ランナーズハイ   作:どんとろりんと言葉が溶けていく

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禁断の二度打ち(本日二回目投稿)
アグネスタキオン回です。




トマス・クーンのパラダイ厶の消失は、すなわち科学におけるコペルニクスやニュートンが提示したパズルの解決策の消失であり、そうした科学における危機にはしばしば解決策の移動、パラダイ厶シフトが起きる。


クーンの喪失

「根を詰めすぎるのも毒だと思いますよ」

 

 ことり

 

 いらない、そう言おうとしたんだが、それが珈琲ではなく紅茶なことに酷く驚いた。カフェは珈琲派で私は紅茶派、そこだけは相容れないと思っていたから思わずといった風にカフェの方を見た。カフェは苦笑していた。

 

「私じゃないですよ。スカーレットさんが淹れていきました。邪魔しちゃ悪いけどせめてって」

 

「そうかい…うん、おいしい」

 

 少し冷めてしまった紅茶を飲み干せば幾分か気分も紛れるようで周囲に目が行くようになる。見やれば、書類とデータと薬品と…あぁ、これ結構貴重なんだが零してるな…次の実験で足りるだろうか? いや、まずは先に結果をまとめて…

 

「……さっきも言ったと思いますが、休んだ方が良いです。寝ても居ないんでしょう?」

 

「あぁ、まぁね。如何せんやることが多すぎてねぇ…なにから手を付けるべきか、いっその事すべてに手を付けようかとしていたら寝ずに今さ」

 

「無理しないでください。レース本番で体調崩しても知りませんよ」

 

 そう言いつつ、しっかり心配してくれる気の置けない友人(マンハッタンカフェ)にムズ痒い気持ちになるが、それでも、やらなきゃいけないんだよ。

 

 敵は強い。化け物と言ってもいいほどに。

 

 サイレンスズカ、逃げ気質ですべてのレースでトップを独走している。本人の闘争心も恐ろしくあり、生半可な気持ちで挑む相手ではない。逃げ気質は中盤失速する等という従来の常識が通用しないものだ。序盤から終盤までずっとフルスロットルで走り続ける。

 

 模擬レースや練習のデータをまとめて極めて異常な結果が読み取れた。走れば走るほど、レースをすればするほど、その能力値が須らく上昇している。

 心拍、足の回転数、一歩一歩の加速、どれをとっても前のレースより向上していた。図に表してみて目を疑ったよ。右肩上がりなんてものじゃない。右上にほぼ直線で伸びているんだ。成長率が桁違いで、コレに勝つ最適解はレースを指せないことなんじゃないかとさえ思ったほどだね。

 

 そんな相手に勝つためには、まず私自身がどこまで本気で走ることができるかを理解しないといけない。先行研究を照らし合わせ、自分自身の位置づけを理解し、長所と短所を把握する。冷徹なまでに私情を廃し、結果だけを見る。科学者として、結果に私事を挟むなんてことはあってはいけないんだ。

 

 たとえ、その結果が自分の未来を砕くことに。

 

 その後、プランBに頼るしかないことに。

 

 次代に託して、私を殺すことになったとしても。

 

 それは研究者として本望で、私の選んだ道なのだ。

 少し昔話をするならだ。その昔、ティコ・ブラーエという科学者がいた。天動説を支持する者であり、地動説を否定するためにその生涯を天体観測に費やしたという。プトレマイオスモデルという当時考えられていた天体モデルに合致するように、ただひたすら観測し続けた。科学者として尊敬すべきところだねぃ。

 その自分自身を信じず、正確で大量の記録を取る為に、同じ観測機を用いて複数回観測を行い、自身や機器の誤差さえ含めて記録したという姿勢は、次代にとてつもない知識を残した。最期はプトレマイオスモデルの欠陥を修正することは出来ず、データを残して亡くなったが…後に、そのデータが地動説を支持する者の武器になったというのがこの話の顛末だ。

