ANIMA CHAIN   作:灰寺

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記憶喪失の魂覚者編
第一話 『ルカ』


――知らない天井だ。

 

 ぼんやりとした意識の中で、誰かの声が聞こえる。

 何かを呼びかけているようだけど、はっきりとは聞き取れない。

 どれくらい眠っていたのだろう。

 ゆっくりとまぶたを開くと、視界が徐々に鮮明になっていく。

 

「大丈夫? 私たちのこと、見える?」

 

 覗き込んでくるのは、猫耳のついた少女だった。

 心配そうな顔。自分のことを知っているのだろうか。

 

「ひとまず九尾(きゅうび)に知らせよう。色々と聞かないといけないことがある。」

 

 もう一人、青髪の青年が部屋を出ていくのが見えた。

 何が何だか分からない。

 

「……ここはどこ?」

 

 ようやく絞り出した声は、自分のものとは思えないほど頼りなかった。

 

「私たちの家……みたいなものかな? でも安心して。ここならANIMAも襲ってこないから。」

 

 ANIMA……?

 聞き慣れない言葉に、思考が引っかかる。

 でも、それよりも自分は一体……?

 

「それより、何があったの? 貴女、ANIMAが出没したって場所の近くで倒れてたんだよ?」

 

 ……分からない。

 自分の身に何が起きたのか、全く思い出せない。

 それどころか、目覚める前の記憶がぽっかりと抜け落ちている。

 自分が誰なのかすら、分からない。

 

「……そっか。ごめんね。」

 

 猫耳の少女が申し訳なさそうに呟く。

 ……何も覚えていないのは私なのに。

 しばらくすると、先ほどの青年が部屋に戻ってきた。

 その後ろには、白髪の男。

 狐のような耳と尻尾を持ち、明らかに人間とは違う雰囲気をまとっていた。

 

「体に何か異変はあるか? 頭痛や吐き気は?」

 

 低く落ち着いた声。

 私は首を横に振る。

 

「何にも覚えてないみたい。」

「記憶喪失ってやつか……?」

 

 ――記憶喪失。

 確かに、それが一番しっくりくる。

 

 でも、本当にそれだけなのだろうか。

 胸の奥に、漠然とした不安が渦巻いている。

 

「本当に何も覚えてない? ほら、自分の名前だけでもさ!」

 

 名前――自分の名前……。

 思考の中を必死に探る。

 霧がかかったようにぼやけた意識の中で、唯一浮かび上がった言葉。

 

 ……『ルカ』。

 

 それが本当に自分の名前なのかは分からない。

 けれど、頭の中にはっきりと残っている。

 まるで、その言葉だけは忘れてはいけないとでもいうように。

 

「ルカ……何のことかは私もわからないけど、きっと貴女にとって大切な言葉なんだよ!」

「呼び名がないのも不便だ。君のことはひとまず『ルカ』と呼ばせてもらう。それでもいいか?」

 

 確かに、呼び名がないのは不便だ。

 私は少し考えた後、頷いた。

 

「よろしくね! 私は月葉(つきは)! 見ての通り、猫の獣人だよ。」

「俺はイソトマだ。いわゆる機械人間(サイボーグ)ってやつだな。んで、そこにいる無愛想な奴が――。」

「九尾だ。俺たち三人は『捜査零課』という組織に所属している。」

 

 月葉にイソトマ、そして九尾……。

 一度頭の中で名前を繰り返す。

 覚えなくちゃ。今の私には、知っていることがあまりに少なすぎるから。

 

 それにしても――。

 イソトマの腕に目を向けると、銀色の金属が光を反射しているのが見えた。

 さっきは気が回らなかったけれど、彼の両腕は人間のものではなく、機械でできている。

 「サイボーグ」なんて、まるで物語の中の存在みたいな響きなのに、目の前にいるのは紛れもない現実だ。

 それに、猫耳の少女や狐の男……どう考えても、私が知っていた「普通」とは違う世界にいる気がする。

 

 ――私は、一体何者なんだろう?

 

「それで……この場所は結局なんなの?」

 

 病院というには無機質すぎるし、家というには生活感がなさすぎる。

 どちらかといえば、刑務所とか、職場みたいなカッチリとした雰囲気を感じる。

 

「ここは俺たちの活動拠点だ。事務所みたいなものだな。」

「ここからいろんな世界に行って、ANIMAをやっつけるの!」

 

 ANIMA――。

 

 また、その単語が出てきた。

 最初に月葉が言っていた、私が倒れていた場所にも関係しているという存在。

 彼らが敵対している相手なんだろうけど……どうも、初めて聞いた感じがしない。

 

 ……いや、もしかして――。

 

(私も、記憶を失う前にANIMAという存在と関わりがあったのでは?)

 

 そう考えた途端、背筋がゾクリとした。

 理由は分からない。

 けれど、その考えが、ただの推測ではないような気がしてならなかった。

 次の瞬間、部屋にけたたましい警告音が鳴り響く。

 

「全員戦闘準備! 40秒後に出動する!」

「りょーかい!」

 

 唐突に響いた九尾の指示。

 それに応じるように、月葉とイソトマが素早く動き出す。

 

(何が始まるんだろう……?)

