に、黒服は、満足げに頷いた。

十分すぎるヒントだった。

彼は、何も言わずに、再び空間の歪みの中へと、静かに消えていった。

 

クズノハは、一人、空を見上げた。

そして、百鬼夜行を覆っていた大結界を、完全に、解き放った。

 

「…さて。この時代の変化は、わらわが経験してきた中で、最も激しいものになるやもしれぬのう」

 

その顔には、憂いと、そして、ほんの少しの、楽しげな笑みが浮かんでいた。

全てが、終わり、そして、始まろうとしていた。

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