ブルーアーカイブ Last on Kivotos 作:ヴィーナス
アビドス解放作戦――先生がそう名付けた計画は、生徒たちの猛反発を押し切る形で開始された。
作戦の骨子は二つ。
一つは、先生が率いる別動隊が、黒服の情報に基づき、カイザーの補給路となっている工業地帯の工場を強襲、これを破壊すること。
もう一つは、アビドSの生徒たちが、陽動部隊の襲撃によって手薄になった本拠地からの攻撃に備え、要塞の防衛に専念すること。
夜陰に乗じて、先生と、シラヌイ、アザゼルの三人はアビドス要塞を後にした。
黒服は、いつものように少し離れた場所で、音もなく彼らに付き纏っている。
バイクのエンジン音だけが、静寂な砂漠に響き渡る。
「……本当に、この作戦でいいのか」
バイクを走らせながら、シラヌイが吐き捨てるように言った。
「あのガキどもだけで、本当に要塞を守り切れると?」
「ああ。彼女たちは、俺たちが思っているよりずっと強い」
先生は、迷いなく答えた。
それは、何の根拠もない信頼だったが、彼の言葉には奇妙な確信がこもっていた。
シラヌイは、それ以上何も言わなかった。
(……強い、だと?)
脳裏に、アビドスの司令部の光景が焼き付いて離れない。
ランプの明かりの下、眉間に皺を寄せて在庫リストを睨みつけていた、あの黒猫のような女。
民の声に耳を澄まし、静かに瞳を伏せていた、狼の少女。
そして、全てを諦めたような虚ろな目で、それでも銃を手放さなかった、ピンク髪の少女。
どいつもこいつも、ボロボロじゃないか。
必死に虚勢を張って、自分たちの無力さと戦っているだけだ。
その姿が、鏡のように自分を映し出す。
守るべき娘を、安全なはずのこのキヴォトスに送り出したのは、自分だ。
その結果、イズナは消えた。
俺は、守るべき時に、何もできなかった。
だというのに、あの子供たちは、今も戦い続けている。
胸の奥が、焼け付くように痛んだ。
アザゼルもまた、黙って前を見据えていた。
(……静かで、平和な世界、か)
アビドスで見た光景は、地獄だった。
だが、それは自分がかつて作り出した地獄とは、また質の違う、陰湿な地獄。
神秘が消えても、銃声は止まなかった。
争いはなくならなかった。
ただ、ヘイローの輝きが消え、血の匂いだけが生々しくなっただけ。
俺の理想は、こんなものだったのか?
この作戦が成功したところで、何かが変わるとは思えない。
どうせ、また別の地獄が生まれるだけだ。
だが、このまま何もしなければ?
あの子供たちは、俺が夢見た世界の、歪んだ残骸の中で、ただ意味もなくすり潰されていくだけだ。
それは、あまりにも、気分が悪い。
二人とも、先生に心酔したわけではない。
だが、あの子供たちの姿が、そして彼女たちを守ろうとするこの記憶喪失の男の無謀な姿が、彼らの心を動かしていた。
それは、贖罪か、気まぐれか、あるいは、大人としての最低限の責任感か。
彼ら自身にも、まだ分からなかった。
「見えてきたぞ」
アザゼルの冷静な声が、それぞれの思考を遮った。
彼らの目の前に、巨大な工場のシルエットが浮かび上がる。
「さて、どう攻める? 正面から行けば、蜂の巣にされるのがオチだぞ」
シラヌイが、先生の手腕を試すように尋ねる。
先生は、タブレットに表示された工場の見取り図を指さした。
「シラヌイさん、あなたは潜入のプロだ。北側の排気ダクトから内部に侵入し、警備システムの配置と、敵の兵力規模を報告してほしい」
「……ふん。お安い御用だ」
シラヌイは、音もなくバイクから降りると、闇に溶けるように消えていった。
「アザゼル」
「はいはい、分かっていますよ。この工場の動力源と、化学物質の貯蔵タンクの位置を特定すればいいのでしょう?」
「頼む。破壊するなら、最も効果的な場所を叩きたい」
「やれやれ。人使いが荒いですねぇ」