 

 そう

 

 たとえ、私が砕かれようと得られたデータは無駄にはならない。私ではない誰かが私で得られたデータをもとに私が求める『ウマ娘がどこまで速くなれるのか』を引き継いでくれる。私が今考えている説が否定されようと、きっと

 

 知識の継承が天体という未知を既知に変えたように、次代の者達がその未知を既知に変えてくれる。

 

 ………私がその道に至ることができないという事に必死に目を逸らしているがね。

 

 …わかってる。わかってるさ。これはただの諦めで、次代に繋ぐと言っているが結局のところ慰めでしかないということに。

 

 出来るなら私だってそうしたい。私自身で到達点へと向かいたい。その未知を既知に変えるという科学者として最上の喜びを享受したい。だがねぇ…

 

 私の(くつ)は硝子製だった。

 理論だけで見れば、私が本気を出して走ったとき92%で故障する。それも重大な怪我を残して。どれだけ研究しようとこの8%を広げることは出来ず、忌々しいことだが運に頼るしかないという事実がここ数日の私を苦しめている。

 

 だが、だがね。

 

「カフェ、私は希望を見たよ」

 

「希望……ですか?」

 

 ペンを走らせる。終われないんだ。此処で終わることなんてあってはならない。未だ過程、夢半ば。それでも諦めたくないんだ。私が終わってほしくないんだ。

 

「あぁ、希望さ。眩しくて、手に届きそうにないものだと思っていたんだ。でも、あちらから手を差し伸べてくれた。じゃあ諦めるのは筋違いだとは思わないかい?」

 

 机にかじりつくように資料へ書き込む。このデータはダメだ。すぐさま切り捨てる。

 データに執着するな。結果、何を得られて、何が足りないのか。実証にて分析できたものだけを常とするんだ。

 

「それは「希望だよ、希望だ」

 

 言葉を喰らった。申し訳ないがね。こればっかりは何も言わせないよ。

 

「希望だったんだよ、私にとっては。諦めていた結果が目の前にあったんだ。私が研究していた論文を先に発表されたような気持ちさ。悔しいやら嬉しいやら……私の論文は間違っていなかったと証明されて誇らしくもあったし、私が先にその未知を既知にするはずだったのにと憎悪もしたねぇ」

 

「嫌味たらしく指摘してもよかったさ。素人質問で恐縮ですが……なんてね。だが…疑いようがないほど、それは覆しようもない事実だった。パラダイムシフト、正しく今までの模範例や基盤が無くなること(パラダイ厶の消失)が起きたんだ。出来ないことができるとわかってしまったなら、それが新たな前提として研究が進むようになる」

 

「私は私の未来が破滅しかないと思っていた。でもそうじゃなかった。今までの基盤()を破壊をしてくれたんだ彼は。……その姿、その過程、その結果が」

 

「科学的にはたった1ジュールにも満たない僅かな、でも確かにあった熱量とそこから出力された結果が、私を変えるきっかけになったんだ」

 

「そうしたすべてをひっくるめて、私はそれを希望と呼ぶんだよ。カフェ」

 

 私は今、どのような目をしているんだろうか。狂気に浸った科学者の目だろうか。それとも、光に焼かれた虫のような目をしているのだろうか。

 

 

 それとも、私らしくないことを言ったことに驚いているんだろうか。

 

 

 何も言わず、ただ私を見つめるカフェを見て ふうっ と息を吐いた。

 すっと、唐突に脳裏の叡智が瞬いた。私はそれを書き止めるのに夢中になった。

 ふと、横を見れば、珈琲が湯気を燻らせていた。

 

 私は何も言わず、一口飲んだ。とても苦かったことは覚えている。




 途中の天体の話はずっと盛り込みたかった自己満足です。「チ。」はいいぞ

 タキオンへのギアが掛かったのでタキオン話を増やします。その分、スズカも増やします。
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