ブルーアーカイブ Last on Kivotos 作:ヴィーナス
バイクという文明の利器を手に入れた一行の旅は、以前とは比べ物にならないほど速くなった。
乾いた風を切り、廃墟のハイウェイを疾走する。
数日後、彼らの目の前に、広大な砂漠と、その中心にそびえ立つ要塞の姿が見えてきた。
瓦礫と廃材で無骨に組み上げられた、巨大な壁。
あれが、目的地のアビドス高等学校だ。
しかし、歓迎の門は開かれなかった。
要塞に近づくにつれ、壁の至る所から銃口が突きつけられる。
殺気。
それはシラヌイが放つものとはまた違う、組織化された、冷たい敵意だった。
「そこで止まれ! こっちの警告が聞こえないのか!」
壁の上から、鋭く、そして年月の経験を感じさせる女性の声が響く。
猫のような耳を持つ、黒髪の女性。
その目つきは、かつての快活さの代わりに、10年という歳月が刻んだ警戒心と疲労の色を宿していた。
彼女の隣には、同じように銃を構えた生徒たちがずらりと並んでいる。
先生はバイクを止め、両手を上げて敵意がないことを示した。
「俺は…」
「あんたが誰かなんてどうでもいい! 問題はその後ろ! よりにもよってゲマトリアとカイザーの残党を連れてくるなんて、どういう神経してるんだ!」
女性――黒見 セリカの視線は、先生を通り越し、その後ろに立つ三人の男たちに突き刺さっていた。
特に、アザゼルと、宙に浮かぶ黒服の姿を認めた瞬間、彼女の瞳に宿る敵意は、明確な憎悪へと変わった。
「死んだはずの先生が、そんな連中といるわけないだろう! あんたは偽物だ!」
セリカの叫びは、アビドスが10年間耐え抜いてきた苦しみの歴史そのものだった。
カイザーに土地を奪われ、ゲマトリアに仲間を弄ばれ、その元凶たちを連れてきた「先生」など、信じられるはずがなかった。
「アヤネ先輩が死んだ時にはいなかったくせに…! 今更、何の面下げて来たんだ…!」
セリカの言葉に、周囲の生徒たちも同調するように銃を構え直す。
一触即発。
空気が、極限まで張り詰めていた。
その時、セリカの後ろから、三人の少女が静かに前に進み出た。
その姿は、まるで10年前から時が止まっているかのようだった。
一人は、狼のような耳と尻尾を持つ、銀髪の少女、砂狼 シロコ。
一人は、気だるげな雰囲気を漂わせる、ピンク色の髪の小柄な少女、小鳥遊 ホシノ。
そしてもう一人、シロコと瓜二つの姿をした、しかしその瞳に暗く冷たい光を宿す少女、シロコ*テラー。
神性を持つ彼女たちは、一般人のセリカとは違い、肉体的な成長がほぼ止まっていた。
シロコとホシノは、目の前の光景を信じられないといった表情で、ただ先生の顔をじっと見つめている。
困惑、疑念、そして、ほんのわずかな期待が入り混じった、複雑な視線。
しかし、シロコ*テラーだけは違った。
(……この感じ。この匂い。間違いない)
彼女の瞳が、目の前の男の輪郭をなぞる。
外見や気配ではない。もっと奥深く、存在の根源。
10年間、己のルーツであるオシリスの権能――死と再生の理を探求し続けた彼女の感覚が、警鐘を鳴らしていた。
見える。魂の、ゆらぎが。
それは、10年前に私の世界で失われた、あの人のものと、寸分違わない。
クローン? 偽物? 違う。
そんな生半可なものじゃない。
これは、魂ごと、この世界に「在る」。
ありえない。あってはならない奇跡。
古代の神々ですら、成し得なかった禁忌。
「……本物…」
シロコ*テラーは、静かに銃口を下ろした。
その声は、驚愕と、それ以上に深い疑念に満ちていた。
「でも、どうして…?」
彼女のその行動と、確信に満ちた呟きが、場の空気を一変させた。
ホシノとシロコは、顔を見合わせる。
アビドスで最も死の理に近い彼女が「本物」だと言うのなら、それは事実なのだろう。
だが、それ故に、謎はさらに深まる。
この得体の知れない状況が、彼女たちに「監視下で受け入れる」という、苦渋の決断をさせることになった。
◇
通されたのは、校舎の一室だった。
今は司令部として機能しているらしいその部屋は、雑然としながらも、彼女たちがここで戦い続けてきた証が刻み込まれていた。
部屋の中央で、先生はアビドス対策委員会の四人と向かい合っていた。
シラヌイたちは、武装した生徒たちの監視のもと、少し離れた場所に待機させられている。
重い沈黙が、場を支配していた。
その沈黙を破ったのは、やはりセリカだった。
「で? 一体、何の用だ。こっちはあんたたちみたいな厄介者を構ってるほど暇じゃないんだが」
「セリカ。今は、話を聞くべき」
シロコが、感情の乗らない声で静かに制する。
「だってシロコちゃん! こいつは、あの黒服やアザゼルを連れてきたんだぞ!? 信用できるわけないじゃない!」
「うへぇ~…セリカちゃん、そんなに怒鳴ると疲れちゃうよ~。おじさんはもう眠いから、さっさと話を聞いて終わらせちゃわない?」
ホシノが気だるげに仲裁に入るが、セリカの不満は収まらない。
途切れ途切れの、疑念に満ちた会話。
先生は、この状況を打開するため、自ら口を開くしかなかった。
「すまない」
先生は、深く頭を下げた。
「君たちが話している『先生』のことも、『アヤネ』という子のことも、俺には何も思い出せないんだ。俺には、記憶がない」
その告白は、部屋に新たな衝撃と、さらなる混乱をもたらした。
セリカの顔に、侮蔑の色が浮かぶ。
「はっ、記憶喪失? そんな都合のいい話、誰が信じるんだ。カイザーの連中がよく使う手だぞ、それ」
彼女の疑念は、ますます深まっていく。
先生は、自分の「役割」が、ここでは「偽物」というレッテルによって完全に否定される、という厳しい現実に直面していた。
リンに植え付けられた「自分は英雄なのだ」という【誤解】は、生徒たちの「本物の先生なら、こんなことはしない」という言葉によって、根底から揺さぶられる。
歓迎されると思っていた場所での、完全なアウェー感。
先生は、自分が想像していた以上に、困難な場所に足を踏み入れてしまったことを、痛感していた。
そんな中、シロコ*テラーだけが、冷静な目で先生を観察していた。
(魂の波長は、確かに『先生』のもの。でも、記憶がない…? これを仕組んだのは、一体誰…?)
彼女の疑念は、先生本人ではなく、この異常な状況を作り出した、見えざる黒幕へと向けられていた。