ランナーズハイ 作:どんとろりんと言葉が溶けていく
あの後、普通に帰宅した。幸いなことに怪我はなく、土に塗れたくらいだったからランナーウェアを洗濯機に叩き込んで、シャワーの冷水を顔面から浴びる。
頭が冷やされていくと同時に、笑ってしまう。バ鹿だろ、ウマ娘と競争なんかして勝てるわけがないのに。そう思っても、走ってるといつもそうなるんだから変えられない。
だったらコースを変えればいいと思うだろうが、そのウマ娘とは月曜日のあの公園でしか会わないのだ。どうやら曜日によって走るコースを変えているらしく、他の曜日は別の場所で走っているらしい。なおさら月曜日だけ走るコースを変えればいいのだが…
「逃げるみてぇじゃん」
端的に言えばそれだけだ。ただのバ鹿な負けず嫌いだった。なんでか知らないが、あちらもコースを変えるつもりはないらしい。だったらこちらも変えてやる必要なんてないと意地張ってるだけ。バ鹿だろ?でもやめるつもりはない。アレだな。犬の縄張り争いに近い。それに例えると、俺は毎回負けてることになるのだが。
冷水を被ったら、37~38度のぬるま湯に切り替える。運動した後に急に冷やすのもよくないが、さっぱり感にゃ変えられない。というか、月曜日はいつも冷静じゃいられないから、初手冷水はもう日常だ。
「クソみてぇな事実だなぁ…」
愚痴りながら丹念に体をほぐしていく。肩、腕、以外にも指先だって気にする。俺はガチで走っている時手を握る癖があるので、力が入り過ぎて血が出たこともある。だから柔くなるよう入念に。
そうやって身体を緩くして、水滴をタオルでふき取ってから手早く朝の食事、プロテインと塩振っただけのパンを食らう。
あんまり味付けにゃ興味ないし腹にたまればいいってクチだからな。トレーナーになる人間がって言われてもそれでやっていけてるんだからいいだろ。
朝の身支度を済ませて出勤する。
ふと頭を過る朝のウマ娘。ここらへんだと十中八九トレセン学園に居るんだろう。鉢合わせたら少し気まずいな…なんて思いながら
俺はトレーナーとしての一歩を踏み出した。
―――――
トレセン学園を運営する快活な少女…秋川やよいと心配そうな顔で書類を捲る女性…駿川たづなは理事長室にて一人のトレーナーについて、言葉を巡らせていた。
「ホントに彼に任せて大丈夫なのでしょうか?新人ですよ…?経験を積んでからでも…」
「杞憂ッ!彼ならきっとやり遂げてくれる!試験をトップで合格した逸材だ!」
勢いだけで行動してしまうことが玉に瑕だが、その手腕と人を見る目は少女であっても本物。その才覚は学園のモットーでもある『唯一抜きん出て並ぶ者なし』そのものである。そんな少女が言う事ならば彼は本物なのだろう。しかし、だからといって新設したレーストラックの管理を任せるといった所業には、さしものたづなも度肝を抜かれた。
「それに…」
「それに…なんですか?」
「あれほど走りに真摯な人間がやり遂げないはずがない。そういう目をしていたから」
そう語る目はどこか遠く
「本物だよ。たづな。間違いない。少し危うげだけど、間違いなく…もしウマ娘に生まれていれば…うぅん、何でもない」
ぼそりと言いかけた言葉はウマ娘の聴覚をもってしても捉えられなかったが、滲み出た感情が秘書としての心を揺さぶる。
「…いつでもフォローできるように用意しておきます」
「感謝ッ!たづなが気にかけてくれるなら心配いらないな!」
―――――
「シリウス先輩やべっすよ!?ヤバいのが来ました!」
「あぁ?んだよ…ったく騒がしいな」
いつものように生徒会に粉吹っ掛けてレース場に移動しようとした折、後輩の一人がえらく血相変えて走ってきた。走るんじゃねぇよ。まだ生徒会にちけぇんだから。
ひとまず落ち着かせて話を聞いて…耳から入ってくる情報に信じられず素っ頓狂な声を上げた。
「はぁ?」
「だから!ヒトが新しく出来たレーストラックで走ってるんすよ!一人で!」
「…契約してる奴居るんだろ?ソイツを待ってるとか…」
「ちげぇっす!トレーナー持ってるダチに話聞いたら新人のトレーナーだって言うんすよ!理事長からトラックの管理も任されてるって…!」
「はぁ?」
増々訳が分からなかった。なんだ?つまり、新人トレが新設のレーストラックを走ってるってことだろ?契約もせずにだ。それに新人にトラックの管理ィ?
わからねぇ…わからねぇことだらけだが……
「兎に角…様子を見に行くぞ」
「うっす!」
別にどんな奴でも構いゃしねぇ。…てのがいつもだが、走るってのが妙に気になった。トレセンに来たんだからやるこたぁトレーナー業だ。そりゃ走りを教えるために走ることはあるだろうが…契約せずに走るってのが気になった。それに普通の新人がレーストラックの管理なんざ任せられるわけがねぇ。なにかある。
天才か…あるいは
降ってわいた疑念を払しょくするため、らしくないペースで歩き出す。
そんで、見たモンに自分の目を疑った。信じらんねぇ光景だった。でも事実、そうなってる。同じく様子を見に来たウマ娘の声が耳を打った。
「サイレンススズカと並走してる!?」
アホはヒトミミでトップレベルの運動能力(走力特化)です。