アザゼルはそう言いながらも、手製の解析デバイスを取り出し、工場のエネルギー反応のスキャンを開始した。
その目は、虚無ではなく、科学者としての探求心に輝いていた。
数分後、シラヌイから通信が入る。
『――敵の数は、およそ3個小隊。ドローンが主戦力だが、新型の自動迎撃タレットが厄介だ。中央制御室を叩けば、一時的に機能を停止させられるだろう』
続いて、アザゼルが報告する。
『解析完了です。最も効率的な破壊ポイントは、地下の冷却水循環システム。あそこを暴走させれば、連鎖反応で工場全体が機能不全に陥ります。ただし、そこに至る通路は、例のタレットの集中砲火網のど真ん中ですよ』
全ての情報が、先生の元に集約される。
彼は、一瞬の逡巡もなく、的確な指示を飛ばした。
「シラヌイさんは、そのまま中央制御室へ。タレットの機能を3分間だけ停止させてくれ」
『3分だと? 無茶を言う』
「あなたならできるはずだ」
『……チッ。やってやる』
「アザゼル、俺と来い。冷却システムを破壊する。3分が、俺たちのタイムリミットだ」
「正気ですか? 生きて帰れる保証はありませんよ」
「それでも、やるしかない」
先生の覚悟に満ちた声に、アザゼルは肩をすくめた。
「やれやれ…あなたという人は、本当に…」
作戦が、開始された。
シラヌイが引き起こした爆発音を合図に、先生とアザゼルは工場の内部へと突入する。
警報が鳴り響き、カイザーのドローン部隊が二人を迎え撃つ。
「右だ!」
「左から来るぞ!」
銃弾が飛び交う中、先生は叫ぶ。
彼には戦闘能力はない。
だが、彼には「指揮」があった。
リンから渡されたタブレットには、この世界の基本的な戦術データがインストールされていた。
彼は、その知識と、自らの思考を組み合わせ、ドローンの動きを予測し、アザゼルに最適な射線と回避ルートを指示していく。
「くっ…!数が多すぎる!」
アザゼルが、遮蔽物に隠れながら叫ぶ。
その時、通路の奥に設置されていた自動迎撃タレットが一斉に沈黙した。
シラヌイが、中央制御室の制圧に成功したのだ。
「今だ! 行くぞ、アザゼル!」
「言われなくとも!」
二人は、タレットが沈黙している僅かな時間を利用して、一気に地下へと続く通路を駆け抜ける。
そして、ついに冷却水循環システムの制御室へとたどり着いた。
「アザゼル、頼む!」
「任せなさい!」
アザゼルが、驚異的な速さで制御パネルを操作し、システムをオーバーロードさせていく。
その間、先生は背後を警戒し、迫りくるドローン部隊の情報をアザゼルに伝え続ける。
「あと30秒で、タレットが再起動する!」
シラヌイからの、焦ったような通信。
「アザゼル、まだか!」
「もう少しです! この数式さえ解ければ…!」
残り10秒。
タレットが、再び起動音を立て始める。
「――完了です!」
アザゼルが叫ぶと同時に、制御室全体が激しく揺れ、赤い警告灯が明滅を始めた。
「逃げますよ、先生! この工場は、もうすぐ大爆発だ!」
二人は、崩れ落ちる瓦礫を避けながら、必死に出口へと向かう。
合流したシラヌイと共に、三人は間一髪で工場から脱出した。
その直後、彼らの背後で、巨大な工場が轟音と共に爆炎に包まれた。
夜空を焦がす炎を背に、三人は、ただ黙ってその光景を見つめていた。
「……ふん。まあまあだな」
シラヌイが、ぶっきらぼうに言った。
「当然の結果です。誰のおかげだと思っているんですか」
アザゼルが、悪態をつきながらも、その口元には満足げな笑みが浮かんでいた。
彼らは、まだ先生を心から信頼したわけではない。
だが、あの子供たちのために、自分たちの「力」を使うことに、今は奇妙な納得感を覚えていた。
工業地帯の炎は、遠く離れたアビドス要塞からも、はっきりと見えていた。
そして、その様子を、黒服はただ静かに、そして満足げに「観測」していた。