ブルーアーカイブ Last on Kivotos 作:ヴィーナス
憎悪、虚無、探求心。
そして、空っぽの器。
あまりにも歪な四人組の旅は、案の定、初日から破綻していた。
「だから、なぜアビドスへ向かう必要がある!俺の目的地は百鬼夜行だと言っているだろう!」
瓦礫の道を歩きながら、シラヌイが苛立たしげに怒鳴る。
彼の目的はあくまで娘の捜索であり、アビドスへ向かうのは時間の無駄だと考えていた。
「まあまあ、そう熱くならないでくださいよ、シラヌイ殿。どうせどこへ行こうと、この世界は何も変わりません。目的地など、あってもなくても同じことです」
アザゼルは、そんな二人の対立を面白そうに眺めながら、いつもの調子で皮肉を口にする。
彼の言葉は、ただでさえ低い一行の士気をさらに削いでいく。
「ふむ…人間の非合理的な対立というのは、実に観測しがいがありますねぇ」
黒服は、少し離れた場所で宙に浮かびながら、ただ楽しげに呟くだけ。
もちろん、手助けなどする気は微塵もない。
先生は、その不協和音の中心で、ただ黙って地面を見つめていた。
シラヌイの怒声が右耳を打ち、アザゼルの冷笑が左耳を撫でる。
黒服の視線が、まるで解剖するかのように背中に突き刺さる。
三者三様の、拒絶と、侮蔑と、好奇心。
その全てが、目に見えない棘となって、空っぽの心に突き刺さる。
(何もできない)
リンは言った。『あなたしかいない』と。
その言葉が、今は重い枷となって首に食い込んでいる。
英雄? 救世主? 笑わせる。
目の前の三人の心を一つにすることすらできない。
この歪な集団は、今にも内側から崩壊しそうだ。
いや、そもそも集団にすらなっていない。
ただ、同じ場所にいるだけの、バラバラの個。
このまま、一歩も進めずに、日が暮れて、また朝日が昇る。
そして、いずれ食料が尽き、水が尽き、この瓦礫の山の中で、誰にも知られずに朽ち果てていくのだろうか。
アビドスという、唯一の道標にさえ、たどり着くことなく。
そんな絶望的な状況の中、一行は偶然にも、打ち捨てられたガソリンスタンドを発見した。
そこには、埃を被り、所々が錆びついてはいるものの、かろうじて原型を留めた数台のバイクが転がっていた。
これを使えれば、旅は格段に楽になるはずだ。
先生の目に、わずかな希望の光が宿る。
「これだ…!これを使えば、もっと早く…!」
「ほう、バイクですか。ですが、動く保証はどこにもありませんよ。それに、燃料は?」
アザゼルが、期待の芽を摘むように冷や水を浴びせる。
「そもそも、俺は機械の専門家じゃない。修理など知ったことか」
シラヌイも、そっぽを向いて協力を拒否する。
(違う。そんなのは、嫌だ)
唇を強く噛む。鉄の味が、じわりと口の中に広がった。
まただ。また、こうして思考が停止する。
リンに与えられた「先生」という役割。
その仮面を被り、ただ皆を導こうと、上辺だけの言葉を並べていた。
皆が自分に従うのが当然だ、と心のどこかで思い上がっていた。
だが、現実はどうだ。
誰も、俺を見ていない。
俺の言葉など、乾いた風に掻き消されていくだけ。
この仮面は、あまりにも無力だ。
(このままじゃ、ダメだ)
変化を拒絶し、ただ目的地へ向かうという当初の計画に固執していた自分。
その愚かさに、ようやく気づく。
この状況を、この停滞を、この無力な自分を、打開しなければ。
先生は、初めて自らの意志で、行動を起こすことを決意した。
それは、誰かに与えられた役割を演じるためではない。
ただ、前に進みたい。その一心で。
彼は、リンから渡されたタブレットを操作する。
そこには、目的地であるアビドスに関する情報の他に、いくつかの暗号化されたファイルが保存されていた。
その中の一つに、彼は目を留める。
それは、連邦生徒会が極秘に収集していた、キヴォトス内外の要注意人物に関するデータファイルだった。
目の前にいる三人の男たちの、断片的な情報がそこにはあった。
それは、蜘蛛の糸だったのかもしれない。
あるいは、パンドラの箱だったのかもしれない。