 

 あっという間に三人は着替えを済ませ、部屋を出ていこうとする。

 その姿をただ見送ることしかできない自分が、なんだか取り残されたように感じた。

 

「待って。どこ行くの?」

 

 思わず問いかけると、月葉が振り返って元気よく答えた。

 

「今からANIMAをやっつけに行くんだよ! あ、ルカも一緒に来る?」

「ダメだ。一般人にあの戦場は危険すぎる。」

 

 即座に九尾が制止する。

 でも、月葉は納得がいかないようで、頬を膨らませながら私の方へ詰め寄ってきた。

 

「えー! ちょっとくらいいいじゃん! ねぇ、ルカ?」

 

 いや、私に言われても……。

 どうすればいいのか分からず戸惑うけれど、もし実際のANIMAを見たら何かを思い出せるかもしれない。

 その可能性があるなら、彼女たちに同行する理由としては十分すぎる。

 

「……わかった。だがそのかわり、俺の指示には絶対に従ってもらう。いいな?」

 

 九尾が厳しい声で釘を刺す。

 私は小さく頷いた。

 

「もちろん。邪魔するつもりはないから。」

 

 そうして、私は九尾に言われるがままに準備を急ぎ、ある扉の前に立つことになった。

 ――ボロボロの木製の扉。傷がつき、少し歪んでいる。

 まるで長い年月を経た遺物のようだ。

 

「この扉でいろいろな世界に行けるの! 」

 

 月葉が短く説明する。

 でも、どう見てもただの扉にしか見えない。

 これのどこが特別なんだろう?

 

「不思議そうな顔してるな。まぁ、見てりゃわかる。」

 

 イソトマが嬉しそうに言った直後、九尾が扉に手をかざす。

 すると――扉から眩い光が溢れ出し、木材がきしむ音とともに、その姿が変わっていった。

 今までの古びた扉とはまるで違う。

 光が収まると、そこに現れたのは、美しくも素朴な木製の扉。

 

「……魔法みたい。」

 

 ただの扉だったはずなのに、まるで生きているみたいに姿を変えるなんて。

 これが『いろいろな世界に行ける扉』――。

 

 まだ何も分からない。

 でも、この扉の先には、きっと私の知らないものが広がっている。

 心臓が、高鳴る。

 不安と期待がないまぜになった、得体の知れない感情が、私の胸を満たしていく。

 

「よし、行くか!」

 

 イソトマの掛け声と同時に、扉が開く。

 一歩踏み出すと、そこは薄暗い路地裏だった。

 壁に張り付いた古びたポスター。地面に散らばる紙くず。少し湿った空気と、遠くで響く車のクラクション。

 人の気配がする方向へと歩き、大通りに出ると、そこには何の変哲もない都会の街並みが広がっていた。

 忙しなく行き交う人々。

 焦って電話をするスーツ姿の男性。

 町の隅で楽しそうに自撮りをする若者たち。

 記憶のない私でもわかる。

 

 これは――ごく普通の「日常」だ。

 

「人間界はいつ見ても平和だな。」

 

 九尾がぼそりと呟く。

 確かに、こんな光景を見ていると、記憶喪失なんて些細なことのようにさえ思えてしまう気がする。

 

「一応、この近くでANIMAの出現情報があるんだけど……。」

「少なくとも、ここは平気そうだな。手分けして探すか?」

 

 イソトマがそう言った瞬間――凄まじい叫び声が響いた。

 咄嗟に振り返る。

 視界に飛び込んできたのは、信じられない光景だった。

 巨大な黒いオオカミ――いや、オオカミの形をした「異形」。

 骨のような鋭い刃が皮膚から突き出し、目は血のように赤い。

 人間を咥え、その肉を引き裂いている。

 

 ――生々しい音が、耳にこびりつく。

 

「これが……!」

「あぁ、こいつがANIMAだ。」

 

 九尾の低い声が聞こえる。

 彼でさえ、わずかに緊張を滲ませているように感じた。

 

「よりによって、これは相当な大物だがな。」

 

 ANIMAは、私たちに気づくと、咥えていた人を乱暴に放り投げた。

 そして、喉の奥から低く唸り、咆哮を上げた。

 ビリビリと肌が震える。

 ただ吠えただけなのに、圧倒されそうになる。

 

「ルカは離れてろ!」

 

 イソトマの声で、私は我に返った。

 咄嗟に近くの建物の影へと身を潜める。

 

 その間に九尾は鋭い目でANIMAを睨み、月葉は背負っていた大きな袋から――スナイパーライフルを取り出した。

 

「目標、獣型ANIMA!」

 

 九尾の掛け声がかかる。

 次の瞬間――イソトマが動いた。

 彼の金属製の腕が白煙を噴き上げ、爆発的な推進力を生み出す。

 その拳がANIMAの顎に叩き込まれ、鈍い衝撃音が響く。

 

 ――ドガァァァァン!

 

 だが、ANIMAは後退するどころか、さらに凶暴な目を光らせた。

 

「これは挨拶だ。さぁ、仕事を始めよう。」

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