「よく来たな、レイン・ヘイズ。まあ座れ」
使用人に椅子を引かれ、腰を下ろしたレインは、目の前の老人をよく観察した。
老獪。その言葉がよく似合いそうな男だった。
視線は鋭く、一見皺が目立つ老人だったが、高級な服に包まれたその身体からは、静かな覇気がにじみ出るように感じられた。
「セレン・ヘイズから話は聞いている。何か、私に取引があるそうだな。聞くだけ聞いてやろう、それの対価はすでにセレン・ヘイズが支払った。」
投げかけられた言葉は、レインを一瞬硬直させた。
話を聞く対価?自分はそんなこと聞いていない。セレンは何も話さなかったし、そんな素振りは見せなかった。
「対価……?一体それはどう言う……?」
レインの怪訝そうな顔を見て、王小龍はククッとくぐもった笑い声を漏らした。
「なんだ、聞いていなかったのか?それとも何も教えていないのか?お前自身の過去だと言うのに」
その言葉はレインの混乱を更に深めた。
過去?確かに自分は記憶の欠落があるが、その内容はセレンにも知りようがないはずだ。
………いや、心当たりはある。この前見た悪夢、その内容を聞いたセレンは、どこか驚いているようにも見えたし、自分に忘れさせようとしていた。
なにか重要なことを隠しているのだろうか?しかし何を……?
堂々巡りになりそうな思考は、しかし王小龍によって断ち切られた。
「まぁ、今はそんなことはどうでもいい。それで、私に何を望む?」
そうだ、自分はこんなことを考えるためにここに来たのではない、ちゃんとしなければ。
一旦思考をリセットしたレインは、眼の前の老人に向かって、静かに口を開いた。
※ ※ ※
「リリウム・ウォルコットを、売り渡していただきたい」
いきなり直球で投げ込んできたその爆弾発言に、王小龍はセレン・ヘイズの正気を疑った。
「こんな交渉下手に交渉を任せたのか、あの女は」
思わず思考が口をついて出るほどに、王小龍も困惑していた。
「断る。なぜそれで渡すと思った」
呆れ顔をポーカーフェイスで覆い隠しながらそう返す。
レインもまさかはいそうですかと頷かれると思っていなかったのか、表情を変えずに言葉を続けた。
「別に公式に離脱させろなどと言うつもりはありません、表面上はBFF所属でも構いませんし、貴方の事だから、影武者だって数人用意しているでしょう」
「こちらにメリットが無いと言っている。まさか何も差し出さずにリリウムだけをかっぱらっていくつもりではあるまい」
ようやく交渉事らしくなってきたなと思いつつ、王小龍は言葉を重ねた。
「もちろんです。相応の金も用意しますし、戦力も、依頼という形でなら、僕も入るつもりです」
格安でね。と言葉尻に付け加え、レインは王小龍の返事を待った。
実際悪い話ではない。王小龍はそう考えた。
リリウムが表向きBFF所属のままなら、他企業への顔も立つし、レイン・ヘイズは依頼を出せばリリウムも動かしていいと言っている。
さらに言えば、目の前の子供は、見た目に似合わずホワイトグリントに勝利した猛者なのだ。実力的に見ればリリウムをも上回っているだろう。
「……渡さない、と言ったら?」
反応を見ようと目を細めて問いかけた王小龍に対し、レインは、驚くほどあっさりと返した。
「なら仕方がありませんね、諦めます」
「……何?」
一瞬面食らうも、さすがはBFFの陰謀屋とでも言うべきか、王小龍は、すぐにその言葉の真意を探ろうとした。
が、そんなことをせずとも、真意は勝手に明かされた。
「オーメルからの依頼をたくさん受けることにします。かつてのアナトリアの傭兵のように」
「……貴様……私を脅迫するつもりか?」
王小龍の視線に剣呑さが混ざる。
レインは堂々とリリウムを渡さなければ敵対すると宣言したのだ。
しかもリンクス戦争時代にBFF本社を壊滅させた、アナトリアの傭兵を引き合いに出してだ。
「いえ、そんなことは。ただリリウムを戦場に出すときは注意しなければいけませんね?返ってくるのがアンビエントの手足だけになるかもしれませんから」
更には堂々と拉致まですると宣う。
その言葉に、王小龍の雰囲気が更に鋭くなる。
「何度も言いますが、別に脅迫するつもりはありません。貴方が提案を受ければ、BFFは大きな戦力と資金を得る。それで良いではないですか」
王小龍は暫くレインを睨んでいたが、ふぅと小さくため息を吐き、静かに問いかけた。
「金も出すと言ったな。いくら出せるんだ」
「5億コームまでなら」
「何?どこからそんな金を?」
5億コーム。小型のアームズフォートなら数機、大型でも一機は作れる金額だ。ただ依頼を複数受けていただけでは絶対に足りないはずだ。
するとレインは先程までとは打って変わって、頭が痛そうに顔をしかめながら言った。
「ええ、元々一億程の予定でしたよ。ただ、本人に隠れて僕のオーダーマッチに大規模な金を掛けた馬鹿が居ただけです」
しかも悪いとは欠片も思っていない表情で、交渉材料が増えて良かったななどとほざいたのだ。思わず手も足も出た。
アレを見ればダンの掛けた金すらも可愛く見えてくる。
言葉に出来ない微妙な空気、王小龍は咳払いでそれを元に戻した。
そして思考を陰謀屋のそれに切り替える。
受けた場合のメリット、そして受けなかった場合のデメリット。これらを総合的に見れば、受ける価値は十分にある。
ただ、企業の幹部としてでも、BFFの陰謀屋としてでも無く、リリウムの保護者として、これだけは聞いておきたかった。
「なぜ、リリウムにそこまで執着する?別に良い女などその辺に山程居るだろう、子供の頃の約束がそんなに大事なのか?」
王小龍もレインとリリウムの関係を知らなかったわけでは無い。リリウムから話は山程聞けたし、BFFに害なす存在とは思えなかった。
何がこの美しい少年を駆り立てるのだろうか、ただ、それだけが知りたかった。
「さあ、なんででしょうね?」
だからこそ、これには王小龍も困惑せざるを得なかった。
「……なんだと?」
「いや、本当にわからないんですよ。でも、なんと言うか、魂みたいな何かが訴えかけてくるんです。リリウムに会えって、企業から連れ出せって。勿論、子供の頃の約束を守りたいって言うのもあるんですけどね」
そのパッとしない答えに、王小龍は、レインの失われた記憶の中に、その答えがあることを悟った。
そもそもセレン・ヘイズに渡された情報ログにある、レインの出自からしても普通では無い。記憶が解明されるかは分からないが、それの情報共有も、セレン・ヘイズとの契約の内だ、分かったら伝えられるだろう。
王小龍は立ち上がり、レインの隣を通ってドアノブに手をかけた。
「付いて来い、リリウムの部屋に案内しよう」
レインの顔がぱぁっと明るくなり、更には小さく「っし!」とも叫ぶ様子を見て、王小龍は、まだ子供だな、と内心呟いた。
ある研究員の記録ログ
情報の海に漂う内に、すっかり擦り切れてしまったログ
しかしその僅かな情報でも、求める者にとっては値千金の価値となる。
《──実験は成功だ、リン──として最強のベル───と、最強の近接戦闘──を持つ────、
この──の精子と卵子をかけ合わせ、最強のリンク──作る。レイ───と私の野望が叶うのだ!
名前はどうしようか?……外は雨か、ならば──ンとしよう、是非とも私の役に立ってく──》