だが、今の彼には、それに手を伸ばす以外の選択肢はなかった。
先生は、深く息を吸い込む。
そして、彼は「先生」として命令するのではなく、「一人の人間」として、それぞれの専門家に協力を「依頼」することにした。
「シラヌイさん」
先生は、まず憎悪の男に向き直った。
「あなたは、潜入と偵察のプロだと聞いている。このガソリンスタンドの周辺で、バイクの修理に使えそうな部品や工具を見つけ出すことにかけて、あなたの右に出る者はいないはずだ。力を貸してくれないか」
シラヌイは、驚いたように目を見開いた。
目の前の男が、自分の素性を知っている。
その事実に動揺しながらも、彼の言葉には妙な説得力があった。
潜入と探索は、彼の最も得意とする分野だ。
「……チッ。勝手にしろ」
舌打ちをしながらも、シラヌイは黙ってガソリンスタンドの裏手へと姿を消した。
それは、紛れもない協力の意思表示だった。
次に、先生は虚無の男に向き直る。
「アザゼル」
「何です? 私にできることなど、何もありませんよ」
「いや、君にしかできないことがある。君は、キヴォトス最高の化学者だったんだろう?」
先生は、錆びついたドラム缶を指さした。
そこには、変質してドロドロになった古いガソリンが、わずかに残っていた。
「この廃材から、バイクを動かすための代用の燃料を精製するなんて、君にとっては造作もないことじゃないのか?」
アザゼルは、一瞬、言葉を失った。
化学。
それは、彼が全てを捧げ、そして全てを失う原因となった、忌まわしい学問。
だが同時に、彼の存在価値そのものでもあった。
目の前の男は、それを的確に見抜いてきた。
「……はぁ。面倒なことを。いいでしょう。一度だけですよ。私の化学の知識が、この死んだ世界でまだ通用するのか、少し興味も湧きましたからね」
アザゼルは呆れたような顔を作りながらも、手近なビーカーや容器を手に取り、燃料の精製作業に取り掛かり始めた。
その横顔には、いつもの虚無とは違う、科学者としての好奇の色が浮かんでいた。
最後に、先生は宙に浮かぶ不気味な存在に視線を送る。
「黒服」
「おや、私にも何かご依頼ですか?」
「ああ。あなたは、この世界のあらゆる物事の構造に興味があるんだろう? なら、このバイクの構造的な欠陥や、最も効率的な修理方法を、俺たちよりも早く見抜けるんじゃないか?」
黒服は、数秒間、沈黙した。
そして、次の瞬間、楽しげな笑い声を上げた。
「ククク…面白い! 実に面白い! あなたは、ただの空っぽの器ではなかったようだ。よろしい。この黒服が、最高のコンサルティングを提供して差し上げましょう!」
彼の、それぞれの能力を的確に見抜いた上での「依頼」。
それは、バラバラだった三つの歯車を、初めて一つの目的のために噛み合わせる、潤滑油となった。
シラヌイは、驚くべき速さで使えそうな部品や工具を調達してきた。
アザゼルは、文句を言いながらも、見事な手際で代用の燃料を精製してみせた。
黒服は、的確な技術的助言を与え、修理作業の効率を飛躍的に向上させた。
そして先生は、彼ら三人がスムーズに連携できるよう、全体の指揮を執った。
数時間後。
ガソリンスタンドの前に、一台のバイクが力強いエンジン音を響かせていた。
それは、四人が初めて一つの目的のために協力し、成し遂げた、最初の成果だった。
「……ふん。悪くない」
シラヌイが、ぶっきらぼうに呟く。
「まあ、私の手にかかれば当然の結果ですがね」
アザゼルが、少しだけ得意げに鼻を鳴らす。
「いやはや、素晴らしいエンターテイメントでしたよ」
黒服が、満足げに頷く。
先生は、そんな三人の姿を見て、静かに微笑んだ。
彼はまだ、何者でもない。記憶もない。
だが、今、確かに感じていた。
与えられた「先生」という役割の仮面を脱ぎ捨て、一人の人間として、自分の頭で考え、行動すること。
それが、この壊れた世界を進んでいくための、最初の、そして最も重要な一歩なのだと。
壊れた歯車は、まだ完全に噛み合ったわけではない。
だが、確かに、ほんの少しだけ、未来へと向かって回転を始めていた。